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カテゴリー: adventure

  • 中華料理屋「中華」

    中華料理屋「中華」

    暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

    ビアバー

    さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。

    中華料理屋「中華」
    店内も本格的
    メニュー

    移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。

    カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。

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  • 壮年ランボーとシェパードの散歩

    壮年ランボーとシェパードの散歩

    壮年ランボーとシェパード出現前のマジヌー・カー・ティーラーの街角

    マジヌー・カー・ティーラーで、野犬がどんどん集まってきて、盛んに吠えたてる。危ない予感がして、すぐさま近くの露店の軒先に入る。

    何があったかと思って目をやると、大きなシェパードが、飼い主かその使用人かよくわからないが、壮年男性と歩いてくるところであった。目の前で、沢山の犬たちが吠えているので、さすがに大型犬も怖じけて、男性の背後に隠れてしまっている。

    壮年男性のほうは落ち着いたもので、すぐそばまで接近してくる犬があれば、容赦なくバットくらいの長さと太さのコンボウを振り下ろし、強烈な打撃を与えて道切り開いていく。ランボーみたいで、こちらはなんだか壮観だ。

    野犬のバリケードを突破すると、男性はシェパードを自分の前方を歩かせて、背後からの攻撃者(野犬)たちから守っている。なかなかご立派!

    ブン殴られた仲間が悲鳴を上げると多少距離を空ける野犬たちもしつこく、彼らのエリア?を抜けてしまうまで、絶え間無く吠えたり、幾度も攻撃を試みたりする。やはりこいつらも狼の子孫だ。

    たかが飼い犬の散歩が、激しいコンバットみたいなことになっているが、勇ましい飼い主に連れられて、心臓を縮み上がらせながら毎日散歩する(たぶん・・・)シェパード君は、本当は外出しないで、お家でヌクヌクとしていたいのかもしれない。

    追撃をふりほどいたと思ったら、向こうの辻にも犬集団が集まってきた。シェパードを連れた壮年ランボーのバトル、第2ラウンドが始まる。(笑)

  • National Geographic 11月号

    Facebookである方が書き込まれたことから知ったのだが、National Geographic11月号の特集はSorrow on the Mountainと題して、今年4月にエベレストで発生した大規模な雪崩による「エベレスト史上最悪の日」とされる歴史的な事故が取り上げられている。

    地元ネパールで登山に関わる人たちの仕事と暮らし、事故の顛末と遭難した人々やその周囲の動き、山をめぐる経済効果や労働問題、事故の後に持ち上がった政治的な動き等々が各種メディアを通じて報じられてきたが、それらを俯瞰する形で読んでみると、この事故が起きる前から、その背後にあった社会問題が浮き彫りにされているように思う。もちろん、それらは現地で登山関係の仕事に従事している人々にとっては、周知の事実に過ぎないのかものであったとしても。

    そこに登山の仕事がある限り、そこでの稼ぎを求めて行かなくてはならない男たちがいる。名峰を征服する登山隊の華々しい活躍は彼らの支えがあってこそのものであり、登山活動がそこにある限り、こうした男たちやその周辺の産業で働く人々にも恩恵が及ぶことになる。また、登山料等の収入は、国家に対しても貴重な財源となり、300万ドルもの収入を与えることになるなど、経済的な効果は計り知れない。

    それほど重要な産業なのだが、これを支える最前線の現場、つまり登山の仕事でほとんどの補償もない状態で、命の危険を冒して働く人々に依存している現状。だが、その仕事による収入を必要としている男たちや彼らが養う家族があり、登山者たちもそうした彼らを必要としているというジレンマ。労働条件の改善は必要であるとはいえ、そこにマオイストたちがツケ入る隙間も大きなものであるわけで、これが政治絡みの騒動へと繋がる。とりわけこの国の「基幹産業」のひとつともなれば、なおさらのことだ。

    上記に示したリンク先でも記事内容のあらましは判るとはいえ、ぜひ印刷された今月号を手に取っていただければ幸いだ。記事内にいくつも散りばめられて、文章同様に、あるいはそれ以上に多くを語りかけてくる写真とその解説を読みながら、この問題についていろいろ考えさせられるものがある。

  • 最高峰への挑戦

    世界最高峰エヴェレストの標高といえば、8,848mであると思っていたが、長きに渡りネパールと中国の間で論争が続いていたようだ。『頂上』についての定義の違いによるものであり、前者は文字通り一番高くなっている部分、雪や氷に包まれた頂がそれであり、後者によれば氷雪の下にある岩石部分こそがエヴェレストの頂であるというもの。
    8848mとは、前者の主張に沿うものであり、中国側の言い分ではそれよりも4mほど低くなるらしい。だがこのほど中国はネパールによる『8848m説』を受け入れたことにより、この論争に終止符を打ったのだという。
    Official height for Everest set (BBC NEWS South Asia)
    だが上記BBCの記事の最後にあるように、US National Geographic Societyの計測によれば、8,850mであるとのことで、まだ『標高8,848m』異論を唱える人たちはいるようだ。
    ところで、エヴェレストといえば、言うまでもなく世界最高峰であるがゆえに、ベースキャンプからの最短時間登頂、最多登頂回数、最高齢登頂等々、数々の記録が話題になる山である。
    偉大な記録の樹立は、人々の大きな喝采と祝福とともにメディアを飾ることになるが、まさに記録とは破られるためにあるという言葉のとおり、更に上を行く人物が出てきて世間を驚かせてくれるものだ。
    こうしている今、新たな記録樹立を狙いネパール入りしているアメリカ人の少年がいる。彼、ジョーダン・ロメロが目指しているのは最年少登頂記録だ。1996年7月12日生まれの13歳である。
    American boy, 13, to attempt Mount Everest climb (ABC News)
    もちろん彼は素人などではなく、近年タンザニアのキリマンジャロ、アルゼンチンのアコンカグア、アラスカのマッキンレーその他の高峰を制してきたキャリアを持つ、極めて早熟なクライマーである。

    これまで最年少記録といえば、2001年5月に16歳17日で頂上を極めたネパールのシェルパ族のテンバ・ツェリ。それを大幅に下回る年齢での登頂が成功したとしても、後にその記録を塗り替える例はなかなか出てきそうにない。
    登山家としてはあまりに低年齢すぎる子供にこうしたチャレンジをさせることについて、医学面ではもちろんのこと、倫理的に問題であると捉える意見も多い。
    私自身、ジョーダンよりもいくばくか年下の息子を持つ親としては、登頂の成否云々よりも、彼が無事に帰還することを切に願いたい。
    同時期に、インドからは16歳の少年アルン・ヴァジペィーが同じくエヴェレスト山頂を目指しており、こちらもメディアで話題になっているところだ。
    Not eyeing records, says youngest Everest challenger (The Hindu)
    ちなみに女性でエヴェレスト登頂最年少記録を保持しているのはインド人。ヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー近郊の村に暮らすディッキー・ドルマが1993年5月に19歳35日で登頂に成功している。

  • 異星の生き物

    1898年発表の古典SF小説の名作、THE WAR OF THE WORLDSで、著者であるイギリス人作家H.G. ウェルズは火星人による地球侵略を描いた。秀逸な作品であるがゆえに、映画が一般化する前のアメリカでラジオドラマになったり、幾度か映画化されたりしている。
    それらの中で最近のものといえば、スピルバーグ監督による2005年のWar of the Worlds (邦題『宇宙戦争』)である。

    この作品を観たとき、子供の頃にUFOや宇宙人の話を本で読み、広い空のどこかで奇妙な動きをする物体を見つけることができないものかと目を凝らしてみたり、宇宙人と出会った夢などを見たりしたことなどを思い出した。映画の中の宇宙人たちは、子供心に描いていた平和で友好的なものではなく、地球への侵略者たちであったが。

    (さらに…)

  • エベレストはシーズン真っ只中

    北京オリンピックの聖火リレーの関係でしばらく中断していたエベレスト登山だが、先週から今週にかけて記録ラッシュが続いているようだ。
    5月22日には、なんと86名もの登山者が頂上に立った。一日の最大登頂者新記録とのことである。またその日に、ネパールを代表する登山家かつ山岳ガイドであるとともに、世界最高のクライマーに数えられているアッパー・シェルパ氏が自己の世界記録17回を更新する18回目の登頂を無酸素で成功している。
    つづいて5月25日には、77歳の誕生日を目前に控えたミン・バハードゥル・シェールチャン氏が登頂者最高齢記録を樹立。2003年に70歳でエベレスト山頂に立ち、当時の登頂最高齢世界記録を樹立した(その後2007年に柳沢勝輔氏がこの記録を71歳で更新) 三浦雄一郎氏がほぼ同じタイミングで頂上を狙っていたものの、一日遅れで本日5月26日に登頂。残念ながら最高齢記録を手にすることはできなかったが、シェールチャン氏に続く堂々2位である。
    プロスキーヤーそして登山家として知られてきた三浦雄一郎氏は、私立学校の校長先生でもあり、生徒たちへの教育的効果もさぞ高いのではないかと思われる。やはり教師や親たち自身が熱いハートを抱いていなければ、どうしてその生徒や子供たちが将来への夢を描けるだろうか。
    それにしても、なんだか今年のエベレストは当たり年らしい。今シーズン一杯ヒマラヤから聞こえてくるニュースに耳を傾けていたいと思う。
    Nepali grandpa becomes oldest person to scale Mt Everest (Nepalnews.com)
    三浦さんエベレスト登頂「涙が出るほど辛くてうれしい」 (asahi.com)

  • オートでGO!!

    オートリクシャーを利用する際、せいぜい街中の移動かちょっと郊外まで足を伸ばす程度だろう。だが今年に限ってはチェンナイから乗り込んでムンバイーまで疾走させている人たちがいるらしい。しかも自分たちで運転して・・・。
    8月4日にチェンナイからスタートした『マドラス・ボンベイ・オートリクシャー・ラリー』に世界各国から70名が参戦しており、およそ1900kmのルートを経てムンバイーを目指し力走している。せっかくの珍しいイベントなのに、インド国内からの参加者は一人もいないのだそうだが、まあわかる気がする。インドの人々はこれがカッコいいからとか面白いから乗っているわけではなく、廉価版のタクシーとして利用しているだけだ。オートリクシャーに魅かれるのは物好きな外国人たちくらいだろう。しかし主催者はこのイベントを毎年開くことを目論んでいるようなので、条件によってはどこかの町のオートリクシャーのユニオンが出走させるなんてこともあったら面白い。仕事で日々運転している「プロ」は外国人参加者たちなど足元にさえ寄せ付けないのだろうか。
    非力なオートリクシャーで1900kmもの道のりをひたすら走るというのは想像しただけで気が遠くなりそうだし、スタート時にはピカピカの新車でも、それだけの距離をガタゴト走った後にはすっかりポンコツ化しているのではないだろうか。
    だが自由になる時間と費用が充分にあれば、私もぜひ参加してみたいと考えている。「マイ・オート」欲しさがゆえという部分もあるが、素人でもエントリーできそうな(技術面・資金面ともに)国際ラリーなんて滅多にあるものではないからだ。まかり間違って優勝するようなことでもあればどうだろう?他に同種のラリーは存在しないらしいので、文字通りオートリクシャー・ラリーの世界チャンピオンになってしまう。こりゃ大変だ!!
    Challenging Times! (MADRAS PLUS DIGITAL)

  • エヴェレストが不調?

    エヴェレスト
     かつて世界最高峰エヴェレスト(8850m)登頂は『不可能』であるとされていた。しかし『奇跡』を達成したのは1953年に頂上を目指したエドムンド・ヒラリー、テンズィン・ノルゲイ両氏。1969年にアポロ11号が世界初の月面着陸に成功したのと同じく、彼らは人類の歴史に燦然たる足跡を残したと言って差し支えないだろう。
     その後、山岳や気象等に関する情報や知識の充実、登山技術の発達や装備の進歩などにより登頂がより容易になるにつれて、各国の登山隊が登頂を記録するようになり、世界最高峰征服は『快挙』に格下げとなる。
     エヴェレスト他の八千メートル級の峰への登山経験の蓄積がクライマーたちの間で共有されるようになるとともに、登山隊を送り出す各国の経済発展を背景に、登山隊の資金力も増大したことがこの傾向に拍車をかける。
     英国山岳会により1921年から始まった登山史だが、当初は測量や地理調査などを目的とし、究極的には政治的・軍事的な意図を背景とする事業であった。だが第二次大戦後は登山という行為そのものがスポーツとして世の中に定着することになった。男性たちにやや遅れてやがて登山の世界に進出してきた女性たちも果敢に挑戦し、その中から次々と登頂者が出てくるようになってくる。
     このころには単に頂上を目指すのではなく、無酸素登頂やどのルートから登るかということに新たな価値が出てくることになった。つまり頂上という同じ地点を目指すにあたり、より難しい条件を付けて他者よりも高いハードルをクリアすることが目標とされるようになってきた。
     そうした中で近ごろ一番ホットなのは、ここ数年次々と記録が塗り替えられている『スピード登頂』記録ではないだろうか。ベースキャンプから頂上に到達するまで20時間台であったものが、12時間台、10時間台、そしてついには8時間10分と、どんどん短くなっていく。このあたりは若手シェルパの独壇場で、他国のクライマーにはつけ入る余地はないようだ。
     またエヴェレストをどう攻めるかだけではなく、2002年に63歳で頂上に立った渡邉玉枝氏(女性最高齢登頂)、2003年5月に70歳で登頂した三浦雄一郎氏(世界最高齢登頂)といった年齢に挑戦するものもあれば、世界の他の名峰を含めた『七大陸最高峰征服』という荒行や『全八千メートル峰制覇』などという神業であったりもする。ところで地球上に存在する八千メートル級の山14座、つまりエヴェレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョオユー、マナスル、ダウラギリ、ナンガーパルバット、アンナプルナ、ガッシャーブルム?&?、ブロードピーク、シシャパンマとすべてがヒマラヤ山脈にあるのだから、まさに『世界の屋根』の偉大さを感じずにはいられない。
     これらの中で最も広くその名が知られているのはいうまでもなくエヴェレストだが、登頂すること自体が達成可能な現実となるとともに、この山の『大衆化』(・・・といってもズブの素人である一般大衆がそこを目指すわけではないが)が始まることになった。今ではいわゆる『ヤマ屋』の人たちがそれぞれのレベルで実行可能な『目標』となったと言って差し支えないだろう。それなりの素質とガッツのある人たちにとって、もはや『信じることができる』現実的な夢なのだ。現在、エヴェレストでは1シーズンに数百人ものクライマーたちが行動するのだという。初登頂から半世紀以上経った今、エヴェレスト登頂の意味は大きく変わっている。
     エヴェレスト登山の裾野の広がりは、同時にいくつかの問題をも生んでいる。 登山家の野口健氏の『エベレスト清掃登山』http://www.noguchi-ken.com/message/cate/ev_clean/index.html活動により日本でも広く認知されるようになったように、『世界の屋根』という本来ならば辺境であるはずの地域におけるゴミ問題もそのひとつだ。シーズンにおいては登山許可の申請が込み合うことのみならず、登山ルートで物理的に渋滞が起きていることも一般に知られるようになった。
     また登山の大衆化による事故の増加も懸念されている。Jon Krakauerによるノンフィク ション作品『Into Thin Air』(ISBN ISBN: 0385494785)で取り上げられたように、 1996年は不順な天候のためもありエヴェレスト登山史上最悪といわれる年であった。このシーズンはエヴェレスト以外でもヒマラヤの各地で多くの事故が相次ぎ、日本人女性も犠牲になっている。  世界的に有名なクライマーが経験の浅い登山者を率いて頂上を目指すいわゆる『ガイド登山隊』が増えてきていることについて、一般に知られるようになったのもこのころからである。
     2003年のシーズンにはエヴェレスト頂上に立ったクライマーは過去最高の261名を数え、翌2004年には登頂者数が通算2200名を超えたと日本山岳会会報(2005年2月号) に記されている。
     物理的に『地域振興』が難しいヒマラヤ地方にあって、現実的な『村おこし』とはやはり観光ということになる。登山人気は単に頂を目指す玄人のみならず、日帰りのハイキングから始まり一週間程度の軽いトレッキング、あるいは山岳の景色をゲストハウスのベランダから眺めて満喫、滞在先付近の山里の様子を見物するなど、様々なカタチで風光明媚な土地を楽しみたい観光客たちをもひきつけてくれる。いや数のうえではむしろそういう人たちのほうがはるかに多く、本格的な登山の季節以外でも日々地元にお金を落としてくれるのだ。
     自国の高峰を舞台にした登山家たちの活躍のニュースとともにメディアに流れるヒマラヤの風物は、そうした観光振興のため非常に有効な宣伝にもなることは言うまでもない。こうしたものがなければ、この地域の自然や風物、人々の暮らしや文化が今ほどに外の人々の関心を引くこともなかったのではないだろうか。
     登山家ならずとも、私たちそれぞれの興味の範囲でいろいろと楽しむことができるヒマラヤは、それをいただく国々はもちろんこの大地に暮らす私たちみんなが共有する貴重な財産でもある。
     だがこのエヴェレスト周辺地方で近年の気象の変化が懸念されている。それは氷河の後退や降雪の減少であったりするが、ここ数ヶ月の間でも従来はなかった現象が見られるのだという。それはほとんど雪が降らない冬と春先の豪雪。はてまた4月に入ってから3日間続いた吹雪などである。
     気候というものは毎年同じものではなく、時に暑くときに寒く、多雨であったり少雨であったりといろいろデコボコがあるもの。『平年並み』とは近年の平均値でしかなく、何をもって異常気象と呼ぶのかよくわからないこともあるが、とかく自然や気候といったものは相互に作用しているもの。ヒマラヤの変調については、私たちもちょっと気にかけていたいものだ。海原や大地でさえぎられていても、結局ひとつづきの同じ地球なのだ。
    Everest weather’s ups and downs (BBC South Asia)

  • ハインリヒ・ハラー氏逝去

     1月7日、オーストリアのハインリヒ・ハラー氏(Heinrich Harrer)が93歳で亡くなった。相当な高齢者となっていた彼は、山登りをやめてからずいぶん長い時間が経っているのに、やはり山屋はいくつになっても「登山家」と表現されるものらしい。
     多才な彼はスキーヤー(1936年ドイツで開催の冬季オリンピック代表として選出されたものの、事情によりオーストリアのスキーチームがボイコットしたため参加できず)としても活躍しており、またゴルファーとしても鳴らした。1950年代後半には、オーストリアのアマチュアチャンピオンに輝いたほどの腕前であった。 
     スポーツ以外でも活躍分野は広く、地理学者として知られるとともに、作家としても20冊の本を著している。その中の一冊がかの有名な「Seven Years in Tibet」だ。
     1938年、彼の祖国オーストリアがドイツに併合された結果、現在パキスタン領内となっているヒマラヤの秀峰ナンガーパルヴァト遠征に「ドイツ隊員」として参加したハラーは、翌39年に第二次世界大戦が勃発すると、当時のイギリス植民地当局に「敵性外国人」として捕まってしまう。
     当時の国籍が「ドイツ」であっただけではなく、後年自身が「あれは間違いであった」と回顧しているように、彼はナチス党の親衛隊メンバーとして名を連ねてもいた。
     1944年に収容所を脱出して、同僚とともに実に21ヶ月もかけてチベット潜入に成功。彼は当時まだ少年であったダライラマに会い、家庭教師役を任されることになる。
     1950年に起きた中国によるチベットに侵攻後は母国に戻り、チベットでの体験や見聞などを「Seven Years in Tibet」としてまとめる。これは48もの言語に翻訳され、300万部を超えるベストセラーとなり、世界各国で愛読されるようになる。この本は、現在でもネパールやインドのヒマラヤ地域で、観光客向けの書店店頭に必ず並ぶ「定番」図書だ。
     97年には映画化され、ブラッド・ピット主演で南米のアンデス地帯で撮影されたが、これを映画館でご覧になった方も多いことだろう。
     このハインリヒ・ハラーという人は、雄大なヒマラヤのみならず、英領時代のインド、そして中国による占領前の独立チベットをも身をもって知る人であった。この機会に今一度、彼の本の扉を開いて彼が見聞した世界を垣間見てみるのもいいかもしれない。
    訃報:ハインリヒ・ハラーさん93歳=登山家(毎日新聞)

  • 実現するか インド→ミャンマー→タイ

     今年11月、東インド・マニプル州インパールから、ミャンマーを抜けてタイまで5000Kmにおよぶラリー大会が開催されるという。
     第二次大戦時で多数の死者を出したインパール作戦のルートをほぼ逆にたどり、インド東北→ミャンマー→タイと、隣接していながらも、通常、旅行者は陸路で越えることが許されないルートを爆走することになる。関係各国相当力の入ったプロジェクトであることは間違いない。
     こんな計画が可能になったのは、インドとアセアン地域の交流が活性化したこと、インド東北部・ミャンマーなど反政府勢力を抱える辺境地域の政情が安定しつつあることが背景にあるのだろう。
     合計100チーム程度の参加を想定しているとのことだが、参加チームはインドとアセアン各国に限られるので、ローカルな大会になりそうだ。それでも両地域とも、世界各国の自動車メーカーがしのぎを削る激戦区なのだから決してあなどることはできない。
     下記リンク先記事中には「開発が遅れているインド北東部に外国投資を呼び込むPR作戦」というくだりがあるが、めぼしい産業はなく、外国人の出入りも少ないこの地域で「投資」といえば、地下資源開発を除いて、観光業以外まず考えられない。
     外国人が観光目的で入ることができるアッサムのような地域が、今後広く開放されてゆくのだろうか。このあたりは東南アジアと南アジアの境目に位置する地域。民族、文化、風俗習慣のどれをとっても興味深いことがあるに違いない。
     これまで東南アジアからインドに入る場合は、バンコク、クアラルンプル、シンガポールといった都市から飛行機で飛ぶしかなかった。しかし今後は「陸路でのんびりとインドへ」という夢のルートも可能になるのだろうか。
     期待させておいて、実際フタを開けてみれば、ルートや治安関係の難問続出。今回こそは「やはりダメでした」なんていうことのないよう願いたい。
    ▼今秋にも「インド・タイラリー」ミャンマーの協力が成功のカギ
    http://www.asahi.com/car/news/TKY200404050227.html
    ▼Indo-ASEAN car rally (The Sangai Express)
    http://www.e-pao.net/GP.asp?src=2.10.240304.mar04
    ▼First INDIA-ASEAN Motor Car Rally in November (IBEF)
    http://www.ibef.org/artdisplay.aspx?cat_id=35&art_id=1830