『新しい風土記へ-鶴見俊輔座談』

朝日新書から刊行の『新しい風土記へ-鶴見俊輔座談』に、私と鶴見さんの対談が掲載されています。テーマは「負けっぷり」。

鶴見さんとはじめてお目にかかったのは、確か2006年の春。半年ほどのアメリカでの生活から帰ってきたときでした。

私は2005年秋から2006年春までハーバード大学で研究を行っていたのですが、そのときに東アジア関係の図書を集めた「イェンチン・ライブラリー」で本を読んでいると、司書の方から「鶴見先生の旧蔵書一部が、バラバラになってライブラリーに保管されている」という話を聞きました。その方からのご教示を受けて探してみたところ、日本語訳のロシア文学図書の棚などに、「鶴見俊輔」という直筆の署名が入った書籍がいくつか見つかり、「これは重要な発見かもしれない」と思って記録をとりました。

鶴見さんは、戦前にハーバード大学に入学したものの、「アナーキスト」との疑惑から拘留され、戦中、日米交換船で帰国させられました。拘留された際、鶴見さんの部屋にあった書籍などは「証拠品」として接収され、「War Department」の管轄におかれたのです。

おそらくですが、戦争が終わり、「War Departemnt」が鶴見さんの「証拠品」を必要としなくなった際に、日本語の書籍をイェンチン・ライブラリーに委託したものが、所蔵一般図書として棚に並ぶことになったのだと思われます。そのため、「鶴見俊輔旧蔵書」といった形でまとまって保管されているのではなく、ジャンルごとにバラバラの棚に収められ、今でも他の本と変わらない「一般図書」として普通に貸し出されています。

私は発見することができた「鶴見旧蔵書」のタイトルをメモにとり、署名部分や下線が引かれたページなどのコピーをとって日本に持ち帰りました。そして、そのコピーを持って京都新聞の記者の方と鶴見さんのご自宅にお伺いしたのです。そのときの様子は京都新聞で記事になっています。

そんな偶然の発見でお目にかかった鶴見さんですが、大変光栄なことに拙著『中村屋のボース』を読んでくださっており、「あなたは竹内好と橋川文三を継ぐ仕事をしなさい」という言葉をかけてくださりました。

その後、鶴見さんからお声を掛けていただき、「思想の科学」主催のシンポジウム「竹内好が残したもの」に参加させていただきました。そのときの記録は『アジアが生み出す世界像-竹内好が残したもの』(SURE)として刊行されています。

鶴見さんと私は年の差53歳。

鶴見さんがボースやパール判事、タゴール、そして近代日本の思想家たちをどのように見ているかが分かる対談になっています。是非、お読みください。

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