世間は狭い

アジャンタの遺跡の階段で休んでいたシニア親子(おじいちゃんとその娘のおばちゃん)連れに声をかけられた。どこから来たのかというありきたりな話から、「デリーのどこ?」「南デリーのグリーンパークのあたり」「えぇ?ゴーダムナガル?!」「ゴーダムナガルのどこ?」というような展開に。

実は昔々デリーで下宿していたときのご近所さんであることがわかった。

「あの小さな公園が今はジムみたい(トレーニング機器もどきが置かれるようになった)になっているね」「サウスカフェ、とうとう閉店しちゃった」みたいな会話に。

下宿先の家主の家族と直接の面識はないけど「あの一族は知っている。あたりが宅地化される前に界隈の地主だった)とも。そう、確かにそうだったと聞いている。Masjid Mothの周囲の土地は家主一族の所有だったということは私も知っている。

いろいろ聞いてみると、ご近所さんといっても私が下宿していた時期よりも後に移り住んできた人たちであることがわかったけれども、あの狭い一角にゆかりのある人たちとここで会えるとは、ちょっとびっくり。

マラーティーの綴り

マハーラーシュトラ州の街なかで店の看板を眺めていると、マラーティー語における外来語(英語)の綴りがヒンディー語圏におけるそれと異なるものが目につく。

画像の店では「Welness Forever」と書いてある「Forever」の部分、ヒンディーであればफॉरेवर(forevar) あるいはफोरेवर(forevar)となるところ、फोरेव्हर(forevhar)とある。

फोरेव्हर(forevhar=forever)

同様に銀製品の店ではसिल्वर(silvar)ではなく、सिलव्हर(silvhar)とあった。英語の「ver」の部分が「var」ではなく、「vhar」となるらしい。

Zeroxについてはजेरॉक्स(jeroksあるいはzeroks)またはजेरोक्स(jeroksあるいはzeroks)などではなく、झेरोक्स(jheroks)と、最初の音が帯気音化するようだ。

झेरोक्स(jheroks=ゼロックス)

系統は近いとはいえ、異なる言語なので、綴りも違ってくるのは当然ではあるものの、マラーティー語に限らず、ネパール語でもサンスクリット等古語が起源の語は、綴りにほとんどブレがないのに比べると、英語からの借用語であったり、英単語の音写においては、かなり違ってくるのが興味深い。

また「औषधि (aushdhi)」とは薬のことだが、ヒンディー語圏では、アーユルヴェーダの薬のことであり、西洋医学の薬のことは指さない。だがこちらでは西洋医学の薬を販売する薬局が堂々とその看板を掲げている。またこちらでの綴りは「औषधी (aushdhii)」となり、尾が長くなるらしい。

औषधी (aushdhii=薬)

時間と機会があれば、マラーティー語を習ってみたい気がする。

アウランガバード石窟

6世紀から7世紀にかけて掘られたこの石窟群は、上のほうの群と下のほうの群に分かれている。エローラーやアジャンター等に比べてたいしたことないとのことであったが、そんなことはない。規模は両者に及ばないものの、充分に魅力的な石窟であった。

他国にあれば第一級の国宝扱いなのだろうが、遺跡の宝庫インドにあってはちょっと軽い扱いになってしまう。

もちろん時期も地域も近いため、似ているのは当然のことだ。市街地にごく近いところにあるのもありがたい。

アウランガーバード石窟から市街地の眺め

アジャンタ

訪問予定はなかったのだが、せっかく近くまで来たのでアジャンタを見学。改めて素晴らしいものだと思った。インドにおける世界遺産登録物件では最も早い時期になされたもののひとつ(登録年1983年)だ。

昔々、学生の頃に訪れたことがあるが、当時はもちろんデジカメなどなく、ISO100のフイルムを使って石窟内を手持ちで撮影するのは無理なので、当時の写真は手元にない。

また記憶に間違いがなければ、ここに26ある石窟のすべてに窟内の照明などなく、窟ごとの係員がときおり懐中時計を向けたり、誰かが雇ったガイドが持参したそうした照明器具を当てたりしない限り、真っ暗で何も見えなかった。そんなわけで壁画についてはあまり記憶もなかったのだ。

いずれの石窟も崖の壁面から削り出したものだが、後期のものになると造っていた途中で放棄されているものもある。何かそうせざるを得ない事情があってのことのはずだが、まさに途中であったがゆえに、どのように削り出していったのかを見ることができる。25番目の窟は途中で放棄されたものの中では最大だが、これもまた窟内はライトアップしてあり、往時の工事の痕跡をじっくり眺めることができる。

ともあれ、昔と違い訪問客に対して見やすい、見学しやすい環境がしつらえてあるのは良い。予定していなかったとはいえ、本日は訪問してみて良かったと思う。

実は予定していなかったのに来てみることにしたのは、最近目にしたある新聞記事が理由のひとつ。シーズンには大勢の人々が押し寄せる大観光地で、人々の呼吸や肌などから出る湿気等、そして各石窟でしつらえてあるライティングも壁画に悪い影響を与えているのだとか。文化財の保護のために照明をやめるとか、人数制限をする必要性なども暗示されていた。

貴重な文化財であるとともに、ドル箱の大観光資源でもあり、そのバランスを取っていくのか、あるいは後世に残すことを最優先するのか、とりわけ文化財保護にあまり大きな財源を振り分けることは難しい途上国においては難しい問題だ。

 

ヴァンデー・バーラトの寝台車お披露目

鉄道大臣によりヴァンデー・バーラトの寝台車の発表がなされた。

全国各地で運行区間が追加されているヴァンデー・バーラト。インドが誇る国産の非常に快適な準高速列車だが、現時点までは全席チェアカーの昼行列車。今後夜行寝台のものも始まるのだからありがたい。

中距離の昼行列車としても、夜行の長距離列車としても、それぞれ従前からあるシャターブディー、ラージダーニーと存在意義は被るがいずれもヴァンデー・バーラトが上位の位置付けとなる。

シャターブディー・エクスプレス(Century Express)、ラージダーニー・エクスプレス(Capital Express)と、ニュートラルだがロマンチックな語感のある名前が好きだが、ヴァンデー・バーラトというこれとは毛色の違う翼賛的なネーミングは、いかにも右翼政権らしいなぁとも思う。国策として各地にサービスを展開して好評を得て、さらには寝台列車も導入してインド万歳の福音を届けようということだろうか。

それはともかく、ラージダーニーは文字通り、首都と各地の州都(国のラージダーニー、州のラージダーニー)を繋ぐ列車として全国各地で展開してきた。シャターブディーと合わせて中長期的には今後ますます増便されて運行区間も広がったヴァンデー・バーラトに置き換わるのだろうか。これらとは別にヴァンデー・メトロというサービスも今後展開していく予定。メガ級の大都市と周辺の街を高速で繋ぐというもの。

インド国鉄は、モーディー政権2期合計10年で大きく変わった。3期目の現在もその変化は休む間なく進行中だ。

Vande Bharat Sleeper Exclusive Sneak Peek: Indian Railways Unveils New Train Better Than Rajdhani! Check Top Photos, Features (THE TIMES OF INDIA)