国民投票法と憲法論争

本日(5月21日)の北海道新聞朝刊1面に、インタビューが掲載されています。「シリーズ評論−どう向き合う・国民投票法」の第3回で、現在の憲法論争の問題点を議論しました。
今、問題なのは、憲法そのものが論じられず、自分の立場が勝つか負けるかという象徴として、憲法が利用されている点です。改憲すれば「保守」の勝ち、護憲できれば「革新」の勝ちというように、争われているのは拠って立つ立場へのアイデンティティで、憲法そのものではありません。
こういう状況は、憲法の役割を空洞化させ、「解釈改憲」という名の「憲法からの逸脱」を助長します。これは右派の勝利や左派の勝利ではなく、国民主権の敗北です。「護憲」/「改憲」=左派/右派という二分法そのものを疑うことが、現在、最も重要なことでしょう。
「護憲派」といわれる人たちに言いたいことは、守るべきものは憲法の条文ではなく、国民の生命と安全だということです。条文を守ることに固執する余り、なし崩し的な解釈改憲を許すことは、本末転倒の結果を招きかねません。9条の精神を生かし、集団的自衛権(これは本来、他衛権とよばれるべきものです)を容認しないためにも、条文に手を加えることを考えるべき時期に来ているように思います。しかし、集団的自衛権を明文化する改正案が国民投票にかけられたならば、現行の9条を死守するという選択をするべきだと、私は考えています。
アメリカ大統領の決断を自国の憲法の上位概念としてはなりません。日本の主権を保守するためにも、現状において集団的自衛権を認めてはなりません。解釈改憲によって集団的自衛権が認められる事態になれば、その発動を禁じる条文に9条を改正するべきですし、現行の9条で集団的自衛権が認められないというのが最終的な結論になれば、日米同盟下で日本の主権を確保するために、当面、9条を守ることが現実路線だと思います。
また、明治期の自由民権運動の中から「私擬憲法案」が多く出されたように、これからの3年間で、国民の側から多くの憲法案が出されることが望ましいと考えています。国家のレベルだけでなく、国民レベルでの私擬憲法運動が展開されるべきではないでしょうか。

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