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  • 34年前の過ち

    ナウジョート・スィン・スィッドゥー。元クリケット選手で、インド代表の花形選手として活躍もしていた。その後、テレビタレントとして数々の番組に出演。

    2004年からは政治家に転向してBJP選出のパンジャーブ州議会議員として活動を開始。その後2017年には国民会議派に鞍替え。州観光大臣であった2018年には、同じくクリケット選手で南アジアを代表する名選手だったパキスタンのイムラーン・カーン首相を相手に「クリケット外交」を演じ、アムリトサルからすぐ国境向こうにあるスィク教の名刹、カルタールプルのグルドワラー・ダルバール・サーヒブへ、インド側からヴィザ無し訪問のスキームを実現させて脚光を浴びた。その後、国民会議派のパンジャーブ支部のトップの座に就くなど、順風満帆の時期が続いていた。

    そんな中でパンジャーブ支部内での内紛、それに続いての州議会選挙敗北と、なかなか大変なことになっていたのだが、このたび1988年、つまり彼のクリケット選手現役時代に起こした危険運転のかどで、懲役1年の判決が下りたのは一昨日。実は危険運転というよりも、危険運転が生んだトラブルの中で、当時25歳だったスィッドゥーが65歳の男性を殴ったことにより、その男性の死を招いたという事件。本来ならば殺人事件あるいは暴行及び傷害致死として扱われるべきところ、一貫して「road rage」として報道も裁判も続いていた。

    この件について、幾度も裁判を重ねており、選手時代、タレント時代、政治家となってからもつきまとう彼自身が抱えるリスクであったが、被害者の遺族による粘り強い闘いにより最高裁でまで争われ、ついに彼はその償いをすることになった。まさにその事件が起きてから34年後になった今になって、である。

    事件後で被害者は亡くなったが、いっぽうでスィッドゥーはさらにクリケット選手としてのキャリアを積み、タレント業でもスポットライトを浴びて、政治家としても活躍した。もう充分に華やかなキャリアと人生を謳歌しておいて、いまごろになって、わずか懲役1年の判決。やるせない話だ。

    ニュースによると、彼にはまだ法的に争うことができる余地は残されているものの、それがうまくいく可能性は限りなく低いとも言われている。

    SC sentences Navjot Singh Sidhu to one year in jail in 1988 road rage case (Hindustan Times)

  • 奇妙な捻じれ

    最高裁の命令により調査チームを受け入れさせたバナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッド。ヒンドゥー寺院であった確固たる証拠があったとして、ここでプージャーを行なうことを求めるヒンドゥーの原告側が「バーバーがおられた」とし、ムスリム側は「何も見つからなかった」。シヴァのリンガムらしきものの痕跡が見つかったとのことのようで、さらに確固たる証拠として、リンガムに向かい合わせるナンディの姿がないか調べるという方向らしい。

    ここにあったヒンドゥー寺院をモスクに転用したということは、もともと古くから伝えられてきた史実のようで、そのような例はここに限らず、とりわけインド北部や西部には多い。

    ここはムガル朝のアウラングゼーブ帝の時代に転用されたとのこと。1991年にアーヨーディヤーのバーブリー・マスジッド(ラーマの生誕地とされる場所にあった寺院で、やはりムガル帝国時代にモスクに転用された。1992年に右翼に率いられら暴徒たちが破壊。インド各地にコミュナルな暴動が連鎖)問題のとき、こちらもやり玉に上がっていた。

    現在はムスリム以外は立ち入り禁止の施設として現在に至っている。近年、右翼勢力はこうしたムガル時代に起きた賛ムスリム的な事象を反ヒンドゥー=反民族=反国家的な過去で、それを取り戻すことが愛国的な行いであるかのように煽る。同時に植民地時代の反政府テロリストたちを反英愛国者と持ち上げ、さらには1857年の大反乱を「インド最初の独立闘争」と位置づける。

    するとこの時代の歴史解釈の根本的な部分に、奇妙で大きな捻じれが出てくるのだが、これについてはどう辻褄をつけるつもりなのだろうか。

    多数はヒンドゥーのインド人傭兵たちの勢力がインド各地で当時の東インド会社軍に対して反乱を起こし、その勢力が合流しながら当時の統治の拠点を次々に陥落させていった。火の手がデリーに及んだときに彼らが集結して反乱のシンボルとして担ぎ出したのはムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル。

    それまで英国人指揮官の元で働いてきた無名のインド人兵士たちが求めた権威は、当時すでに権勢は衰えて威光の及ぶ範囲は「デリー周辺」でしかなかったムスリム王朝の当主であった。劣勢に継ぐ劣勢で追い込まれたイギリス側は、それでも内部の立て直しと反乱の及んでいなかった南部等からの援軍などで反攻に出たわけだが、その際に大きな力となったのはパンジャーブ及びその近隣地域のスィク教徒勢力。

    英国当局が比較的短期間に力を回復して、反乱勢力を退治して粛清、軍の再編、英国人社会の綱紀粛正、英国本国では東インド会社の解体とインド省による直接統治へと急転換していくことになる。現在も軍や警察などでスィク教徒のプレゼンスが高いのには、反乱平定後に親英・尚武の民として重用されたことが背景にある。つまりムガルこそが独立運動の先駆けの象徴であり、スィク教徒は親英の売国勢力であったことになってしまうため、極右勢力によるムガルを「侵略者」と位置付けと、極右勢力を含めたインドの広範囲での「1857年の大反乱はインド最初の独利運動」という定義は相反するものになるのだ。

    Decoded: What is the controversy over Varanasi’s Gyanvapi Masjid? (India Today)

  • 熱波のインド

    記事によると、デリーで観測史上の最高気温が45.6℃とのことだが、それとて一定の条件での計測なので、路上や空調のない車両の中などではこれよりも数度高かったり、50℃を超えていたこともあるはずだ。

    先日は49度を超過とのことで、従来の記録を4度ほど上回ったことになる。これも同様に実際街なかで働く人たち、路上で商う人たちは実質55℃のような過酷過ぎる環境で働いていたのだろう。

    今の東京のような快適な気候からはちょっと想像が及ばないし、お盆あたりの東京の状況とも比較にならない。いくらこの時期のインドは湿度が低く、日本のお盆は湿度が高いとはいえ、ベースになる気温がまったく違うので、比較にすらならない。

    たとえ湿度が低くても、体温を超えると相当消耗するし、さらには風呂の温度を超えると、とても耐えられるものではない。50℃という気温は死の世界とも言える。26℃と30℃がぜんぜん違い、30℃と34℃も相当異なるように、45℃と49℃もずいぶんな差だろう。

    地球温暖化で氷河が痩せ細ったり、海岸沿いの低地が海の下に沈むことなど、懸念されていることは多いが、インドあたりの緯度の内陸部の酷暑季では人々の生存が困難なものになりそうだ。

    India heatwave: Delhi records highest ever temperature at 49C (The Telegraph)

  • Taj MahalかTejo Mahalayaか

    Tejo Mahalaya (荘厳で偉大な棲家)という名前を聞き慣れない方はググッていただきたい。いくつもの関連記事が出てくる。

    ヒンドゥー史上主義者たちの主張によると、このTejo Mahalaya は現在誤ってTaj Mahalと呼ばれており、ムスリムの皇帝の妃の墓廟であると誤解されているが、本当はMahadeva Mandirつまりシヴァ寺院であるのだという。元々そこにあった寺院をシャージャハーンによるタージマハルの構造物が呑み込む形で「併合してしまった」というのだ。インド考古学局によって閉鎖されている謎の20の部屋(メディアによっては22の部屋とも)があり、そこにはこれがムスリムの墓廟などではなく、ヒンドゥー寺院であるという証拠が隠されている、ゆえに誰も入ることができないように固く閉じられていると主張している。

    確固たる史実をまったく無視した、何の合理性も道理もない主張だが、ついにアラーハーバード高等裁判所へ、インド考古学局に謎の20の部屋を開けて調査チームを受け入れよという訴え出たのだ。バラエティ番組的な興味関心は覚えるものの、そしてヒンドゥー史上主義者に勝ち目はないように思えるのだが、もし芳しい結果が得られなくとも、すぐに次の一手を容易しているはずだ。そんなこんなで、どんどん外堀が埋められて、いつしかヒンドゥー寺院であるとの既成事実みたいなものが積み上がるとも思えないのだが。

    1989年代後半からサフラン勢力が頭を持ち上げ始めて、90年代には檜舞台に躍り出るまでになった。そして今世紀に入ってからは、まるで19世紀後半のヒンドゥー・ルネサンスのごとく、これまでの共通理解や社会通念を覆すような「ネオ・ヒンドゥー・ルネサンス」を展開している様には、もう驚きしかない。その「ルネサンス」は地域、カースト、社会的地域を超えて人々を強く結びつけ、それ以前は排除あるいは無視されていた層や部族も大手を広げて歓迎される一方で、ムスリム、クリスチャンといった外来の思想を奉じるコミュニティーに対しては非常に敵対的だ。

    高等裁判所は訴えを退けたが、この原告団は最高裁まで争う構えを見せている。仮にこのTejo Mahalayaの「調査」が近い将来実施されたとして、結果がどのようなものになるのか、それがメディアでどう消化されて人々に伝えられるのか、社会がどのような反応を見せることになるのか。

    この件もそうなのだが、時を同じくして、デリーのクトゥブ・ミーナール、マトゥラーのクリシュナ・ジャナムブーミー、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドと似たような文脈での訴えがなされて、同時期に並行して進行していくというのは、どう考えても偶然ではないだろう。

    また、ムスリム支配を背景に持つ地名に対する改名が相次いでいることも然り、一連の嫌ムスリム的な事象が相互に作用しあっている部分もあるようだ。現在のインドが急速に変貌しているのは経済面だけでなく、こうした思想面においても同様だ。

  • United Hindu Frontって何者だ?

    メディアにUnited Hindu Frontというヒンドゥー右翼団体の名前をよく見かける。検索してみるとデリーのヤムナ河東岸のアーナンド・ヴィハールの北にあるシャーハダラーに本部があるようだ。HPは見つからないがFBページにいろいろ主張を載せている。

    クトゥブッディーン・アイバクの時代、この地域にあった多数のヒンドゥー寺院、ジャイナ教寺院を破壊してモスクが建設された。このモスクが擁する巨大なミーナールは現在「クトゥプ・ミーナール」として知られており、世界遺産にも登録されている。文化、民族、これに付随する信条なども時代とともに移ろう。ときに外来勢力に征服され、ときに別の民族に蹂躙され、あるいは平和的に融合して歴史は形作られていく。

    そんな悠久の歴史を象徴するモニュメントのひとつがクトゥブ・ミーナールであるわけだが、ここで地面に置かれた神像、上下さかさまな状態で建造物の中に組み込まれている神像、織の中に取り込まれたような具合になっている神像などをめぐり、またこうした神像がふんだんにあるにもかかわらずプージャーを執り行うことができない(インド考古学局管理下の遺跡であるため)現状などに抗議していた団体United Hindu Frontが、クトゥブ・ミーナールの改称を求めて開始した新たな運動が各メディアに報じられている。

    クトゥブ・ミーナール」ではなく「ヴィシュヌ・スタンブ(ヴィシュヌの柱)」と呼ぶようにせよ、と。もともとどういう背景を持ち、どんな属性を持つ人たちが、どのように活動に参加しているのかちょっと興味がある。決して彼らに賛同するわけではないが、右傾化するインドの今後が透けて見えるような気がするからだ。

    Right-wing activists demand renaming of Qutub Minar as Vishnu Stambh, detained (The Indian EXPRESS)

  • 合従連衡の背後にあるもの

    半月以上前のニュースになるが、これを目にしたときに思ったこと。

    こういう報道があると、すぐに「同じシーア派のイランとの☓☓☓」というような話が出るのにうんざりする。

    イランは日本で喧伝されているような感じの宗教的な国ではないし、ましてや原理主義の国でもない。人々とモスクの関係性は、言ってみれば日本の私たちとお寺や神社みたいなもの・・・と書くと、イランのことを知らなければ「ええっ!?」と言われるかもしれないが。広範囲にリベラルなイランの人たちと宗教施設との関係は、タイやミャンマーの人たちとお寺のような距離ですらない。SF的な仮定で、日本の仏教系新興宗教団体傘下にある政党が独裁政権を樹立して人々を縛ったら、私たちの国が「仏教版イラン」になる、そんなイメージでよいかと私は思う。その意味ではイランは特殊な国だ。

    また中東地域での長年のシーア派とスンナ派の対立というのもかなり虚構で、そもそもイランだってシーア派が多数となったのは16世紀のサファヴィー朝以降の話。もともとはシーア派の地域であったことはたぶん日本の社会科の教科書だって出ていると思う。教義で対立するわけではなく、人々を都合で色分けする為政者により対立が起きるのだ。

    フーシ派とイランの関係性、またヒズボラとイランの関係性だって、シーア派という信仰が絆となっているわけではなくて、地政学上の、また地域の様々な勢力関係による繋がりから、結果としてそういう形になっているはずなのに、「信仰が同じだから仲間グループ」としてしまっては、まったくの思考停止というか、本質を見誤ってしまうことは間違いないだろう。

    これはインドでも同じ。宗教的右翼のBJPと、「地域的に人口分布的にもたまたまヒンドゥーである」マラーター民族主義のシヴ・セーナーがガッチリ協力していたのは、ヒンドゥーという信仰の共通点からではない。

    だから先のマハーラーシュトラ州議会選挙で選挙協力して勝つも、組閣で揉めて協力関係瓦解。そして選挙戦では敵同士で、思想や主義では相容れないはずの世俗派で中道左派の国民会議派、ナショナリスト会議派とまさかの連立を組んで、今は仲良く政局運営している。つまり「ヒンドゥー」そして「右翼」という共通項は、協力関係の絆ではなかった。本質は実務的に協働できる関係性にあるか、という冷徹な判断なのだ。そこには観念的な信仰や情緒的な要素など、ほとんど入り込む余地はない。日本における自民党と公明党の関係だってそうだろう。戦略的連携だ。

    「同じシーア派同士だから手を結ぶ」という単純な結論付けや「かたやスンナ派、かたやシーア派だから対立する」という誘導のような予定調和的な言い草は、大昔の「社会主義国同士は連帯する同志なので戦争はしない」とか「メンドリが時を告げると天下は乱れる」という幻想とまったく同じだ。メディアはときにびっくりするほどズボラでテキトーなものである。

    フーシ派がサウジアラムコ石油施設を攻撃、火災発生 死傷者なし (REUTERS)

  • デジタル化が進むインド

    何かと至らない面は今でも多いけど、やたらと進んでいる部分は日本よりもはるかに前を疾走しているインド。日本でいうところの「マイナンバーカード」にあたる「アーダール・カード」は導入以降たいへんうまくいっており、農民や各種助成金等の受給者への給付は、そうした層の人々の銀行口座開設も平行してどんどん進めたため、昔のように行政の担当者が村落や集落に行って現金で配るということもなくなり効率化するとともに、そうした担当者によるピンハネもなくなるなど、高い成果が出ているようだ。

    今年は政府・行政関係のサービス等について、横断的かつ統一的な運用を導入するとのことで、個人に紐づいた各種申請・認可、入学、奨学金、運転等免許類、その他諸々が、ひとつのアカウント&パスワードで管理されるようになるとのこと。日本においては、政府への不信感が根強いため、包括的な管理をさせることを是としない風潮があるが、インドにおいては現場の役人等の不正等からくる不信感も強いのに、この違いはいったい何だろうか。

    Soon use a single sign-in to access plethora of government services, entitlements (THE TIMES OF INDIA)

  • India Todayグループによるウクライナ報道  ロシア占領下エリアからのレポート

    India Todayグループによるウクライナ報道 ロシア占領下エリアからのレポート

    昨日はマリウポリからリポートしていた「AAJTAK」及び「India Today」(ともにIndia Todayグループ下の報道番組)の特派員ギーター・モーハンだが、本日はドネスクから。だが昨日までとはずいぶん事情が違うことに驚く。ロシアにより占領下にある側からの映像であるからだ。「世界で一番最初にロシア占領地からのTV報道」とのことだ。

    道端でマイクを手にして喋っている脇を「Z」の文字が入った軍用車両が駆け抜けていったり、そうした車両の兵士からも談話を取っている。伝統的な友好国インドの大手プレスであれば、ロシア占領下へも比較的容易に出来るのか、「ここから1km先には(この場所の奪還を狙う)ウクライナ側の前線があります」「ここにウクライナ側が武器を保管していたとのことです」と、ロシア占領下側からのリポートであった。ウクライナ侵攻の取材において、インドメディアはかなり有利な立場にあるようだ。

    Donetsk – the epicentre of war: Ground Report from the frontline (India Today)

    「AAJTAK」の放送画面から
    「AAJTAK」の放送画面から
    「India Today」の放送画面から
    「India Today」の放送画面から
  • インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    「AAJTAK」の討論番組から

    インドのニュースプログラムAAJTAKにおける討論番組。普段はインド国内の政局や隣国等との国際関係などを巡る議論が国内各界や関係者等を招いて行われる。近年はコロナ禍もあり、出演者をスタジオに集めてではなく、オンラインでの開催となっている。

    そうなってくると、ヒンディー語プログラムなので出演者はヒンディー語話者のみという縛りはあっても、もはや国境はあってないようなものなので、トピックによっては、ときにはインド国外からの参加者もあった。ウクライナ情勢を巡ってはアメリカの国務省のインド系職員の参加もあったりした。この日は混迷するパキスタン政局を巡っての議論で、パキスタンの現在の与党、パキスタン正義運動や野党のムスリムリーグなどの関係者を招聘しての開催だった。

    同時に複数の者が大声で発言を続け、司会者が割って入ってもなかなか収まらないことかしばしばあるのはインドもパキスタンも同じだが、途中、パキスタンの退役軍人でもある軍事専門家が、あまりに横柄な態度で司会者や他のパキスタンからの出演者に悪態をつくため、しびれを切らした司会者が厳しい言葉で退席を命じられ、この人物が画面から姿が消えるという、普段はまず見られないシーンまであったが、そこまでヒートアップするほど盛況であったとも言える。

    インドの討論番組で、インド人キャスターの司会のもと、パキスタンの人たち、つまり当局の関係者、軍事専門家、ジャーナリスト等々が議論を交わす。インド側のお膳立てで、パキスタン人関係者たちの喧々諤々の討論がインドのニュース番組上で進行し、それをインド人聴衆が観るというような企画をいつも簡単に実現できるようになった。ある意味、歴史的な出来事といっても良い。

    こうしたものは初めての試みというわけではなく、昨年夏にはターリバーンの手中に陥落したアフガニスタンに関して、インド及びパキスタン双方の与党関係者、外交や軍事の識者等を交えての討論会がこのAAJTAKで実施されていた。

    それはともかく、従前は隣国からのニュースをそのまま流用するか、あるいはインド側のジャーナリストや識者が論評する内容を伝えるのがパキスタンに関する報道のありかたてあったが、このような形での取り上げ方はとても新鮮だ。まさにコロナ禍のポジティブな面がこれで、たぶん数年程度ではなし得なかったことが、一気に進んだ感じだ。それを私のような第三国の野次馬が見物できるのだから、これまたありがたい。

    蛇足ながら、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語とペルシャ文字で書かれるウルドゥー語は、まったく別の言葉だと思っている人もいるようだが、このようにヒンディー語のプログラムにウルドゥー語話者が母語で出演して、ヒンディー語による司会のもとで、ごく当たり前に討論を展開し、それをヒンディー語話者である視聴者がこれまた当たり前に聴くことが出来るというのが、ヒンディー語とウルドゥー語の関係性でもある。

  • 映画「THE KASHMIR FILES」

    映画「THE KASHMIR FILES」

    インドでは3/11に公開されたとのことで日本のNETFLIXでも早く取り扱って欲しい。

    インド国内でカシミールからの避難民がいることはご存知だろう。1990年代、カシミール渓谷の混乱期に故郷を追われた「カシミーリー・パンディット」つまりカシミーリー・ブラーフマンたちだ。この時期のカシミールでは、1987年の州議会選挙における不正疑惑を期に騒乱が始まり、西隣国による工作もあり、インドからの分離を求める武装闘争に発展していく。その中でカシミーリー・パンディットたちは親インド的であるとされて誘拐されたり、武装組織に殺害されたり、家屋を焼かれたりと激しい攻撃の対象となった。

    カシミールでの騒乱をイスラーム主義過激派による活動と勘違いしている人たちも少なくないが、カシミール民族による民族主義運動で、そこに西の隣国、その庇護下にあるイスラーム主義武装組織がテコ入れして煽るという構図であった。

    ともあれ、カシミーリー・パンディットたちは故郷を離れてジャンムー側に逃れた人たちが多く、さらにはパンジャーブ、デリー、UPその他各地に定着している。彼らはブラーフマンということで、その他のヒンドゥーたちはどうなったのか?と思う方もあるかもしれない。カシミールはイスラーム教徒からしてみると、平和にそして広範囲に深く信仰が浸透できた土地で、13世紀以降に広まったイスラームに大半の人たちが改宗しており、ヒンドゥーのコミュニティーはほぼブラーフマン、現在「カシミーリー・パンディット」と呼ばれる人たちしか残っていないのだ。もちろんそのパンディットのコミュニティーからも少なからず親族まるごとイスラームに改宗したという例は少なくないのだろう。

    初代インド首相のジャワハールラール・ネヘルーは、親しみを込めて「パンディット・ジー(学者様)」と呼ばれていたが、単に彼がブラーフマンの知識人であるからというわけではなく、彼自身がそのカシミーリー・パンディットの家の出であったからだ。

    出演している名優アヌパム・ケール自身もカシミーリー・パンディットだが、彼はもともとJ&K州の外で過ごしてきた人なので、迫害を自身で経験したわけではない。もうひとつ、作品の背景として興味深いのは、上映される環境が政治的にバイアスがかかっていることが想定されることだ。BJPお勧めの映画でもあるようで、同党の治世下にある州では「免税上映」となっているらしい。

    The Kashmir Files now tax-free in Uttar Pradesh, announces Yogi Adityanath (Hindustan Times)

    上に引用したリンクはUP州における免税上映のことを報じているが、ウッタラーカンド州、ゴア州、その他のBJPが与党の州では同様の措置を講じているそうだ。「ぜひとも我が州民の皆様に観て考えていただきたい」ということなのだろう。

    実は、まさにこのカシミールの騒乱とカシミールの分離主義勢力によるカシミーリー・パンディットへの迫害は、BJPが急成長する原点であったとも言え、同党にとっては忘れることのできない原風景なのだ。ムスリムの人たちに関する悪宣伝と対立を煽る言質、少数派擁護の姿勢の国民会議派のスタンスを「トゥシティーカラン(甘やかし)」とこき下ろし、「ヒンドゥー・ラーシュトラ(ヒンドゥー国家)」を唱えて、支持を広げていった。

    国民会議派政権下で、独立以来ずっと「ダルム・ニルペークシ(世俗主義)」が国是であると教えられてきて、それでいて英国植民地時代の手法「Devide and Rule(分割統治)」を地でいくような統治手法に矛盾を感じてもいた当時の人たち。そんな中で「ヒンドゥーこそ至上」「多数派こそ正義」などと胸を張ってはいけないものと教育されてきた世代の人たちにとって、エポックメイキングな出来事であったのが、BJPが広めるまったく新しい「ヒンドゥー至上主義」。

    その至上主義というのは、驚くべきことに古典や経典に縛られた教条主義、復古主義とは無縁で、しかもカーストや階層にもこだわらず誰もが等しく参加できる。加えてインド起源の信仰であればスィクでも仏教徒でもジャイナ教徒でもなんでもOK。それまでは蚊帳の外だった低いカースト、さらには少数民族であっても歓迎されるという、極めて緩くて懐の広いものでもあったため、あれよあれよと言う間にこれが時流となり、支持を急拡大させていった。それまでメインストリームの外にいた人たちやそうした層をも取り込んで、これまでの「主流派」に合流させて、「拡大主流派」を誕生させることとなった。これが現在のBJPの支持基盤だ。メインストリームの外の人たちも合流したがゆえに、インド北東部のような「蚊帳の外」であった地域でも続々BJP政権が成立するようになった。

    もちろんそうなっていく過程で幾度も軌道修正がなされているわけだが、80年代まで弱小政党だったBJPが大きく飛躍するきっかけとなった背景がRam Janambhumi(ラーマ生誕地)問題であり、統一民法問題(インドの民法は宗教別)であり、カシミール問題でもあった。それまで少数派に譲歩ばかり強いられてきたと感じていた人たちによる「多数派の逆襲」がBJPの急伸。

    ここに描かれている当時のカシミールの世相は、後のBJPを育むこととなったサフラン精力的台頭の原点のひとつと言える。BJPにとってもそれを支持するひとたちにとっても、まさに「その時、時代が動いた」と言える思い出のひとつが、この時期のカシミールの世情である。

    映画「THE KASHMIR FILES」予告編 (Youtube)

  • 駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー通り」に

    これはベトナム戦争時にカルカッタの米国領事館が所在する通りの名前が「Harrington Street」から「Ho Chi Minh Sarani (ホーチミン通り)」に改称されたことを想起させる。

    ベトナム戦争終結後、そして長く西ベンガル州の州政府与党の座にあった共産党政権が転落して、民族主義政党(トリナムール・コングレス)に交代している今なお、通りの名前は変わらない。改称時には強硬に反発していたとされるアメリカ領事館も「ホーチミン」が「歴史の教科書の中に出てくる人物名のひとつ」となった現在は、普通に「Ho Chi Minh Sarani」をおそらく何の抵抗もなく「領事館所在地」として表示している。

    今回の「ゼレンスキー通り」は非公式な標識だが、正式な名称を変更してしまうあたり、インドのほうが上手かもしれない。

    駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー大統領通り」に。非公式の標識で反戦訴え(Huffington Post)

  • アメリカはすごい

    アメリカはすごい

    「AAJTAK」の中継映像から

    インドのニュース番組AAJTAKのスタジオが米国国務省にいる同省のスポークスマンと繋がっている。アナウンサーやオンラインで参加している退役した軍幹部などの識者と意見交換。ジェード・タラールという名前の米国国務省の人はインド系なのだろうけど、ヒンディー語メディアに対してごく当たり前にヒンディーでの質疑応答や議論に参加できる人材がいるというのは、いかにもアメリカらしい。中国やインドその他の国から優れた人材をどんどん呼び寄せて国の発展に貢献してもらうという、そういう機会を移民にどんどん提供するという磁力と魅力に満ちているがゆえのことなのだろう。「やはりすごいなアメリカ!」と思わざるを得ない。