音楽師は2月に活躍(下)

音楽師は2月に活躍(下)
 正確な統計がとられているわけではないが、インド人の60%以上はB型であるという。といっても、パルシー(拝火教)やモスリムはA型が多いらしいので、ヒンドゥー教のB型となると75%を軽く超えているのではないかと思う。
 B型は目立ちたがり屋が多い。そして人に合わせることをしない。
 この性癖は、打楽器と弦楽器の2重奏の場合はプラスに作用し、演奏家の息が合って舞台ではじけた時などはとてつもない恍惚の時を会場にもたらすが、演奏家、特に同じ楽器が多くなると、皆が勝手なことをするため、収集がつかなくなる場合が往々にして多い。このため、インド音楽のオーケストラは非常に難しいとされている。
 にも関わらず、カタック・ケンドラはその偉大なるポリシーにより、タブラ5重奏やシタールとサロード、サーランギーの6重奏などとんでもない催し物を過去数度、行ってきた。今までは、同校で最も存在感のある音楽師が中心になってオーケストラを無難にまとめ、何とか成功を収めてきたが、毎回同じものをやるわけにはいかない。今年はまた新しい試みで、タブラとパカワジ、ガタム(壺)、タンバリン、南インドの打楽器の競演、そしてサーランギー5重奏と歌というものが行われた。
 
 打楽器演奏は初めての人でも、太鼓を聞くのと同じ要領で「これは凄い!」とよくわかるが、旋律楽器の演奏、特に、馴染みの薄い不思議な音色のサーランギーは、どれも同じに聞こえてしまう。自分が好きか嫌いかという判断以外は何をどのように評価していいのか全くわからず、ついつい眠くなってしまう。シタールであれば、(観客が眠そうだなー)と、演奏者が強烈なジャラをサービスしてくれるので、「おおっ!」と自然に目が開くが、弦がより複雑な構成であるサーランギーでは強烈なジャラを聞くことはできない。このせいか、数十分も続く不可思議なサーランギーの音色の不協和音(…に聞こえる)は退屈を極めるのだ。
 ラーガが何だ、掛け合いが何だ、ああとにかく眠い、ふぁ〜、リチャード・マークスのラブソングが聴きたいわ〜、あの詩がいいのよね〜、女心をくすぐって、ね〜、などと、となってしまう。
 このような時、私は演奏者の観察をすることにしている。
 デリーで一番設備が良いとされているカマニ大劇場を埋め尽くす観客は殆どが、出場する音楽師とカタック・ケンドラの生徒&家族&親戚で、皆、音楽師の誰と誰が仲がいいか、誰と誰が犬猿の仲か熟知しており、敵の演奏になると無視を決めるが、身内のソロパート演奏になると拍手を一斉に行う。たいへんわかりやすい。
 つまり、1人が盛大な拍手をもらうと、「なにぃ!こんなんで拍手を貰いやがって!」と、日頃から反目している演奏家の目が爛々とし、渾身の思いで、知りうる限り最高のテクニックを使ってジャラジャラジャラッと弾く。そうすると、「俺だってこれくらい弾けるわいッ」とやはり敵対する演奏家が知りうる限りの最高のテクニックを使って、ジャガジャガジャガッと弾く。そうするとまた別の演奏家が「小生意気な!インディァナンバルワンっていうのはどういうもんか見せたるわいっ」とブイ〜〜ンジャガジャガジャッッ!と決める。…という具合にどんどん演奏家がヒートアップし、舞台が白熱の様相を呈し、観客は息を飲む。
 まさに勝ち負けの世界だ。
 「芸術」が「勝ち負け」の世界なんて…。
 絶対違う、芸術性とは、真の芸術とは、人間の心が作り出す現世で最高の、至高の、究極の…云々などといってもそんなものはここには通用しない。そういえば、世阿弥も花伝書に記していたではないか。「勝つ」ことが重要、勝つために相手の気を見よ、と。
 そうか、インドは、数百年前の日本を想像しながら音楽が楽しめる国であったのだ。う〜ん、新しい発見だ。
 …という風に、カタック・マホツヴァはいつも新しい発見があり、たいへん楽しめる内容になっているので、初めてインド音楽を聴いてみたいという方には是非訪れて欲しいと思う。
 (もちろん本格的なインド音楽が聴きたい人には決してお薦めできるものではない)。
 
 来年の音楽師競演はどのような趣向で行われるのだろうか…。今からとても楽しみである。
 
(注:カタック・マホツヴァは例年1月の終わりから2月の始めにかけて、デリーで行われる人気のフェスティバルである)。

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ラージャスタン2

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先ほど選んだ写真はお城の外からのもので、電線などが顕わになり、生活がにじみ出ているものであった…(反省)。
こちらの写真は城塞の門から入ってまっすぐ行ったところ。
朝夕は女性達が、数時間かけて箒と水を用いて掃除をする。
かなり綺麗にしているので、近郊のムスリムの村から働きに来ている女性達なのかもしれない。

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ラージャースターン

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インドの憧れの地といえば西方ペルシャとの繋がりを、今でも垣間見ることの出来るラージャスタン地方。
ジプシーの発祥の地でもあり、鍛冶や工芸の秀でていたと言われる彼らの足跡を見たような気分にさせてくれる。
スペイン〜ダマスカス〜インドの建造物がその装飾技術において似通っていることに、古代からのユーラシア大陸から西欧諸国までのジプシー達の流れを関連づけてみると、何かしら符号があわさったように感じるのである。
今回訪れた場所は、ラージャスタンは西方ペルシャとの交易ルートナンバー2であったジャイサルメール。(ナンバー1のカシミール地方へは、女性一人旅は現在、危険なので訪問を断念)
黄金の都市と謳われるジャイサルメールはしかし、数十年前までは住む人もまばらであったという。
19世紀、海洋交易が盛んになって忘れ去られた街はしかし、印パ分離後、国境を守る軍の中継点として、そして北方の楽園、ジャムー&カシミールに代わる新たな北インドの観光地として、見事復興した。
観光に相応しい時期は9月から3月まで。
私が行ったのは、4月半ばでかなり暑かった(最高気温42度くらい?)が、デリーとはさほど変わらず。
むしろ、観光客が少なく、1人の時間を楽しめたので、暑ささえ気にしなければお薦めの時期といえる。
もっとも、暑さ馴れしていない日本やヨーロッパからの旅行者であれば、避けた方が良い季節ではある。
写真はジャイサルメール城塞内のお城。
中世のヨーロッパ(スペイン)を連想させる外観。
内部は、当時の人々の身長に合わせた造りなので、階段などはヨーロッパのそれと違い、狭くて天井も低いが、各部屋の造りは、城塞内の家々に較べるとたいへん立派である。

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Lucky

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 アイシャーワリャ・ラーイといえば、世界一の美人女優として今や知らない人のいないトップ女優である。ミス・ワールドのタイトルを取得後、モデルから女優への転身を試み、数年間の下積みの後にトップスター:サルマン・カーンと共演した映画が大ヒットして、一躍スターダムに駆け上がった。以降、国内において絶大な人気を保ち続け、最近は海外でも人気を博している。とはいえ、世界の人々は常に、彼女の「超インド的美しさ」を褒め称えており、必ずしも女優としての資質を評価しているわけではない。
 「アイシャーワリャ」はヒンディー語で「栄光・有名」を意味する。「ラーイ」は、17世紀に栄えた西北インドの王宮のハーレムに仕えた踊り子(高級遊女)達が使用していた苗字と同じであることから、このカーストの末裔ではないかとも言われているが、真為の程は定かではない。注1
 彼女のモットーは「清廉潔白」、「高貴」、そして「純潔」である。過去の作品を見ると、足を出すことはもっての他(腹部は出しても良い)、過激なラブシーンや露出度の高いコスチュームは極力抑え、踊りの振り付けも、性を意識させるようなものは殆ど無い。聞くところによると、映画の試作版ができあがると、母親と一緒に、「見せても良いシーン」をチェックしているのだという。彼女達の美意識に合わないシーンは全て、新作封切り前にカットされているのだ。
 さて、人気は続いているものの、彼女もすでに30歳。女優としてはこれからのっていく時期であるが、若手人気俳優との共演は難しくなってきている。
 昔トップ女優で、現在は映画製作のマネージメント方面で活躍するジュヒ・チャウラは言う。「恋愛映画にはいつも、若くて個性的なニュー・フェースが欲しいわ」
 とはいうものの、新人を主役級に抜擢することは、国内で興業収入を上げる上でたいへん難しい。何故ならば、観客動員数は、社会問題をとりあげることや、脚本に人気作家を迎えることで上がるわけではなく、出演するスターの個性やオーラに左右されるからである。
 そこで期待されているのが、スネーハ・ウッラル。先々週封切られたLuckyで鮮烈なデビューを飾った現在18歳の、アイシャーワリャ・ライによく似たインド美人である。世界に認められる美しさを持ち、しかも若いとなれば、話題性もあり、「ドル箱スター」になれる可能性を十分持っている。
 ことの起こりは、アイシャーワリャにふられた後も、彼女をいまだに想い続ける究極の色男、サルマン・カンの妹が、アイシャーワリャによく似ているスネーハを大学で偶然見たことから始まった。彼女は兄のサルマンに報告、期待に胸を膨らますサルマンの話を受けた映画ディレクターが、スネーハにラブ・コールした。最初は疑っていたスネーハも、サルマン自身から電話をもらい、すったもんだの上、最終的にサルマンとの共演を承諾したという。
 現在大学生で、溌剌としたスネーハは、開けっぴろげな屈託のない笑顔を見せる天真爛漫な女性である。謎めいたアイシャーワリャとは対極的だ。牡羊座だろうか。
 「アイシャーワリャ・ライと似ていると言われるのはもちろん嬉しいわ、でも比較しないで欲しいの。だって彼女は素晴らしいキャリアを持っていて、私はまだ始めたばかり。私は私、誰の真似もしないわ」
 若くして意志を強く持つスネーハの好みの男性は、クリケット選手のザヒール・カン。
 サルマン・カンの淡い恋心の炎は、スネーハにはなかなか届かないようだ。
注1)中世から近世にかけて、王族に仕える高級遊女達はたいへん地位が高く、スター的な存在であった。

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タージマハル

 1983年に世界遺産に登録されたタージマハルは、時の皇帝シャー・ジャハンが愛妃ムムターズを偲び、1632年から約22年の月日をかけて建設した霊廟である。後方にヤムナ河を望む白亜の霊廟に用いられた白大理石は全て、ジャイプールから運ばれ、1日に約2万人が建設作業(主に彫刻)に従事したという。
 壁面のアラベスク模様の浮き彫りや透かし彫りなど、細部まで凝ったタージマハルは、その壮麗さにおいて、他のインド・イスラム建築の追随を許さない。
 今年はタージマハル建設350周年を迎える。
ウッタル・プラデーシュ州では2,500万ルピーを費やし、州を挙げて、インドの誇る世界遺産の宣伝に努め、毎年2月に行われるタージ・フェスティバルでも国内各地から大御所アーティスト達を呼び集めて盛大に祝った。火事などのハプニングもあったが、おおむね成功に終わったようだ。
 さて、この素晴らしき文化遺産であるが、地盤沈下により、少しずつ霊廟の台座が沈み、その完璧な形が崩壊し始めているらしい。
 これは、1942年、CPWDによる調査により明らかになったことで、タージマハルの大理石の台座がヤムナ川方向に傾斜し、霊廟を取り囲む4本のミナレットは、北西ミナレットで1.4”、北東ミナレットで1.98″、南東ミナレットは4.5″、南西ミナレットに至っては8.5″傾いているという。台座の北側は南側より1.44インチも低い。
 このショッキングな報告を受けて、インド考古学研究期間(ASI))は、霊廟の床に104の水準基準点を設置、毎年観測を行っている。
 「何も異常はない。タージマハルは全く完璧である。」と、ASIのC.B.ラジブ局長は、タージ崩壊説を一蹴しているが、データの提出に関しては極力避けており、また一方で、地理学研究所とセントラル・ビルディング・リサーチ大学に調査を依頼していることが、タージ崩壊説にかなりの信憑性を与えている。
 UP政府は2002年11月、タージマハル350周年記念に向けて、霊廟の観光環境をさらにグレードアップさせようと全長1.5キロメートルのタージ回廊の建設を始めた。翌2003年1月、UNESCOとICOMOSからの調査団がインドを訪れ、タージ回廊建設がヤムナ川の水路を変え、川床の土壌の湿度を変化させ、タージマハルの基礎土台に影響を与えることを警告、タージ回廊建設計画は破棄された。しかし、すでに作られた堤防は撤去されることなく、ヤムナ川の水路、及び地下水の水圧を変化させ、霊廟の沈下をさらに加速させている。
 もともとタージマハルは建設された当時から、完璧なものでは無かった。
 1652年、ムガル帝国のオーラングゼブ皇帝が書いた、父シャー・ジャハン前皇帝への手紙に「雨季にタージマハルのドーム部分から雨漏りが生じ、2階に亀裂を生じさせている」とあり、技術者が石灰岩で屋根を覆うことを提案、しかしながら複雑な政治状況の下、実行されることは無く、英国統治時代に大きく補修が行われたという。
 UP州は政権が交代した後、いまだ調整機関に入ったままで、タージマハル補修には具体的な政策は施行されていない。複雑な政治状況下、世界遺産のメンテナンスには現状維持を決め込んでいる。
 CBラジーブ局長は「タージマハルはASI単独で管理できるものではない。州政府、そして国外のリサーチ機関の協力が必要だ」と主張しているが、その声は虚しく響いているようだ。

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栄光の時代・女優パビ

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 2001年公開の映画「ズベイダー」は、上流階級の一人娘に生まれたズベイダーが、父親が決めた男性と結婚し、男児を出産するが、印パ独立を機に離婚させられ、子供を手放すことになり、その後、運命に翻弄されていく物語である。「女性は、結婚する前は父、結婚してからは夫に従わなければならない」という上流階級の掟に反発し、自由を求めて生きようと葛藤した女性・ズベイダーを、当時のドル箱スター・カリシマ・カプールが熱演して大きな話題となった。
 映画中、離婚させられたズベイダーを元気づけようと、やはり上流階級出身の大女優が華やかな装いで、彼女をポロやパーティーなどあちこち連れ回すシーンがある。マハラジャの力が強かった古き良き時代の美しい人々の華やかな暮らしぶりがたいへん印象に残るシーンであるが、数十年後、ズベイダーの軌跡を求めて彼女の息子が元大女優を訪問したときの落ちぶれようもまた、深く印象に残った。
 裏びれたアパートで化粧気も無しに1人寂しく暮らす往年の元大女優は、今年1月23日に逝去した女優 パルヴィーン・バビを彷彿させる。
 パルヴィーン・バビは1970年代に一世を風靡したアーメダバード出身の女優である。
 60年代は卵形の顔立ち、可愛らしい丸い瞳、柔らかな唇、甘い声、黒髪、可愛らしく歌い踊って思い切り泣く「可愛い子ちゃん女優」がもてはやされていた時代であったが、時代と共に美の基準は変わっていく。
 大衆が70年代に求めた新しいヒロインは、四角い輪郭の顔、意志の強い光を放つ瞳、謎めいた微笑、ハスキーボイス、茶髪と煙草の似合うセクシーでゴージャスな女性像であった。
 バビは70年に「Charitra」でデビューした。ヒットこそしなかったものの、今までとは違ったキャラクターとそのスター性に映画業界が注目し、出演依頼が殺到した。出世作は大スター;アミタブ・バッチャンと競演した「Deewar」(75)。アミタブ・バッチャンとは共演作を8本作り、「Namak Halal」(82)まで栄光の時代を作る。
 その後、彼女はイメージを変えようと試みるが上手くいかず、86年の「Abinash」で引退、飲酒やドラッグに走り、映画監督や俳優と浮き名を流し、ゴシップ記事の女王となり、単身アメリカへ飛ぶ。帰国後はラブ・アフェアの相手であったアミタブ・バッチャンを提訴、90年代の半ばには「私に対して(国際的に)陰謀が行われている」とマスコミに訴えて周囲を混乱させた。彼女と仲の良かった友人は、「精神に混乱を来している」と言って1人、また1人と去っていった。
 97年に洗礼を受けてクリスチャンとなったバビは、母親と共にムンバイ郊外の広く瀟洒なマンションに暮らしていたが、ただ1人の良き理解者であった母が2002年に死去した後は、1人でひっそりと暮らしていたという。
 「ズベイダー」に出てくる大女優とは違って、裕福さを持続させたバビは多くの遺産を残した。バビの死後、それまでは近寄りもしなかった親戚や遠縁らが遺産相続の件でムンバイに殺到しているという。
 若くして、時代のカリスマとなった女性は、往々にして愛に溢れた生活に縁遠い傾向がある。
 60年代に一世を風靡したマドゥバラは、20代後半からアルコール依存症になった。
 80年代に栄光の時代を作った大女優、レーカーはアミタブ・バッチャンと大恋愛関係を築くが報われず、現在、1人で大邸宅に寂しく暮らしている。
 90年代後半から栄光の時代を作り、現在に至るアイシャーワリャ・ラーイーはサルマン・カンとのラブアフェアが壊れて以来、あまりぱっとしない。
 美しく聡明なアーシュには、キャリアだけではなく、女性としても幸せになって貰いたいものだと思う。 

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春の祭

 2月から3月にかけては、春を祝ってのお祭りが多い。
 芸術と学問の神様であるサラスワティー女神のお祭りは今年は2月13日、国内の各学校ではお祝いの会が開かれ、生徒達には果物やミターイー(インドの甘い菓子)が学校からふるまわれる。生徒達はマントラを唱えた後、サラスワティー女神を讃えるサンスクリットの詩を斉唱し、祝福の花弁を大事に持ち帰って自宅の祭壇に祀り、今後の学問や芸事の上達を祈る。
 これに続くのはシバ神を讃えるシバラトリーで、今年は3月8日。
 シバ神は破壊の神であるが、同時に創造の神である。ナタラージャ、シャンカラなどの別名を持ち、それぞれ踊りの神、善の神として広く知られている。またその他にも、オームカラー(原初音「オーム」の創造神)、ルードラー(悪魔を破り、人々を悲しみから解き放つ勇猛な神)、ニールカンタ(世界の破滅を救うために毒を飲んだ、勇敢で慈悲深い神)、トリムカー(「創造」、「維持」、「破壊」の3つの性質を併せ持つ神)、アルダナーリシュワラ(両性具有の性質を持つ神)として、国内で広く信仰され、日本では不動明王として修験者から絶大な人気を誇っている。
 言語上、「シバ」は「無」を意味する。
 今から3〜4千年以上も前のヴェーダの時代、人々は神に、「神よ、あなたの御手で私を殺してください。そして私を受け入れてください。」と祈った。世界が最も暗くなる新月の夜、人々は、人間の持つ限られた力を脱し、創造主がその手に持つ「無の世界」、即ち宇宙に帰属できるよう、祈りを捧げたのである。
 シバ信仰はインド国内で全く衰えることなく続き、21世紀の現代、シバラトリーの日には、国内各シバ寺院では参拝者で大混雑の様相を呈する。既婚女性達はシバ・リンガル(多産の象徴)にミルク、ヨーグルト、蜂蜜等をかけ、家内幸福を祈り、また、シバ・リンガルに祈ると素晴らしい良縁に恵まれるということから、未婚の女性も多く参拝する。敬虔な人々はこの日、断食を行い、貧しい者に食事を振る舞う。
 さて、3月を締めくくる北インド最強の祭りは「ホーリー」である。今年は3月25日、人々が熱狂する「色かけ」は26日、朝9時頃から始まる。
 ホーリーに先駆け、各マーケットでは1週間ほど前から店頭でけばけばしい色の粉末が置かれ、人々は先を争って購入する。田舎町では緑、黄色、赤色以外の色を手に入れることができないために、他の色を手に入れるべくわざわざ街まで出てくる若者もいる。2-3日前からは少年達が水風船を通行人(特に若い女性)にぶつけたり、大学では、男子学生が女子学生をイブ・ティージングしたりするので、女性は夕方以降、あまり外に出ない方が賢明だ。
 色かけが終わった後、人々は色がついた格好のまま、酒(のような飲み物)を飲み、大はしゃぎにはしゃいでホーリーを終える。朝から作っておいたご馳走で腹を満たした後は、楽しい家族団らんを迎え、暑さを多少感じながら、夢路に急ぐ。
 北インドの寒い冬を終えて迎える春。
 その後にすぐに訪れる酷暑の後、モンスーンが今年も良い感じで訪れることを祈りながら。
 インドは農業立国であるのだ。

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音楽師は2月に活躍

 2月は、北インドが音楽舞踊祭で賑やかになる月である。
 因みにデリーでは、ウッタル・プラデーシュ州で興った北インド古典舞踊・カタックの舞踊祭「カタック・マホツヴァ」(国立演劇舞踊学校カタック・ケンドラ主催)とヴァサンツヴァ(カラシュラム・インド芸術学院主催)が行われ、カタック舞踊ファンには堪えられない毎年の恒例行事となっている。
 ヒンドゥスターニー音楽は、グンダースやITC主催で超大御所を呼んでのプログラムが、やはり2月に行われる。
 インド音楽を聞き慣れていない一般の人々にとって、ムガール時代に花開き、哲学的で難解な理論が系統づけられ、理解するのが非常に難しいとされるヒンドゥスターニー音楽(しかもものすごく長い)を途中、寝ずに聞くことは、最初はなかなか難しい。
 「初めてのインド音楽」でも容易に理解でき、短めの時間でヒンドゥスターニー音楽の醍醐味を楽しみたい場合(ただし、ライト・ヒンドゥスターニー)は、前述のカタック・ケンドラ主催の「カタック・マホツヴァ」の鑑賞がお薦めである。
 カタック・ケンドラにはお抱えの音楽師(タブラ、サーランギー、ヴォーカル、シタール、パカワジ、フルート)が24人在籍している。
 通常、これらの音楽師が授業中、師匠(グル)と生徒の横で踊りの伴奏をするわけであるが、旋律楽器系はひたすら一定の旋律を奏で、打楽器系はグルの言うボール(口三味線)を忠実に叩かなければならない。リズムが0.1拍子でもずれると、グルのヤジが飛び、生徒は踊りをやめる。音楽一家に生まれ、数十年も仕事として続けているのに、踊りを始めて3年そこそこの生徒から「ほんとにまったく、ダメね」という目で見られるのはたいへんな屈辱であろう。
 舞踊伴奏の音楽家に求められるものは、ヒンドゥスターニー音楽を本職とする演奏家に必要とされる即興性や芸術性ではなく、職人芸である。彼らは、本職ヒンドゥスターニー音楽家に較べると地位が低く、当然の事ながら貰えるギャラも少ない。当然、不満が溜まり、やる気を無くしてプログラムではたらたらと弾くことになる。将来はプロの音楽家に、と生徒が頑張るお隣のガンダルバ(音楽学校)と較べて、なんと情けないことか…という感じだ。(とはいっても国立学校に採用されているのだから演奏はトップ・レベルである)。
 この傾向を払拭させなくては、と思ったかどうかは知らないが、伴奏音楽家のプロフェッショナル意識を養おう、と企画されたのが、3-4年前からのカタック・マホツヴァでの「ヒンドゥスターニー音楽演奏」である。学校のお抱え音楽師の底力を見せるという主旨だ。
 これによって、それまでは「学校のシステムが悪い」とか、「ポリティクスが蔓延している」とか言ってたらたらと毎日を過ごしていた音楽家達がしゃきっとした。
 誇り高いヒンドゥスターニーの血を見せようではないか、とプロ意識を目覚めさせたのである。
 国立舞踊学校お抱えの伴奏音楽師によるヒンドゥスターニー音楽の競演は、今年は、打楽器オーケストラ、そしてこれまた珍しいサーランギー・オーケストラというものであった。 (続く)
タブラ:木の胴に皮をかぶせたタブラと金属の胴に皮をかぶせたバヤンの一対の打楽器
シタール:ペルシャのアミール・フスローが考案したといわれる女性的な音色を特徴とする弦楽器
サーランギー:ラージャスターン地方が発祥とされる弦楽器。独特な音色
パカワジ:樽型の太鼓の両面に皮が張られた打楽器

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