着のみ着のままティルパティ巡礼

つ、疲れたー。
昨日、アーンドラ・プラデーシュ州ティルパティに行ってきた。この近くにある山ティルマラに、お願いが100%叶うと言われている霊験あらたかなヴェンカテーシュワラ寺院がある。このお寺は世界ナンバーワンの賽銭額と参拝客数を誇る。お財布やカメラを盗まれたり、電話会社に頭に来たり、仕立て屋と喧嘩したりと、ルームメイトが最近ついていないので、この霊験あらたかなお寺に彼女の厄払いに行くことにした。
出発まで
出発の1週間前、マディワーラー・バススタンドにある私営旅行会社でパッケージ・ツアーの申し込みをした。往復のバス代、食事代、拝観料、参拝前に身を清めるためのホテル代も入って850ルピーだった。
申し込みをした後、会社で『今週、金曜日ティルパティに行きます』とふれ回っていたら驚かれ、且つちょっと尊敬された。ティルパティ巡礼はそんなに意味のあることだったのか。韓国担当の営業なんかは、「神様によろしくお伝えください」と言って100ルピー札を渡してきた。
かくして出発の日がやってきた。折りしも午後2時を廻ったところでバンガロールで同時多発爆破事件のニュースが入って来た。携帯電話網は麻痺し、さっさと家に帰る社員も続出。人々は口々に「今日は家にいた方がいいよ」とアドバイスして来た。これではティルパティ行きはキャンセルか?ルームメイトの厄パワーは強し。
8箇所の爆破のニュースが入って来たが、以来新たなニュースは入ってこなかった。被害者の数は死亡者1人、怪我人10人とのことだった。ネットのニュースによると爆破は小規模なもので、主に道端で破裂したのだと言う。あるものなんかは、破裂したのだけれど道行く人から爆破と気付かれなかったのだとか。これを聞くに、低予算の爆破事件であって今後大きな爆破はなさそうだし、あったとしてもバスで移動している限りは危険はなさそうだ。こう判断し、やっぱりティルパティに行くことにした。
この日、皆が家に早く帰ろうとするため大渋滞が起こる心配があった。そこで会社からいったん家に帰るのはやめて、直接バススタンドに行くことにした。着替えも持たず、傘とオサイフと携帯とチケットだけ持った、着のみ着のままのティルパティ巡礼となった。
バスの出発時刻は9時だった。8時半に旅行会社のカウンターに到着を申し出て近くの食堂で夕食を食べていた。すると8時45分ごろに食堂に旅行会社の人がやってきて
「マダム!早くしてください。バスが10分前からあなたたちを待っているんですよ」
と言われた。まだ出発まで15分もあるのに?注文した食事を半分しか食べていないというのに、せかされながらバスに乗った。すると、乗車するや否やバスの扉が閉まり、バスはギュイーンと出発した。随分時間前行動のインド人もいたものだと思いながら席に腰掛けた。バスは途中で人を拾いながら、KRプラム駅を越えて北東の方角へ走った。
ダルシャン・チケットを買う
午前2時、バスの明かりがついてティルパティへの到着を知らされた。バスはバス停の傍にある建物に横付けされた。ガイドがやってきて説明をカンナダ語とヒンディー語で行った。
「みなさん、ティルパティへようこそ。これから皆さんにはダルシャン(神様にまみえること)のチケットを買ってもらいます。ダルシャンのチケットは50ルピーです。最近、システムが変わりまして1日に参拝できる数のチケットしか発券されないことになりました。ある程度の数が売れたらその日のチケットの販売は終了してしまいます。だから今から列に並んで、5時に開くカウンターで券を買ってもらいます。チケットが買えなかったからと言って私を恨まないでください」
次にガイドは私達の顔をチラリと見て英語で
「今から、チケットを買いに行ってください」
とだけ言って去っていってしまった。
ティルパティのダルシャン・チケット販売所には既に50人くらいの人が並んで座りこんでいた。私達の到着後もバスが次から次へとやってきてたちまち待合室は人でいっぱいになり、建物の外にも行列が出来るほどになった。このとき初めて、私達のバスが9時出発のところなぜ8時45分に出発しようとしていたのかが理解できた。
列に加わり体育座りをした。最初、並んでいる人が何故ティルパティにやってきたのか仮説を立てて暇つぶしをしていたが、それにも飽きて睡眠をとることにした。列の人々の中には手足を伸ばして寝ている人もいた。
4時半ごろ、いきなり笛を吹く音がした。すると人々はオモムロに立ち上がり、前に詰めて並んだ。そのドサクサにまぎれていくつものグループが横入りしてきた。カーキ色をした制服を着た警備の人は棒を持って横入りした人々を注意し、列から追い出した。その様子をもとより並んでいた人と横入りに成功した人がじっと眺めていた。
4時半に驚かされたにもかかわらずカウンターが開いたのは結局5時だった。人々が動揺すると分かっているのになぜ4時半に笛が鳴ったかは謎だ。わざわざ混乱が起こる状況を作っているとしか思えなかった。ちなみに、私達の前には横じまの服を着た男が立っていたが、いつのまにか若い兄ちゃんグループが割り込んでいた。彼らによると4時に到着したのだが場所取りの男に50ルピーを払ったので、今ここに立っているらしかった。このことから笛を吹いた警備の人と場所取りを商売にしている人はグルなのだと思われた。手足を伸ばして寝ている人なんか、場所取り屋に違いない。
さて、5時にカウンターの明かりがつき、男がデスクトップを前にしながら発券を始めた。驚いたことに、チケット発券時には1人ひとりの顔写真を撮り、指紋もスキャンしていた。成田空港でさえ最近始まったばかりというのに、インドの寺で顔写真と指紋を撮られるとは。
5時半にめでたくチケットを受け取れた。チケットは50ルピーだった。ティルパティには100ルピーのVIPチケットがあり、それを買えば通常6時間並ぶところ3時間で済むと聞いていた。トイレに行った時についでにこのことをガイドに聞いてみたが「土日はVIPチケットはないよ。」と言われた。だが、この50ルピーのチケットがスペシャル・ダルシャンのチケットにあたるらしかった。普通は無料チケットでも拝観出来るところ、この50ルピーを払うことで近道出来るらしかった。
また、拝観後に貰えるプラサードであるラッドゥーは、バスのドライバーに頼めば余分に貰えるという話も聞いていた。だが、バスドライバーやガイドは「そういうのは行っていない。その代わり50ルピーのチケットではラッドゥー2個貰えるからいいでしょう?」と言っていた。ウーム、おかしい。どうやらティルパティにまつわるデマがいろいろあるようだ。それともティルパティ自身がシステムをころころと変えているのだろうか?
参拝の支度をする
5時45分、ホテルに行った。チェックインして荷物を置いたり休んだりするためのものではなかった。バスルームで身を清め、服を着替えるためだけのものだった。どうやら旅行会社が、空き部屋を使わせてもらえるようにホテルと提携しているらしかった。部屋にはタオルや石鹸など最低限のものさえも付いておらず、トイレの扉されも閉まらなかった。身支度のために許された時間は30分のみ。着のみ着のまま来てしまった私はベッドでひたすら寝ることにした。
集合時間が来たため、部屋の外に出たらガイドに「早く、下に行って朝食を食べなさい」とせかされた。ティルパティ・ツアーのガイドはせかすのが仕事みたいだ。下に行ったら、朝食の支度がまだ出来ていなかった。
ホテルを出発したのは7時。ここから、ヴェンカテーシュワラの住まうティルマラまで20キロの道のりを州営のバスで旅することとなった。
到着時は暗かったが、もう夜が明けたのでティルパティの町の様子がよく見えてきた。ティルパティは山に囲まれた盆地にある京都みたいな町だった。道、中央分離帯、路肩、歩道がバンガロールとは比べ物にならないくらい整備されており、綺麗だった。店や建物、バンガローも多く、なかなか大きな都市であることを知らされた。緑が多く、整備された土地もたくさんあり、これから伸びそうな都市であった。
ティルマラへ
ティルパティから、赤い地層を除かせた緑の山が横たわるのが見える。ティルマラはその山の向こうにあるみたいだ。行く途中、日光の『いろは坂』のようにヘアピンカーブをいくつも通らなければならなかった。昨晩よく寝ていなかったためウトウトしているとバスは急カーブにさしかかって傾くため、頭を何度も窓にぶつけることになった。他方、ガイドとバスの運転手は、妙にご機嫌。絶え間なくお喋りしたり、ラジオに合わせて歌ったりしていた。いよいよティルマラに入る門に至るとガイドは
「じゃ、みなさん、ゴービンダーと言ってくださいね」
と言って掛け声をかけだした。私達はそれに合わせて
「ゴーヴィンダー!ゴゥオォォヴィンダー!ゴォォヴィンダー!」
と叫んだ。
ティルマラの中はダルマスターラみたいな様相を呈していた。いや、ダルマスターラがティルマラみたいなのかもしれないが。要するに、敷地内に宿坊や土産者屋、各種施設が立ち並んでいるのである。道は整っており、ひとつの町を形成していた。ここに来るまでの道は険しかったのに、よく建築材をここまで運んだなぁと感心させられてしまった。
バスは途中で徐行した。ガイドは
「髪を奉納したい方。ここで髪を剃ってください。」
と言った。
それまで船をこいでいた私は、ガイドの言葉に目が覚めた。そして乱れた髪を直そうと、髪を留めていたクリップを外した。それを見たバスの乗客は私が髪を奉納しようとしていると勘違いしたらしい。結局、私の乗ったバスからはおじいさん3人が髪を奉納しに行った。奉納できる量なんてたかが知れているため頭のお清め感覚なのかもしれない。
おじいさんが髪を丸めている間、30分待たされた。その後、いよいよ寺の裏側からヴェンカテーシュワラ詣でに行くこととなった。時計を見たら時間は8時20分だった。
並ぶぞ!
入口を入った時点で人は全然いなかった。夜8時のディズニーランドみたいに、通路をスタスタと歩いて進むこととなった。通路は上から下まで鉄格子でブロックされており、まるで檻だった。こうしないとジャンプして横入りしようとする者がいるからであろう。
入口を入った時は、同じツアーでバンガロールから来た人達が周りにいたのだが、いつのまにか坊主頭のファミリー、大荷物を持ったおばちゃん、赤ん坊を抱いたお母さんなどいろいろな集団に囲まれて並んでいた。どうやら入口はひとつだけではなく、いろいろな地点で合流するようになっているようだった。だから内部に行くに従って混雑が激しくなる構造になっていた。
ある部屋でチケットを見せた。男はバーコード・リーダーでチケットのバーコードを読み取った。すると、男が見ている画面に私の顔写真と指紋が映し出された。また、他の部屋では荷物のスキャンと身体のセキュリティチェックをさせられた。まるで空港並みの厳重さで感心した。ちなみに電化製品の持込は全面禁止。紛失してもつまらないのでカメラはそもそも持っていかなかった。
混雑するに従って、前の人との密着度が高くなった。寺の内部をぐるぐるするため、いつご本尊が近づいたのか分からない。「いよいよか!」と思うたびに合掌するのだが、その合掌した手がいつの間にか前の人の背中を押す手に変わっていたりして。列車ごっこでもするかのように両肩を後ろから知らない女性に掴まれていることもあった。
「見て!両肩掴まれているんだけど」
などと言っているうちに、掴んでいる本人は
「あ!ネパール人の肩を掴んでいた!」
と気付きハタと手を離す、ということがよくあった。人々との密着度が高かったが痴漢に遭うことはなかったので、その点は良かった。
ティルパティの建物は震動していると聞いていた。そこで柱を触ってみたが、やはり細かい震動を感じた。これは参拝客のせいなのだろうか、それとも私が睡眠不足でどうかしているのだろうか、それとも本当に神様パワーなのだろうか。
ご本尊に近づいた地点で、バンガロールから来たという英語が上手い親切なご家族と一緒になった。これは古いタミル語で、これはヴィジャヤナガル時代のカンナダ語の碑文だよ、などと建物の中の説明をしてくれた。
ときどき生のラッドゥーが入ったアルミのケースを持った人が列を横切った。横切る時に、取っ手をガチャガチャ鳴らすのが決まりらしかった。寺の中にラッドゥーの甘い匂いが漂っていた。
ダルシャン達成!
黄金の屋根が見えて来ていよいよご本尊が鎮座している境内までやってきたことを知った。拝殿に入ってご本尊の前を5メートルくらい歩いてから左に反れて外に出ることになっている。ご本尊に向かってダッシュしていた人々も、ご本尊の前ではなるべく長く居ようとする。だから、ラッシュアワーの東京の駅みたいに人々を押す役割の人がいた。
ご本尊ヴェンカテーシュワラは暗い本殿の奥にあり、ロウソク数本に照らされていた。5メートル歩く間に家内安全、無病息災、ルームメイトの厄払い、同僚から頼まれた願い事や、友人の日本語検定試験合格を祈った。外人が真剣にブツブツ言っているのを見て足がすくんだのか、前の人を押しやった押し屋も私ばかりは押さなかった。
本殿から出てきたところにスチール製の巨大なフンディー(賽銭入れ)があったので韓国担当営業に頼まれていた100ルピーと私の賽銭を入口から押し込んだ。
本殿の周りを時計回りに歩くと社務所があり、ガラス戸の向こう側にぶちまけられたハンカチ、毛束、100ルピー札、1000ルピー札の奥で寺の人がお札を数えていた。お金だけではなく、雑多なものも寄付する人がいるということを知った。スチール製の賽銭箱だけではなく、布袋も上から吊り下げられていた。人々はそこに何かを入れてから布袋を掴んでお祈りを捧げ、その周りを時計回りに廻っていた。
社殿を出たところはさほど混雑していなかったが、出る人を規制しており、好きな時に出られるわけではなかった。信号みたいにOKになったら出ていいことになっていた。
参拝の楽しみ、プラサード
境内を出たところでプラサードを配っていた。上半身裸の太った僧侶が食缶の中にあるご飯系のものを手づかみで参拝客に配っていた。私の前に居た人はおもむろに弁当箱を出して、その中に入れてもらっていた。私が何も持っていないと知った僧侶はボロボロの葉の上にご飯をすくって載せてくれた。ご飯はタマリンド・ライスであった。酸っぱさと、炒ったダールとマスタードシードのプチプチ感が絶妙な美味しいプラサードであった。手が黄色い油でテカテカになったが。
寺を出た後、建物の右手にある別の建物でラッドゥーのプラサードが配られている。この寺のラッドゥーは有名である。手のひら大の大きさがあるし、ギーがふんだんに用いられているしカルダモン、カシューナッツ、レーズン、アーモンドが豪快に入っている。これをお土産として配ると、大変喜ばれる。ひとつまみをティッシュに包んで「持って帰って夫にも食べさせる」と言う人がいるくらいだから、よっぽど特別なラッドゥーと思われているらしい。それが50ルピーのチケットを買った人には2個配られる。ただし、基本的にそのまま配られる。持ち帰るために袋がない人は環境にやさしいらしい袋を2ルピーで買わなければいけない。
参拝を終えてバスに戻って来た。戻るやいなやガイドに「君たちが最後だよ。遅かったじゃないか」と言われた。だが、預けたサンダルや携帯を返してもらう時に、私達が最後ではないということを知った。ガイドはせかすのが商売なのだ。
11時半、ガイドの掛け声に合わせてゴーヴィンダと叫びながら私達一行はティルマラを後にした。
「ゴーヴィンダー!ゴゥオォォヴィンダー!ゴォォヴィンダー!」
スリー・パドマヴァティ寺院へ
いったんホテルに戻って、昼食を食べた後、ティルパティから5キロはなれた所にあるヴェンカテーシュワラの奥さんであるパドマヴァティ寺院に行った。お決まりのコースであるため、ヴェンカテーシュワラ寺院で見かけた参拝客と同じ人をここでも見かけた。やはり混雑しており、ダルシャンをするために20分も列に並ばなければならなかった。
このお寺でもパエサムのプラサードを貰った。ルームメイトが葉のお皿に入ったパエサムを持っていると、「ちょっといいですか」と言って、ひとつまみ貰っていく女性が3人くらいいてポカンとしてしまった。「プラサードの列に並ぶ時間がないので、いただくわね」ということだったのだろうか。
お持ち帰り用のラッドゥーは2つ貰った。ラッドゥーはヴェンカテーシュワラのものよりも小ぶりで白っぽい。また、入っている材料も豪快ではなく、基本的に粉っぽかった。
バンガロールへ帰る
これでティルマラ巡礼を果たした。この時点でドッと疲れが押し寄せて来て、立っていられないほどになって来た。バスの中からアーンドラの風景を楽しみたかったのだがバンガロールへ出発して5分もしないうちに眠ってしまった。ちらりと目を開けた時に、水田、トマト畑やマリーゴールド畑が広がっているのを見たような気がする。
予定では9時バンガロール到着の予定だったが、2時にティルパティを出たおかげで夜7時にはバンガロールに着いてしまった。これもガイドがせかしてくれたおかげだろう。今晩のティルパティ行きのバスは、さぞ早く出ることであろう。明後日のティルパティ行きのバスはそれより更に早く出ることであろう。
これでティルパティ・ティルマラ巡礼を果たした。気分はハッジをした人である。さっそく今日、歌のレッスンがあったのでグル・ジーにラッドゥーを1つ差し上げたら『それはおめでとう!神の祝福がありますように』と言われた。
ティルパティでは外国人と思しき人物を1人も見かけなかった。外国人で行く人は少ないのかもしれない。ガイドの説明はヒンディー語とカンナダ語オンリーだったし、ティルパティでは私達はよくネパール人に間違えられた。1回だけダージリン出身に間違えられた。中国人や日本人だとはゆめ思わないらしかった。
お願いごとがかなりの確率で叶うという寺院だが、願いが叶ったらお礼を言いに行かなければいけないという義務も付きまとう。はたしてまたティルパティに行くことになるのだろうか?もしまた行くとしたら、弁当箱とスプーン、それからラッドゥーを入れる袋を持参していこうと思う。
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