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投稿者: ogata

  • エアインディア 格安市場に参入

    ガルフトラベラーサウスウェスト航空など、コスト削減を徹底し、低価格運賃を提供する新しい航空会社が各地で注目を集める中、エアインディアも2005年から子会社(社名未定)を設立。湾岸諸国と東南アジア方面への格安フライト運行開始を発表した。従来より25%ほど安くなる見込みだ。
    デリーとムンバイから出発するということで、国際線との乗り継ぎも良いことだろう。これで「ガルフの国へインド経由でお安く」という時代がやってくるのか。ちかごろ石油だけではなく観光にも力を入れつつあるこの地域。これを契機にアラビア観光ブームが日本にも訪れるのではないか、と予感。

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  • 寄港地から格安フライトはいかが?

    Air Asia
     妙チクリンな料金でキャンペーンを打っている航空会社があるとは聞いていたが、いくらなんでもこんなに安いとは!
     タイやマレーシアを中心に、空のネットワークを広げているエア・アジア。限られた座席数とはいえ、バンコク―ナコンラチャシマー間をたった9バーツ(1バーツ=約3円)で乗せてくれるオドロキのキャンペーンを打ち出している。バンコク市内を走るエアコンバス並みの料金で、そんな遠くまで連れて行ってくれるとは!
     それ以外に、マレーシアのクアラルンプルからペナンまで、9.99リンギット(1リンギット=約30円)というチケットもある。どちらも空港税や保険その他500円ほどプラスアルファになるが、それにしても驚愕の安さだ。
     日本で働いている私としては、目下、お金よりも時間が欲しくてたまらないが、インド帰りに、バンコクやクアラルンプルに立ち寄る人は少なくないだろう。この超格安の便を利用された方があれば、ぜひお話をうかがいたいものだ。
     それにしてもいまだ割高なインド国内の空の便。価格競争の波がやってくるのはいつの日のことだろうか?

  • 「圧力鍋」と「造反有理」

    cooker bomb
     「インドからネパールへの圧力鍋の持ち込みはご法度」という決まりがあることをご存知だろうか。たかが圧力鍋とあなどってはいけない。取り締まりはかなり厳しく、禁を破ったものは警察に拘束されることもある。
     禁止の理由は治安対策。「鍋が危険物?」と首をかしげる向きもあるかもしれないが、大量の火薬と組み合わせることで、圧力鍋は強力な時限爆弾に簡単に変身する。これらは、ネパール各地で頻発しているマオイスト(毛沢東主義者)のテロに頻用されているのだ。
     調理器具の販売業者にとってはとんだトバッチリ。高地で煮炊きするために持ち込んだ道具に難クセつけられて困惑する外国の登山隊もあるようだ。
     圧力鍋はガスコンロとともに、インド・ネパール主婦たちの家事の負担を軽減してきた。家庭でも食堂でも、あの「シューシュー」という音が聞こえてくると、条件反射的に「さあ、ご飯だ!」とお腹がグウと鳴る。アットホームな温もりを感じさせる生活音のひとつである。
     家族団らん、あるいは仲間たちとの食卓に並ぶ、おいしい料理を作ってくれるはずの調理具が、こともあろうか、多数の人々の命を殺めるとは想像するだけでも恐ろしい。
     いまや世界のほとんどの国で、「共産主義」や「革命」というボキャブラリーが歴史的用語となってしまった感もあるが、ヒマラヤ山脈の一角ではいまでも現実味を持って受け止められている。
     マオイストの活動に加わる人びとの中には、少数民族と女性が多い。被抑圧者たちの切羽詰った状況が団結力を生み、暴力によって恐怖を煽り、服従させることによって勢力を拡大する。「政権は銃口から生まれる」という毛沢東の人民戦争論を忠実に実践しているのだ。
     狭いながらも民族ゴッタ煮状態のネパールは、現在、内側から相当な圧力がかかっている。今後、うまく蒸気を逃がすことができるのか、それとも破裂してしまうのか予測がつきかねる。
     隣国インドでも、規模は小さいがナクサライトのような左翼過激派を抱えている。地続きで相互に人びとの往来が盛んな両国。国境をはさんだインド側でも過激思想や違法な武器の蔓延といった心配もある。
     ネパールで事業、あるいは投資を行うインド人たちが、マオイストの強請りや攻撃の対象になっているため、状況次第では両国の関係にもヒビが入りかねない。今後の成り行きが気になるところだ。
     政府が治安対策を強化したところで、反乱を生む土壌は変わらないだろう。なにしろ毛沢東語録によると世の中は「造反有理」なのだから。


    ▼関連リンク
    ・圧力鍋爆弾テロ:
    Army claim 18 Maoist killed
    Violence in Nepal escalates
    Youth shot dead, bomb blasts rock valley
    ・日本人の日記から:
    ポカラ空港「圧力鍋持ち込み」でモメる(Osaka Alpine Club)

  • インドの新しい顔

    マンモーハン・スィン新首相 / photo by rediff.com
     すったもんだの末、ようやくインドの新しい首相が決まった。インドの新しい顔となったマンモーハン・スィン氏は、1990年代初めに国民会議派=ナラシマ・ラオ政権で財務大臣を担当。91年の経済危機を乗り越えて、その後の成長へと続く改革の道を切り拓いた。当時のラオ首相の最大の功績は、彼をこのポストに起用したことだとまで言われる。
     1932年、現在パキスタン領内にあるパンジャーブ州西部生まれ。パンジャーブ大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ両大学で学んだ後、国内いくつかの大学で教えた経済学者であるとともに、中央銀行総裁をしていたこともある。
     パキスタンのムシャラフ大統領(インドのデリー生まれ)とともに、南アジアの両大国のリーダーの生まれ故郷は、そろって国境の反対側ということになる。このふたつの国の血のつながりの濃さを象徴しているようだ。
     マンモーハン・スィン氏はインドで初めてのスィク教徒(非ヒンドゥー教徒としても最初)の首相でもある。彼によって「名前の綴りにRが含まれる人物は首相になれない」という謎めいたジンクスは破られた。
     過去のインド首相で、自身がこれほど経済に明るい人物がいただろうか。どこから見ても異色な新リーダー。会議派政府を閣外協力する左派との関係の舵取りが難しいと思われるが、今後の手腕に多くの人びとが期待しているに違いない。

  • 最後に笑うのは誰?

     今回の選挙結果が、インド経済に大きな波紋を広げている。大勢判明直後の大幅下落にとどまらず、週明け月曜日には、過去129年間で最大の暴落を記録してしまったインドの株式市場。好景気の波に乗ってきたインド経済に急ブレーキがかかり、新政権は発足前から面目丸つぶれである。
     一連の出来事で、いまをときめく財閥オーナーたちにも大きな被害が及んでいる。昨年度の長者番付トップで、リライアンス・グループを率いるアンバニー兄弟にいたっては、なんと594億Rs(約1490億円)もの損失が推測されている。
     だが、こうした財力ありあまるお大尽たちはともかく、本当にスッカラカンになってしまって頭を抱える市民も少なくないだろう。
     予想外の勝利を収めた国民会議派は、強い逆風を受けてのスタートとなる。アテにしていた諸々の左翼政党の取り込みは不調。第一党の国民会議派、野党に転落したBJPに次ぎ、三番目の議席数を確保したマルクス主義共産党は、政権に直接参加せず閣外協力に留まることを表明している。イデオロギー的なものはもちろん、再来年に控える西ベンガル州選挙(国民会議派が最大のライバルとなる)の都合もあるようだが、会議派に対して自分たちの価値を吊り上げようという意図も見え隠れする。
     同党をはじめとする左翼陣営は、国営企業民営化プログラム(この中には政府が所有する銀行、航空会社のエア・インディア、インディアン・エアラインスも含まれる)に一様に反対しており、今後はこの第三勢力の動きが政局の重要なカギ、…いや政権の存続をも左右するようになるのかもしれない。
     単独で過半数を確保できなかった国民会議派にとっては気が重い問題ばかりだ。ただでさえ軋轢の大きい寄り合い所帯の連立政権。閣外からの「協力」と同時に大きな「圧力」もかかってくることを覚悟しなくてはならない。
     今回の総選挙の結果、最後に笑うのは誰だかはっきりするまで、もうしばらく時間がかかるようである。
    財閥主たちはいくら損した? (Times of India)

  • インド迷走:ソニア首相就任を否定

    Photo by www.indianexpress.com / (C) PTI Photo
     世の中いったい何がおこるかわからない。総選挙で勝利した国民会議派総裁=ソニア・ガーンデイー氏。首相就任が自然な流れであると思われたのだが、昨日、大統領との会談後、本人の口から就任を否定する発言が飛び出した。今日19日には「ガーンディー首相誕生!」と予想されていたのに。
     かねてよりソニア氏の出自については、党の内外から語られることは多かったが、彼女自身も会議派も、そうした障壁は百も承知で腹をくくって、この選挙戦を闘ってきたはずだ。右翼陣営の過激な攻撃を封じるため辞退したとすれば、「彼らの論理に屈して、会議派の指導体制の誤りを認めた」と、受け取られてもおかしくない。
     あるいは「外国人」「王朝の再来」という批判を最小限に抑えようと、一度は固辞しながらも周囲から熱烈に請われて就任したという手続きを踏みたいのだろうか。少なくとも、「首相のポストを明け渡すことで、閣外協力を表明するにとどまっている左翼勢力を取り込もうという奇策」ということはないだろう。
     一部伝えられている「野党の攻撃で嫌気が差した」「首相職に関心がない」というのが本当の理由であるとすればひどい話だ。ソニア氏を頂点とする会議派に期待を寄せて票を託した有権者たちへのあからさまな裏切り行為である。さらなる政治への失望と不信感を人びとの心へ植えつけることだろう。
     周囲の圧力で、断りきれずに政界へ進出することになった彼女に同情を寄せたくなる気持ちもあるが、いまこそ党総裁としての責任はもちろん、これまでソニア氏を祭り上げてきた会議派の責任も問われるべきである。世界最大規模の政党でありながら、強いカリスマ性を備えた指導者が不在であるという不条理。今回の出来事でその醜態を天下にさらすことになった。
     選挙で政治の風向きが大きく変わったものの、新政権発足前にして早くも元の流れに戻ろうとしているかのようだ。次期首相候補として、マンモーハン・スィン氏(1990年代初め、ナラシマ・ラオ政権下の財務大臣)の名前が浮上してきているが、はたしてどんな決着を見ることになるのだろうか。

  • フタを開けてビックリ!

    photo by Hindustantimes.com
     13日に開票されたインド総選挙、当初の予想とは裏腹に国民会議派が第一党という結果になった。BJP(インド人民党)陣営が確保した185議席に対して、会議派陣営は217議席。過半数を得るのに必要なのは272議席。今後はBJPの対抗勢力をどれだけ取り込めるかが焦点となる。
      「反BJP」は、当然のごとく左派勢力が中心。今後、構造改革や、公部門の民営化プログラムが停滞するのではないかという懸念から、本日金曜日のボンベイ株式相場は急落した。これまでBJP政策の恩恵を受けてきた経済界や富裕層に不安を与える政権交代になりそうだ。
     農民や貧困層の支持を得られなかったことがBJP勢の敗因とされるが、ムスリムやダリットをふくめ、社会の底辺を構成する人びと、近年の経済発展の恩恵から取り残された人びとの不満をうまく吸収しようという国民会議派とその周辺勢力の戦略が功を奏したというわけでもないだろう。これは、BJP政権下で冷遇されてきた人びとによるリベンジである。
     マハトマー・ガーンディーが語った「インドの心は村にある」という名言は、現代にも通じる真理なのだろう。やはり選挙は国を挙げての多数決、数こそが力なのであるという単純な理屈がよく見える形になって表れた。
     華やかな歴史とともに、国の隅々にまでおよぶネットワークは国民会議派の大きな財産だ。「世界最大の民主主義政党」という看板もあながちウソではないな、という気がしてきた。
     また、これまで「BJPは苦戦ながらも勝利をおさめる」と予想していた多くのメディアが、社会のどの部分に依拠しているかということも、いまさらながら浮き彫りになった。

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  • 次なる政府は?

     インド各地で4月20日・26日、5月5日・10日と4回に分け行われていた総選挙の投票がすべて終了し、じきに大勢が判明する。現在、与党の立場にあるBJP(インド人民党)、政権復帰を賭ける国民会議派、ともに単独で過半数を得ることは難しい状況。両陣営ともに新たに連立を組む相手を探り、水面下での駆け引きが活発に行われているようだ。
     今回の総選挙は「インド初の電子投票」という記念すべき方法で集票。各地に百万台以上の投票マシーンが設置されたことも大きな話題となった。投票率55%(例年は60%台)とやや低調ではあったが、それでも3億5千万人以上もの人びとが、自らの意思を票に託したわけだから、地上最大規模のイベントとも言える。
     期間中、選挙に関わるトラブルによる死亡者は、この国にあって40名と少なく(!)、過去もっとも平穏な選挙のひとつであった。
     選挙広告もなかなか興味深く、中でも国民会議派の雑誌広告や、ウェブサイトには、ちょっと考えさせられるものがあった。
     独立運動、共和国制と憲法の制定、パンチャーヤト制導入、緑の革命、工業の発展、IT産業推進政策、経済自由化への道筋など…、118年もの長い歴史を持つ政党だけあり、近代インド史がそのまま党の歴史と重なる。しかし、いまでは野党の座に甘んじていることもあり、過去の実績にくらべ、近年は特にアピールできる材料が少ないようだ。
    Photo by www.congress.org.in
     党のウェブサイトにアクセスしてみよう。「home」のすぐ右隣のタブには、元首相で1991年に亡くなったラジーヴ・ガーンディーの言葉が記されており、現在同党を率いるソニア氏は、まるで故人の代理を務めているかのような印象を受ける。
     「history」をクリックすると、いきなり手紡ぎ糸車を前にしたマハトマ・ガーンディーの大きな写真があらわれる。1989年の総選挙(会議派は大敗。人民党のV.P.スィンが首相の座に)の際に、「初代首相ネルー生誕百周年」というコピーを冠したポスターが選挙戦に大量投入されていたことを思い出した。
     すでに天国の住人となっている大昔のリーダーまで、キャンペーンに駆り出されるのだから、「公人」というものは大変だ。それにしても、華々しい過去の業績ばかり書き立てる記事には虚しさを感じる。もちろん、近代インドを形作る中で同党の役割は重大だった。が、インド人なら誰でも知っているようなことを今さら書き立てられたところで…まあ、どんなものだろうか。

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  • 「バジャージ」に強力なライバル出現!?

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     以前、日本上陸したバジャージ社のオート三輪について書いたが、非常に強力なライバルが存在した。メタリックでカラフルなボディ、耳に心地よいくらいシャープに吹け上がるエンジンを持つ、タイの「トゥクトゥク」だ。
     バジャージのオート三輪は、発売元のタケオカ自動車工芸で、「ジュータ」と名づけられた。この会社では、後部が荷台となっている三輪ピックアップしか販売していないが、トゥクトゥクを扱う株式会社ニューズでは、通常の後部客席付きモデルに加え、トラックタイプ、アルミバン、保冷車にダンプ(ちゃんと荷台が持ち上がる)等々、実にバリエーションが豊か。しかも車両の前後左右につけるクロームメッキのロールバーや特別塗装などのオプションもある。
     バジャージの174ccという非力なエンジンに対して、トゥクトゥクは659ccのダイハツ製エンジンを搭載。圧倒的なパワーの差がある。足回りだって後者のほうがはるかに近代的だし、洒落ていてカッコいい。
     さらには「4ドア・エアコン付き」なんていう豪華版まであるのには驚かされ、購買意欲をいやがうえにも刺激されてしまう。これは欲しい!
     業者いわく「車両法上は二輪車扱いなので車庫証明不要」とのこと。しかし「高速道路でもヘルメット不要で、シートベルトを着用する義務もありません」とメリットだかリスクだかわからないことも自慢していた。
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     価格を比較すると、バジャージが62万5千円であるのに対して、トゥクトゥクはスタンダードモデルで120万円、フルオプションモデルだと140万円もする。加えてこちらは車検も必要になり、異なる価格帯であることから直接競合することはないのかも。
     外国製のこんな車両を専門に扱う業者がいるところを見ると、いまの日本でオート三輪の需要は、ニッチながらも意外とあるように思える。

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  • 空の旅今昔

     いまでは考えられないことだが、一昔前、長期旅行者が出入りする安宿の掲示板でこんなメッセージを目にすることがよくあった。
    「航空券売ります」
    「カイロ/バンコク片道 価格応相談」
    「×月×日成田行き ××航空」
     旅の期間や旅のルートが変更したことで、格安往復航空券の帰路を放棄することになった旅行者が、チケットの買い手を探す貼紙だ。
     方法はいたって簡単。売り手が一緒に空港まで行き、パスポートを提示してチェックインする。買い手はボーディングパスを受け取り、イミグレーションと税関を通過して機内へと乗り込むだけだ。チェックインの際を除いて本人確認がほとんどなかった時代でこその裏技(?)である。
     もちろん他人名義で乗った飛行機に万一のことがあっても補償はなさそうだし、不正が発覚することがあれば厳しい罰則もあったことだろうが、当時はまだ空港のセキュリティも緩く、のんびりした時代だった。
     途上国のキャリアでは、飛行中コクピットのドアが開けっぱなし…ということもしばしばあり、乗客が頼めば中に入れてくれることも珍しくなかった。ネパール航空のヒマラヤ遊覧飛行「マウンテンフライト」では、多くの希望者が順番に操縦席からの素晴らしい眺めを見せてもらうことができた。眼前に広がる「世界の屋根」のパノラマ風景はいまでもまぶたに焼き付いている。
     いまや乗務員以外の人間がそんなところに踏み入るなんて考えられない。万が一、許してしまったら航空会社が利用客から強い抗議を受けるに違いない。
     長距離のフライトでは、経由地で乗客の乗降と給油が行われ、機内に清掃が入る。どこかに着陸するたびに機外に出てターミナルビル内でしばらく待たされることがよくあった。
     アエロ・フロートでモスクワ発リマ行きのフライトを利用したとき、ルクセンブルグ、シャノン、ガンダー、ハバナ…と寄航する地点が多く時間がかかるうえ、毎回空港ターミナル内に出て待機しなくてはならなかったので、やたらと疲れた記憶がある。
     いまでは他機乗客との合流や入れ替わりを防止するため、目的地や乗り換え地以外の空港で、待機中の乗客が外に出ることはほとんどないはずだ。
     インドを含めて一部の国や地域では、危険物や爆発物を防ぐ目的で機内への搭乗前、乗客自身に預け荷物の確認をさせることがあった。「これは私のです」と告げ、係員がチョークで丸印をつけて初めて飛行機の荷物格納庫に運ばれた。
     だがこんな方法はもはや通用しなくなっている。他の乗客もろとも上空で木っ端微塵に吹き飛んでしまうことさえ恐れない危険人物が紛れ込んでいる可能性があるからだ。

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  • 印度風味的中華料理!?

     チョプスィー、マンチュリアン、少々ノビ気味のチョウメン、大きくてカチカチのスプリングロール…。これらが不味いとは言うわけではない。美味しいものだって多々あるが、インドの「CHINESE FOOD」はどうしてこうもヨソの国の中華料理と違うか考えてみた。
     まず食材の問題がある。インドでは菜食主義者が多く、肉食をする人でも食べるのはマトンかチキンくらい。ごく一部の場所を除いて中華料理でおなじみの「豚肉」は出てこない。乾燥具材の干しシイタケ、キクラゲ、貝柱の類も見当たらない。
     調味料にしてみてもそうだ。インドは東アジア〜東南アジアのような、アミノ酸が生む「旨味」の食文化圏ではない。南中国の沿海地方にあるような海鮮醤は言うまでもなく、ちゃんとしたオイスターソースの類さえインドでは珍しい。ダシに重きを置かないので、スープを飲んでみても何か物足りない感じがする。
     在来の調理法との違いも大きい。炒め物ひとつ取っても、強い火力でジャジャッと加熱して素材の歯ごたえを生かす中華料理的手法は、しっかり芯まで火を通すインド料理に慣れた人びとの舌にはあまり受け入れられないのかもしれない。蒸す・湯がくという料理法も見当たらない。麺を食べる伝統がないので、煮崩れる寸前まで茹でて(煮込んで?)しまうこともしばしば。 
     麺といえば、ヌードル・スープを頼むとマギーのインスタント麺をレシピ通りに作ったものが出てくることもある。日本のおとなり韓国でも、食堂で「ラーミョン(ラーメン)」を注文すると、厨房の人がインスタントラーメンの袋をバリバリと破っていたりするので、まあ、あまりインドばかり責めるわけにはいかないだろう。
     具材を含め、インド化した独自の中華料理が生まれた原因には、インドに中国人がほとんどいないことが大きい。本物の中国人が作る中華を味わったことがないので、「こんなもんじゃないかな」と想像して作るしかない。(そのかわりチベット料理はインド各地で食べられる。)
     ともあれ世界三大料理のひとつ「中華料理」にはユニバーサルな人気がある。食に対して保守的なインドでは、客層は限定されているが、高級レストランから安食堂まで、それらしきものに出会うことができる。
     これが和食だったらどうだろうか。南アジアの人たちが日本で普通の食堂に入ると、汁気の少ないおかずとご飯という組み合わせに難儀するようだ。彼らの国ではごはんの上に汁物をかけて食べるのが普通。よほど好奇心が強いか、日本通の人でないと、なかなか受け入れてくれないような気がする。
     仕方なく彼らがテーブルの上に置かれているケチャップやマヨネーズをかけてなんとか口に運んでいる姿を目にした食堂の人が「向こうの人はこういうのが好きだね」と巨大なケチャップ瓶を常備する…そんな善意から勘違いが生じることもある。
     地域によって人の顔立ちや言葉が違うように食べるものだって違う。おなじ「中華料理」だって本場中国、日本、東南アジア、インド…それぞれ独自の個性を持っているのは面白い。
     大海原をはさんだ隣国マレーシアには、地元のカレーと中華式の麺が合体した「ラクサ」が、あるいは中国には存在しない南洋華僑料理「肉骨茶」のようなご当地中華がある。これは巨大な華僑人口ゆえのこと。中国人の影響なしにCHINESEが急普及したインドにも、そろそろ何か面白い料理が出現してもおかしくないはずだ。

  • 一見インド人

     ゴアで一日ツアーバスに乗ったときのこと。乗客には近隣州から来た人が多かったが、コトバの最大公約数ということだろうか、ガイドはヒンディー語でなされていた。
     近くの席に知人によく似た人がいたので話しかけてみると、インド人ではなく、外国に住むインド系でもなく、アラビア人だった。オマーンから来た留学生。マハーラーシュトラ州内の大学でエンジニアリングの勉強をしているという。英会話はインドに来てから覚えたというだけあって、アクセントも立派なインド風。 本人曰く「ラージャスターンの人と思われることが多いよ」。 なるほど浅黒い肌、細面に高い鼻、鷹を思わせるような精悍な顔立ちだ。
     宿ではモーリシャス生まれのインド系イギリス人にも会った。何代も前にモーリシャスに移民した先祖の出身地はインドだが、どこの地方だかわからないという。幼いころ両親に連れられてイギリスに移住、帰化したが、インドを訪れるのは生まれて初めて。何もかもが物珍しいという意味ではイギリスの白人たちと変わるところはないようだ。
     本来、ヨーロッパから来た他の旅行者たちと意識は同じなのに、彼らと一緒にバイクを借りて走り回れば、道中出会う人々から地元のガイドだと思われるのは愉快な体験だ。
     私たちにとってなかなか真似できることではないが、似たような顔立ちの人々に囲まれてのインドの居心地はどうだろうか。モンゴロイドの少数民族たちが住む東北諸州をふと思い浮かべてみた。