声だけ映画出演

アルカカット氏が出演しているヒンディー語映画『Pan Singh Tomar』の公開が遅れている。2月公開予定と聞いていたが、ついに4月になってしまった。そんなある日、アルカカット氏が『今日、アフレコに行ってくるよ』と言い出した。映画撮影後の音声のダビング作業が今頃行われることになったらしい。
映画の撮影自体はムンバイで行われたが、ダビングはデリーで行われるらしかった。監督およびスタッフがデリーに来ているらしいので、私もダビングに同行させてもらうことにした。
ダビングの会場は、我が家から近いCRパークにあった。指定された住所にたどり着いてみると、そこは普通の民家だった。部屋番号を教えられていなかったので、民家のベルを適当に鳴らしていいものかどうか途方にくれてしまった。アルカカット氏と共演している日本人ヒロインのタジマ・ハル子さんは先に到着し、スタジオに入ってしまったらしく電話が通じなかった。なすすべがなく立ち尽くしていると、サーリーの端を頭から被った痩せたおばあさんがどことなく現れ、外に出て行った。私のことを見て、少し微笑んでいた気がした。
その民家には、半地下があった。とりあえず、そこではないかとメボシをつけて入ったら正解だった。重い扉で閉ざされた個室の中には、監督と演出と音声の技術者がいた。調整ツマミがたくさんついたテーブルがあり、画像を見るためのテレビもあった。またパソコンも置いてあり、音声担当の人が画面に表示された波形とにらめっこし、音声の編集をしていた。
個室から、窓ガラスを通じて別の部屋が見えるようになっていた。別の部屋に入っていたのは俳優達だ。雑音をなるべくカットするため、部屋の中央にこしらえられた毛布のテントに入り、録音をしていた。監督はヘッドホンとマイクを通じて、別の部屋にいる俳優に細かい指示を行っていた。
私達が到着した時に行っていたのは、男達が衝突しあうシーンの音声のダビング。「オウ、オウ!」「いくぞ」「やっちまえ!」みたいな雑多なセリフのアドリブを録音していたが、撮影された映像と見事にマッチしていて素晴らしかった。今、この密室で録音されたものとは思えないほどのリアルさがあった。
次に、銃弾に倒れた主人公の上に老女が覆いかぶさり、嘆くシーンのダビングが行われた。部屋に入ってきたのは、さきほど外ですれ違ったサーリーのおばあさんだった!彼女が訛りのある言葉で、ワワッとわめいていた。それが2テイクくらいでOKになり、さっさと帰って行った。普通のおばあさんのようでいて、俳優だったのだろうか?それとも、凡人でもすぐに演技が出来るのだろうか。
次にタジマ・ハル子さんやアルカカット氏のダビングの番になった。自分の言ったセリフとはいえ、映像の中の唇の動きにあわせて声を入れるのは、物凄く難しい様子だった。インド映画で、セリフの声が唇にあっていないのをよく目にするが、あれはダビングのせいだったのだと学んだ。南インド映画だと、ヒロインの声が妙に甲高かったり、妙に近くから大音量で聞こえたりするが、ソレもアレも、全てはダビングのせいだったのだ。言語の制約から吹き替えが必要な人は別として、なぜ撮影時の時の音声をそのまま採用しては駄目なのだろう?
だが、唇の動きとセリフのミスマッチは近代技術のおかげで何とかなるらしかった。パソコンで音声を挿入するタイミングを微調整したり、引き伸ばしたり、切ったり貼ったりできるようだった。
そうこうしているうちに、タジマ・ハル子さんと、アルカカット氏の録音も終了した。
実は、1958年に東京で開催された陸上競技大会のシーンで他にも日本人の声が必要と聞いていた。例えば、最終レースの案内のアナウンスや、ゲストを迎えたスタッフが相談している声、日本人が声援を送る声、女の子がクスクスと会話をする声などだ。こんなこともあろうかと思い、私は心の準備をしていた。しかも、当時流行った言葉を使ったほうが良いだろうと思って、1958年の流行語をwikipediaで事前チェックして来た。(1958年の流行語は「イカす」「しびれる」だったらしい。)
ねらいどおり、レースのアナウンスを吹き込むチャンスをいただいたので、毛布のテントにもぐりこみ、声をふきこませていただいた。少々噛んだにもかかわらず、1発でOKとなった。少々噛んでも、インド人観客には分からないし、まぁいいか。
問題はスタッフ同士の相談の会話だ。演出の人に、例えばどんなことを言わなければいけないか聞いたのだが、数人で行うアドリブなため、あらかじめ役割設定をしなければいけない。
「じゃぁ、僕は食事と会場係になるよ」
「肉が食べられない選手がいるとかの問題が起こることにしようよ」
「じゃぁ、僕は水はどこか尋ねられて、場所を探すことにする」
「私はホテルの部屋の予約の担当になる」
などと、打ち合わせをしていたら、演出の人に
「ハイ、そこまで〜」
と言われた。どうやら、アドリブの相談自体を録音されていたらしい。素で会話していたので、ものすごく自然な日本語の会話になっていたかもしれないが、アドリブの事前打ち合わせなため、使いようによってはトンチンカンなことになりかねない。でもスタジオの明け渡し時間が迫っているらしく、本番を取り直している余裕はないようだった。なので、私達も「まぁいいか」ということにしてしまった。
次に女の子同士の会話を吹き込んだ。さきほどの件があったので、今度は相談ナシで、とりあえず想像にまかせて会話をしたら、次第に変な方向に進んでしまった。1958年の設定なので「超」は、使わないようにしようと思っていたが、やっぱり使ってしまった。
声援も吹き込んだ。「イケー」「もう少しだ!」「追い抜かせ〜」など、皆で叫んだ。これは、なかなか名演技だったと思う。
他にも声援はないのかと言われたので「フレッ、フレッ、日本!」コールを吹き込んだ。日本チャチャチャは、いつの時代か確信がなかったので、やめておいた。
そんなこんなでダビングが終わった。監督は疲れてしまったらしく、無言がちであった。しきりに、ビニル袋に入ったペースト状のミターイー(ミルク・ケーキだ、と言っていた)を薦めてきたのでご馳走になった。
映画の公開は今のところ8月に予定されているらしい。予定を聞いたとき、監督はやや苦々しい顔をしていた。突然の豪雨、セットの作り直し等で予定がずれこんでしまったせいだろうか。予算もオーバーしているのかもしれない。
映画自体は、そこまで話題作にはならないと見られているが、制作に自分が参加したため、映画を見るのが楽しみである。

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