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カテゴリー: society

  • ベヘラームプル到着

    ベヘラームプル到着

    ベヘラームプル駅到着は午後7時50分くらい。駅舎を出るところでホテルに電話をかけるつもりだった。迎えの人を寄越すと聞いていたからだ。

    実は予約サイトでブッキングすると、直後にこのホテルのレセプションから電話がかかってきて驚いたのだが、その後質問したいことがありSNSでこのホテルのページを探してコンタクトするとすぐに回答が届くとともに「駅へ迎えを寄越す」という連絡。

    駅出口はかなり人々でワサワサしていて、とても見つけようがないのではないかと思ったが、こちらがスマホからコンタクトしようとしているまさにそのときに迎えの人が現れた。その男性は私のほうへ真っすぐ歩いてきて「お待たせしました」などと言うので、最初は何か怪しい奴かと思ったりしたのだが、スマホに私の写真を持っていた。やはりSNSかコピーしたのだろう。もっとも駅出口で東アジア系の顔をした人は私だけだったので、写真がなくてもそうと見当を付けて声をかけてきたことだろう。

    エアコン付きのホテルの名前が入ったクルマだったので、日ごろからお客のピックアップサービスを実施しているようだ。たいへん繁盛している宿らしく、しじゅう人々が出入りしている。やはりこうした営業努力の成果なのだろう。

    予約サイト経由ではなく、直接電話で予約したほうがかなり安いことがわかったが、特に良い宿だと思うので、ウェブサイトを以下に記しておく。

    HOTEL SAMRAT

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ラール・チャー

    ラール・チャー

    西ベンガル州内で鉄道車内によく売りに来るラール・チャー(文字通り紅茶)。ジンジャーティーである場合が多いが、汗を思わせるような匂いのマサーラーを入れたものもある。その場合、生姜は使用されない。いずれも美味で、ときにはチャーイでなく、こういうお茶も良いと思う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • コールカーター駅

    コールカーター駅

    ハウラー駅、スィアルダー駅に並ぶ第3の鉄道ターミナル、コールカーター駅(旧チトプル駅)は、もともと貨物用の鉄道施設だったが、今世紀に入ってから旅客ターミナルとして整備されたため駅全体が新しく、ムードはまったくない。

    ベルガチア(Belgachia)地区南側にあり市内中心部に近いのに周囲は広大な空き地となっており、よくもまあこんなスペースが残っていたものだと感心する。やはり鉄道施設周囲にはかなりゆとりを持って用地を確保してあることが多い。

    出発まで1時間近くあるが、本日利用の列車が入線してきた。AC車両は1両のみ。予約取ってあるので、涼んで行ける。

    バスはただの移動手段だが、鉄道は乗ること自体が体感するエンターテイメントでもある。英国では鉄道趣味は紳士的な趣味という認識が行き渡っているように聞く(聞き違いかもしれないし、英国の鉄道オタクが勝手に紳士を名乗っているのかもしれない)が、日本ではかなり異なる理解がされているように思う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • コールカーターの通りの名前

    ベトナムを訪問した際、とうの昔に「ホーチミン市」と改名したにも関わらず、誰もが「サイゴン」と呼び、文字でもそう書かれていた。ベトナムの独立の父として尊敬されている「ホーチミン」だが、政府がそれを市の名前にしようとしても、公式文書以外ではなかなか定着しないのだ。

    同様のことがインドでもある。ストリートの名前、地名が政府によって改称されても、それが本当に市民の間で定着するかどうかは別の話。

    たとえばコールカーターを例に挙げてみても、今でも英語で言及する際には「カルカッタ」と呼ぶ人は少なくないが、混乱するのはストリートの名前だ。

    コールカーターでは、ストリートの名前は同じ通りについてふたつあることが多いと思って良いだろう。なぜならば英国人に因んで付けられた名前はインドの偉人の名前に置き換えられて現地化が図られているし、そうでない場合でも変更されていることが多い。

    訪問者にとって面倒なのは、政府関係機関が印刷した地図(観光局でくれる地図を含む)に記されたストリートの名前がまったく世の中に浸透しておらず、植民地時代の名前で広く知られていることが多いことだ。また新聞等メディアや出版社から出た刊行物でさえも市民が普段使っている通称(=植民地時代の名称)で記すことが多いからだ。

    代表的な通りの名前でもChowringhee StreetをJawaharlal Nehru Roadなどと言ったら、「ん?」という顔をされるし、Park StreetのことをMother Teresa Saraniと言えば、一瞬間をおいて「もしかしてPark Streetのことかね」と言われるかもしれない。あるいは理解してくれない人もいるだろう。

    「Ballygunge Road」をタクシー運転手にAshutosh Chowdhury Avenueと告げたら、彼は「どこだそりゃ?」となるだろう。サダルストリート界隈ではFree School StreetをMirza Galib Streetと呼べば、首をかしげて「Free Shool Streetと言う」と訂正されるだろう。KYD STREETに至ってはDr. M. Ishaque Steetなんて呼んだら完全にアウトだ。おそらく誰も理解してくれない。政府が勝手に変えた名称ではなく、「元々こういう名前なのだ」として人々が知っている名前が堂々とまかり通るのだ。これは企業や商店などの所在地の表記においても同様で、普段市民の皆さんがなれ親しんでいるほうの表記で書いてある。

    そんな状況なので、政府の命名による不人気なほうの名称はいつまでたっても浸透しない。

    政府関係の機関ならば、政府の命名したもので表記しているかと言えば、そうではないのは、たとえば地下鉄の駅出口の表記を見ればわかるだろう。「なんとかストリートはこちら」というような案内版は市民の間で通用しているほうで表記されている。そうでないと表示する意味がないからであろう。もちろん駅名も同様で、先述の「Park Street」の名前の付いたメトロの駅がある。コールカーターでは政府による改名を拒絶するかのように、古い名前が多く現役として使われているのだが、インド全土でそうというわけではなく、むしろ改名されたら、そちらのほうが次第に優勢となるケースが多いだろう。

    だが不思議なのは、市民が「何が何でも昔ながらの名称」にこだわっているわけではなく、新しい名称のほうが通りが良いものもある。例えばBBD Bagh (旧称Dalhousie Squair) やChittaranjan Avenue (旧称Central Avenue)のような例もあるからだ。

    旧名が英国の特定の人物の名前が冠されている場合、対抗するようにインドの偉人、とりわけ地域ゆかりの人物の名前を付ける場合が多いが、デリーのQueens WayがJan Path(人民路)となったように、独立後の民主主義インドを象徴するような改名もあった。

    傑作はベトナム戦争時期に、当時ソビエトブロックにいたインドが示した北ベトナムへの連帯感だろう。コールカーターでは、アメリカ領事館が位置するHarrington StreetをHo Chi Minh Saraniに変更して、アメリカを激怒させた。当然、アメリカは強硬に抗議したようだが、「偶然による一致である」と涼しい顔であったと聞く。

  • デリーの酒屋で小売価格に対して7割の「Corona fees」

    やっとおととい5月4日から酒屋が開いたデリーで大行列だったらしいが、デリー首都圏においては、なんと昨日5月5日からは小売価格に対して70%という高い高い「Corona fees」がかかるとのこと。呑兵衛にはたまらないが、行列に並ぶ人が減って、感染防止には有効かもしれない。

    Delhi Govt to Impose 70% ‘Special Corona Fee’ on Liquor from Today to Boost Revenue (news18.com)

  • リシ・カプールを悼む

    リシ・カプールを悼む

    4月29日にはイルファーン・カーンが亡くなり、とても残念だったが、その翌日4月30日にはリシ・カプールが亡くなり、打ちひしがれた一週間だった。
    ラージ・カプールの息子にしてランビール・カプールの父親。数々の大作に出演し、近年は脇役での出演が主になっていたが、個人的には老いてからのリシ・カプールのほうが好きだった。役者一家のカプール家の中で、父親ラージ・カプールは別格としても、もっともカプールらしいカプールのひとりだったように思う。
    素敵な役者さんだった。
    ご冥福をお祈りします。
    葬儀も気の毒なことに、ロックダウンのため参列できる人は少なく、ごく近い親族でもはせ参じることができない人もいたことだ。あれほどの大物スターの最期がこんな寂しいものとなるとは想像もできなかったことだ。

    Bollywood loses another veteran star: Rishi Kapoor passes away at 67 (stuff.co.nz)

  • デリーのオートワーラー けっこういい人もいたりする。

    デリーのダリヤガンジの目当ての本屋に行くとき、手始めにケンブリッジ大学出版会のショールーム、それから他の出版社のショールームに行くことが多い。
    とりあえずケンブリッジの所在地の目印として、「ダリヤガンジのサンジーワン・ホスピタルまで」とオートワーラーに告げる(誰でも知ってるから)のだが、小さい子連れだと走り出してから振り向いて「お子さん具合悪いの?」「何の診察受けるの?」などと尋ねてくることがけっこうある。
    「実はそのすぐ脇にある書店に用事があってな・・・」と告げずに、「あぁ・・・」なんてテキトーに放置しておくと、ときどき振り向いて、子供の様子を気にしてくれたり、降りるときに「さあ、ここだよ。すぐ良くなるさ。お大事に」みたいなことを言ってくれる運転手はけっこういる。
    他にも、やはりランドマークとして病院名を告げてオートに乗ったとき、ちょうど運転手が勤務終えて帰宅する途中だったのかもしれないし、目的地が近距離であったからかもしれないが、いくらと決めて乗ったのだが到着したら「お代は要りません。坊っちゃんお大事になさってください」と告げて、立ち去る爽やかな若者運転手に遭遇したこともある。
    息子は血色悪いほうではないが、見るからに具合悪そうに見えたのだろうか。顔色も顔立ちも違う異民族なので、インド人には「子連れで病院へ行く。だから子供は具合が悪い」という状況判断しかないのかもしれない。
    あんまり良い印象のないデリーのオートワーラーたちだが、やはり人の子なので人情味のある人は決して少なくない。
    インドもなかなか良い国ではないか!

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • パールスィーのお話(QISSA E PARSI)

    パールスィーのお話(QISSA E PARSI)

    インド在住ゾロアスター教徒に関するドキュメンタリー作品。人口面では微々たるマイノリティーだが、存在感は高い。

    地域社会で「外国人」のようなかけ離れたイメージはあるものの、本来は閉鎖的な集団でありながらも、愛国的な人たちとして尊重される。資本家や富裕層が多いものの、清廉なイメージで語られ、地域や社会経の貢献度の高さから搾取のイメージすらないどころか、彼らに対する批判的な声すら耳にすることはない。

    文化芸術方面での活躍で知られる人たちも多く(指揮者のズービン・メヘター、ファルーク・バルサラーことクイーンのフレディー・マーキュリー、俳優ボーマン・イラーニー等々)、クリエイティブな印象で語られることも多い。人口規模に対する存在感に社会から寄せられる好感度を加えると、たぶん世界最強のマイノリティーのひとつ。
    タイトルが「キッサー・エー・パールスィー」と、ペルシャ語的な表現となっているのは、もちろん題材のパールスィーの故地に因んでのこと。

    こうしたペルシャ風の言い回しがごく普通にあるのは、ヒンディー/ウルドゥー(及びインドの諸語)のリッチな部分的のひとつ。日常的に使用される語の中に、同じものを指す言葉に土着の語彙に加えて、サンスクリット/パーリー由来、ペルシャ語、アラビア語起源などのものが重層的に連なる。
    語彙の豊富さは、やはり出自の異なる多くの人々が古来より往来してきたインド亜大陸らしさ、ということになるのだろう。

    Qissa e Parsi : The Parsi Story (Youtube)

  • イルファーン・カーン没す

    イルファーン・カーン没す

    なんということだ。ボリウッドの名優、イルファーン・カーンが亡くなった。

    ヒンディー語映画界随一の演技派の役者のひとり。数々のヒット作にも恵まれ、インド国外でもよく知られている。

    日本でも彼が出演した「Slumdog Millionaire」「The Namesake」「The Lunchbox」などが公開されているので、記憶している方も多いだろう。

    53歳で天に召されるとはあまりに早過ぎる。さらに年輪を重ねて老人役で出るイルファーンも見てみたかった。

    とても残念でしかたないが、ご冥福をお祈りする。

     

    ‘He will be missed badly’: Sports fraternity mourn death of Bollywood actor Irrfan Khan (Hindustan times)

     

  • アチプルへ

    アチプルへ

    エスプラネードから乗車

    コールカーターから日帰りでアチプルへ。とりあえず地下鉄でエスプラネードに出る。
    アチプルには、18世紀にフーグリー河岸に上陸した最初の中国からの移民とされる人物を祀った寺と彼の墓があり、コールカーター華人の始祖として、当地の華人コミュニティ全体から崇められている。いつか訪れようと思いつつも果たせないでいた。

    エスプラネードバススタンドから77番のバスで出発し、チャリヤル(Charial)で下車する。このエリアはマーケットになっており、橋の手前くらいで下してもらう。カルカッタ市内から30km。その割には市内の交通渋滞に加えて、ほぼ100mごとに乗客の乗り降りがある路線(笑)であるため、下車すべきチャリヤールまでは2時間半くらいかかった。

    チャリヤルで下車

    バスは橋を渡ったところで左折して違う方角に行ってしまうのだが、アチプルへは直進しないといけない。商業地なのでオートリクシャーは見つかる。ただトン・アチューのお寺と墓は離れているし、帰りのオートはアチプルからは見つからないと思うので、見物中の待ち時間を含めた往復で依頼すると良い。
    さて、アチプルの寺に祀られている最初の中国移民トン・アチュー(Tong Atchew)だが、姓の「トン」とは、「塘」のことらしい。現在の福建か広東から来たものと思われる。

    トン・アチューを祀る寺

    インド風にタラーブ(池)がある。

    中印紛争の勃発までは大いに栄えていたカルカッタの華人コミュニティの人たち。彼らから大変な尊敬を集めている人物だ。裸一貫で渡ってきて、財を成した先駆けだが、もしかすると彼よりも先に渡ってきながらも、病などで倒れた人、成功を収めることができず、下働きのまま生涯を終えた人もいたかもしれないと、私は想像している。

    それはともかく、このTong Atchewの寺には、毎年旧正月にはカルカッタの華人コミュニティの人たちがここに集まり、お供えをしたり祈祷したりといった供養をするのである。
    ベンガル語で、この寺がある地域を「チーナー・マンタラー」と呼んでいる。「中国寺院」の意味だ。ここからさらに進んだ先には、Tong Atchewの墓がある。そのあたりが、かつて彼が始めてインドに上陸した地点ということになっているらしい。通常はゲートにロックがかかっているため、塀をよじ登って越えた中の敷地にある。どうやら旧正月にコールカーター華人たちが参拝するとき以外は開かないらしく、利用したオートのオートの運転手がこのあたりの事情について詳しい人で良かったと思った。

    周囲を柵で閉じられた荒れ放題の場所にある。

    墓に面したフーグリー河の眺め。上陸したばかりのトン・アチューが目にしたのもこの景色だったのだろう。

    この運転手は、こうしたカルカッタ華人が旧正月に参拝する際に乗せて行ったり来たりした経験が多いようで、華人たちから聞きかじった話を受け売りでいろいろ話してくれる。私のことも当然、華人と思っていて、「どこから来たのか?」と尋ねてくる。

    「いや華人ではないのだ」と言うと、「アンタどこの人だ。なんでここに関心あるんだ?」と聞かれて面倒くさいのは目に見えているので、「シローン(メガーラヤ州都。実際に華人たちが在住している)だよ」と返事をしておく。旅行中、インド人から地元の興味深い話を聞くのは楽しいが、逆にこちらが「どこから来た?」「何の仕事している?」「結婚してるか?」などから始まる月並みな質問を浴びせられて返事するのはくたびれる。

    カルカッタ近郊とはいえ、途中に大きな発電所がある以外は、農村地帯(要は昔から住んでいる人たちのエリア)であるため、コスモポリタンのカルカッタがすぐ近くにあるとは思えないルーラルな、のどかなベンガルの眺めを満喫することができる。人々の家の造りも田舎のベンガルそのままである。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

     

  • パラドックス

    パラドックス

    インドの路上を走るクルマの性能は大変良くなった。
    でも市内移動は、30年前のほうが今とは比較にならないほどスムースで迅速だったというパラドックス。
    渋滞ひどいカルカッタでの写真だが、インドの大都市はどこもこんな状況。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 廃墟に見えても

    廃墟に見えても

    廃墟に見えても実は中では人々が忙しく働いていたりするのがインドのエラいところ。屋根に木が生えてしまっているオンボロビルは、今も当然現役だ。さすがに手前の雑草に侵食された建物は、すでに使われていないようだが。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。