探偵小説イムラーン・シリーズ

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アガサ・クリスティは トランジットでカラーチーに立ち寄った時に、こう語った。
   −−ウルドゥーは知らないけれど、亜大陸の探偵小説のことは聞き知っている。ただ1人オリジナルの作家がいる、その名はイブネ・サフィーと。
イブネ・サフィーは、1928年イラーハーバード近郊生まれの作家アスラール・ナルヴィーのペン・ネームだ。かつての彼は文学少年で、遊びに行ったふりをしては父親の蔵書を読み漁っていたそうだ。7年生の頃から作家としての頭角を現し、雑誌へ執筆。カレッジに上がる頃には、詩人として知られる存在になっていた。印パの分離独立があったため、しばらく創作活動が滞ったが、1948年から風刺ものを執筆した。

彼の息子が書いたエッセイによると、1950年前半、ウルドゥー語のフィクションは停滞気味だったそうだ。性的要素が含まれていないと本が売れないというのが定説だったそうだ。彼は、新しいジャンルを生み出すことにより、定説を覆すことを思いついた。早速彼は「イブネ・サフィー」(サフィーの息子、の意味。サフィーは父親の名サフィーウッラーから。)というペンネームを使い、探偵ミステリー小説を書き始めた。こうして1952年に、ニカト・パブリケーションから出版されたのがジャースースィー・ドゥニヤー(スパイの世界)シリーズだった。イブネ・サフィーがパーキスターンに移住した後の1953年からは、イムラーン・シリーズも始まった。

最初は西欧の探偵ものからアイデアを拝借してシリーズを始めたようだが、彼の探偵ものは予想以上に大ヒット。教養のある先生も、ビジネスマンも学生も、肉体労働者も主婦もそろって書店に詰めかけ、イブネ・サフィーの最新作を求めたそうだ。中毒性があるほど面白いのに品があり、家族全員が安心して読めるのが彼の作品の特徴だった。ピーク時には、月に3〜4話も発表した。が、仕事のストレスのせいか1961年に精神分裂症を患い、執筆を中止。3年間なにも書かなかった。しかし1963年に奇跡的に回復した彼は新作を発表。これがまた本の売上記録の歴史を塗り替えるまでのヒットとなった。彼は生涯合計で254話の探偵ミステリー小説を残した。
残念なことに、探偵ミステリー小説のジャンルは、正統派文学には入れてもらえず、文学批評家もイブネ・サフィーをほぼ無視してきたそうだ。インティザール・フサインは、イブネ・サフィーのことを『読んだこともないし、特別重要人物だとも思わない』と言い放ったとか。ただ、ゴーピー・チャンド・ナーラング博士や、ジャーヴェード・アフタルは、イブネ・サフィーのファンであることをカミングアウトしているそうだ。パーキスターン政界のトップにも愛読者が多く、イブネ・サフィーは諜報機関にアドバイスをしたこともあったとか。

人気作家ではあったが、イブネ・サフィーは謙虚で寛大な人物であった。彼が執筆活動から遠ざかっていた3年間、偽物のイブネ・サフィーが現れてイムラーン・シリーズやジャースースィー・ドゥニヤーシリーズ作品を書いていたことがあった。だが、彼は訴えたりしなかった。かえって『私の作品を真似することで彼らが生活費の一部でも稼げるのなら、それは光栄なことだ』と語っていたという。また、ある出版社が勝手にイブネ・サフィーの本を売りだしたので、周りが訴えるように勧めてきたことがあった。イブネ・サフィーは出版社を訴えてはみたのだが、その出版社の家族の窮状を目のあたりにしたらいたたまれなくなり、すぐに訴えを取り下げ、しかも家族に資金援助もしたと言われている。

イブネ・サフィーの作品は、インドの現地語に翻訳されて各地で売られていたらしいが、なぜか英語版はなかった。ところが最近英訳本『The House of Fear』がランダムハウス・インディアから出されたので手に取ってみた。

1冊の中に、イムラーンシリーズが2話収められていている。第1話目は書名ともなっているHouse of Fear。オリジナルでいうところのKhaufnaak Imaaratだ。持ち主が転々としている謎の廃墟で死体が見つかる。死体には等間隔で、しかも深さが同じの刺し傷があった。イムラーンは時には敵のアジトに突入したり、間一髪の取引をしながら事件の真相を掴んでいくという話。

2話目はShootout at the Rocks。オリジナルのタイトルはchattanon mein fire。手違いで受け取った重要書類のせいで国際的なマフィアに脅迫を受けている大佐の話。イムラーンが送り込まれたものの大佐は行方不明となり、大佐の娘も誘拐されてしまう。解決は絶望的に思われたが、イムラーンはすべてを心得たかのように大佐救出に向かうという話。

すべての事件を推理するのは、主人公のイムラーンだ。実はMSc、オックスフォードで犯罪学のPhDを修めているのだが、始終トンチンカンな言動をして周りの人を嫌がらせるという設定になっている。あまりにもとっぴょうしもない言動が続くので、最初は読み続けるのが疲れた。ひょっとしたら、このはずしぶりが印パの読者にとって面白いのかもしれないが、映画ならまだしも、読み物だとばかばかしくなって放りたくなる。でも読者にもどかしさを感じさせておいて、最後に痛快さを味わわせるというのが、この小説の最大の醍醐味のようである。

イムラーンは諜報機関の一員でも刑事でもない。なのに、すべてを彼の頭脳で解決してしまう。それでいて自分の名前は極力伏せ、功績を他人に譲ってしまうというのがクールである。廻りの賞賛に対してはバカを装った顔をして応える。この探偵ミステリーシリーズの中の一番のミステリーが、イムラーンなのかもしれない。

イムラーンは、ジェームズボンドばりに小道具も用いる。お腹を押すと口が開いてガスを発射するというゴムの人形をポケットに入れているようだ。だがボンドのようにお酒やタバコはたしなまず、ただガムだけを噛む。暴力を見ると自分の頬をピシャリと叩く彼は、平和を愛し、法律を順守し、国を愛する、子供たちにとって教科書的存在だ。

イブネ・サフィーがもともと詩人なだけあって、小説には詩も引用されている。ガーリブの詩の英訳にあたっては、翻訳者はコロンビア大学のプリチェット先生から許可を得て、Webサイトから訳を拝借したそうだ。

翻訳者は、ウルドゥー語独特の言い回しに関しては、意訳してしまわず直訳し、下に注釈を付けている。たとえば夕食に鶏肉を調理するかヤマウズラを調理するか尋ねられたイムラーンは「Half titar, half batair」などと答える。下の注釈で訳者は読者に、ウルドゥーにはAadha titar aadha batairという表現があって、意味はアンビバレントなこと、また混血児を意味するのだと教えてくれる。この他、Ghas khana(理性を失う)、Doobtay ko tinkay ka sahara(溺れる者は藁をも掴む)の説明があり、勉強になった。

印パ世界になじみのない読者にとっては、フクロウが意味するものの説明や、Murgha banana(しゃがんで膝をかかえた姿勢で両耳をつまむ、ポピュラーな体罰のこと)の説明が理解の助けになったのではないかと思う。

1950年代の作品とあって、1940年代のボリウッド俳優の名前も出てくる。また、Bis Hazar と呼ばれている木綿の布があったらしく、興味深かった。

ところで大衆に人気のあったイブネ・サフィーの作品、忘れ去られるどころか、ネット世界でなおも健在のようである。上述のKahfnaak Imaratと、Chatanon mein fireのウルドゥーがネットで簡単に閲覧できることを知った。
正統派文学者から無視されてきた、されどウルドゥー文学の新しいジャンルを切り開いたイブネ・サフィーを知るためにも、これを機に英訳やウルドゥーに目を通してみるのはいかがだろう?

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2 Responses to 探偵小説イムラーン・シリーズ

  1. ghalib says:

    おもしろそう! なかなかいいものを発掘したね。胎教にもいいかな?

  2. kahkashaan says:

    学生にとって、良い読み物となりそうです。
    イブネ・サフィーのオフィシャルWebサイトもあり、表紙の画像等が掲載されています。
    http://www.compast.com/ibne...

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