






クリシュナプラム・パレスからオートで少し行った先のカルナガッパリにあるシェイク・マスジッド。なんだか既視感があり、あの超有名建築のレプリカみたいな感じがしてしまう。界隈の人口が希薄な割にはずいぶん大がかりなモスクである。ケーララからガルフ方面に出稼ぎに行く人たちが多いが、そうした外からもたらされる資金の賜物。




近所には、おばさんがひとりで切り盛りする個人経営のファストフード屋があり、ビーフバーガーを注文。そうケーララではビーフをふんだんに食べることができるのもありがたい。









クリシュナプラム・パレスからオートで少し行った先のカルナガッパリにあるシェイク・マスジッド。なんだか既視感があり、あの超有名建築のレプリカみたいな感じがしてしまう。界隈の人口が希薄な割にはずいぶん大がかりなモスクである。ケーララからガルフ方面に出稼ぎに行く人たちが多いが、そうした外からもたらされる資金の賜物。




近所には、おばさんがひとりで切り盛りする個人経営のファストフード屋があり、ビーフバーガーを注文。そうケーララではビーフをふんだんに食べることができるのもありがたい。



ケーララまで来ると、インドは本当に広大だ。デリーやラクナウなどと、ケーララが同じ国内にあるのだから。パレスはトラバンコール王国時代のものだが、このようなケーララ式の建築の見られる地域とインド北部が同じ国内にあるとはにわかに信じ難い。
同時にインドを統一したイギリスの偉大さも。ムガルやマラーターなどの最盛期には、その領土や威光の及ぶ地域はとても広かったとはいえ、とても今のインド全域を統一するには遠く及ばないものであった。
英国時代なくして今のインドの版図はなかったわけで、インド地域という概念はあっても、インド国民というものすらなかった。
イギリスによる支配なくして、インド統一はなく、欧州に「欧州国」という単一国家がないように、中東地域を包括する「ムスリム国家」がないように、また東アジアに漢民族の周辺民族の日本人、韓国人、ベトナム人などを含めた「中華圏国家」がないように、インドもいくつもの国が連なるインド地域に過ぎなかったはずなのだ。
それが良かったことなのかそうでないのかはともかく、やはり英国による南アジアの支配地をそのまま引き継いだ(印パに分裂したが)のがインドであり、放っておけば決して繋がることのなかったエリアが集合しているのがインド共和国であり、ゆえに「多様性の国」と呼ばれる。
さらにインドを偉大たらしめているのは、そうした複合的要素を多く含む国々は往々にして解体へと向かう(旧ソ連、旧ユーゴなどから旧ザイールや南北統一後のイエメンの混乱などまで様々)が、インドではごく一部、カシミールや北東部で長く続いた分離活動を除き、そのようなことは起きず安定的に国家運営がなされていることだ。まさにインドこそ真の「共和国」なのである。

























午前5時起床。準備をして6時過ぎに宿を出る。まだ外は暗いが少し明るくなりつつある。駅まで5分程度だが宿を出てからの暗い坂道で野犬がいなかったのは良かった。
駅でパンとチャーイで軽く食事。州都の駅であり、ここから各地への長距離列車も発着するため、なかなか立派な感じのトリバンドラム・セントラル駅。




始発であるためすでに列車はホームに来ていた。とりあえず乗り込んでしばらく日記を書く。定刻の6:45に出発。Sabari Express乗車。始発なので空いている。スィカンダラーバード行きだが私はずっと手前でケーララ州内のカヤンクラムで下車する。短い時間の昼移動であればSLクラスが良い。窓の外がよく見えること、風を浴びて駅や沿線の匂いが感じられるからだ。

グーグルマップであらかじめ確認してから乗車したが、この地域では鉄道から見えるバックウォーターの眺めも多い。とても美しい眺めだ。どのあたりでバックウォーターのどんな眺めがあるのか予想できて便利。


下車駅のカヤンクラムに到着。田舎駅ながらもエスカレーターがあり、しかもちゃんと動いていた。



海原の眺めは変わらないけど、陸の部分はコンクリートの大きな建物が沢山でびっくり。往時は主流だった簡素な小屋みたいな宿はもうなかった。

当時、ここを訪れるインド人観光客といえば、西欧人の水着姿を見物に来るオジサンたちばかりだったが、今の主役はインド人のカップルや家族連れ。その中にわずかに西欧人がいるという具合で、主役もすっかり交代している。

往時の素朴さはもうないけれども、すべてこれで良いのだ。
浜辺では地引網を引く男たちがいた。どんな魚が採れるのだろうか。



インド列車はゆっくり、ゆっくりと動き出す。
それまでプラットフォームで食べ物を買ったり、チャーイを啜ったりしていた人たちは、ゆったりと車両のほうへ向かい、常に開け放たれているドアから悠々と乗り込んでいく。
見送りに駅まで来た人が、車内にいる恋人や家族と会話を続けながら、長い長いホームをゆっくり歩いているが、やがて人の歩みよりも車両の速度が上がると、本当の別れとなる。
インドの鉄道駅でのサヨナラには長い余韻と大きな余白がある。映画でもそうした最中の心の中の機敏がしばしば濃厚に描き出されていく。インドの鉄道駅では、日々そんな想いがあちこちで交錯しているのだろう。
これがバススタンドではそのような具合にはいかないわけで、鉄道駅というものは旅情に溢れている。

昼食を食べそびれてしまい、空腹を感じていたところで、ちょうどよさげな店があったので入ってみる。

空調の効いたちょっといい感じのレストラン。お昼どきを外したので空いているが、店構えといい、テキパキとした接客といい、人気店のようだ。



しかし大量かつ良質な食材を用いたミールスが100Rs、ちっぽけなチキンフライのハーフサイズが110Rsというのが、やや不思議な感じ。そのチキンもまた旨かった。フレークしたココナツをまとつて上げたクリスピーな味わい。 ミールスを食べて店を出ようとしていたところで隣の席に運ばれてきたチキンを目にして、「私にもこれを」と追加注文したら大当たりであった。料理も一期一会。幸運に感謝したい。


この日は月曜日のため、いくつか興味のあった博物館、旧王宮の類はすべておやすみ。訪問してみたいお寺は長い昼休みの後、午後5時からなので、それまでの時間帯はティルワナンタプラム北郊外にある「ルッルー・モール」が本格的とのことで訪れてみた。


州都とはいえ、まだまだ森の中に街があるような、街の中に森が残っているような田舎町トリバンドラムとは思えない「ミニ・ドバイ空間」であった。今どきのインドにはこうした大型モールが各地にあるが、トリバンドラムのここも見事なものだ。









ルッルー・モールを出て国道66号線に出たところで、突然スニーカーのアッパーがソールからカバッと外れた。街に戻って道端の修理屋に縫い合わせてもらおうかとも思ったが、足元がパカバカで歩くのも心もとない。
ちょうどモールの中のアディダスのショップで「40%オフ」の表示を見かけたことを思い出し、再びモールに入って2Fへと向かう。むやみに底の厚いのは買いたくないのでシンプルなものとなると、唯一サイズがあったのはこれだった。まさにこのシューズと引き合わせるため、あのタイミングでスニーカーが壊れたとしか思えないため慎んでお受けすることにした。

ルッルー・モールに隣接したいい感じの人工芝フットサル場がある。個サル参加の募集などあれば参加してみたいものだ。以降、ケーララではよくこうしたビッチを見かけることになる。やはりフットボール人気の高い土地らしいことだ。








前夜に到着したティルワナンタプラム。朝食はエッグローストともちもちのアッパム。宿近くの食堂にて。とても満足。
窓ガラスのない市バスに路線バス。窓ガラスを必要としない気候は理想的に感じる。窓の上部にはゴム引きしてある蛇腹式のブラインドが格納してある。雨が降ればれを下ろすため、車内は暗くなり貨物車みたいになるとはいえ、降ってさえいなければ開放的で気持ちが良い。





ドライフルーツ、ナッツ系がたまらない。こういうのは日本のインド菓子ではまず見かけない福々しい眺め。その場でいくつか買って食べながら街歩きをする幸福感。
ムンバイのような都会のアップマーケットな店では、ミターイーの質や具材も高級。そして甘過ぎることもない。






カーキ色のロイヤルエンフィールド。このモデルに限らず、2000年代以の同社は2000年代以降のエンフィールドはかっこいいモデルを連発している。インドの道路によく似合うタフなデザインだ。思わず警官姿のアジャイ・デーヴガンを連想。これを乗り回すと、気分はボリウッド映画のヒーローといったところだろう。


今はさらにひどいことになり、内部が大きく崩落しているようだ。
英領時代のWatson’s Hotel。ターター財閥の創始者、ジャムシェトジー・ターターが利用を断られたため、現地資本つまり自らの力で高級ホテルを建てる決意をした(その結果がタージマハルホテルの創業)という逸話の舞台。
ボンベイ随一のホテルとして隆盛を誇ったWatson’sがインド独立運動の高まり、そして独立とともに没落し、ホテルを廃業してオフィスビル「エスプラネード・マンション」に転業するも朽ち果てていき、タージマハルホテルは現在に至るまで、インドの第一級の高級ホテルとして輝いているのとは対照的だ。
エスプラネード・マンションは一度だけ入ったことがあるが、なぜか法律事務所がたくさん入居していた。エントランスからレセプションがあったと思われる場所までの階段は見事なものだが、崩壊して使えなくなっている部分もあり、大きな建物なのにセキュリティースタッフも配備されておらず、ちょっと怖い感じがした。
ムンバイの超一等地にあるのに活用されないこと、いやそれより前にボンベイ最初期の鉄骨造の建築とのことで、歴史的な価値も大きいはずなのに、このような状態で放置されてきたことはたいへん残念である。


こういう施設があって、無料で鑑賞できるのはありがたい。それぞれの展示室に製作した作家の人たちもいた。ムンバイのカラー・ゴーラーにあるジャハーンギール・アート・ギャラリー。こういう施設を開設、維持しているパールスィー資本というのも素晴らしい。
ギャラリーに冠している「ジャハーンギール」はムガル皇帝に因んで付けられた名前ではなく、このギャラリーの創設者のコーワスジー・ジャハーンギールというパールスィーの資本家の名前を取ったもの。
ペルシャ起源の「ジャハーンギール」という名は、一般的にはムスリムの名前として知られるが、もともとイスラーム化する前のゾロアスター教時代からのペルシャ人の名前でもあった。