ヤンゴンのインドなエリア 1

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ヤンゴンで『都心』といっても地域的にかなり広がりがあるし、重要な施設等はかなりあちこちに散在している。そのためどこを街のヘソと呼べばいいのかよくわからない。だが旅行者たちにとってはコロニアルな建物が並ぶ、英領期から行政機能が集中しており、大きなマーケットや繁華街がいくつもあって商業的にとても栄えているヤンゴン河沿いのダウンタウン地区こそが『都心』と感じられることだろう。
公式にはヤンゴンはすでにミャンマーの首都ではない。昨年10月に同国政府が同国中部のピンマナー市郊外の軍用地に建設されたとされるネピドーへの遷都を宣言し、政府機能の大半を移動してしまっているためだ。移転先の新首都には官庁その他の行政機関が引っ越したものの、一般人の出入りは制限されており内情がよくわからない謎めいた街らしい。人口規模からも経済・商業的な規模からもヤンゴンこそがミャンマー随一の『都』であることは今も変わらない。
水際に政府関係の重要施設や様々な機能が集中し、威圧感あふれる巨大な欧風建築が林立する植民地的港湾都市風景がそのまま残っているのが面白い。
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このダウンタウンの真ん中、道路のロータリーに囲まれたスーレー・パゴダはよそ者にとって非常にわかりやすいランドマークだ。
このあたりにはイギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどといった外国の大使館も多い。スーレー・パゴダ横にあるマハー・バンドゥーラー・ガーデンという公園の南端歩道側に赤いこんな看板があった。
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PEOPLE’S DESIRE
Oppose those relying on external elements, acting as stooges, holding negative views.
Oppose those trying to jeopardize stability of the State and progress of nation.
Oppose foreign nations interfering internal affairs of the State.
Crush all internal & external destructive elements as the common enemy.
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第一次英緬戦争を戦った国民的な英雄、コンバウン朝のバンドゥーラー将軍の名前をかぶせたこの公園はミャンマーの国民の主権を象徴するものでもある。この『自主独立』を固持する『人民』たちが、ミャンマーに対する経済制裁を続ける外国勢に対して発した抗議という形式を取ったつもりなのだろう。ミャンマー当局により道路をはさんだ正面に建つある国の大使館へ向けた露骨な挑戦状らしい。

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スリランカフェスティバル2007

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チャンナウプリ舞踊団>
東京渋谷の代々木公園にて、本日5月26日(土)から27日(日)までスリランカフェスティバル2007が開催されている。このイベントではすでに常連となったチャンナウプリ舞踊団による華麗なダンスのファンも少なくないと聞く。
その他和太鼓やファッションショー、シタール演奏等々が日中一杯続く中、東京近辺にあるスリランカ料理レストランによる食べ物の露店、紅茶輸入販売店等による茶葉販売と無料試飲、衣類に雑貨、ビールにお菓子等々、なかなかお腹いっぱいになるイベントである。
食事を済ませたら、いくつかのブースで待ち構えているスリランカ人マッサージ師たちの『神の手』のなせる業にまかせてリラックスしてみるのもいいかもしれない。南アジアつながり・・・ということだろうか?インド映画DVD販売の業者さんたちも店開きしているので、気になる作品をチェックしておくのもいいかもしれない。
もちろんせっかく来たのならば、在日のテーラワーダ仏教関係団体によるスピリチュアルなブースで仏壇にお参りして、お坊様からありがたいお話をうかがってから帰りたいもの。
明日5月27日(日)も開かれているこのイベント。この類のイベントとしては『適度の込み具合』なのもうれしい。
梅雨入り前の日曜日、降り注ぐ陽光を浴び、爽やかな風を身に受けながら戸外でのんびり一日過ごすのもいいのではないかと思う。
料理人の手元からリズミカルな音が響く
エッグホッパー
美味なる揚げ物の数々

素敵なGX100

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4月後半の発売前にとして取り上げてみたリコーのデジタルカメラGX100だが、その後実機を使ってみる機会があったのでその感想を述べたい。少なくとも現時点で私自身がこのカメラを所有しているわけではないので、実写画像をご紹介できないのは少々残念ではあるが。
GRの名が冠せられるのは、やはり広角単焦点モデルという不文律みたいなものがあるのだろうか。コンパクトなズーム付きデジタルカメラのシリーズ『Caplio』ブランドで登場したこのGX100だが、外観はもちろん操作体系、機能性、描写、画質等々どこを眺めても、事実上のGR-Digitalのズームレンズ版である。あるいは汎用デジタルカメラとしてのCaplio GXシリーズをGRと同列の高級機のレベルにまで持ち上げたといった表現してもいいだろう。
いずれにしてもこのシリーズの前モデルGX8とは違い、GRと肩を並べるリコーのフラッグシップ機となって登場しただけに、GRファンはもちろんコンパクトデジカメの分野における高級機復活を願うユーザーたちの注目度は高かった。
価格は6万円台半ばから7万円台半ばといったところだろうか。今ではそのくらいの金額で各社のデジタル一眼レフの汎用機のボディが購入できてしまう。これらはエントリー機とはいえ、『猫も杓子もデジ一眼』といった様相の昨今、沸騰する旬な市場だけに高性能化と軽量化が進んでいる。多様なラインナップのレンズの中から目的に応じたものを自由にチョイスできること、その他周辺機器等の利用の幅も広いことなどからくる拡張性や撮る道具として別次元にあるデジタル一眼レフと競合する価格帯にある。そのため『なんだか高くてバカらしいなあ・・・』と感じる人もいるであろうことは充分理解できる。

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インドの東、タイの西

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インドの隣国であり、一時期インドの一部でもあったミャンマー。北西部にはナガ族のようにインドとミャンマーにまたがって暮らす少数民族もあるし、ラカイン族はビルマ族と南アジア系の人々との混血であるとされる。また都市部を中心にインド系人口も少なくない。また中部には英領時代に兵士として入ってきたグルカの人々の子孫も定住している。衣食ともに中国とインド双方の影響を色濃く受けてきた東南アジア地域の中でも、特に『インド度』が高い国のひとつといえるだろう。
他の東南アジアの他国に比べてやや面倒な部分もある。たとえばヴィザである。この地域では、日本あるいは他の先進国等の国籍を持っている人たちにつき、シンガポールやマレーシアのように一定期間内の観光目的による滞在については査証が免除されている国がある。またタイのように当該国と相互免除の取り決めがなくても、先進国等の人々に対して2週間からひと月程度の期間、ヴィザ無しでの滞在を認めている国も少なくない。こうした措置がない国々においても、ラオス、ベトナム、カンボジアのでは、陸路・空路ともに到着時にその場で取得できるようになっているので簡単だ。外貨獲得における観光業からの収入の割合が高く、それを大いに振興させようという狙いがあるのだろうが、いずれにしても人々の往来がかつてなく盛んになっている昨今、多くの場合特に問題が生じていない国の人々については出入国関係手続きについて簡略化が進んでいる昨今である。
現在のASEAN加盟国で、どこの国の人についても頑として事前に査証取得を求めている国といえば、ミャンマーくらいだろうか。ミャンマー政府の中でも、とりわけ財務関係や観光振興関係の部局などは、このあたりの手続きを簡素化して外国人観光客を多く呼び込みたいところなのであろうと私は想像している。
1990年に行われた総選挙の結果を受けての平和裏な手段での政権交代を否定し、そのまま居座り続ける軍主導政権のありかた、人権侵害や少数民族などに対する強制労働その他により欧米を中心とした国々による経済制裁を受けているこの国にとって、外貨収入の貴重な手段であるからだ。
しかしその一方、政治的な問題から、ひょっとしたらジャーナリストかもしれないし、人権活動家かもしれない外国人たちが入国する前に一度きちんとフィルターにかけておきたいという、セキュリティの面からくる要請があるのだろう。軍政下にあるとはいえ、政府内でも閣僚たちや省庁等により、いろいろ意見のあるところであるはずだ。

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最後のムガル皇帝、ここに眠る 2

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高さ約100mの巨大な黄金色の仏塔がそびえるシュエダゴン・パゴダから東南方向、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーへと向かう。地元ではよく知られた場所らしく、途中幾人かに道を尋ねたが皆ここのことを知っていた。
広い道路、中央分離帯、そして道の両側に軍施設があるエリア、要人らしき人たちの邸宅が並ぶ高級住宅地になっている。界隈の屋敷の造りといい、道路の縁石や緑地のしつらえかたといい、どこかインドを思わせるものがあるのは、やはり英領時代の名残なのだろう。
こういう場所なので歩く人はほとんどなかった。辻ごとに警戒するポリスや軍人のほかに目に入るものといえば、広くスムースな道路をスピードを上げて駆け抜けていくクルマくらいだろうか。
緑多く閑静な市街地の一角にそのダルガーはあった。ここNo. 6, Theatre Roadは生前、彼が幽閉されていた場所のすぐ近くである。建物もごく新しいものであるが、規模は想像していたよりもかなり小さかった。先述のとおり、界隈はごちゃごちゃしたムスリム地区などではなく、まさにその対極にあるようなエリアだ。ここを訪れた人はダルガーの立地としてはミスマッチな印象を受けることだろう。
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敷地に足を踏み入れてみる。階段を少し上ったところにある礼拝所があり、その反対側の小部屋に三つの墓が並んでいる。入って手前からバハードゥル・シャー・ザファル、妻のズィーナト・メヘル、孫娘のラウナク・ザマーニー・ベーガムの墓石である。だがこれらはオリジナルではなく、あくまでもそれら3人を追悼する意図のもとに再建されたものだ。室内にはこれらの人物の写真や絵も飾られている。

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