看板やTシャツのプリント等々、日本の街中に蔓延している奇妙な英語を棚に上げていえば、インドの街中で『あれれ?』と思う綴りを見かけることは少なくない。特に安食堂の英語メニューなんかかなりスゴイものもあったりするが、ヒンディーの看板や標識の類、メディアでも小規模なローカル紙などでもしばしば『?』なスペルを見かけるものだが、このたびBBC Hindiのサイトで『間違いスペリング特集』を見かけた。
鼻音を示す印がついていないのは、何となく書いていて知らずのうちそれを付けるのを失念したといった具合だろうか。短母音と長母音が逆になっていたり、シャがサにとなるように子音が取り違えられているのは書いた人本来の母語の影響があるのかもしれないし、語の区切りが妙だったり、スペルそのものが間違っているがそのまま読めば似た響きとなる綴りの場合、意味を考えずに耳で聞く音だけで覚えていたものによるものかもしれない。もちろんちゃんとした教育を受ける機会がなかったということも少なくないにしても、ひょっとするとこうした間違いの裏には『誤り』では割り切れない背景がいくつもあるのかもしれない。
どんな言葉でもそうだが、それを学んだ人々の中である特定の言葉を母語とする人に典型的な傾向、しゃべりかた、語の用法というのはよくあるものだ。日本語にしてみても、それを身に付けた中国語圏の人々、インド人やパーキスターン人たち、マレー系の人々等々、どの言語集団の人々にあっても、各グループ内に共通する特徴と他グループとは明らかに一線を画する強い個性を備えているものだ。やや大げさに言えば、その言葉の中にこれまでなかった新たな文化が表出するのである。
言葉の使い手の中に、これを母語としない人が多く加わってくることにより、従来にはなかった語彙はもちろん、新たな言い回しが加わってくるかもしれない。異なる母語、違った文化を背景に育ってきた人々が自らの視点でその言葉を話すことにより、本来それをしゃべっていた人たちとは違う価値観を訴える、表現するといったことだってあるだろう。人と人が言葉で物事を伝え合い影響し合うのと同じように、異なる言葉が人々を介して交わり合う、ぶつかり合うことの中から生まれてくるものも少なくない。言葉とは本来そういうものだ。
一見間違いにしか見えないものの中にも、よく目を凝らして観察してみると、どこからか興味深い事実、学ぶべきものが見えてくることもあるかもしれない。
カテゴリー: life
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ミススペリングだって立派なもの?
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カサウリー ビールとIMFL(Indian Made Foreign Liquor)の故郷
カサウリーには海抜にして約1800mに過ぎないが、ここには現存する世界で最高地点にある有数の醸造/蒸留酒製造所がある。当時の主な洋酒市場となるイギリス人居住地や軍駐屯地等へのアクセスの良さに加えて、酒造りに欠かせない良質な水が採取できる好立地であったのだろう。
この酒造会社とはご存知Mohan Maekin Limitedである。ビールのGolden Eagle、ラムのOld Monkで広く知られるあの酒造会社だ。前身は1855年設立のDyer Breweries。もっとも法人組織化するだいぶ前から酒造行を営んでおり、創業は1820年代後半といわれる。この酒造所はアジアで最初のビールLion(現在も軍用として製造)を生んだことでも知られている。 -
犬は苦手
インドの街中でリスが駆け回っていたり、カラフルな鳥類が飛び交っていたりと暑い最中でも心和むものがある。でも往来に牛が寝そべっていたりすると確かに邪魔になるし、田舎では狡猾なサルたちがあなたの持ち物を狙っているかもしれない。
しかし常々疎ましくに思うのは犬たちの存在である。人の住むところどこにいっても彼らの姿がある。昼間はグタ〜ッと伸びているのに、やや日が傾いてくると元気に活動を始める。すっかり暗くなると徒党を組んで街中をめぐり、夜遅くなって人の姿がほとんどなくなると、街はもう野犬たちの独壇場だ。
帰り道、細い路地を突っ切っていけばすぐ近くであっても「よくあそこで犬たちが待ちか構えているからなぁ・・・」と思い起こす。たとえ見知らぬ他人であっても同じ方向に行く人があれば、コバンザメよろしくくっついていくところだが、通りかかかる人影もない。遠回りして大きな通りから行くことにしたほうがいいと感じつつも、エエイッと路地裏に踏み込み突き当りの角を曲がったところで野犬たちに捕まる。「バウバウバウッ」と吠えつくものあり、「ガルルル・・・」と低い声で唸りながら近づいて来るものもあり。ああ怖ろしや。
人がふたり行き交うのがやっとといった道幅。怒り狂う犬どもの横にスルリと抜けられそうなスペースもなく、「やっぱり戻って大回りして帰るか」と思った矢先、私がついさっき来た方向から別の犬がヒタヒタと近づいてくる。ひょっとしてこれは罠なのか?と冷汗タラリ。
まったく犬たちはどうして人を放っておいてくれないのか。暑い昼間ヘバッているときはともかく、特に知らない土地でこちらがヨソ者と見るとすぐ警戒モードに入って立ち上がる。敵対心むき出しの怒りに燃えた眼差しでこちらを睨む。ときに二匹、三匹と複数で攻撃を試みたりもするのが更に憎たらしい。
こちらは彼らに危害を加えるつもりはないし、そもそも犬たちに何の興味もないのだから、ともに無関心と無干渉でもって平穏無事なお付き合いを願えないものだろうか。
私たち人間の親戚筋(?)にあたるサルたちは、こちらに対して何か「縄張り」めいた意識や「上下関係」(どちらが上だと思っているかよく知らないが)のようなものを感じているのではないかと思う。でも私たち人間とはまったく違う種に属する動物たち、牛、水牛、ヤギ、羊、馬、猫、ところによりラクダやクジャク・・・街中でいろんな動物を目にするが、こちらが特に何かしでかさなければ彼らから攻撃してくることはまずない。そこにくると問題児はやはり野犬たちだ。
野放しの犬たちが各地で自由に徘徊するインドにあっても、「これは何とかしなくてはならない」という動きが存在することは嫌犬家にとっては少々心強いものがある。
先日のヒンドゥスターン・タイムスにはこんな記事が掲載されていた。
「デリー市議会で発言 野犬を韓国へ」
この記事は翌日韓国の中央日報にも転載され、同紙日本語版ウェブサイトでも読むことができる。要は犬料理「補身湯にどうですか?」といったことらしい。
まさか本気で犬を輸出しようと意図しての発言ではないだろうし、私たちが消費する豚肉、牛肉でもいろいろあるように、「どんな犬でもいい」というわけではないだろう。そもそも犬については韓国でもいろいろな議論があることは日本でも広く報じられているところ。インドからそんなハタ迷惑な話があったところで「悪い冗談だな〜」くらいにしか受け取らないことと思う。
外国に送ってしまうかどうかはともかく、街中から野犬たちを丸ごと排除してしまおうという動きが大きな流れになっていくと、大の犬嫌いの私にとってはうれしいし、同じように感じている人も決して少なくないのではないだろうか。
MCD brainwave: send stray dogs to Korea (Hindustan Times)
ニューデリー市会議員「インドの野良犬を輸出しよう」(中央日報) -
なぜ暗がりで食べるのか 1
なぜインドのレストランの照明は往々にして暗いのだろうか?近ごろ家族や仲間と楽しく外食を楽しめるところが増えてきているので、大都市や都会の人々がよく訪れる観光地では日本のそれと同じ程度の照明のところも増えてはいるが。昔からよくあるタイプの『重厚にして慇懃』な雰囲気のレストランでは、すぐ向こうのテーブルに座っている人の顔さえもよくわからないくらいだ。『BAR』となれば更にその傾向は強くなる。
単に明るい照明で煌々と照らし出す習慣がない、あるいは感覚の違いから適当と思う明度が違うということもあるかもしれない。手元の食器が空になるやいなや、ウェイターがツカツカッと歩み寄ってきて、それらをかっさらっていくのはサービスというもののスタイルが違うがゆえのことだ。これと同じく店内の照明についても、それを適当であるとする何かしらの観念があるに違いない。それにしても注文した品が出てくるまでの時間つぶしに広げた新聞や本などの字が非常に見づらいほどの暗さには確固とした理由があるのではないだろうか。
日本を含めた東アジアではレストランの店内は明るいし、これは東南アジアも同様だ。中東に足を伸ばしてもよく見えなくて困るほど暗いレストランなんて記憶にない。もちろん接待の女性がいたりするちょっと特別な場所、家族を連れてくることのできないいかがわしい場所のことではない。私たちが普通に食事をするやや高級なレストランでの話である。
やたらと暗い店内で役人、ビジネスマン、ポリスなどがよからぬ企みをしていたり、袖の下をやりとりしていたりというシーンが映画で描かれることがあるが、そうした『プライバシーの保護』のために他の客たちも照明の暗さにお付き合いしているとは考えにくい。
シンプルな造りのほうが建築時に安くつくということはあるかもしれないが、もともと客単価が高い店では大した問題ではないはず。かえって安食堂のほうが店内は明るい。入口が外に大きく開け放たれているし、日没以降も煌々と照らし出す明かりが人々を店内に誘っている。しかしやや高目の店になると窓が小さいうえに昼間でもカーテンがかかっていたりして、夜間同様に暗い空間が広がっていることが多い。するとその理由は費用の関係ではないだろう。レストランを出て周囲の商店などに目をやると、どこも室内は明るいので電力不足なんかが理由でないことも明らかだ。すると食事の場所であるがゆえに暗くしておく確かな理由があるということになる。 -
新世代のインド食材店
従来、東京および近郊でインド食材のショップといえば、日本のバブル時代に来日した世代のパーキスターンやバングラーデーシュの人たち(および一部ミャンマー人ムスリム)経営のハラール・フードの店が主流だった。
これらはもともとバブル期に急増した在日の同胞たちに食料品や雑貨などを売る店であった。しかしこれらの国々の人々に対する日本の入国管理が厳しくなり新たな入国者が激減したこと、続いてすでに日本国内で就労していた同郷の人々がバブル崩壊以降の不景気の中で次第に減っていく中、生き残りのため様々な国々出身の在日ムスリム等の外国人たちを新たな顧客層として捉えるようになった。その結果、東南アジア、中東、アフリカなどの食材も揃える『多国籍食料品屋』化したところも多い。小田急線沿線では、『ハラール』な食材という枠組みは守りつつも、近くのクルマ工場等で働く日系人たちが顧客のかなりの部分を占めるようになったため、事実上『南米食材店』になってしまった変わり種さえある。
ハラール・フードの店は出入りするお客たちの顔ぶれから国際的に見える反面、往々にして地元の日本人社会との接点が希薄なのが特徴だ。これらの多くは繁華街にある雑居ビル上階に入っておりちょっと目立たないし、ロケーションがやや『怪しげ』で女性一人ではちょっと入りにくい雰囲気ではないかと思う。これらに加えてインドやネパールから来た人が経営する店がボチボチという具合だろうか。どちらにしてもこれらの商いは南アジアの人々が一手に担ってきたといえるし、店舗に置かれるインド食材といえば北インド系のものが優勢であった。
だが近ごろ少々違う動きも出てきているようだ。IT業界を中心に日本に暮らすインド系の人々が増えて小さい子供を連れて家族で滞日するケースが多くなってきたためだろう。南インドの食材の取り扱いが増えてきているようだし、更にはこのフィールドに進出する日本の業者が出てきた。都営新宿線東大島駅前にナマステフーズという店が昨年12月にオープンしている。ウェブサイトが日英併記になっていることが示すとおり、インド人だけでなくカレー好きな日本人も広く顧客層として位置づけられている点はハラール・フードの店とはかなり性格を異にする。また立地についても同様だ。カフェ、パスタ屋、定食屋など食べ物の店が並ぶ東大島メトロードという建物一階に入っている店舗は、どこにでもあるコンビニエンスストアのように明るくてごく気楽な構えだ。
インド食材店としては珍しく、店を切り盛りするのは英語・ヒンディー語ともに堪能な日本人店長。ちょっと異色なお店である。経営母体はインド料理やタイ料理などのレストラン、旅行代理店などを手掛ける『インド方面に強い』日本企業だそうだ。決して広いとはいえない店内だが、置かれている商品群を眺めてみれば南インドの食材に重点が置かれていることがわかる。経営、顧客、商品揃えどれをとっても従来と違う新世代の『インド食材店』として、今後の発展に大いに期待したい。

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インド算術大流行り
巷ではインド式数学がブームなのだそうだ。大手書店で『頭が良くなるインド式計算ドリル』『脳をきたえる インド数学ドリル』『インド式計算練習帳―脳力がみるみるアップする』『インド式秒算術』等といった書籍がズラリと並ぶ様は壮観だ。
数字が不得手な私はパラパラめくってみただけで頭が痛くなりそうだが、やはり昨今インドがIT産業で注目されていることに加えて、子供たちが学校で学ぶ二桁の掛け算のことなどが広く知られるようになったことで、算数はインドに学べ!という風潮になっているのだろう。図書類はもちろんのこと、GoogleやYahooでキーワードを「インド 算数 数学」と入れて検索をかけてみると、すさまじい数のインド算術サイトが引っかかってくる。
そんな中、横浜市でインド料理店を経営する方による「インド人シェフのブログ」にインド算数の教科書の紹介記事がある。小学校1年生用のものだそうだ。計算表は2の段から始まって20の段まであり、それぞれ×1から×20までズラリと書かれている。10の段から「九×九」の世界で育った私にとっては未知の世界だ。しかも各表の半分は二桁同士の掛け算で、ペンか電卓なしにはとても解けそうにない。たとえば18の段はこんな風にスゴイ。頭の柔らかい子供時代に暗記してしまえばどうということもないのだろうか?
「インド式」であろうがなかろうが、こうした「算数ブーム」をきっかけに数というものに関心を持つきっかけになるといいのだと思う。子供時代に苦手意識を持つのも大好きになるのも、ごく些細なはずみによるものであることが多いのではないだろうか。他者よりできる、できないは二の次で、興味を持ったことについてはひたすら打ち込んだりするのが人というもの。テニスにサッカー、釣りに登山、写真に料理、どんな趣味や楽しみだって、自分が抜きんでて優れているから好き…というものではないだろう。他人との比較ではなく、自分自身がそれと親しむことが心地よく楽しいのである。
こんな本が市中にあふれている今、「数字はイヤだ」なんて食わず嫌いするのではなく、どれか一冊手にして頭の中をグルグル回転させてみると何かささやかな発見があるかもしれない。 -
右ハンドルでKeep Right !
インドの隣国ミャンマーの道路について特に印象に残ったことがある。路上を走る車両のほとんどが右ハンドルながら右側通行であることだ。
この環境下で左ハンドルという『正しい仕様』のクルマといえば、日本のマツダが現地で合弁生産しているジープ、ポンコツの中国製トラック、さらに稀なものとしてメルセデスやBMWなど西欧の自家用車など非常に限定的なものである。それに対して大多数のクルマは商用車から自家用車、小型車から大型車まで、目にするクルマのほとんどが日本やタイといった左側通行の国から運ばれてきた日本メーカーの中古車ばかりだ。聞くところによると、ミャンマーでこれらの車両の輸入に関わる人たちにはインド系、とりわけムスリムの人々の存在が大きいらしい。日本から自国やロシアなどに中古車を輸出するパーキスターン人の業者は多いが、これらの取引でいろいろつながりがあるのかもしれない。
ともあれ、左側通行の日本を走るクルマがほぼすべて左ハンドルになったようなもので、なんとも危なっかしい。自家用車はもちろんのこと、特にバスやトラックのような大型車両が前を走る同サイズのクルマを追い越そうとする際、本来あるべき左ハンドルの車両よりもずっと大きく反対車線にハミ出ることになるのが恐ろしい。
中央車線寄りに運転席があれば、少し白線を越える程度で先方の状況がわかるが、運転席がその反対にあれば巨大な車幅のほぼ全体を左にスライドさせないと見渡すことができないのだ。この原因による事故はかなり多いはずだ。
対向車線を走るバスがいきなり『ニュ〜ッ』とこちら側に飛び出してくるのを目にするのも怖いが、そこにしか空きがなくてバス前方左側に座らされるのもかなりスリリングだ。
こういう環境に育つと『右側通行である。ゆえに右ハンドルなのだ』という間違った思い込みをしてしまうのではないかと思う。ほとんどのクルマの供給元が左側通行である日本(およびタイ、シンガポールといった近隣国)を走っていた右ハンドルの中古車である以上、右側通行に固執するのには無理がある。
バスの場合は乗降口の問題もある。ヤンゴンの市バスはさすがにドアを車両右側に付け替えてある(ゆえにドアの折り返しが反対になってしまう)が、同様のタイプで都市間を結ぶ数時間程度の中距離バスにも使用されているものは日本で走っていたままに左側のドアから客を乗り降りさせている。大型シートのハイデッカータイプの長距離専用バスについても同じだ。国道で他のクルマがビュンビュン走る側に降車することになるため、見ていてハラハラする場面が少なくない。
ところで旧英領であったこの国は元々右側通行であったそうだ。1970年のある日、突然右側通行に変更になったのだという。切り替え後には相当事故が起きたことだろう。もっともその時代はクルマ今よりずっと少なかったはずではあるが。今となってはまた左にシフトするのは無理だろう。
それがゆえに、右ハンドルの日本車ではなく左ハンドルの韓国や中国の車両の需要が大きいのではないかと思うのだが、前者がほぼ皆無で後者もごく限られた数しか入ってきていないのはどうしたことだろうか。
実情をわきまえずに左側通行から右側通行に変更するという、今から40年近く前に起きた過ちのツケを今なお人々危険な思いをし、時にはそのツケを『命』でもって支払っていることであろうことは容易に想像がつく。民意の届かない国ではあるが、早急に何とかしなくてはイカンのではないだろうか。 -
『FOR HIRE』 for sale
インドの旧型タクシー・メーターが『楽天市場』で売りに出ているのを見かけた。『FOR HIRE』の日焼けした文字、幾度も塗り重ねてきた思われるペイントの具合といい、いかにも『インドで長年頑張ってきた!』という雰囲気が味わい深い。
価格は7万円とのことで私にはチト手が出ないし、そもそも今どきのクルマにこのメーターが装着できるのかどうかわからないのだが、助手席側の窓から手を回して『ガチャコン!』とレバーを倒して出発するとけっこう気分かもしれない。ビニールでカバーした料金換算表があれば、一日の終わりに『おお、今日は×××ルピー分走ったな』なんて悦に入る向きもあるだろうか。
タクシーやオートに電子メーターが導入されてから『走行距離のみでなく、混雑などで余計にかかる時間への課金という概念が初めて実現された』と思っていた。でも実は旧式のアナログメーターにも一応『時間に対するチャージ』の初歩的な概念はすでに折り込んであったのだそうだ。裏面下部のネジを巻くことによって可能となるとのことだが、時間による最初の課金がなされるまで1時間以上かかるとのこと。クルマが増えて都市部の渋滞が日常茶飯となった今の時代にはとても合わないが。
しかしながらこのタクシー・メーター、クラシカルなスタイル、重厚な質感、職人さんたちによるハンドメイドな仕上げといい、実用の域を超えて愛用されそうなムードがある。使い込んだメーターもいいのだが、個人的にはツルツル、ピカピカの新品同様のこうした金属メーターがどこかで手に入らないものかと思っている。具体的な用途があるわけではないのだが、部屋の片隅にでもチョコンと飾っておきたいのだ。 -
郵政公社からインドな記念切手発売

先日、YOMIURI ONLINEの記事で知ったのだが、このほど郵政公社がインドにちなんだ記念切手を発行する。
図柄は10種類で、タージ・マハル、ラクダとタージ・マハル、ベンガルトラ、インドクジャク、サーンチー仏教遺跡、サーンチー仏教遺跡の女神像、細密画、更紗 、バラタナティヤム、カタカリが用意されている。各々額面は80円。
上記の10枚で1シートになっているが、バラで一枚からでも購入可能だ。この特殊切手は『日印交流年』の記念事業の一環として5月23日(水)に発売される。
インドの友人・知人に郵便を出すときなんかにいいかもしれない。『プライベートで切手貼って手紙を出すなんて近頃ないなあ』なんていう方も、これを機会に肉筆で便りをしたためてみるのもいいかと思う。
インドの遺産 切手に(YOMIURI ONLINE)
特殊切手「2007年日印交流年」の発行(郵政公社) -
国ってなんだろう?
アッサム、メガーラヤ、トリプラー各州を訪れてみて、インド北東部とバングラーデーシュは、別々の国であるがゆえに不利や不便を蒙っている部分がとても多いように思われる。それらは通商や水利などを含む経済活動や国土の開発全般にかかわることでもある。これらの地域がふたつの違う国家に属することから、住民たちが勝手に越境して移住すれば『不法移民』ということになる。もちろんこの隣国は近代史の中で、しかるべき経緯があって出来上がった国である。かつてアッサム州の大半もデルタ地帯に広がるこの国の前身である東パーキスターンになりかけた歴史を持つが、結局これがインドの一州として現在に至っていることもまたひとつの必然である。
時の為政者たちの綱引きによって画定された国境により、人々が暮らす土地はそれぞれの国家に従属することになる。そしてこれらを操るそれぞれの政府が人々のアイデンテイティ、思想、歴史観を規定するものとなるため、ひとつながりの地域がふたつの国に分かれて以降、地域文化や伝統のありかたにも大きな影響を与えることもあれば、隣国に対するスタンスが政争の具となり、相互に反発や敵対感情を生むこともある。これがかつてのパンジャーブ州や現在のJ&K州の不安定さにも如実に示されるとおり、地域の政情を不安定なものとすることもしばしば見られる。
そうした視点で見れば、北ベンガルのごく細い回廊部でかろうじて『本土』と接する北東諸州は、バングラーデーシュ、中国、ミャンマーといった諸手を挙げて友好的とはいえない国々に囲まれている地理条件を思えば、非常に不利であることは言うまでもない。
また人々の生活レベルではどうだろうか。もともと『本土』とはかなり違った風土や文化を持つ地域であり、とりわけ本土のマジョリティとは信条、民族、伝統どこを見ても自分たちは異なると自覚している人々が、すぐ目の前にある『隣国』よりも自分たちのほうが『インドとは違う』ことに理不尽さを感じることもあるかと思う。自分たちが国境向こう側に比較してよっぽど高度に発展していて経済的にも優位であったりしなければ、国への帰属意識よりも『占領されている』という感情が先に立ってもおかしくないだろう。インドという国への参加意識をなかなか持ちにくいのではないかと想像する。
こちら側がインドに属していること、そこに国境線があり向こうには別の国が厳然と存在していることは歴史による必然であるから、その是非について云々するつもりはない。だが人々の営みはともかく、雨雲はその境目に関わりなく大地を潤し、生物たちもまた彼らの目には見えない結界に縛られることなく行き来している(動物たちには縄張りがあるとはいえ)ことを思えば、人間という生き物がいかに特異な存在であるかということを感じなくもない。 -
懐かしのメロディーでホロリ
まだ朝暗いうちから起き出してアガルタラのバススタンドへと向う。ここからニール・マハル行きのバスに乗るのだ。土地の人々は『ニール・モホル』と呼んでいるようだ。ベンガル風に読むとそういうことになるのだろう。ひた走るバスの中では昔のヒットソング(80年代末から90年代初めにかけて)が次から次へとかかっていた。
『QAYAMAT SE QAYAMAT TAK』から始まり、『SAAJAN』そして『PHOOL AUR KANTE』等々の懐かしい歌が続くと、もうメチャメチャに嬉しくなった。
この頃のシネマソングは私の一方的な思い込みかもしれないが、メロディーも歌詞もロマンチックかつ叙情的、純粋かつ哀しみに満ちていて大好きなのだ。もちろんこれらが流行っていた時期の私自身の思い出が沢山詰まっていることもあって胸がキュンと鳴る。

『Aai Mere Humsafar』でジンときて、『Bahut Pyar Karte Hain』
や『Jeeyen to Jeeyen Kaise』でいつしか心の中にセピア色の風景が広がってくる。
『Mera Dil Bhi Kitna Paagal Hai』でシミジミした気分に。そして『Tu Shayar Hai』でしばし追憶の世界にどっぷり浸る。
そして『Maine Pyar Tum Hi Se Kiya Hai』で再びハートがググッと熱くなり、若き日のサルマーン・カーンとバーギャーシュリー主演の『MAINE PYAR KIYA』の『Dil Diwaanaa』がかかると、ああもうダメだ。メランコリックに暴走する心がもはや自分自身ではどうにもならず、懐かしい想い出や普段すっかり忘れていた記憶やらが次々に頭に浮かんできて、年甲斐もなくジワ〜ッと涙してしまう。あぁ、歌っていいなあ・・・。乗り合いバスの中、大音響でいろんな曲が流れるサービス(?)っていいなあ。ついでにカラオケでも付いていればいいなぁ!などと、このときばかりは思った。
ああ車内で思い切り歌いたい。もちろん他のお客たちに迷惑でなければ・・・であるが。

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シローンのシェア・タクシー
丘陵地の上に広がり、緩急さまざまな坂道が多いシローン。リクシャーやオートは見当たらないが、黒と黄色に塗り分けられたスズキのマルチを用いた小型タクシーが非常に多い。
市内各地のタクシースタンドで客待ちしているもの以外にも、同じ方向に向う客を沿道で次々に拾っていくシェア・タクシーとして沢山走っている。ある程度決まったルートを巡回しているようだ。次から次へ、ブイブイとエンジンを唸らせながらやってくるタクシーを眺めていると、まるでカナブンが大群で押し寄せてきているかのようでもある。
それらを待っている様子の人が道端で立っていると減速し、その者が大声で叫ぶ目的地を通るものであれば停車して拾っていく。ちょうどミニバスのような役割だろうか。街の地理をよく知らないと利用するのはちょっと難しそうだが、とても徒歩で回りきることのできない広大な高原の街にあって、とても便利な交通機関だろう。

