小林よしのりさんへの返答(2)

『正論』11月号の小林さんの論考について、取り急ぎ、返答します。
論考の前半部分は、以前の『SAPIO』掲載の「ゴーマニズム宣言」と同様の批判なので、「返答」は繰り返しません。9月5日の本ブログの記事をご覧ください。
田中正明さんの史料の扱い方についても、以前に書いた通りです。田中さんの編集した史料については『松井石根大将の陣中日記』をめぐる「改竄」問題が歴然と存在するため、研究者としては慎重に扱わざるを得ません。この点は、読者の方々にもご理解いただきたいと思います。
ただ、私は田中正明さんの思想遍歴に関心があります。田中さんは「アジア主義研究」上、非常に重要な人物だと思っています。周知の通り、彼は戦前期に松井石根の秘書を務め、大亜細亜協会の機関紙の編集を担当していました。彼のアジア主義は、戦後、世界連邦論へと発展し、核兵器廃止や戦争放棄を訴えます。これは彼がもう一人の師と慕った下中彌三郎と同様の展開で、アジア主義者の本質を考える上で、重要な問題を含んでいます。この点については、いずれ論文を書こうと思っています。
さて、今回、小林さんが新たに論点として提出されている点がいくつかあります。これを大きく分類すると2点に集約されると思います。
まず一つは、「大亜細亜悲願之碑」の碑文をめぐるものです。


拙著ではこの碑を建てた本照寺の住職・筧義章の手記「パール博士の碑文−東亜殉道無名士女之碑建立顛末記」に依拠し、碑文の前半は筧の文章で、パールの文章は後半の部分のみであることを指摘しました。
ちなみに、この碑には中央に「大亜細亜悲願之碑」という文字が刻まれ、その右側に?、左側に?が刻まれています。
?
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
?
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
このうち、?の部分は筧の文章で、?のみがパールの書いた文章です。
筧の手記は、箱根のパール下中記念館に現存します。どこかの雑誌に掲載された手記で、その掲載誌をいろいろと調べたのですが、残念ながら私の力では判明しませんでした。そのため、参考文献リストでは「出典不明」としましたが、文章は確実にパール下中記念館に保存されています。小林さんはパール下中記念館所蔵の史料を閲覧・調査なされていないのだと思いますが、是非、箱根まで足を運んでいただければと思います。私の手元にはコピーがありますので、何らかの形で公開できればと思います。
パールの碑文は、もともとベンガル語で書かれ、それをA・M・ナイルが英語に訳しました。その両方の文章が碑文には刻まれているのですが、その英文は以下です。(ベンガル語はフォントの問題で省略します。)
For the peace of those departed souls who took upon themselves the solemen vow at the salavation ceremony of oppressed Asia, “OH! Lord, thou being in my heart, I do as appointed by you”
このように、パールの署名が入った英文は?の部分のみで、ベンガル語の文章も?の部分のみです。これは碑文を見学に行けば、一目瞭然です。読者の方々も、広島に行かれた際には、是非、本照寺を訪れてください。あるいはインターネット上に碑文の写真を公開されている方が何人もいらっしゃいますので、ご覧いただければと思います。
ご指摘の2点目は、私がパールの文章を都合よく引用しているという点です。特にパールが「欧米にこそ責任がある」と指摘した点について、私が引用を故意に避けていると論じていらっしゃいます。
例えば、小林さんは、「大東亜」戦争や「日本が軍国主義に向うに至った諸事情」についてのパールの見解を、私が「わざと無視している」とされていますが、拙著ではこの点も明確に記述しています。
拙著の156頁から161頁の「帝国主義の時代」という節と、161頁から164頁の「日米開戦への道」という節をご覧いただければ幸いですが、例えば日米開戦については、次のようにパールの見解を要約しています。

「パールは日米開戦について日米双方に責任があるとしつつ、アメリカ側の強硬な外交姿勢にこそ、より重大な責任があると指摘した。」(164頁)

小林さんが論考の146頁以下で指摘されている「人口問題」についても、次のように要約・記述しています。
アメリカは「世界経済を独占し、いかなる新興国家の発展をも、締め出してしまうような性格」を有している。国内に深刻な人口問題を抱え込んだ戦前の日本は、アメリカとイギリスによる世界経済秩序から排除され、それを暴力的に破壊しようとする道を選んだ。第二次世界大戦後の世界は、このような支配体制に対する深い反省の上に立たなければならないにもかかわらず、同様の過ちを繰り返そうとしている。サンフランシスコ平和条約は、そのようなアメリカの覇権主義と「偽善」によって構成されている。(228頁)

パールの主張で重要なものと判断した箇所について、私は意図的な「無視」などしていないつもりです。枚数の制限がある中で、できる限り丁寧に紹介することを、まずは心がけました。
もちろん、これには限界があります。私が見逃したり、特に強調しなかった点はいろいろとあるでしょう。しかし、可能な限り公正に、自分の考えとは異なるパールの主張でも引用したつもりです。(例えば、私は彼の「非武装中立」論には、全面的に賛同することはできません。「通例の戦争犯罪」についての論理展開にも、疑問と異論があります。)
読者の方にお願いしたいのは、拙著の全体を丁寧に読んでいただきたいということです。その上で、「誹謗」や「中傷」ではなく、論理的な批評をしていただければ幸いです。
小林さんは、これまでパールの「世界連邦論」や「再軍備反対」、「非武装中立」、「絶対平和主義」などについて、全く触れてこられませんでした。この点は、どうお考えなのでしょうか? パールの主張の骨子を「無視」してきたのではないでしょうか?
当然のことながら、「何かを表現する」という行為は、常に「何かを表現しない」という行為と背中合わせにあります。表現する主体が存在する以上、それは表現する人間の主観性に規定されるという限定が常に付きまといます。この点は、小林さんも明確に認識なされた上で、言論を行っていらっしゃるのだと思います。
小林さんが、パールの全体像を提示し、議論してくださる日を待ちたいと思います。
「大東亜」戦争と保守思想の問題については、是非、機会を見てじっくりと論じたいと思います。
戦前・戦中を生きた保守思想家の田中美知太郎や福田恆存は、「大東亜」戦争に対して非常にシニカルなまなざしを向けていました。また、戦争を翼賛した人間が、敗戦後、手のひらを返したように「天皇批判」をはじめた「軽薄さ」に、彼らは人間としての「卑しさ」を感じていました。
この点については、例えば『諸君!』の創刊者・池島信平について述べたブログの文章を、ご参照くだされば幸いです。
とりあえず、今日はこのへんで。

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