DVGロードを行く

ガーンディー・バーザールと、ブル・テンプルを繋ぐ2キロメートルほどの道路は『DVGロード』と言う。これはカンナダ語文学者のD.V.グンダッパ(1889〜1975)にちなんで名づけられた。生前から、本人の許可なしに、しかも本人がそこに住んでいたにも関わらず名づけられてしまったため、本人はちょっとイヤだったらしい。
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DVGロード
D.V.グンダッパは、16歳の頃からジャーナリストとして働きはじめ、2年後に自分の新聞を出版した。文学者となってからは哲学的、あるいは社会的、歴史的な内容の作品を発表した。民衆教育連盟、社会奉仕連盟のメンバーとして活動、1945年にゴーカレー行政学院(GIPA)を設立、国民の意識を目覚めさせようとした。設立は1945年であったが、1915年にマハートマー・ガーンディーがD.V.グンダッパのリクエストに応じてゴーパールクリシュナ・ゴーカレーの肖像を見せた時から構想があったらしい。
「民主主義への道は、派閥に属さない団体があって、情報が行き届いた国民がいて初めて可能になる。問題点や分離派の意見、民衆の混乱に対抗する目的を持って、継続した学習の努力を行う」というのが、D.V.グンダッパの設立理念だそうだ。この目的を果たすため、ここでは毎日のように社会的、文化的、宗教的、文学的活動が行われているらしい。毎年、予算を審議したり、政府に「民衆の声」を伝えるための会議を開催しているそうだ。ちなみに、ここには5万冊を収めた図書館がある。
地図には載っていないが、DVGロードにはアバラーシュラムもある。これは1905年にヴェンカタワラダ・アイヤンガールと、その妻によって女の子の孤児と、貧しい女性のリハビリテーションのために作られた。抑圧された、または搾取された女性を助けるという、アーリヤ・サマージの理想に燃えたアイヤンガールは、まずは自分が子供の時に寡婦になってしまった女性と結婚するという前例を作ったそうだ。最初はバスワングディの自宅を改装して活動を行っていたが、1911年にDVGロードの広い場所に移った。1943年に正式な協会として登録され、活発に活動を行った。具体的には、寝る場所と食べ物を提供したり、教育や職業訓練を行い人々をまとめながら社会に参画させてきた。結婚のアレンジもしたそうだ。
DVGロードには、最初のダルシニー(立ち食いの食堂)がある。「ウパーハーラ・ダルシニー」が、それだ。昨今のダルシニーは、パラーターや中華も出しているが、ここは南インド料理しか出さないポリシーなのだそうだ。
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バスワングディ
ここでも書いたが、ブルテンプル(バスワングディ)は、ここの地元の落下生祭と繋がりを持っている。この話の続きがあり、村人達は、牛に酷いことをしてしまったお詫びに石で出来た牛のお寺を建立することにした。ところが、異変が起きた。石の牛がだんだん大きくなって、周りの壁よりも背が高くなってしまったのである。そこで、村人は壁を高くしたが、何度高くしても、石の牛はそれより大きくなってしまう。そんなある日、農民達は地中から三叉を発見した。これを石の牛の額に設置したら、牛はそれ以上大きくなるのをやめたそうだ。窮屈そうなお寺に座るナンディーには、このような訳があったようだ。
ブル・テンプルの裏には公園があり、傘の下にD.V.グンダッパ像が鎮座していた。JPナガル在住の劇作家ギリーシュ・カルナドの彫刻も見た。
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バスワングディは今では落ち着いた住宅地になっているが、ここが住宅地になった裏には1898年のペストの大流行があった。ペストはカントンメントのバラックでも猛威をふるったが、シティでも猛威をふるい、何千という人々が亡くなった。生き残った人は、シティから逃げ出し、郊外の農業用地であったところに住み出したそうだ。それが、バスワングディやマッレーシュワラムだった。
ここを管轄していたマイソールのマハーラージャは、疫病を引き起こしてしまった町のありかたを反省し、科学技術を駆使して衛生的な計画都市を建てた。需要があまりにも多かったため、新居住区は440エーカーにもわたって建てられた。技術を駆使して、と言いつつヒンドゥー占星術が考慮され、このエリアは『活動的な宮に面して』建てられているそうだ。また、社会のヒエラルキーもきっちりと守られ、広くて最も良い土地はブラーフマン・コミュニティーに割り当てられたらしい。
最近では、ここの土地のブラーフマン色が薄れて行っている。土地、家賃が値上がりし、かなり裕福な人でないとここに住めなくなったそうだ。あるいは、前の世代が亡くなった時に不動産を分割しなければならなくて、その際に北インドから流れて来た商人コミュニティーに土地を売ってしまうこともあるのだとか。上段のD.V.グンダッパの家も取り壊されて数階建ての商業用ビルになったらしい。
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ガーンディー・バーザール
ガーンディー・バーザールは、青空市場みたいなところだ。昨今は車通りが激しくなり、排気ガスも凄い。だが、この通りには野菜の青い匂いが溢れていて、私は好きである。皿用のバナナの葉もまとめ買いできる。(しないけど。)花も売られている。
ガーンディー・バーザールの食堂は、どこもいつも混みあっている。空腹の中、さまよっていたら1本裏手に入った所に、ラーギ・ムッデを出しているお店発見。しかも、バナナの葉の上に出してくれた。グレービーがちょっと塩辛かったが、美味しかった。大衆食堂だったので激安だった。
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私は日曜の午前11時ごろに、よくガーンディー・バーザールに行っていた。というのも、ここから2キロ離れた所にあるシュリーナガラで歌のクラスを10時半まで受けていたからだ。この時間にガーンディー・バーザールに行くと、ちょうどお店の開店時間にあたり、最初のお客様ということで大切にしてもらえる。どうやら最初のお客様への売上げが、その日の売上げを左右するという言い伝えがあるみたいだ。そのため、お金の支払いをすると、店主はお金をうやうやしく受け取り、何かを唱えながら壁にかかった神様へお見せして、それから引き出しの中に入れている。
ガーンディー・バーザールは、プージャー用品を売る店が立ち並んでいることでも有名だ。私の想像の範囲を超えた、何に使うんだろうというものが並べられて売られている。だが、そういうものを見るのがまた楽しかったりする。
DVGロード、バスワングディ、およびガーンディー・バーザールは、ヒンドゥーの伝統と文化のかほりがする、落ち着いた地区。同時に、社会改革運動が熱心に行われていた舞台、という誇りもどことなく感じられる。ありきたりな店舗やスーパーマーケット、ドラッグストアが進出してきて、昔ながらの趣がなくなりつつあるが、なるべくこのままでいてほしいものである。

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