久間発言

久間氏が原爆投下に関する発言で防衛大臣を辞任に追い込まれた問題。
確かに「しょうがない」という発言は、政治家の言葉としては不用意この上ない。防衛大臣としての資質を問われてしかるべきだろう。
しかし、マスコミをはじめ国民の多くは、あまりにも前後の文脈を考慮しようとせず、「しょうがない」というフレーズだけに熱狂しすぎているのではないか? 私は、久間氏の発言以上に、他者の発言をじっくりと文脈の中で理解しようとせず、一部分を意図的に切り取って集中砲火を浴びせるメディア・国民のほうが問題だと思う。
久間氏は「しょうがない」発言の手前で、「原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあった」と言及し、そのすぐ後で「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか」と問題提起している。
さらに「しょうがない」の部分も、「あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理」の仕方をしなければ、被爆地の人間としてはやりきれないという意味で発言している。決して原爆投下を肯定している訳ではない。
久間氏は、慎重さと計算高さが必要とされる政治家としては、あまりにも不用意な発言が多い。見た目も「スマートさ」からは程遠く、口調もオッサンくさい。だからバッシングしやすい。
しかし、彼の発言は、時に問題の核心を的確についている。「軽率」と紙一重の「率直さ」が功を奏して、鋭い批評を突きつけるときがある。その代表は「イラク戦争の総括」をめぐってのものだろう。
彼は今年の初めに、次のような発言をして、話題になった。
「(イラクに)核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていたと思う」
「後をどうやってうまく処理するか、処方箋がないままだった」
この発言は、安部政権の盲目的なアメリカ追随路線からの逸脱として問題視された。彼は、後日、不本意な形で釈明させられ、発言を事実上、撤回させられた。
しかし、現役の防衛大臣によるイラク戦争批判は、非常に重要な問題提起だったはずである。ハト派的信念をもつ久間氏としては、信念をもって行った発言だったにちがいない。
しかし、多くのメディアはこれを「不用意な問題発言」と捉え、政治家にイラク戦争の総括を迫る絶好の機会を失ってしまった。安部政権の組閣人事を問題視するあまり、大きな問題をスルーしてしまう結果になった。
もちろん、安倍首相の論功行賞の色合いが強い閣僚人事は問題だ。久間氏は閣僚には不適格な人物だと、私も思う。
しかし、イラク戦争の批判的総括は、彼のような素直で率直な政治家でしかできない重要な問題提起だった。せっかくの勇気ある発言を「安部政権批判」の材料に還元してしまったメディア(特にテレビ)の責任は重い。
久間氏に代わって防衛大臣になったのは小池百合子氏。
久間氏とは正反対に、政界の風を巧みに読みつつ、権力の中心人物に取り入られてきた政治家だ。安全保障問題についても、ネオコン的な強硬発言が散見される。
しかし、メディアや世論は、彼女のパフォーマンスやイメージばかりを消費し、今回の大臣交代を好意的に捉えている。
小池氏の理念や主張を吟味し、それを評価して好意を抱くなら、それはそれで一つの見識だ。しかし、今の世論には、そのような「思考」が存在しない。そこにあるのは「ムカつく」「いい感じ」といった「気分」だけだ。
参議院選挙を前にして、こんなことばかり繰り返していていいのだろうか?
メディアも国民も、いい加減にしたほうがいい。

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