heritage – Indo.to http://indo.to Wed, 21 Jan 2026 14:56:19 +0000 ja hourly 1 http://indo.to/wp-content/uploads/2020/01/cropped-MAINLOGO-LSIZE1-2-32x32.jpg heritage – Indo.to http://indo.to 32 32 機関車の前に無蓋貨車 http://indo.to/blog/archives/23549 http://indo.to/blog/archives/23549#respond Wed, 04 Feb 2026 15:01:59 +0000 http://indo.to/?p=23549 続きを読む 機関車の前に無蓋貨車]]> ふと思い出したが、前回カンボジアを旅行したとき、今となっては大昔の1992年だったのだが、カンボジア国鉄は客車を牽引する機関車の前に無蓋貨車を付けて走らせていた。ちょうど以下リンク先の写真がまさにその頃の鉄道の様子だ。

Cambodian Refugees Return Home (UN Photo 1 June 1992)

今では考えられないことだが、当時はまだ活動していたクメールルージュにより線路上に置かれた爆発物で、機関車が修理不可能なダメージを受けることを避けるためというもの。そんな具合で走っていたのだから、実際にそういう攻撃が時々あったのだろう。

もちろん無蓋貨車は客車ではないため、それ用の乗車券などありはしない。さりとて当時のカンボジアはたいへん貧しく、移動するために敢えて機関車の前の無蓋貨車に乗る人たちがいた。事実上、タダだったからだ。

「無料」ということでバックパッカーたちの利用も少なくなかったらしい。運が悪ければ爆発で吹っ飛ぶかもしれないし、そこまで運が悪くなくても、雨で荷物ごとびしょ濡れになることは多々ありそうだった。

もうすっかり忘れていたことが、カンボジア再訪により頭の片隅から蘇ってきた。

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アンコール遺跡を前にして http://indo.to/blog/archives/23538 http://indo.to/blog/archives/23538#respond Sun, 01 Feb 2026 15:01:26 +0000 http://indo.to/?p=23538 続きを読む アンコール遺跡を前にして]]>

今は遺跡となっている寺院では年中行事や人々の通過儀礼も行われ、周囲には門前町が形成されていたり、たくさんの民家からなる町が構成されていたりしたのだろう。
お寺のすぐ外の敷地では界隈の子供たちが遊び、長じてはそのお寺で出家したり、お寺の世話を引き受けたり、子供が生まれてお坊さんから名前をもらい、お布施を差し上げたりと、様々な関わりがあったはず。

お寺の石組みだけはこうして今の時代にも残っているが、そのあたりの人々の生の関わりや僧院内外の生活感というものを想像してみるのも楽しい。世界各地に「時代劇」の類はあるが、カンボジアにも「アンコール時代もの」みたいなドラマなどあるのだろうか。あればぜひとも観てみたいものだ。

初めてカンボジアを訪れたのは1992年のことだった。当時は「情報ノート」と「宿のオヤジの手作りマップ」だけが頼りで、シェムレアプ周辺でも行くことが出来なかった遺跡(情報がなかったり、地雷除去がまだであったり等々)がたくさんあったと思う。

長い年月を経た今、来てみて本当に驚いた。シェムレアプは何もかもとても便利になっているし、遺跡間を結ぶ道路はとにかく素晴らしい。30年以上もギャップがあるのだが、当時内戦がようやく終わったばかりの国だったのでこれほど変わるのは当然だろうけど、同時に戦争や政情不安というものが、いかに人々を苦しめてきたのかがちょっぴりわかったような気がした。平和になるとこれほどまで劇的に「別の国」に変身するのだ。

それを思うと、人権問題やメディアの締め付け、縁故主義にリーダーシップの世襲と、国外とりわけ先進国からは評判の悪いフンセン政権だが、それでもカンボジアの国民の多くからは支持されるのは理解できるような気がする。とにかく戦争では、多くの人命や財産も奪われた。そんな厄介な政治はもうこりごりというわけで、今の成長路線が続くことが大事なのだ、きっと。

何はともあれ今回、すっかり平和になり眺めも大きく変わったカンボジアを再訪してもて本当に良かった。

 

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トイレが素晴らしくキレイなアンコール遺跡 http://indo.to/blog/archives/23529 http://indo.to/blog/archives/23529#respond Tue, 27 Jan 2026 15:01:46 +0000 http://indo.to/?p=23529 続きを読む トイレが素晴らしくキレイなアンコール遺跡]]> アンコールの主要な各遺跡やパーキングなどにはとても清潔なトイレが用意されている。これはかなり驚いた。利用は無料で非常に快適だ。

アンコール遺跡群の見学料は1日券37ドル、3日券62ドル、7日券72ドルと高いが、遺跡修復や整備に利用されるのみならず、訪問者たちが利用するこうしたアメニティー関係にも還元されているわけである。

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クメールの急階段 http://indo.to/blog/archives/23518 http://indo.to/blog/archives/23518#respond Sat, 24 Jan 2026 15:01:46 +0000 http://indo.to/?p=23518 続きを読む クメールの急階段]]> クメール建築において、特徴的なもののひとつとして「急階段」がある。とにかく傾斜角度にと大変厳しいものがある。しかもステップのひとつひとつの幅が非常に狭く、つま先しかかからない程度のものも多い。

私たちの現代社会の建築において、建物の階段の傾斜角度は30~40度と言われるのに対して、クメール建築においてはこれが70度となる。しかも長い階段途中に踊り場はなく、滑落したらと思うと本当に恐ろしくなる。とりわけ雨天の場合にはどうなるのかと思う。実際に数少なくない事故が起きてきたようだ。

そのため現在は、とりわけ高がある場合は、もともとの階段は立ち入り禁止となっており、その横あるいは上から木造等の仮設階段が取り付けられていることが多い。

本来の階段があまりに急勾配で危険なため取り付けられている仮設階段

この急階段の背景には諸説あるが、概ね以下の三つが広く受け入れられている理由のようだ。

・寺院は須弥山を象徴するものであり、階段は近づき難い神の領域に至るものであるがゆえ、階段を極端に急勾配にしてある。

・急な階段を上ること自体が俗界から天上へ至るための試練であった。

・下から見上げた際の視覚的効果。神々しさ、荘厳さを演出するものであった。

アンコール遺跡群の中にいくつもの素晴らしい寺院がたくさんあるが、これらが新築で実際に使われていた時代、どんなに荘厳なものであったかと想像すると実に楽しくなる。

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インドの国歌、国民歌、愛国歌 http://indo.to/blog/archives/23511 http://indo.to/blog/archives/23511#respond Wed, 21 Jan 2026 15:01:44 +0000 http://indo.to/?p=23511 続きを読む インドの国歌、国民歌、愛国歌]]> Vande Mataramを巡るインド政界の動きを見ていると、おそらく「インド国歌」は遠からずジャナガナマナからヴァンデー・マータラムに変更されるのではないかと思う。おそらく中央政権もそのつもりで動いているのではなかろうか。

インドにおいて前者はNational Anthem(国歌)として、後者はNational Song(国民歌)として認識されている。学校で朝歌うのもスポーツの試合の前で歌うのも、映画館で上映前に流れるのも前者だ。

JANA GANA MANA (Youtube)

ジャナガナマナは政治色はない。ご存知のとおりラビンドラナート・タゴールの1911年の作品。また世界にあまたある多民族国家において、マジョリティーのものではない言葉で歌われる国歌というのはかなり珍しいだろう。ベンガル語の歌詞である。Sanskritized Bengaliと呼ばれるサンスクリット語彙を多用したもの。
しかしインド国歌として制定されるのに先んじて、独立前にチャンドラ・ボース率いるインド国民軍(INA)が「国歌」として定めている。
こちらの歌詞はヒンディー語で、「シュブ・スク・チェーン(Shubh Sukh Chain) 」として知られる。マレー半島からタイ、そしてミャンマーを経てインパールへと至る従軍の中で歌われていたのだろう。

Shubh Sukh Chain (Youtube)

1870年代にバンキム・チャンドラ・チャタルジーが創ったヴァンデー・マータラムも同じくSanskritized Bengaliで歌われる。ただこちらには宗教色があるため、敬遠するムスリムその他の人たちは少なくない。こちらが国歌になるとすると、インドの国是のはずの世俗性が大きく後退する感じだ。

Vande Mataram (Youtube)

またインドには「愛国歌」として知られる歌もある。
1904年にムハンマド・イクバルが発表したウルドゥー語のサーレー・ジャハーン・セー・アッチャーだ。

Sare Jahan Se Acchha (Youtube)

独立記念日の式典や軍関係のイベントなどでもよく演奏されるお馴染みの曲。愛国軍事ものの映画でも挿入歌として出てくる。
国歌、国民歌、愛国歌といろいろあるのがインドである。いずれも素敵な曲だ。

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サナータンな寺院建築 http://indo.to/blog/archives/23501 http://indo.to/blog/archives/23501#respond Sat, 17 Jan 2026 15:01:15 +0000 http://indo.to/?p=23501 続きを読む サナータンな寺院建築]]>

いにしえの王都アンコールの城市内を走ると、多くの寺院跡が点在している。石材による構造物なので、積年の風雨に耐えてきたのだろう。

一方で人々が生活していた建物のほうは、王宮を含めて残されていない。それらは木造建築だったからだ。コストの関係もあるが、多湿な国なので、石造建築は生活には向かなかったはず。

木造建築といえば、前々日に見た水上家屋の場合、目安7年前後で家屋の柱を入れ替えなくてはならないという。木材が腐敗して崩壊するためとのことだ。普通に陸地に建てる家屋はさすがにそこまで短命ではないにしても、往時の人々はどんな家に住んでいたのか、王族や貴族の宮殿、屋敷はどんな具合だったのか、ちょっと興味がそそられる。

それにしても石造寺院建築の長寿命さ。インドで言うところの(ヒンドゥー教について)「サナータン・ダルム(永遠不朽の宗教)」という感じがする。もちろん石造建築といっても経年により構造自体が歪んだり、崩れたりするので、補修が必要なのだけれども。

インドから遠く離れたカンボジアのアンコール遺跡でシヴァ、ヴィシュヌ、サラスワティその他お馴染みのヒンドゥーの神格にたくさん出会えるというのは実に楽しい。

まさに時空を超える「サナータン・ダルム」である。

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欧州的な景観 http://indo.to/blog/archives/23495 http://indo.to/blog/archives/23495#respond Wed, 14 Jan 2026 15:02:07 +0000 http://indo.to/?p=23495 アンコール遺跡観光の帰り道、シェムレアップの30 streetよりも少し手前のところで欧州みたいな公園と瀟洒な住宅がある。このアングルからだととてもカンボジアとは思えない。どんな人たちが暮らしているのだろうか?

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カンボジアのレンガ http://indo.to/blog/archives/23491 http://indo.to/blog/archives/23491#respond Sun, 11 Jan 2026 15:02:02 +0000 http://indo.to/?p=23491 カンボジアで一般的なレンガがある。四角柱の形で4本の穴が空いている。建築現場で見かけるのはこればかりだ。中空になっているため軽いのがメリットか。強度についてもあまり変わらないのではなかろうか。

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自転車専用レーン http://indo.to/blog/archives/23486 http://indo.to/blog/archives/23486#respond Thu, 08 Jan 2026 15:02:49 +0000 http://indo.to/?p=23486

シェムレアプから郊外にかけて、こんな自転車専用レーンがしつらえてある。コロナ禍のときに失業対策も兼ねて財政出動して造らせたとのこと。

カンボジア政府、なかなかやるではないか。

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開かずの扉 http://indo.to/blog/archives/23481 http://indo.to/blog/archives/23481#respond Tue, 06 Jan 2026 15:02:44 +0000 http://indo.to/?p=23481

アンコール・トムでの「開かずの扉!」。こういうのはクメール建築にけっこう多い。石版を扉みたいに彫ってあり、永遠に開かない「なんちゃって扉」だ。実に精巧に造られている。内部はどうなっているのだろうか?

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アンコールトム http://indo.to/blog/archives/23457 http://indo.to/blog/archives/23457#respond Sun, 04 Jan 2026 15:01:54 +0000 http://indo.to/?p=23457 続きを読む アンコールトム]]> 石材や石積みに歪みが生じたり、建物自体が沈下したりして崩壊してくるのだろうけど、新築当時のピッチリした状態でのアンコールトムは、さぞ見事だったことだろう。

アンコールワットもアンコールトムが素晴らし過ぎて、朝早いうちから観ているのにもう午後2時を回ってしまった。

今日はこれから周辺の他の遺跡をいくつか回ろう。

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「旧○☓領だったから○☓語が通じる」という幻想 http://indo.to/blog/archives/23289 http://indo.to/blog/archives/23289#respond Thu, 01 Jan 2026 15:01:02 +0000 http://indo.to/?p=23289 続きを読む 「旧○☓領だったから○☓語が通じる」という幻想]]> 「ミャンマーは英領だったので英語が通じる」という人がいたり、これとは反対に「ミャンマーは英領だったのに英語がなかなか通じない」という人がいたりする。これは後者が正しい。

たしかに昔は英領だったという地域では、今も英語の通用度が高くなる可能性は高い。例えばマレー系の国でも旧英領のマレーシアとオランダ領だったインドネシアでは英語の通用度が天地の差であるように。

だが「かつてイギリス領だった」からと言って、それがすべてではない。

ミャンマーのように外国人相手のビジネスや観光関係の仕事をしている人、留学などの目的があって英語を自ら学んだ人たちを除けば、普通はなかなか通じない人たちばかりだ。その一方で、旧英領ではなかったのに広く通じるネパールやブータンのような例もある。

旧英領といっても独立後に教育仲介言語としての英語、行政や法務等々における公用語としての英語のレガシーを引き継いだ国々もあれば、それらを植民地時代の残滓として一掃し、地元言語に置き換えてしまった国もある。インドやマレーシアなどは前者で、ミャンマーやバングラデシュなどは後者に当たるだろう。

同様に、旧英領でなかった地域においても、英領地域と隣接していたため、近代的な教育システム導入の際に大いに影響を受けた過去があったり、現在も隣の大国の動向が影響したりする国々、ネパールやブータンのような例もある。

ブータンについては1970年代以降、学校教育の仲介言語を英語に変更している。これはイングリッシュミディアムに通う生徒たちの割合が、地域によるが20数%程度とされるインドと較べて非常に高い数字だ。(ブータンでは100%と言える)

旧英領だったということは、その後同地で引き続き英語が広く使われるようになるための大きなインフラではあるが、必ずしもそれが活用されるとは限らない。また英領ではなかったのにこれが公用語として採用されて深く定着する例もある。

また英領期において果たして英語が広く浸透していたのかどうか?という疑問もある。インドやパキスタンなどで、学校教育が行き届くようになったのは独立後現在に至るまでの努力の結果であり、人々が地方から都市へ、地方から他の地方へと大勢移動するようになったのは、公共交通機関が発展してからだ。

それ以前は、ほぼ村落や地域内で生業が完結していた(ゆえにカーストによる分業が生きていた)時代、そうした地域社会で英語が通用していたとはとても思えないし、都市化が進む前には人口の大半がそうした農村等を生業とする地域に暮らしていたわけだ。

つまり旧英領の国々においても、広く英語が普及するようになったのは独立後であり、さらには厳しい貧困から抜け出すことが出来つつあった70年代、80年代以降という例も少なくないだろう。

「英語が第1言語」などと言うインド人家庭は都市部に珍しくはない。家の方針がそうであったり、親子ともにイングリッシュミディアムの教育を受けてきたりしたわけだが、新聞や読書も当然英語。ヒンディーその他の現地語は普通に話すが、文字になったものは読みにくくて内容も俗っぽいので縁がないという人たちだ。彼らは英領時代からそうなのではなく、やはりそう遠くない昔に富裕層化ないしは中間層に入った人たちであり、英領のレガシーなどではない。

かつて「○☓領だったから○☓語が通じる」というのならば、「ゴアは旧ポルトガル領だったのでポルトガル語が通じる」「インドネシアは旧オランダ領だったのでオランダ語が通じる」のかといえばそうではない。かつて旧宗主国時代にそれらである程度までの教育を受けた人たちがまだ大勢いた頃には、そうした言葉を理解する人たちはいたはずではあるが。

つまり何を言いたいかと言えば、土着ではない特定の言語が通じるかどうかについては、旧宗主国の言葉云々ではなく、独立後の現地の社会・政治状況次第で決まっていくということだ。

またグローバル化の進展により人々の移動が煩雑、広範囲かつ大規模なものとなり、さらにはインターネットの普及によりコミュニケーションの手段として英語の占める地位や割合がたとえば90年代よりもはるかに高くなっているのが現在。

昔からあちこちをよく旅行している人たちの間で「昔よりもずいぶん英語が通じるようになった」と耳にすることは珍しくない。そういう時代なのだろう。

今の時代のインドにおいて、英語がどのくらい広く通じるのか?については、実は私はよく知らない。インドを旅行してヒンディー以外で話すことはまず無いからだ。

ただ久々に年始とGWにヒンディー語受容度が極めて低いタミルナード州を訪問した際には、英語で話しそうな相手を見た目で選ばないといけないので不便だなとは思ったものの、人により程度の差はあってもかなり広く英語が理解されていることを感じた。

こういう環境は、英領であったから当たり前なのではなく、同じように多民族・多文化の国ミャンマーにあっては真逆なのは、1962年のクーデター以降に全権掌握したネ・ウィンによる「ビルマ語化政策」により、英語が一掃されたためだ。

旧仏領のインドシナで、現在はフランス語は用いられないのも同様に教育や行政の仲介言語の現地化あり、学校教育における外国語をフランス語から英語に切り替えたりといったことが背景にある。

もちろん西アフリカ地域のようの旧仏領で現在も広くフランス語が用いられるエリア、ラテンアメリカのように旧スペイン領、旧ポルトガルであったため、今もそれらが日常の言語という地域も多いのだが、「旧〇×領であったから現在も〇×語が通じる」という理解は安易過ぎると言える。

「旧〇×領であり、独立後も旧宗主国の言語が必要とされ、引き続き多民族・多文化の現地社会を繋ぐ共通言語としての役割が求められ、行政、司法、経済、教育その他のあらゆる分野でその言語が引き続き使用される公用語としての地位を確立したから通じる」のである。

その地域が他の宗主国を戴いていた地域に吸収される(ゴア、ポンディチェリー等)、民族構成がシンプルで地元のひとつの言語で用足りる(韓国、台湾、ベトナム等)、あるいは多民族地域でもその中でマジョリティを占める民族の言語が英語に取って代わる(ミャンマー)といった具合であれば、旧宗主国の言語は即、用済みとなるものだ。

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