昔の鉄道の検札といえば、長い紙を折り畳んだ予約リストを手にした車掌のオジサンが、チケットと手元のリストにチェックを付けていくものだった。とりあえず乗車券のみで乗り込んで席を確保してもらうのにも時間がかかった。
でも今はタブレットで処理するようになっていて、空席状況も一目瞭然。こうなったのはそんなに前のことではなかったはずだけど、インドではある時を境にガラリと変わるものだ。


昔の鉄道の検札といえば、長い紙を折り畳んだ予約リストを手にした車掌のオジサンが、チケットと手元のリストにチェックを付けていくものだった。とりあえず乗車券のみで乗り込んで席を確保してもらうのにも時間がかかった。
でも今はタブレットで処理するようになっていて、空席状況も一目瞭然。こうなったのはそんなに前のことではなかったはずだけど、インドではある時を境にガラリと変わるものだ。

こんな記事があった。インドにおけるウルドゥー語メディアの勃興、興隆と衰退について書いてある。
ウルドゥー語は、現在も中央政府においてはもちろんのこと、州レベルでもカシミールやUP等で公用語に指定されているとともに、そもそもムガルの治世下で発展したれっきとした「北インドの言葉」だ。「ヒンドゥスターニー語」とも呼ばれる。
ヒンドゥスターンとは、もともと中央アジアやイラン方面からのインドに対する他称だが、もちろんインド人自身も自国のことをそう呼ぶ。(これに対するインドの自称は「バーラト」)
そのヒンドゥスターンの言葉なのでヒンドゥスターニーなのだ。
ヒンドゥスターニー語、つまりウルドゥー語について、ムスリムの言葉とかパキスタンの国語といった属性で語られるようになったのは印パ分離のあたりから。それまではヒンドゥスターン平原を中心とするインドで広く使われる言葉であった。
現在これがヒンディーに取って代わられたと言っても、全く別の言葉に置き換わったわけではない。ヒンディー語という概念はウルドゥー語から派生したものであるからだ。19世紀半ば以降のいわゆる「ヒンドゥー・ルネッサンス」の流れの中に始まる。
それまで英語に加えてペルシャ語が英国統治における行政言語となっていた(ムガルの公用語ペルシャ語を引き継いだため)が、これを「現地の言葉に置き換えよう」という政府の動きで、当然ウルドゥー語へ転換をと動く流れに抵抗して、書き文字のペルシャ文字ではなく、サンスクリットのデーウァナーガリーで、語彙もサンスクリット起源のものを増やす云々という具合に発展したのがヒンディー語。
そんなわけで、「これまで英語で話していたのがスペイン語になった」「これまで日本語で話していたのが中国語になった」というようなものではない。基本的に同じ言語だが、書き文字が異なり、語彙の分布に差異がある。
いずれにしても、たいへん馴染み深いものでありながらも、縁遠いものとなってしまったわけだが、この筆者(70代くらい?)が書いているように、「父の時代にはウルドゥー語だった」というのは、北インドのヒンドゥー教徒の年配者からよく聞く話だ。日常の語彙の変化もさることながら、文字が異なるがゆえ日常目にする看板や出版物等々、視覚的にも大きな変化だ。
記事の筆者自身はジャイナ教徒だが、今ではヒンドゥーやジェインの人たちがウルドゥー語新聞を購読して、ウルドゥーのニュースチャンネルばかり見ているという図はちょっと想像できないか、今のようにウルドゥー語に「ムスリム」という属性が付いていなかった時代のことである。
本来、言葉とは信仰と紐付けられるものではない。ウルドゥー語は地域や民族を超えたユニバーサル言語であったのだが、政治により「緑色」に染められて現在に至っている。
このニュースをインドのニュースチャンネルで見た。社会党のムスリムの州議会議員がアウラングゼーブについて個人的な見解を述べた結果、大変な騒ぎになっている。社会党所属の州議会議員、アブー・アーズミーは議員資格を停止され、各メディアから集中砲火を浴びるとともに、討論番組の議題にもなっている。
単にヒンドゥー至上主義の台頭のみならず、マラーター民族主義という土壌と相まってのこともある。マラーターの英雄のひとり、シヴァージーの息子のサンバージーは、ムガル帝国との戦いに敗れて、アウラングゼーブの命令により拷問を受けた末に処刑されている。
そうした歴史の中での経緯はそうと、近年のインドで「ずいぶん変わってしまった」と感じることがある。
少なくとも今世紀に入る前までは、「ムガル朝はインド最後の王朝で、アウラングゼーブはその第6代目の支配者」ということに異論を唱える人はいなかった。歴代の皇帝の誰かを讃えたところで、まるで「パキスタン建国の父、ムハンマド・アリー・ジンナーを賞賛した」かのように、非難されることはなかった。
「ムガルは英国の前に来た侵略者。ムガル朝はインドの恥辱」というのは、昔はごく一部の極端な思想を持つ人の「戯言」だったものだが、今ではそういう極端な思想が市民権を得てしまい、社会全般の「共通認識」になりつつあることだ。
「嘘も百回言えば真実となる」とは、ナチス・ドイツの宣伝大臣、ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉だが、嘘を長年繰り返していると、耳を傾ける人たち、賛同する人たちがどんどん増えてきて、大きなムーヴメントになり、嘘の内容が既成事実のように認識されてしまう。
ご存知だろうか?第一次モーディー政権以降、インドの子供たちが学ぶ学校の歴史の教科書から「ムガル朝」に関する記述は削除されていることを。なぜなら「ムガル朝の歴史はインド自身の歴史ではなく、インドを蹂躙した侵略者の歴史である」ということになったからだ。華々しい経済発展とは裏腹に歴史をひっくり返す「革命」が進行中のインドだ。
そうした歴史認識と今の時代のインドに暮らすムスリムコミュニティに対する意識もまたセットになっている。
先の総選挙では国民会議派を中心とする世俗の野党連合が「よもや?」と思わせる巻き返しを果たした。トランプのアメリカにひけを取らないくらい偏向してしまったインド中央政界だが、今後は極端な思想ではない人たちの側への揺り戻しを期待したいものだ。
SP MLA Abu Azmi suspended from Maharashtra Assembly for remarks praising Aurangzeb (THE HINDU)

インドでは客車そのものだけでなく、列車自体にも階級がある。最上位のヴァンデー・バーラトに乗車していると、停車駅での短い時間以外はほぼフルスピードで疾走。路線上に他の列車など存在しないかのような気がする。これに次ぐ最上級列車のラージダーニーやシャターブディーも同様に無駄な時間はほとんどない。
これに次ぐのがデカンクイーン、アムリトサル・メイルその他の「スーパーファスト」と称される快速特急。これらにはACクラスも当然連結されており、上のクラスの客車を予約すれば快適な移動を楽しめる。
プラヤーグラージからチトラクートに行くために利用したローカルな急行は、大半が予約なしのジェネラルコーチ、2両のみ2等寝台。一番格下のエクスプレスのため、途中駅での待ち合わせ停車が頻繁で時間も長い。




おそらく運転士にも階級があって、昇格しないと上のクラスのエクスプレスを運転するのは叶わないのではなかろうか。ヴァンデー・バーラトの運転室は空調付き。短・中距離の運行で夜行運転はない。これと本日の下級エクスプレスを運転する人が同格のはずはない。
それにしても運転士は過酷な職業。運転室にトイレはないので我慢するしかない。当然、水分の摂取も極力控えての乗車だろう。膀胱を悪くする人たちも少なくないだろう。
私のような下痢がちの者には、とても務まらない職務だ。
それにしてもこの日利用の「プラヤーグラージ/ヴィーランガーナー・ラクシュミーバーイー・ジャーンスィー・エクスプレス」はまるで各駅停車みたいだ。プラヤーグラージを出発してから2駅目のイラーダトガンジで1時間停車。上下線ともいくつもの通過車両を見送る、さらには貨物列車までも。単線の支線なので、行き違いのためこんなことになるのだろう。相当優先度の低い「エクスプレス」のようで。




本日乗車の列車は他の乗客によると常時数時間遅れる「名ばかりエクスプレス」とのことだが、検察にやってきた車掌さんによると、本来ローカルトレインだったものだが、ジェネラルコーチ以外に寝台車両を2両連結させて「エクスプレス」に改称したとのこと。コロナ後からなのだそうだ。やはり最下級のエクスプレスだ。
バスで移動していれば2時間半もあれば着く(105km)。時刻表ではチトラクートまで4時間弱ということになっているが、このペースだと6時間はかかりそう。

こらちはお客が少ない車内でヒマ過ぎて昼寝を決め込んだスナック売り。天下泰平なり。


近年は、「サナータン・ダルム」(永遠不朽の教え)という言葉をしつこいほど耳にするようになっている。
昔からヒンドゥー教のことを、そう表現することはあったが、最近はイスラー厶教、キリスト教などと対比させての「真理」というような具合での言質であったり、インド固有の文化背景をも含めたそういう物言いであったりする。
とりわけBJPのリーダー、活動家などが口にしてきたが、今や市井の人たちもよくそういう言い方をするようになった気がする。テレビなどで幾度も幾度も耳にすると刷り込まれてしまうものらしい。
私ですらインドの人と話していて、ついつい「サナータン・ダルム」などと言ってしまうほどだ。影響されやすいのは誰もが同じ。

朝早く発って日帰りしたりする予定があるため、駅前のけっこうアップマーケットなホテルに投宿した。
駅前と言っても、実質は駅舎に併設しているようなものなので、一番近い売店は駅構内。そんなわけで水だの新聞だのアイスだのと買いに行くので、顔見知りになる売り手さんも出てくる。普通、駅のお客は一見さんだけだし、明らかに顔立ちの違う私はすぐに覚えてもらえる。
駅構内の飲食・日曜品関係の売店は24時間年中無休。だいたいみんなシフトで働いているので、時間帯によって店の人が違うのだが、そんななかで小さな売店でいつも同じおじさんがいる店がある。いつ寝ているのか、帰る家はあるのか、交代する相手は本当にいないのか、ちょっと気になる。
「実質は駅に併設しているようなもの」と書いたが、まさにそれがゆえに駅の構内放送も聞こえてくるのが鉄道好きには楽しい。私は寝るときに騒音はあまり気にならないほうなので、そうしたものを耳にしながら眠りに落ちていくのは実に心地が良い。

ホテルのすぐ脇に駅の階段



ワーラーナスィー・ジャンクション駅をヴァンデー・バーラト号で出発。
80年代そして90年代前半には、駅構内に灯油のコンロを持ち込んで調理している家族連れ乗客が普通にいたし、走行中の車内でもそんなことしている人たちがいて、「なんか危ないなぁ!」と思ったが、あれは夢か幻だったのか?当時はインド国鉄のこんな姿なんて想像すら出来なかった。
短い滞在でもいろいろ面白かったが、BHUのキャンパスがとても気にいった。規則正しく区画された広大なキャンパスだが、緑豊かで鬱蒼と茂った樹木もいい感じ。
もしかしたらバナーラスのまたの名前、アーナンド・ヴァン(平安の森)を体現しているのがあのキャンパスなのかもしれない。
また通りやガートの喧騒や客引きの煩さとは裏腹に、路地裏歩きで出会う人々は慎み深くておっとりした印象で感じが良かった。物言いや言葉遣いも優しい。住んでみたらとても良さそうに思う。
東京でもそうだ。大久保や歌舞伎町界隈に外国のツーリスト用宿泊施設がたくさんあるけど、あのあたりに滞在して「東京の人たちはガサついて、ワサワサしているね」と思われてしまうと、私たちは「いやー私たちを一緒にしないでー」と言いたくなるだろう。



ご神木がそこらにたくさんある。当然、それらには待遇の差あり、若干の神性を帯びてそのまんまという木もあれば、このように立派な祠が寄進される場合もある。
その祠も大小様々で、ちゃんと壁や屋根まで揃えて、中に祭司が常駐するまで出世するものもある。
もはやそうなると祠ではなくお寺である。もっともただの祭壇であっても「マンディル(寺)はマンディル」なので、本質的な違いはないのかもしれない。
それでもやはり「霊験あらたか」であればこそ、大きく成長するのであろうし、お参りする人々と神様なるものを繋ぐブローカー(祭司)の口先三寸で、さらに収入を伸ばすこともあるだろう。
神様の側にこうした仲介者が関わることで、その神様は純粋な信仰の対象としての役割だけではなく、仲介者に富と恵みをもたらす商品としての役割をも担うことになる。
当然、仲介者は収入を得る手段として、その仕事を遂行しているわけである。その人の能力や喋りの巧みさにと釣り合いの合わないものであれば、収益のために他の手段を講じるだろうし、順調に富をもたらしていれば、得たものの中からそのお寺の見栄えをさらに良くして、さらなる支持を広げるためだ。
宗教活動の背景にはそれを支持する経済的動機と所属意識があるものなので、プロスポーツのチームやクラブの運営などとかなり共通する部分があるように思っている。





インドの猫は精悍でカッコいい。日本のそれより人相は良くないが、なかなかの面構え。そして手足は長くて野性的な感じがする。尾も長くて山猫のようでもある。
どこの国にあってもネコというものは品格があり優美でもある。
インドにおける国内観光客の大幅な増加もあるが、ワーラーナスィーにおいては「カーシー・ヴィシュワナート・コリドール」の完成もまた、訪問客の急増の要因となっているという話を耳にする。
ランチにしてはあまりに遅くて、さりとて夕飯にはあまりに早過ぎる、そんな時間帯に訪れたダシャーシュワメード・ガート近くの路地で食堂のご主人が、コリドール完成後の日々について話してくれた。
私の体感では、コリドールが出来てから、このあたりでは訪問者が4倍くらいになっていると思いますね。4割増ではありません、4倍です。大変なことです。
そんな具合なので、皆さんとても収入が増えていますよ。観光客相手の店だけじゃありません。雑貨屋さんなどもそうです。
たとえばこの路地なのですが、ここを進んだ先には南インドの人たちがよくお参りする寺があるんです。南由来の神様が祀られているからなのですが、もう朝3時くらいからかなり人が通るようになりました。うちも正直なところお客さんとても増えましたよ。
でもいいことばかりでもないのです。とにかく未明から深夜過ぎまでうるさい、トラブルも起きる、あまりの混雑で、私たちここの住民の往来にも四苦八苦。子供を毎日学校まで送り迎えするんですが、渋滞がひどくなって身動きが取れない。
以前は私も家族もガートで散歩したり、私はヨーガもやってましたが、今はそういう気にはなれない。とにかく人が多いからですよ。
それに私たちが行っても、あれ買えこれ買え、写真撮らないか、ボートに乗らないかとつきまとわれる。ああいう人たちはよそから来ているでしょう。私たちと繋がりもないから、観光客と地元の路地の私たちの区別もつかないんですよ。
急に仕事が増えたり、売り上げが上がったりするのもいいけど、どこかでコントロールが必要です。お金はあるに越したことないけど、まともな暮らしが出来なくなるようでは困りますから。
ところで、ワーラーナスィーのよく知られた4つの名前を知ってますか?
そう、ワーラーナスィー、カーシー、バナーラス、あとは何でしょう?
アーナンド・ワン(Anand Van=平安の森)です。昔はここには森があったのですね。のんびりした土地だったようです。とんでもなく大昔のことですけど。
でも今の時代、ここにはもう平安なんてありません。次から次へと押し寄せる人の洪水、ひどい騒音、ケンカ、忙しくて気の休まらない毎日・・・。
コリドールがもたらした功罪いろいろありますよ。
20年ぶりくらいに訪れたワーラーナスィー。昔から人は多かったような気がするが、それでも現在の混雑ぶりは確かに尋常ではない。生まれも育ちもバナーラスという店主が言うのだから、この状態はまったくもって、いかんともしがたいという具合なのだろう。

今どきはワーラーナスィーのガートでは、更衣室が用意されている。もっと昔からあればよかったのだが、現在はいくつもそうしたものがあるのは幸いなことである。ちょうど日本の海水浴場の簡易更衣室のような具合だ。



マニカルニカーガートからしばらく上がると、素性の良さそうな洒落たお寺があった。
ビハールの人が寄進した寺とのことで、建てたのはまだ100年ほど前とのこと。お寺と植民地建築が合体したかのようで、背丈の高さの部分はいかにもお寺だが、上階は往時に流行った印洋折衷のハヴェーリーにしか見えない。
不思議なお寺があるものだ。ここでは祭司としての若い見習いの者たちもいたが、お坊さんになるにも、小洒落たところに住むことが出来るのは、なかなかいいなぁと思う。




