
ラージャスターン州の典型的な町中風景のひとつとして、通りを行き交うラクダの姿を挙げることができるだろう。御者に操られ大きな荷車を曳いてゆっくり歩いているかのように見えるが、実はストライドが非常に長いためかなりの速度で進んでいるのだ。
だがインディア・トゥデイ誌3月28日号によると、このラージャスターン州でラクダの数が相当な勢いで減っているのだという。「1998年には50万頭いたものが2003年にはその四分の一が失われている」「1992年と比較して2003年には三分の一が減少」「ラクダの飼育頭数が1994年から2004年までの間に半分になった」といった調査結果さえあるのだそうだ。
インドでラクダの用途といえば、さすがに砂漠の舟とまで言われるだけあり、主に運搬用ということになるが、井戸水の汲み上げや食料としての搾乳にも役立っている。しかも大きな図体の割には大量のエサを必要としないので、乾燥地にはぴったりの使役動物であろう。
そして軍籍にあるラクダたちもいる。ラージャスターン州の国境警備にも利用されており、いつだか冬の時期にラージャスターン・パトリカー紙で「寒さで気がおかしくなった軍ラクダが兵士を噛み殺した」という記事を見かけた記憶がある。
ラクダの減少の主な理由は地域の開発が進んだことである。灌漑の整備により井戸水に頼る度合いが低くなり、それまで道がなかったところに道路が通じ、従来からあった道が舗装されるなどといったことから、エンジンの付いた車両が乗り入れることができるようになった。ラクダよりも多くの荷物をはるかに早く目的地まで届けることができるし、手間のかかる世話もいらない。効率という観点からはラクダとクルマでは比較にさえならない。
インドもとかく忙しくなりつつあるこのご時勢。急な経済成長に沸く都市部や工業地帯ほどではないにしても、この地でも人々の購買力が向上しつつある証ともいえるだろう。
これまで長きにわたってラクダが有用だったのは、地域の後進性がゆえと片付けてしまうこともできるが、このあたりの人々の暮らしがいかに大きな変化を迎えているかということを象徴しているのかもしれない。「20世紀に」「インド独立後に」といった比較的長い時の流れの中に起きた変革の中で、地域経済や人々の生活における「1990年代以降」というかなり短い期間のうちに生じた質的変化は相当大きなものではないのだろうか。
ラクダたちの姿以外にも、やがていつの日か「失われた風景」となるであろうものが沢山あるような気がする。もちろんそれはラージャスターン州に限ったことではないのだが。
カテゴリー: life
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砂漠の船はどこへ行く
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ロバは歩む

バングラデシュでチッタゴン丘陵地帯での物資輸送問題を解決するため、インドから輸入したロバを投入するのだという。
このあたりには、主にモンゴロイド系の少数民族たちが暮らしていることで知られるが、地理的な要因のため非常に開発が遅れた地域である。政治的にも不安定で1997年まで20年間ほど地元の武装組織による反政府運動が続いていた。
バングラデシュの地図を見てわかるとおり、幹線道路の多くはチッタゴン丘陵地域に入ったあたりでプッツリ切れてしまっていることが多い。ロバの投入云々というのは、まともな道路の不足のためクルマが入れない居住地が多いためである。
下記の記事中に「ネバールやブータンでも同様の役割を担っている」とあるように、小柄ながらも、丈夫で辛抱強いロバは交通の不便な地域で、山のような荷物をのせてトボトボ歩く姿はよく見かけるので、その有用性は言うまでもない。
ロバという動物は、その哀しげな眼差しといい嗚咽にむせぶような鳴き声といい、なんという業を背負っているのだろうか。あの大きな荷はまさにロバが負う因果そのものではないのか、と気の毒な思いがする。
それはともかく、こうした辺境の地に何か将来有望な産業があるのか、といえば特に何もないように思えるし、開発が進めば本来ヨソ者のベンガル人たちが入植してきて、地元に昔からいた人たちは、彼らに従属するかさらに不便なところへと追いやられてしまうことになりがちなのだろう。
世界各地で「グローバル化」が進む昨今、問題は後進性よりも地域の独自性や自主性を保てないことであることも少なくないのではなかろうか。また開発や発展を是とするのは強者の論理という側面もあるかもしれない。
人々の生活圏や経済圏が広がるいっぽう、従来の狭い地域では日々の営みが成立しなくなってくる。経済的に低く発言力の弱い立場では、新しい論理や倫理、ルールや習慣はたいてい外から否応なく押し付けられていくものである。だが厄介なことに、強い側にいる者たちはそれらを「公平にして普遍のきまりごと」と信じ込んでいるのだ。
多数決をもってする民主主義というシステムについても、人口の少ないマイノリティの人たちにとって、特に利害がマジョリティと相対する場合、それが公平なものであると認識できるだろうか。
かといって、時代の流れ止めることなど誰にもできやしない。世の中、コトバだけではわかり合えないことが山ほどある。
Bangladesh turns to donkey power (BBC South Asia) -
求めよ、さらば与えられん
世にも厳しい法がある。家もなく無一文の人たちによる自らのサバイバルを賭けた「物乞い」という行為が犯罪となる。その根拠となるのは1959年にボンベイ州(当時)で制定された「ボンベイ物乞防止条例」(Bombay Prevention of Begging Act, 1959)で、1961年3月からデリー首都圏でも適用されている。
これによれば、乞食を行う目的で公共の場(鉄道車内等を含む)や私的空間に入ること、身体の不具合を見せるなどしてお金を求める行為が禁止されている。
だが事前に当局から許可を得ているものは取締りの対象とならないことが記されており、これは募金等の慈善行為を指すのであろう。
この条例では施しを求めるいかなる行為、たとえば歌唱、踊り、占い、演技、物品の販売等を禁じているため、本来の乞食だけではなく大道芸人や路上で新聞などを売り歩く少年たちさえも、この条例を口実にした取り締まりの対象となり得る。
違反者の処罰については、初犯は3年以下の禁固、再犯は10年以下の禁固ということになっている。また乞食行為の「使役者」に対しても、1年以上3年以下の懲役が定められている。
2002年にはこの条例が改定され、これを読んでいるあなたも罰せられる可能性が出てきた。「乞食に施しを与えることにより、スムーズな交通の流れを妨げる」ことに対して、100ルピーのペナルティーを課すことができるようになったからだ。
本来はこの条例、物乞いの禁止とそれにかかわる人々の保護と自立支援を目的にすることをうたっており、乞食行為に対する処罰とともに、行政側がこうした人々の保護と収容、教育と就労支援の付与、その目的が遂行されるための施設を運営することが明記されており、必要とあれば病気等の治療も与えられることになっているのだが、路上の現実を見ればまさに机上の空論であろう。 -
異郷で汗して働く人々
近代的なシンガポールの街並みの中、ちょっと路地裏に目を向けるとクルマのガレージ(?)のシャッターの奥にマットレスを敷いて寝泊りする労働者たちの姿がある。彼らインド亜大陸からやってきた出稼ぎ人たちは、今日もまた朝早くからトラックの荷台に乗せられて仕事場へと運ばれていく。隣国マレーシアでは主にバングラデシュからやってきて不法に就労する人々の取り締まりに頭を悩ませている。
植民地時代のインド各地からかつての中国と同様に、多くの人々が新天地を求めて世界各地に散っていった。中には事業主としてあるいは役人として渡航した人たちもあったとはいえ、マジョリティを占めていたのはやはり故郷での貧困や人口圧力といった要因を背景にした貧しい移民たちである。
今ではIT大国とまで呼ばれ、毎年高い経済成長を実現しているインド。1990年代には中産階級の規模も大幅に拡大し、自他ともに認める世界最大級の消費市場のひとつになったが、それでも往時さながらの人々の流れがある。
従前の保護主義的政策のもとで競争力を蓄える機会から阻害され、政府による様々な制約に縛られていた企業家たちは、90年代以降はこのタガが外れることにより、「待ってました!」とばかりに大競争の海原に飛び出してきた。能力、財力、そして機知に富む人々が水を得た魚のように、力を大いに発揮できる機会が増大したといえる。
80年代までは他の途上国同様に「頭脳流出」が社会問題のひとつであったが、今ではそうした人々の本国への回帰現象さえ続いているのだから、ずいぶん事情は変わったものである。
生産・消費活動ともに非常に盛んになり、その水準も飛躍的に向上したとはいうものの、元気がいいのはやはりそれなりの背景を持つ人たちで、生産手段も技術や資格もない単純労働者や農民たちまでもがその恩恵を受けているとはいいがたいのが現状だ。
現在も海外出稼ぎに出る人々には高い報酬と待遇のもとに海外での仕事がオファーされるエリート層があるとともに、地元の相場に比較して格安な労働力を提供するために出て行く人々の姿もある。 彼らもまた出稼ぎ先の産業を支え、送金によって故郷の家族を養い、母国の貴重な外貨獲得にも貢献しているのだが、経済力も社会的な発言力もない下働きの彼らは、雇用主側から見れば安価でいくらでも代わりのきく労働力でしかない。滞在先の国民ではなく、非合法な立場で就労していることも珍しくないため、法による庇護や福祉の恩恵にもあずかりにくい。
母国での失業や低賃金等といった問題に対し、出稼ぎ先での高い報酬という魅力がある「限り、「新天地」を求める人々は列をなす。旧来から亜大陸との間に人々の行き来が多く、活発な求人・求職ネットワークがあるような地域ではなおさらのことだ。
昨年夏にはイラクでインド人トラック運転手たちが武装組織に拉致されるという事件が起きた。それでもインドやネパールからの出稼ぎ志願者たちが後を絶たないというのは、これをより極端な形で投影したものであろう。
出稼ぎのバックグラウンドやそのありかたは今も昔もそう変わらないのではないだろうか。
Migrants’ woes in Dubai worker camps
Migration: ‘A force of history’
Dubai airport accident kills five
Workers’ safety queried in Dubai
Dubai relaxes worker visa rules
(いずれもBBC NEWS South Asia) -
人の振り見て・・・
近隣のオフィスで働く人々がワンサカ押し寄せる大忙しの時間帯が過ぎた昼下がり、のんびりした空気が流れる店内。厨房近くの席で食事をしていたら、インド人のウェイターとコックの楽しげな会話がずっと聞こえている。まったくおしゃべりな人たちだ。ここは東京都内のインド料理店。
ギギーとドアが開いた。ショートヘアの30代くらいのお客が入ってきた。身なりや持ち物からすると、仕事で外回りの途中といった雰囲気である。
「いらっしゃいませ。お昼はバイキングになってます」
ウェイターは客を席へと案内して水をテーブルに置いて戻ってくる。その様子を調理場から覗き見ていたコックが首を突き出し彼に尋ねる。
「ありゃあ男かい?女かい?」
「女だった。驚いたね」
店内は日本人客ばかりで言葉がわかりはしないと思ってか、何の遠慮もなくそんなことを話題にしている。本人のところまで充分届くボリュームで。確かにそのお客、ちょっと男っぽいタイプではあったが。
外国でどうせ周囲の人々は理解しないだろうと、日本人の連れに自分たちの言葉でかなり無礼なことを口にすることは私自身も心当たりがある。今後気をつけようと思う。 -
冬到来!

また今年も寒い冬がやってきた。夏はかなり高温になる北インド平原部も12月下旬から1月にかけては相当冷え込む。
この時期には、しばしば濃い霧が出て、人びとの行き来にも支障をきたす。空の便は乱れ、欠航が相次ぐ。走行するクルマがよく見えなくなる路上では、事故が起きやすくなる。この国の40才以下の人びとの最大の死因は交通事故だというから、往来にはなおさらのこと注意したいものだ。
レールの上を走る鉄道も徐行して進むことになる。駅に行けば、「××エクスプレスは、××時間の遅れで到着する見込みです」という構内アナウンスが流れている。なかには予定よりも十数時間遅れる列車もあり、こうなると同じ方面に向かう別の列車をつかまえるか、駅近くにでも宿をとってフテ寝でもしているしかないだろう。
列車予約の際にも慎重になってしまう。時刻表を開いて、起点駅があまり遠くないもの選ぶようになる。自分が乗車する駅までの距離が長くなるほど、途中の遅れが蓄積しがちだからだ。霧の影響のない南方面から来るものであっても、他の走行列車との兼ね合いがあるので油断できない。もちろん理想は乗車駅が始発であるものだ。
同じ目的地に向かう列車でも、路線によっては多少迂回していくものがある。目的地まで最短距離で走るものを選び、運行の優先度が高い急行を利用したい。もちろん最上位にあるのはラージダーニーやシャターブディーといった特別急行だが、一般の急行列車の似たようなルートでも停車駅数やかかる時間がかなり違う。一種の序列があるようだ。
霧の中、たそがれどきに次第に霞んでいく家並みをバルコニーからボーッと眺めたり、のんびりした休日の朝に温かいチャーイでもすすりながら、雲の中にいるかのような窓の外のフンワリした景色を楽しむのも悪くないのだが。 -
ヒマラヤの禁煙国
本日11月17日、インドのご近所ヒマラヤの王国ブータンは世界初の「禁煙国家」となった。20ある行政区のうち18ですでに禁じられていたとのことだが、この日をもって全国に禁令が施行されることになったのである。タバコの販売はもちろん、屋外で吸うのもダメである。外国人が個人消費用に持ち込んだものを自室でたしなむ分には構わないようだが。
ちかごろどこに行っても喫煙者は肩身が狭い。周囲に迷惑をかけないようマナーを守るのは当然のことだし、間違いなく健康に悪いのはわかっているが、庶民のささやかな楽しみを奪わなくたって・・・とスモーカーたちに肩入れしたくなるのは自分自身が元喫煙者だったからだ。2年ほど前に頑張ってやめたのだが誘惑にとても弱いタチなので、飲みにいったりして周囲で喫煙していると、いつの間にか自分もタバコを手にしていることもしばしば。非喫煙者と言うにはまだまだ半人前なのである。
そんな調子なので、そばに喫煙者がいると迷惑というのはよく理解できるし、喫煙者の気持ちもよくわかる気がする。
あまり産業らしいものがなく、インドからの物資が日々大量に流入しているブータン。「さあ今日から禁止です」なんて言われたって、喫煙者たちが「はい、わかりました」なんて従うはずもない。そうした品物に紛れて密輸されたゴールドフレークやフォースクエアみたいなインド製の短い安タバコを手にして、「禁制品になってからずいぶん値上がりしてねぇ」なんてボヤいてたりするのだろうか。
それにしてもこのブータン、世界に先駆けて「完全禁煙化」とは、ずいぶん思い切ったことをするものである。もともと喫煙率は低かったそうだし、国内のタバコ産業がそれほど育っておらず、ほとんど輸入に頼っていたのではないか、つまり貴重な外貨の節約のためなのかな?と想像してみたりもするが、実際のところ禁煙化の背景にはどんな理由があっただろうか?
ブータンでタバコ販売禁止( BBC NEWS) -
Hollywood@Bollywood
近年、ボリウッド映画を見ていてずいぶん変わってきたなと思うことがある。機材や技術進歩のためもあってか映像がずいぶんキレイになった。国内市場で外国映画と競合する部分が増えてきたという理由もあるだろう。あまりに荒唐無稽なストーリーや雑な構成もずいぶん減ってきた。今も昔も音楽とダンスに満ちて華やかだが、インド映画としての個性が薄くなった、あるいは洗練されてきたという言い方もできるだろうか。
90年代から衛星放送を通じて多くの欧米映画(特にハリウッド映画)に日常的に接するようになってきたという環境の変化、そして経済成長や情報化が進んだ結果、当然のことだと思う。
そんな中、ボリウッドのハリウッド化(?)が進んだため、性や暴力の描写がより具体的で露骨な表現が増えてきた。いまやかつてのように「親子そろって安心して観ていられる」映画ばかりとは言えない。
もちろん昔からすべて「インド映画=健全」であったというわけではない。多くはマイナーで粗悪だが毎年相当数の成人映画も製作されているからだ。
もっともその類の映画ではなくても、倫理基準の違いから指定を受けて上映される外国映画が珍しくないお国柄、よく調べてみたわけではないが、そう滅茶苦茶なものはないはず。
インディア・トゥデイ誌(11月8日号)に、ここ5年ほどの間にネット上で北米を発信地とするインド系のアダルトサイト、同じくその地域でポルノに出演するインド(系)の人たちが増えていることが取り上げられていた。モデルや女優は海外生まれのNRI(Non-Resident Indian)やPOI( Person of Indian Origin)だけではなく、インド生まれの移住者たちも少なくないという。
それらを利用あるいは作品等を購入する主な顧客が地元の人々なのか、あるいは南アジア地域に住む男性たちをターゲットにしているのかよくわからないが、ともかくインド社会へ与える影響が懸念されているそうだ。 -
クルマは決して止まらない
1980年代に初めてジャカルタやバンコクなどを訪れたとき、まずビックリしたのはそのクルマ社会ぶりであった。当時まだ良くも悪くも「自力更生」型社会だったインドとは対照的に、早くから外資を積極的に導入していたアセアンの代表的な国々の都会では、購買力旺盛な中間層がとっくの昔に出現していた。そして彼らの間では自家用車を持つことがごくあたりまえのことにもなっていた。
よく見ると中古車が多かったり、似たようなクルマでも仕様が現地の経済水準に合わせた廉価版だったりするものの、その様子は東京の風景とさほど変わらないようであった。道路は広々としていて舗装状態も良好だ。
だが同じ往来でも自分の足で歩いてみるとずいぶん勝手が違うことに気がついた。渋滞地域を除いて「大通り=高速道路」ではないかと思うほど、ビュンビュン飛ばしている。自動車の流れを妨げる(?)歩行者用信号機が少なく、極端なクルマ優先(最優先?)設計になっているので、歩行者たちは常に「決して止まらないクルマ」に細心の注意を払って市内を歩かなくてはならない。
片側三車線の道路ともなると横断するのは不可能に近かった。地元の人たちは動じることなく一車線ずつ進んでは路上に引かれた郵便ハガキの幅ほどの白線の上でクルマの流れが途切れるのを待っている。 両側からバスやトラックのような大型車両が突進してきて「あぁ、ダメだ」と顔をそむけてしまうが、再び目をやると彼らは何ごともなかったかのようにまっすぐに立っている。本人たちにとってはこれが日常なのだろうが、ヨソ者にとっては見るだけで心臓に悪いことこのうえなし。最寄りの歩道橋が1キロも先だったりするとわざわざそこまで迂回して横断する気ならないのだろう。
クルマのための環境が優れているのとは裏腹に、額に汗してテクテク歩く人のためにはやたらと不都合にできているのはいかがなものか。途上国だから仕方ないといえばそれまでだが。
自家用車やタクシーの多くは小型車であっても、やはりトヨタや日産などの日本ブランドだけあって高性能だ。そんなクルマたちが大いに飛ばす中、ノーヘルのライダーを乗せたやはり日本メーカーのバイクが、羽でも付ければ空を飛ぶのではないかと思うほどの超高速でカッ飛んで狭い車間をスリ抜けていく。もちろん彼らは追い越したトラックの斜め前方に歩行者が立っているかも?なんて気の利いた予測をするはずもないから恐ろしい・・・。
いいモノを持っていても、交通マナーがあってないような具合では危ないなぁ、そこにくるとインドはあまり速いクルマもスムースな道路もないから楽だなぁ、などと思っていたのもそのころだった。 -
アウト!
世にもキビシイ茶店があった。紅茶もミルクもスパイスも全て濃い、まるで甘いスープのように素敵なチャーイを出す店なのだが、何故だかとてもキビシイ。
市内中央の野菜市場とバス停そばの角地にあり、朝から晩までいつも込み合っていた。ランニング姿で、肩から擦り切れたタオルをかけた「大将」は出納台にどっかり腰を下ろし、手下たちに大声で号令を下している。ひっきりなしに客が入ってくる。コンロの前で大汗かきながらお茶をいれる役の男は手を休めるヒマもない。
「大将」は相当な頑固者なのかスナック類は一切置かず、露店の同業者のごとく単品で勝負している。それでも繁盛しているのは立地の良さもさることながら、ここのチャーイの美味なるゆえだろう。繁華街なので付近に他の茶店はいくつもあるのだが、常に客で一杯なのはここだけだ。
彼の見上げたところは、気に入らない客は平気で追い返してしまうことだ。一緒に店に入ったカナダ人が「あの〜、砂糖抜きで」などと余計なことを口走ったため、二人まとめて即退場となった。
次は一人で行ってみた。店には唯一チャーイしかないのだから、声に出して注文する必要はない。席に着くのとほぼ同時に出てきたカップの中には、ミルクチョコレート色の濃い液体が入っている。胃に悪そうなくらい強く、唾液がじんわり湧き出してくるほどのコクがある。こいつは旨い。
そこで私は再び退場を食らった。膝の上でガイドブックのページをめくったからだろうか?「大将」は不機嫌そうな顔をこちらに向けた瞬間、嫌な予感がしたのだが。
手下がツカツカとやってきて、まだ半分近く残っていたカップを下げてしまった。「大将」は黙って店の外へとアゴをしゃくる。カップの耳から手を離すとアウトということなのか?はなはだ無念である。茶店なんて確かに長居するところではないが、それにしてもせっかち過ぎるのではないだろうか。
店内は混雑しているが、その割にはいつも静かだ。お客たちはマジメな面持ちで黙々と熱いカップを口元に運ぶか、ソーサーに垂らしてすすっている。おかげで客の回転は速い。
ひょっとして「私語セル者ハ退場ヲ命ズ」などと壁に貼り出されているのだろうか、と見回してみたがそれらしいものは見当たらない。日本で「通な人たち」が出入りするラーメン屋にしばしば常連客にしかわからないシキタリめいたものがあり、新参者は見えない壁の前に疎外感をおぼえることがあるのをふと思い出した。
ともあれサッサと飲まないと、カップを没収されることを体得したので、休まずズズズッとすすって外に出ることにしよう。入れ替わりに別の客が割り込むようにして入ってくる。
2001年の大地震が起きる前、グジャラート州西部カッチ地方のブジという街での話である。 -
隣近所にインド人
バブル以降の90年代、パキスタンやバングラデシュの人々の姿が街並みにすっかり馴染んだ(?)頃、南アジアからやってきた彼らのための催しが、しばしばインドからスターたちを呼び寄せて行われるようになった。そんな中、96年に東京ディズニーランド隣の東京ベイNKホールのステージにアリーシャー、スリデヴィ、シャクティカプールといった豪華な顔ぶれが並んだときには、大いに感激したものだった。
もちろんパキスタンにもバングラデシュにも人気タレントは多いのだが、亜大陸をひとまとめにする人気者たちといえば、やはりインド映画の俳優女優やポップ歌手ということになるのだろう。在日南アジア系の人々にとって記念すべきイベントで、ホールは超満員の大盛況。会場内はもちろんその周囲にも同胞たちの需要をアテ込んだ食べ物等の露店が出ており、浦安市の一角に突如としてミニ・イスラーマーバード、プチ・ダッカが出現していた。日本国内で後にも先にもあのような「南アジアの雑踏」を体験したことはない。
出入国管理の厳格化に加えて景気のさらなる落ち込みのため、これらの国々から日本に出稼ぎにやってくる人はグッと減り、一時は各地にチラホラ見られた主に南アジア食材とインド映画ビデオを扱うハラールフード屋さんの数もずいぶん少なくなったようだ。多くの経営者は顧客同様、パキスタンかバングラデシュの人たちが主流だったため、最盛期には店内に置かれている品物も彼らのニーズに合わせたものだった。
だが今でも元気に頑張っている店の多くは南アジア製品のみならず、イスラム圏その他の食品を幅広く扱うようになり、ハラールフード屋というよりも「外国人向けコンビニ」になってきた店も多い。都内のある店では、いつもパキスタン人青年がレジに座っていたが、現在中国出身の回族女性が切り盛りしている。神奈川県の日系ブラジル人が多い地域に構えるお店を覗いてみると、インスタント食品、調味料、豆類等々の品揃えがすっかり南米志向になっていてビックリしたりもする。 -
カーマスートラを学ぶ!

コルカタに「性の奥儀」を伝授する学校が設立されることなり、土地っ子をびっくりさせているようだ。
学問の都としての探究心、そしてベンガルの人びとの進取の気性などの賜物かどうかはわからないが、少なくともこの大都会のある部分では「性」についてオープンに語られる下地ができているということだろう。もっともターゲットとなるのは「結婚したカップル」とのこと。いわゆる普通の生徒や学生が通う普通の学校で、こうしたススんだ教育(?)がなされるわけではない。
「授業」はどういう風に進行していくのか? また、どんな「テキスト」が使用されるのだろうか? 受講者たちが思わず目を伏せて「ムフフ」と含み笑いしてしまうほど悩ましいものなのか。あるいは黒縁メガネの生真面目なおじさんが、難解な医学用語を振りかざして訥々と壇上で喋るといった眠気を誘うものなのだろうか。
行政から正式に認可されるにはまだ少し時間がかかるようだが、無事開講の運びとなればウェブ上でもコースの案内が公開されると思われるから要チェックである。ムフフ…。
▼Now, learn to make love in Kolkata school! (Hindustan Times)
