
朝7時に起きて宿の階下のKAMATレストランに行き、「プーリー・サブズィー」とあるのを注文。これにサンバル、ココナツチャツネ、マサラドーサの中身が小皿で付くこと。これはこれでおいしい。
油脂分でギトギトだが、インド人にとっては、あっさりした朝食。もちろん私はこういうのは好きである。



朝7時に起きて宿の階下のKAMATレストランに行き、「プーリー・サブズィー」とあるのを注文。これにサンバル、ココナツチャツネ、マサラドーサの中身が小皿で付くこと。これはこれでおいしい。
油脂分でギトギトだが、インド人にとっては、あっさりした朝食。もちろん私はこういうのは好きである。



宿はビーダル随一の繁華街にあるため、さきほどの「マンディ」の店、洋菓子とミターイー両方売る店、カフェその他がいろいろある。
だが、とにかく満腹過ぎでスイーツ用の別腹すら動員してしまったようで「1ミリの隙間もない」感じなのでデザートはやめておく。超の付く満腹感のうえに、「飲むケーキ」とでも呼ぶべき濃厚な「イラーニー・チャーエ」を2杯飲んだこともあり、快楽を通り越して胸焼け状態になっている。
激しいスポーツをした後に適度なクールダウン、昔で言うところの整理体操をせずに済ませてしまうような、どうもスッキリしないものがある。
そのため整腸効果のありそうな飲み物類をあれこれ思い浮かべてみると、ちょうど曲がり角のすぐ向こうに正解が用意されていた。
「百薬の長(今ではそう呼ばないらしいが・・・)」を商うナチュラル志向の店(酒屋)で、消化を助ける麦飲料を購入。

インド産スコッチなので、香りとか味わいとか言うよりもピリリと舌を刺すような感じではあるものの、それもまた旅情のひとつである。
このインドウイスキーには、最近は50mmだか100mmだか知らないが、ちいさなメダル紙パックも用意されている。昔ながらのポリのパックに入った安い「ダールー」と同様に地元の若い奴がコーラなどで割って路上であおっている。
そんな彼らのために店主は薄いペラペラのプラスチックカップを渡しているのだから、路上飲酒を奨励しているようなものだ。

店の主人は何を思ったのか、クオーターボトルを買った私にも「これでどうぞ」と、そのプラコップを手渡してくれた。私も路上飲酒するように見えたのかどうかはよくわからない。



インドのカルナータカ州のビーダルにあるRoyal Amolへ。ここにはアラビア式の「マンディー」を注文。しばらく待つとかなり凄い量のものが来た。


コツは時間をかけずにモリモリ食べることだろう。満腹中枢から「もうダメ!」の指令が来る前に、とにかくムシャムシャと咀嚼して呑み込むのがよい。
かなり一気に突っ走ったつもりが、それでもあと1/4程度を残して断念。やはりこのアイテムは2〜4人くらいで分けて楽しむのが良いようで、1人ではとても無理であった。

シメは階下の喫茶フロアーで「イラーニー・チャーエ」。何がイラーニーかよくわからないけど、やたらとマラーイーが入った濃厚なチャーエ。向かいにはまた別のアラビア料理を出す店があり、ビーダル訪問の際にはたいへんオススメ。ぜひ数人で「マンディー」をお楽しみください。



フルーツの露店が並ぶ橋の上にて。スイカとチックー、ザクロとパパイヤが同時に出回るという奇妙な季節感。インドの南北からいろいろ入ってくるからこうなるのである。
あと面白いのは博物館の休館日。世界の多くで(日本でも)月曜日は休みということが多く、インドでもそうなのだが、ハイデラーバードは例外的に金曜日休館というところがマジョリティ。

評判の良いグランドホテル(というレストラン)はやはり混んでいた。ビリヤーニーは「ミニサイズ」を勧められたが、やはりそれでも1人でなんとか食べ切れるサイズであった。

グランドホテルでビリヤーニーの後、シメは甘いものを。「Double Mithai」とメニューにあり、「ミターイーの2種盛り」かと思って頼んでみると、まったく違った。「Double」ではなく「Dabal」つまり「Dabal Roti」つまり食パンを用いたミターイーであった。これはこれで美味しい。

ハイデラーバードは不思議な街だ。デカンの街なのに、道端や店で人々か話す言葉がわかることが多い。街の外はテルグ語の世界なのに、ここはウルドゥー語圏の飛び地である。


話は前後するのだが、ハイデラバードへはシンガポール航空でやってきた。当然、乗り換え地はシンガポール空港なのだが、しばらく待ち時間があった。夕方だったので腹も減る。
自宅の片隅に長年眠っていたシンガポールドルが32ドルを持ち出してきたのだが、空港内のホーカーズの券売機で使えなかったため、銀行の両替所で現行の札に替えてもらった。ずいぶん昔の紙幣であるため、現在のそれとはデザインは異なるし素材も違う。今のみたいなブラスチック紙幣ではなく、紙のお札だったのだ。(替える前に写真撮っておけば良かった。)
両替所の若い女性は「これはどこの国の通貨ですか?」などとすっとぼけたことを言っていた。そんな大昔のお金ではないのだが、記憶の糸をたどると最後にシンガポールを訪問したのは、少なくとも四半世紀以上前であった。ある意味、「古銭」である。どの時点で今のデザインに変更されたのかは知らないのだが、20代前半くらいの人が「どこの国の通貨?」と言うのは無理もないかもしれない。
古いお金を新札と替えるわけなので、もちろん手数料などはかからない。空港内のホーカーズで海南鶏飯。空港とはいえ、本場の味は良い。






ハイデラバードで利用した宿は、1500Rsでずいぶん広くて清潔だった。かなり人気で予約も立て込んでいるらしい。
翌朝は、階下のレストランで朝食。宿代には含まれておらず別途250Rs。朝食はバイキング形式。なかなか良かった。
幾度か来たことがあるハイデラバードだが、ここから入国するのは初めて。日曜日に利用できる両替屋やら買えるSIMカード屋などを知らないため、探すのになかなか手間取る。
両替屋はほとんど閉まっているし、テーランガーナーでは、SIMカードは日曜日はアーダールカード(日本でのマイナンバーカードに当たるもの)を持っていないと日曜日は不可と言われる。
明日はハイデラバードにいないし、田舎に行くとSIMカードの購入は期待できないため、ここで済ませておきたい。万一のためデータのみ8日間使えるSIMはアマゾンで買って持っているのだが、電話やSNSが出来ないため不便。それに8日間ではとうてい足りない。
もちろん両替屋は日曜日開いているところはどこかにあるし、SIMカードも原則を曲げて融通利かせてくれるところはあるはずだが、初めてだとゼロから探さなくてはならない。そんなわけでちょっと面倒だったがなんとか両方片付いて何より。

エカマイバスターミナルからロットゥーでメークロンに向かう。エカマイもさびれているようで、かつては盛んにバスが発着していたのがパタヤその他以外にはロットゥーが主な出入り車両のようだ。当初は11:00のロットゥーのはずだったのだが、乗客が少なくて間引きされたようで12:00過ぎの出発となった。メークロンに着いてからバスを乗り換えてアムパワーに到着。



移動中に一緒だった台湾の女性たちと散歩。金曜日のアムパワーはとても空いていて、扉を閉じたままの店も多い。いつもこんな具合なのかと言えば、土日は宿代が倍になるそうなので、週末に大変混雑するらしい。




彼女たちとは夕方の蛍ツアーにも一緒に参加することにした。ボートはアムパワーの運河からメークロン河に出る。河沿いの木には蛍の光がたくさん。見事なものだ。


船が通ることができるようにと高くした橋が特徴的。古い時代のバンコクはこんな具合だったのかなと思わせるレトロ感がとても趣がある。ここに数泊してみたいくらいだ。

マーケットで面白いものを見つけた。魚の干物かと思ったら、魚の干物のぬいぐるみ?という捻りが効いたもの。残念ながら臭いはしない。

その後、他の台湾の女性たちが合流して、夕飯は皆でいろいろ買って持ち寄りで、宿泊先の共用スペースでの宴会となった。大勢の女性たちと一緒に食事という機会はあまり無いので、なかなか気が引けつつも楽しいひとときとなった。



カンボジア第2の都市だけあって、何かと便利な街であった。そして華やかでもあり、夕方以降も楽しい。





大きなスーパーマーケットがいくつもあり、在住中国人、韓国人向けの食材店ではそれぞれ中華料理、韓国料理の材料等も大量に売られている。

それでいて、シェムレアプの街はクルマが多くないため自転車であちこち行ったり、夕暮れ時にゆったりと流したりできるのも気持ちがよかった。滞在中は同じ自転車を借りっ放しで、「我が愛車」という感じにもなった。
最終日、午前中は国立アンコール博物館を見学し、宿に戻ってチェックアウト。

そして宿の隣の食堂で今回のカンボジアにて最後の昼ごはん。滞在先の部屋から「徒歩2分で着く」という便利さもさることながら、なかなか美味しいので繰り返し利用した。

食後はオートリクシャーで空港へ。



シェムレアップで、この日の夕飯、「カリーワーラー」は、ちゃんとしたガチインド料理であった。前日のパンジャービーのおじさんの店のクメール化した大甘カレーには仰天したが、こちらはオーセンティックで安心。

メニューはすべてリエルで書かれているのは、この手の店としては珍しいのだが、客層はインド人を含めたほぼ外国人に尽きるとのこと。ローカル客はいなくもないが、「100人来て2人くらい」とのこと。
どのあたりを客層と想定するかによって、味付けやサービスの仕方が異なるのは当然で、同じパンジャービーでもそれぞれ大きく異なるわけだ。





アンコールワットではモデルさんの撮影中だった。カンボジアの伝統的衣装でいろんなポーズを取っていた。広告にでも使うのだろうか。


アンコール遺跡の階段は勾配がとても急なので、本殿に上る階段は使用禁止になっており、一箇所だけ補助階段がしつらえられて、そこから上ることができるようになっていた。





前回訪れた1992年には、訪問者たちはみんなこの階段からよじ登っていたが、たぶん事故もあったのだろう。私自身も怖かったし、雨で濡れたら滑って本当に危険だろうと思った。勾配が急であることに加えて、階段のステップ幅が成人男性の足裏の半分くらいしかないのだ。
クメール王国時代の坊さんもよく滑り落ちたのかもしれないが、このような造りであることには何か具体的な理由があったのだろうか。
それにしてもこの寺院内の意匠の豊富さと美しさには心動かされる。遺跡そのものが精緻なアートギャラリーのようでもある。遺跡となってからですらこうなのだから、ここが寺院として機能していたときにはどんなに素晴らしかったことか。










また思うのは、このような遺跡となってしまうと往時のことをなかなか想像し難いのだが、マンネリで平和な日常もあっただろうし、初めてこの寺院に務めることになった僧侶の高揚感と緊張感、様々な年中行事なども行われて、人々で賑わうときもあったわけだ。




アンコールワットを出てから遺跡地域に点在する露店の集合体とトイレ等の施設が揃ったビジターセンターのようなところで昼食にした。



宿の隣の食堂は家族経営だが、ご主人が作るのと奥さんが作るのとでかなり味付けが違う。席の背後で調理しているので、どちらが作っているかは一目瞭然なのだ。
ご主人だとニンニクたっぷり、奥さんだと糖分たっぷりの大甘になる。どちらが作ってもそこそこ美味しいのだが、いずれも何かが過剰。
どちらもとても感じが良く、しばらく前までは夫婦ともに相当なイケメンと美女であったと思われる端正な風貌のご夫婦。
朝早くから夜遅くまで開いているし、ホテル真横なので、滞在中の食事の半分くらいはここで食べた。









カンボジア第2の都市ともなると、韓国人在住者はかなりあるようだ。食料品、日用雑貨から荒物まで、なんでもございの店。隣は同じようなコンセプトの中国人のスーパーがある。こうした店がいくつもあるので、なかなかの国際都市であることが感じられる。


