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投稿者: ogata

  • ニュース番組Aaj Takの 「So Sorry スワッチ・バーラト最新版」

    ニュース番組Aaj Takの 「So Sorry スワッチ・バーラト最新版」

    おい、あんたたち!
    ちょっとキレイにしたらどうだ!
    家の中だけじゃなくて小路も、道路だけじゃなくて溝も、自宅周辺だけじゃなくて地域をキレイにしようぜ。
    家だけじゃない、屋敷だけじゃない、寝室だけじゃない、庭だけでもない。
    そもそも君たち、インドはなぜ汚いんだ。

    ・・・といった具合の歌とともに、清掃を呼びかけるモーディー首相が人々に訴える。

    So Sorry: Swachh Bharat

    ニュース番組Aaj Takの中でしばしば流れる風刺アニメのシリーズだが、これは昨年10月にモーディー政権がSwachh Bharat Abhiyan(クリーン・インディア運動)を打ち出した直後にリリースされたSo Sorry: Swachh Bharat Abhiyanの最新版だ。

    番組でしばらく間をおいて同じアニメが何度も出てきたり、これが毎日繰り返されたりすると飽きてしまうものの、So Sorryシリーズにはなかなか秀逸なものも多いので、見応えがある。何かちょっとした出来事があると「どんな具合に取り上げるのかな」と期待したりもしてしまう。

    政治がエンターテインメントの具にもなるのはインド人たちの政治意識の高さならではのことであるし、辛辣な風刺も少なくないことに、メディアのしたたかさ、批判精神の旺盛さを感じたりもするだろう。

    2月にデリー首都圏の選挙があり、AAP(Aam Aadmi Party)が70議席中67議席を占めるという大勝で新政権が発足したが、この選挙戦の迷走ぶりについてこのようなものがあった。

    So Sorry – Aaj Tak – So Sorry: On ‘parachute netas’

    So Sorry:’Kiran raise’ BJP’s hope

    インドの政治動向をフォローしていないと、何のことだかよく判らなかったりするかもしれないが、多少なりとも関心があれば、今後フォローしていくと楽しいことだろう。

  • ナガランド 暴徒による性犯罪者のリンチ殺害事件の背景

    2月24日にナガランド最大の街であるディマープルで起きたナガ女性に対する暴行事件で逮捕された男性が収監される刑務所が暴徒に襲われ、この男性が外の往来に引きずり出されて殺害されるという凄惨な事件が3月6日に発生した。

    Indian ‘rapist’ who was lynched by mob who broke into prison and beat him to death had ‘offered his victim £50 to keep quiet about the attack’, she claims (MailOnline)

    メディアが掲げるヘッドラインを目にする限りでは、インドで近年増加している性犯罪に対して業を煮やした市民たちの怒りが社会の秩序と正義を求めて暴発という具合に読めるだろう。もちろんそれには間違いないのだが、もうひとつの側面がある。

    文化も人種も異なる「抑圧者」インドに長年虐げられてきたとされる鬱積とベンガルやアッサムからの移民流入に対する不満の爆発で、こちらは前述の社会秩序や正義とは大きくベクトルが異なるコミュナルなものとなる。

    今回の事件については、ディマープルでしばらく続いていた市民による抗議活動の延長線上にある。

    Protest against Feb 24 rape rattles Dimapur city (Nagaland Post)

    レイプ事件を起こした犯人はアッサム州出身のムスリム男性(2月24日の事件発生後以降しばらくはそのように伝えられていた)であった。そして被害者は地元のナガ女性。ディマープルは、ナガランドの最大都市でありながらも、州内のその他の土地と異なり、アッサム州に隣接する平地にあり、人口の相当部分がナガランド州外の平地から来た日々とであるため、まったくナガランドらしくない普遍的な「インドの街」に見える。
    そんなディマープルの刑務所に押し掛けた数千人とも言われる群衆の大半は地元ナガランドの人々であったようだ。

    ナガランド州首相は、この事件の背景にコミュナルな対立の構図があることを否定しているが、同州内のいくつかの有力な在野政治団体がこの機を利用しないことはないだろう・・・というよりも、そうした組織がこれを絶好の機会とみて、市民による抗議活動の中に活動家を合流させて扇動し、数の力に任せてこの事件を起こしたと捉えるほうが正しいことと思われる。この事件は、現在それなりの安定を手に入れたナガランド州をふたたび不安定な状況へと陥れる導火線となり得るかもしれないため、今後の進展から目を離すことができない。

    また、2月24日にこの事件が起きた際の報道では、犯人の男性は「アッサム出身のムスリム」ということになっていた。また3月6日のこの事件を受けて、アッサム州首相は、おそらくこの事件がナガランドの野党勢力中の政治団体による反ベンガル人、反アッサム人のシンボルとして利用されていることを念頭に置いて、デリーの中央政府に対する治安強化を促す発言をしている。

    殺害された性犯罪者について、いつしかナガランドポストのような地元メディア、そして全国をカバーする大手メディアでもこの男性をアッサム人ではなく「バングラデシュからの不法移民であることが疑われる者」と報じるようになっている。「外国人による犯罪」とすることにより、国内でのコミュナルな色あいを薄めようという当局の意思が反映されているのか、報道機関による自制ということなのかもしれない。あるいは隣国から不法に移住したがゆえに、逮捕された際に自らのアイデンティティーを偽っていたことが後になってから判明したということなのかもしれないが。

    Centre concerned as tensions run high in Nagaland (The Hindu)

    北東インドでコミュナルな色合いの濃い流血事件が起きると、その背景には奥深い闇が横たわっていることが多々ある。

  • ラージコート 2

    ラージコート 2

    朝6時過ぎに近くのモスクからアザーンの呼びかけが流れてくる。今日は7時まで寝ているつもりであったので、「起きるものか」と頑張ってみるが、数秒の間を置いて他のモスクからも流れてくる。互いに反響するみたいにワンワンと鳴るので、やはり目覚めてしまう。

    しばしば思うのだが、この礼拝の呼びかけについて、スピーカーで電気的に拡声した声を流すというのはいつごろから始まり、どのようにして各国に広まっていったのだろうか。その過程でその是非について宗教者たちの間で議論などはあったのだろうか。

    朝7時ごろ、部屋に朝食を頼む。移動する日には時間の節約のため朝の食事は抜いている。こうしてゆっくり食べると気持ちに余裕が出来ていいものだ。

    オートでGO!

    ガーンディーが15歳のときまで暮らしていたという彼の父親の旧家へ。ここの藩王国の宰相であったという割には意外に簡素な家である。あまり大きくもない。建物内ではガーンディーや独立運動にまつわる様々な写真を中心とした展示がなされている。

    その後、Watson Museumに行く。1880年代のイギリス人行政官のコレクションが元になっている博物館である。彼が集めたサウラーシュトラ地域の文物以外に、自然科学関係の展示もあった。だが内容としては田舎博物館という感じで、あまり見応えがあるものではない。

    しばし徒歩で市街地の古い建物を見物する。この街を前回訪れたのはもう20数年も前のことになる。当時は快適そうなテラスや手の込んだ飾り窓などが付いた伝統的なたたずまいの建物がたくさんあり、テキスタイルを中心とする商業活動は盛んながらもひなびた雰囲気があったと記憶している。だが今はずいぶん様変わりしているようだ。レンガにコンクリートや漆喰、そしてペンキで塗られた四角い建物に置き換わっている。それこそ、インドネシアでもアフリカでも、つまり世界中どこにでもある普遍的な景色になっているといえる。地域性の希薄な建物だ。

    当時、かくしゃくとしたご隠居さんであった人たちの多くはすでにこの世を去り、元気に働いていたおじさん、おばさんたちは隠居し、あのころオギャアー、オギャーと盛大に泣いていた赤ちゃんたちがバリバリとよく働く商売人、でっぷりと貫禄のあるお母さんになっていたりするのだ。それほど長い時間が経過しているのである。もはやふた昔半くらい、つまり四半世紀くらい過ぎているのだから。

    だがそんな中にも古い街並みは少し残っていた。傾斜屋根の瓦、二階に突き出た出窓やテラスであったり、面白い意匠の飾り窓であったりする。なかなかいい感じだ。ただし、多くは残念なコンディションにあり、ところどころ崩れていたりもする。しばらく立ち話をした地元の人によると、2001年のカッチの大地震のとき、ラージコートでも相当な被害が出て、そうした古い家屋におけるダメージも相当あったとのこと。

    古くからの伝統的なスタイルの家屋は、街や地方の個性を無言のうちに主張していたものだが、そうしたものはどんどん消滅している。遅かれ早かれ、これらは街中から消滅してしまうことだろう。こうした様式で新しく今風の建材で作ってもいい感じなのではないかと思うが、そうしたものはだ見ていない。

    シンガポールやマレーシアのように、行政が主導して保存に取り組むことがなければ、こうしたものはすぐに消えてなくなってしまうであろうことは間違いない。街並み保存については、そうした措置を講じるほどの社会的な余裕があるかどうか、人々が今もそれらに愛着を抱いているか、保存にメリットを感じるかどうかによるのだろう。

    その後、サーリーを機織りしている工房へ。ここでは糸からすべて手作りで生産している。婚礼シーズンで使われるという絹のサーリーを製作中であった。糸は最初から染めてあり、その色の間隔できちんとデザインを組み上げていくという職人技の世界。オートの運転手に携帯で話をさせて場所確認して行ったのだが、普通の住宅地に見えるところなので、ここを通過しただけだったら、まさかここがそれらの工房が寄り集まっている場所であるとは気がつかないことだろう。

    通り過ぎただけでは機織職人たちのエリアとは判らないだろう。

    おそらくこれらの品物の単価が高いからであろうが、どの家もかなり立派だ。作業場はそれなりに散らかっているものの、外から家を見ると、ロワー・ミドルクラスやそれよりも少し上くらいのクラスの家に見える。かなり経済的にうまくいっているコミュニティであることが見て取れる。

    機織を見学してからしばらく徒歩で街中を散策してみる。途中、路上でハルモニウムを修理している人がいた。知的な風貌の人で、彼の名前のブランドでハルモニウムを製作しており、その顧客から依頼された修理をしているという。彼自身の作製したハルモニウムだというのだが、本当だろうか?

    〈完〉

  • J&K州新政権発足

    昨年12月に州議会選挙が実施されたJ&K州だが、単独で全87議席の過半数を抑えることができた党はなく、水面下で連立を模索する工作が続いていたが、前回よりも議席を減らして政権から陥落することとなったJKN(Jammu & Kashmir National Conference )とは対象的に今回は議席数を伸ばしたPDP(Jammu & Kashmir Peoples Democratic Party)が、とりわけ地域色が非常に強いこの州ながらも、前回の2008年の選挙時以上に大きな躍進を見せた「外来勢力」のBJPと組むという、「火中の栗を拾う」かのような決断をした結果、PDP+BJPという、先行き不透明な連立政権が発足することとなった。

    J-K to have BJP-PDP govt as Mehbooba Mufti, Amit Shah finalise CMP (financialexpress.com)

    今回の主要各党の議席数を過去の選挙結果とともに眺めてみると、ここしばらく同州の政権を担ってきたJKNの退潮ぶりが際立っている。

    また、今回の選挙で主な政党が抑えた地域を俯瞰してみると、ジャンムー、カシミール、ラダックという異なる民族、宗教、文化が行政区分において一括りにされている州らしく、あまりに明解すぎるほどはっきりと分かれていることが一目瞭然だ。

    カシミール地域では、地場政党のJKNからPDPへと支持政党が移行したこと、ラダック地域ではやはりコングレスが強いことはさておき、BJPの急伸ぶりはジャンムー地域に限られる。同床異夢で連立したPDPとBJPのもとに、州内での地域間対立の火種とともに、蚊帳の外に置かれたラダック地域の不満が伸長するのではないかという懸念を抱えていると言えるのではなかろうか。

    そうした不安定要素に加えて、杞憂かもしれないが、ちょっと不吉なものを予感させるようなものもある。

    Jammu and Kashmir torture hubs shed horror Cargo: Makeover for Sringar’s dreadful interrogation centres (Mail Online India)

    80年代末から90年代にかけて、カシミールで反政府運動、分離活動が燃え上がってきた時期、治安当局による凄惨な拷問がなされていた3つのスポットのうちのひとつが、PDP党首メヘブーバー・ムフティの父親であり、先代の党首でもあるムフティ・モハンマド・サイードの現在の邸宅となっていることだ。

    カシミールの人々の庶民感覚があれば、そのような忌まわしい場所を邸宅にすることはないであろうし、それを理由とする扇動や攻撃が充分に予想されるものでもある。

    (ラージコート2は後日掲載します。)

  • ラージコート 1

    ラージコート 1

    サーサンの宿を朝7時過ぎたあたりでチェックアウトした。幹線道路に出たところで、ディーウ島近くのウナーから来てラージコートまで行く直通バスがやってきた。昨日やってきた時のように、ジュナーガルで乗り換える必要があるものとばかり思っていたので、ちょっとラッキーな気分だ。

    現在、グジャラート州営のバスは、どこもチケットは車掌が手にした電子機器からプリントアウトされるようになっている。昔のようにカバンから何種類かの金額別のチケットをちぎって渡すような具合ではない。乗車勤務が終わってからの精算も簡単なのだろう。

    サーサンからジュナーガルまでは一時間半か二時間弱くらいであった。ここまでの道の路面状態はあまり良くない。片側一車線ずつの道路で道両側に大きな木々が植えてある昔ながらの道路といった感じだ。よく茂っている場所では緑のトンネルを形成していて美しい。

    サーサン近くの湖のあたりのような、集落がほとんどないエリアでは携帯が2Gになったり圏外になったが、あとはほとんど3G環境。田舎道をバスで走っていてもフェイスブックで友人たちの動向がわかったり、書き込みをしたり、メールのチェックができたりするというのは、しばらく前には考えられなかったことだ。地元の若者たちにとっては当然のことになっていて、隣に座っている女子学生たちもスマホでいろいろやりとりしているようだった。

    昔々、インドの女の子に電話するのはなかなか大変だったもの。家の誰が出るかわからないし、とりわけお父さんが出たらとても緊張した。当然、電話することができる時間帯もごく限られてしまうなどということは当然として、家に自前の電話がないということもごく普通であったため、直接顔を合わせることが唯一の意志疎通の手段さえであったりもした。当時のソーシャルコードや環境が現在とは大きく異なることもあるが、以前は通信手段が男女交際のバリアーになっていたという部分もあるだろう。

    携帯電話の出現により、個々が自前の通信手段を持つようになり、誰が電話口に出るかわからないという不安が解消されるとともに、家族の監視の目から逃れることができるようにもなった。また、目の前で話していても相手が誰だか偽ることもできるし、時間の制約から解放されることとなった。そして通信費の大幅な下落がそれに拍車をかけることとなった。そしてスマホの爆発的な普及により、通話だけではない様々なコミュニケーションが可能となってきている。

    このような事情から、昔と違って結婚前の男女が交際することがごく容易なものとなり、同時に結婚してからの不倫なども簡単になった。親が決めた結婚のあともそれまで付き合っていた相手との交際が可能ということにもなってしまっているという部分もあるだろう。そんな家庭内でのトラブルは今ではよく耳にするものとなってしまっている。

    今では遠い昔となってしまった90年代前半までの若者たちと、現在のそれとではかなり大きな意識や行動の違いがあるのは当然のことだろう。こうしたことについては娯楽映画などを見ても内容が非常に変化していることが読み取れる。

    ラージコートに到着

    そんなことを思いながら、ジュナーガルを通過して、ラージコートに着いたのは午後1時ごろ。昨日朝にチェックアウトした同じホテルに投宿。ここは料金の割にきれいで広くて快適だ。

    料金の割に立派な感じの宿泊先

    私が宿泊するフロアーの廊下いっぱいに若者たちがいるので、何事かと思い尋ねてみた。この階の一室で、ある会社の就職試験の面接が行われているとのことだ。廊下で待っている誰もが緊張した面持ち。どこの国でも求職活動は大変だが、頑張ってほしいものだ。

    〈続く〉

  • サーサンギルの野生動物保護区へ4 

    サーサンギルの野生動物保護区へ4 

    サーサンの町の夕暮れ

    宿に戻ると、闇サファリを勧誘する男が来ていた。夜間閉鎖されている国立公園にバイクで乗り込み、徒歩でライオンに接近するのだという。基本料金が1,000ルピーで、ライオンに出会うことができたら、成功報酬として更に1,000ルピーだという。

    彼が曰く、大声を上げたり、駆け出したりしなければ危険はないのだという。そんなバカなことがあるだろうか。町中の夜間、野犬集団に囲まれても大変危険であったりするのに、大型肉食獣のライオンがそんなにおとなしいはずがない。

    「夜10時出発だがどうだ?」などと言う。

    おそらく、彼は客引きで、国立公園内の集落の住民が手引きするのではないかと想像したりする。ともあれ、たとえ間近にライオンを目撃することが出来ても、彼らのエサになるのは御免なので、当然お断りである。

    闇サファリの客引きを追い返して部屋に戻る

    〈完〉

  • サーサンギルの野生動物保護区へ3 

    サーサンギルの野生動物保護区へ3 

    サーサンでの宿

    人の出入りが頻繁な休日であるため、宿の主のニティンさんの携帯はしょっちゅう鳴りっぱなしで、宿泊の人々の対応にも追われていた。家族経営なので仕方ないのだが、あまりに忙しそうである。言葉は悪いがかなりがさつな感じの人であるが、人柄は悪くないようだ。

    同じ宿に泊まっている人たちが、「オンライン予約したのか?」と尋ねてくる。この家族連れもそうであったが、他にもネットで予約したという人たちが何人もいるようだ。こんな簡素な宿がそうしたことに対応しているとは知らなかったのだが、今はそういう時代なっているらしい。

    ちょうど西洋人の二人連れがサファリにいくとのことで相乗りさせてもらうことになった。サファリの料金はジープ1台でいくらという設定になっていて決して安くないこと、外国人料金があることなどから、運が良かったと言える。

    出発!

    宿で食事を済ませてからしばらくサファリの時間まで待つ。午後3時になってから出発だ。町の賑やかなところから少し外れたところに国立公園の入口があり、そこからジープに乗ってスタート。西洋人の二人連れとは、フランス人の還暦あたりの年齢の女性ふたり。フランス語を話すガイドが同乗しており、国から予約したツアーでインドを訪れているとのことだ。彼女たちのインド人ガイドはフランス語が流暢な人で、どこで学んだかといえば、ポンディチェリーで習ったとのこと。フランスに留学その他で住んでいたわけではないそうだ。

    休日なので家族連れが多い

    国立公園に入ってからしばらくは、ここに暮らしている人たちがあり、そうした人たちは自由に行き来できる部分となっている。そこからしばらく進むと左手には鉄道の線路が走っている。夜間は通行止めになっているとのことだが。おそらく国立公園が夜間は閉鎖されるからなのだろう。

    かなりクルマの往来がある

    サファリに参加してからわかったが、園内をジープがまるでコンボイを組んで走るような状態になってしまっている。これではライオンを見ることができなくても仕方ない。ここはピークの時期を外して訪れるべきだろう。ライオンを見ることができるかどうかが、最大の関心事であるが、あまりに多いジープの行き来を見て自信がなくなってくる。こんなに忙しい状態だとライオンは道になっているところの近くに出てくるだろうか。

    うっそうとしたジャングル、少し開けた景色になっている部分、川の流れといったある程度変化のある景色の中を進んでいくと、川の部分にはクロコダイルがいることを示す看板がある。どういうところにライオンがいたりするのかわからないが、すぐそこから木が繁っていて見えないことから、ライオンのほうはこちらを眺めていたりしたのかもしれない。乾季の終わりの酷暑期には、しばしばライオンたちが水場に出てくるのを目撃することができるという。

    だが雨季などはどうなのだろうか。雨が降るとダートは沼地のようになってしまうところがあることだろう。まさにそれがゆえに四駆のジープということになるのかもしれないが。

    公園内には八つのルートがあり、そのときどきでライオンがいたという情報で、ルートを選択するのだという。かなり広い国立公園内で、道路から見えるところはごく限られている。また木が繁っているため、比較的近くにライオンがいても見えないこともあろうことは想像に難くない。

    園内には警備の人たちが詰めているスポットがある。彼らはバイクで来ていて、ちゃんとした建物の詰所もなく、普通に道端に立っていたり、椅子に座っていたりする。危険はないのか、事故はないのかと少々気になるところである。

    この野生動物簿国内の整備関係の仕事をする作業員とおぼしき人たちもその辺で倒木に腰かけていたりするし、彼らの子供あるいは保護区内の集落の子供と思われる幼児たちの姿もある。こんなで大丈夫なのだろうか?と思うとともに、それほどライオンに出会うチャンスは少ないのかも?と悲観的にもなったりする。

    クジャクの背後に見えるのは集落の家屋

    国立公園に入ってからすぐのところに集落があるのはまだいいとしても、一番奥のエリアにも小さな集落があり、四世帯が暮らしているというのにも驚いた。ライオンが近くに出没するところであるとのことだ。飼育している水牛の乳をとるのが生業で、町に売りに出て現金収入を得ているのだとか。かなり危険な生活環境のようだが、百獣の王と人間の不思議な共存である。

    この日、結局のところライオンを見ることはできなかった。目にすることが出来たのはサルやシカ、ガゼルの類の草食動物たち、イーグル、フクロウ、クジャク等の鳥類である。ここまで来なくても田舎ではよく目にすることができる動物たち。明日の朝にもう一度トライしてみるのもいいかもしれないが、時間が限られているので諦めることにする。

    足跡はライオンではなくヒョウのものなのだとか

    せっかく近くまで来ておいて、サーサンギルを訪れなかった前回のグジャラート訪問時には残念な思いをしたのだが、今回はここまで足を伸ばしたのだからずいぶん気分は違う。こちらはライオンの存在に気が付かなくても、ライオンはこちらを見ていた、と思うことにする。

    ライオンはどこかから私たちを眺めていたかも?

    〈続く〉

  • サーサンギルの野生動物保護区へ2 

    サーサンギルの野生動物保護区へ2 

    朝目覚めてすぐに部屋に簡単な朝食を頼む。これをそそくさと済ませて宿をチェックアウト。近くにあるバススタンドの外から出るマイクロバスにて、ジュナーガルに向かう。ラージコートから3時間ほどで到着。プライベートバスはバススタンドまで行かなかった。下ろされたところから乗り合いオートでサーサンギル行きのバスが出る交差点まで向かう。

    さきほどラージコートから乗ってきたものと同じようなマイクロバスが現れて、これがサーサン行きであるとのこと。乗り込んでからしばらくは席がなくて立っていたが、ようやく何人か降りたので座ることができた。

    グジャラートは乗り物の中が混雑していても殺伐としていないのがいい。大声で言い合う人たちもいないし、人々がちゃんとしているという印象を受ける。ジュナーガルから乗ってきたバスの乗客、そして沿道にもスィッディーと呼ばれるアフロ系の人たちの姿がときおり見られるのは、いかにもカティアーワル半島の南側に来ているという感じがする。

    アラビアやアフリカ方面との海上交易が盛んであった地域であるがゆえに、黒人系インド人たちの姿がある。ディーウを領有したポルトガルによる部分も大きいようだ。今はインドの中の田舎となっているとはいえ、かつては大海原を越えての大きなスケールで人やモノの移動があったことを思い起こされてくれる。またこの地域が西方から見たインドの海の玄関口であったことも。

    さて、ジュナーガルから2時間ほどでサーサンに着くことになるのだが、そのしばらく手前で湖があり、景色を楽しむことができた。サーサンの町は小さいのだが、国立公園があるため、やたらと沢山の宿があるようだ。これならば予約しなくても宿泊できたのではないかと思うが、バスを降りたところで、昨夜宿泊したラージコートから予約しておいた宿に携帯で電話をかけてみる。ほどなく宿の主人のニティンさんがバイクで迎えに来てくれた。

    〈続く〉

  • サーサンギルの野生動物保護区へ1

    サーサンギルの野生動物保護区へ1

    今回のグジャラート訪問では予定していなかったのだが、ふと思い立って、サーサンギルの野生動物保護区を訪れたくなった。アジア最後の野生ライオンが棲息していることで知られる国立公園だ。

    ブジを出発

    ブジのバススタンドからラージコート行きのバスに乗り込むとほどなく出発した。隣にはブジに暮らすおしゃべりな青年。ひじょうに英語が流暢だが、すでに修士まで取得していて、現在はPHDをやっているらしい。同時にビジネスの関係の学校で講師もしているとのこと。非常に快活で頭脳もシャープそうで、いかにも前途洋洋という感じのする人だ。

    ガンディーダムを過ぎたあたりからだろうか、非常に良い道路を走っていることに気がついた。片側三車線くらいある。高速道路のような感じで舗装の状態も極上である。さすがにグジャラートは道路の質がいい。

    塩田が広がる
    風力発電の巨大な風車

    カッチ小湿原の地域に入ると道路の両側に塩田や巨大な風車が回転する風力発電機が無数に見える。このあたりを通過すると、カッチ地方を出ることになるわけだが、緑や耕作地も目に見えて増えて、何か大きな境界を通過したような気分になる。

    当然のことながら休憩地で降りる際に自分のバスの確認は大切

    国道8号線を進んできたわけだが、ちょうどカッチ地方を出たあたりのバススタンドで小休止のとき、大変うっかりしていて危うく荷物を失うところであった。車外にビスケット買いに出たのだが、バスがクラクション鳴らして出発を知らせたため、慌てて乗り込むと私のバスではなかった。政府のバスはどれも同じに見えるため注意が必要だ。その隣のバスも出発を知らせていたので、こちらだと乗り込むが、これまた違う。私のバスはその2台横であった。

    私のバスは幸いなことに出発までまだ少し時間があったから良かったものの、ほぼ同時に出ていたりしたら、バックパックとサヨナラしてしまうところであった。自分が乗ってきたバスがどれかよく記憶しておくのは基本中の基本だが、こんなことは初めてだ。気を引き締めよう。

    ブジからラージコート到着まで約7時間。そのままサーサンギルまで向かうには少々遅くなっていたので、翌日朝早く発つことにしてラージコートのバススタンド近くの宿にチェックインした。車内でビスケットをかじったくらいで、朝から食事をしていないため、かなりくたびれた。

    ラージコートの宿

    〈続く〉

  • カッチ地方西部4 〈ラクパト〉

    カッチ地方西部4 〈ラクパト〉

    港湾都市として栄えたラクパトを囲む城壁
    ラクパトの入口のひとつ

    コーテーシュワルから今度は北方向に向かう。このあたりまで来ると途中に集落は見かけない。しばらく走ると、40km位だろうか、やがて壮大な城壁のようなものが見えてきた。これがラクパトである。その威容に思わず息を飲む。長大な壁にしつらえられた門をくぐったところに小さなグルドワラーがあった。

    ラクパトのグルドワラー。スィク教の開祖、グル・ナーナクが中東方面に赴く際に立ち寄り、このラクパトから船出をしたということに因んで建てられたもの。グルドワラーのランガルで温かい食事をいただく。どこから来た人でも、どんな信条の人でもウェルカムな姿勢がありがたい。

    グルドワラーから少し西に向かうと小さな集落がある。今の時代にここで暮らしている人たちは、かつて繁栄したラクパトの時代から住んでいる子孫なのか、それとも衰退後に外から移住してきた人たちなのかはわからない。

    グルドワラー
    グルドワラー内部

    ラクパトを囲む7kmに及ぶ要塞のような外壁と外に通じるこれまた巨大な門構えから、港湾都市として、この地域の交易の中心のひとつとして栄えた過去を思わせるに充分以上の貫禄がある。

    スーフィーの聖者の墓
    スーフィー聖者の祝福により様々な色に変わったとの伝承がある池

    今では小さな村にわずかな住民たちが暮らしているだけだが、精緻な飾りが施されたモスクやスーフィーの聖人の墓やダルガーの存在から、ここに集積された富は相当なものであったはず。外壁に囲まれた内側だけではなく、外側にも人々の家や耕作地などが広がっていたことだろう。聖者の墓の前には小さな池があるが、その聖者の祝福により、池は様々な色に変わったという伝承があるとのこと。

    こちらもイスラームの聖者を祀るダルガー

    周期的にやってくるカッチ地方の巨大地震のひとつ、1819年に起きたそれは、ここを流れていたインダス河支流のコースを変えたことから、港湾都市としての機能を削いでしまうこととなり、急速に衰退へと向かう。えて当時、この地域の他の港町の台頭がそれに追い討ちをかけたという面もあるかと思う。

    ラクパトの周囲を取り囲む城壁内部
    Rann of KutchのKori Creekに面している。

    城壁に上ると海水と淡水が混じる広大な湿原が見える。Rann of Kutchの中のKori Creekと呼ばれる部分である。はるか彼方は見えないが、パーキスターンなのである。印パ間の係争地帯でもあるKori Creekの無人地帯が緩衝地帯として機能しているのだろう。

    ラクパトからは一路ブジへ。ラクパトへのパーミットはブジの町の警察署で取得したものの、行きも帰りもそれを提示するように求められることはなかった。しかしながらもし検問で引っかかったら困るので、やはり必ず取得すべきである。今回、私はクルマをチャーターしてナラヤン・サローワル、コーテーシュワル、ラクパトを訪れた。公共バスで行くと、本数と出発時間等の関係により、ナラヤン・サローワルとラクパトでそれぞれ一泊することになってしまう。

    辺境にあたる地域とはいえ、今日通った道路は非常によかった。軍用の目的もあるのかもしれないし、ここが先進州であることの証かもしれない。

    道路状況は良好

    〈完〉

  • カッチ地方西部3 〈コーテーシュワル寺院〉

    カッチ地方西部3 〈コーテーシュワル寺院〉

    ナラヤン・サローワルから2キロほど西に進んだところにコーテーシュワル寺院がある。コーテーシュワルの地名は神話の時代にまで遡ることができるものの、この寺院はそのような長い歴史を持つものではない。

    コーリー・クリークを臨む

    コーリー・クリークに面した寺院のすぐ外には軍の詰所があり、遠くに軍用艦も停泊している様子が見える。彼方はパーキスターンのスィンド州だが、霞がかかっているためか何も見えない。

    本来は、ここからひと続きの世界であったはずだが、分離独立後のインドからするとすでに海のあちら側は異郷なのである。歴史に「もし」はあり得ないにせよ、あえてもし分離がなかったとするならば、ここは辺境ではなく、カラーチーへと続くルート上にあり、人々の行き来が盛んであったはずとするならば、カッチ地方のありようは現在とはかなり異なるものとなっていたことだろう。

    国境のあちら側、カッチ湿原の反対側にもこちらと同じような生活文化空間が広がっているはずなのだが、それを人為的に作られた国境とその分離以降の敵対関係により、これらが交わることなく、それぞれの「国」の一部として組み込まれるようになってしまっている。本来はここからひとつづきの大地のはずなのだが。そんなわけで、コーテーシュワル寺院はインド国内では最西端にあるシヴァ寺院ということになる。

    階段を少し登った先にある境内に入る。寺の本堂入り口に鎮座して本尊を見上げる形のナンディの耳を両手で囲い、女子学生たちが何やらひそひそとお願いごとをしている様子はかわいいが、中年以降の男性たちも同じことをしているのはやや滑稽に感じられる。

    〈続く〉

  • カッチ地方西部2  〈ナラヤンサローワル〉

    カッチ地方西部2 〈ナラヤンサローワル〉

    グジャラート州カッチ地方のナラヤンサローワルは、チベットのカイラス山付近のマーナサローワル、ラージャスターンのプシュカルサローワル、カルナータカのパンパサローワル、同じグジャラート州のビンドゥサローワルとともに、インドの五大聖池のひとつとなっている。

    アクセスすること自体が容易ではないカイラス山近くにある聖池は別格だが、ラージャスターンのプシュカルサローワルのようにあまりに有名で国内外から多数の訪問客が訪れる俗化したロケーションとは異なり、静謐な雰囲気を感じることができるはずだろう。満々たる水を湛えている時期であれば。

    乾季に干上がった池の底、聖水を汲むためにしつらえてある井戸

    この時期、つまり乾期のナラヤンサローワルは、すっかり水が干上がってしまい、ガートがただの階段となっている。もともとごく浅い池であるようで、ガートを下ってすぐのところが干からびた大地となっている。その乾いた「池」にあるごく浅い井戸から参拝客は水を汲んでは、ありがたい「聖水」を体にふりかけている。サローワルの手前には七つほどの寺院があり、どれもカッチ地方を支配した王族が建てたものだ。

    境内では女性たちがバジャンを歌いながら踊っている。中年以上の人たちばかりだが、楽しそうでいい感じだ。グジャラートの人たち、女性は着道楽な人たちが多く、地場の染め物や飾りの入った伝統的な衣装をまとっている。
    グジャラート州の寺院は概してカラフルで清潔にしている。日がな過ごしていても心地良さそうな空間だ。人々も概して穏やかながらもおしゃべりだ。とても居心地が良い。