達喉を手に入れるまで

達筆過ぎると何が書いてあるか読めなくなるが、それと同様に喉が達者過ぎても何を歌っているか分からなくなる、そんな感じであった。
――『4月13日(日) バクティ祭』これでインディアより
上に引用したアルカカットさんの造語『達喉』は、言いえて妙だと思う。
私は2006年から北インド古典音楽の声楽、特にハヤールを習っている。ラーガを習ったり、サレガマで歌ったり、ブラジバーシャーの歌を歌ったり、たまにバジャンを習っている限りは良かった。しかし今は達喉という難関に突き当たっている。
普通に歌うと、師匠は
「声にバイブレーションが必要だ」
と言って顔をしかめる。そして師匠は
「ァアァアァアァ〜♪」
と、お手本を示す。私は先生が歌ったフレーズを『ァアァア』で真似しなければいけない。だが、ちょっと聞いただけでは音階が何なのか分からないので真似に苦労する。むしろ音階があるのか疑ってみたりもする。『メチャクチャにはメチャクチャで対抗!』、とばかりに歌うと師匠にさらに顔をしかめる。そのようにして、やはりメチャクチャと達喉は違うんだということを学んでいる。
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私の師匠はカルナータカ北部出身である。カルナータカ北部は優れた北インド古典音楽家を輩出し、北インド古典音楽界に彩りを添えていることで有名である。だが、カルナータカ北部に北インド古典音楽が根付いたのはたかだか100年前のこと。なぜ局地的に北インド古典音楽が盛んになってしまったのか?これについては諸説ある。
一説によると、南インドの藩王国がマッディヤプラデーシュのグワーリヤルから音楽家を招聘したことが始まりだそうだ。
マイスール藩王国のワディヤール家は音楽が好きで、ダシャヘラー祭で演奏してもらうために毎年、北インドから音楽家を招いていた。北から南へと大移動する音楽家達は途中休憩する場所として気候がさほど厳しくないダールワードを好んだらしい。
ダールワードの音楽好きは、著名な音楽家が来ていると知り、住民のためにコンサートをしてくれるよう依頼した。こうしてダールワードの一般民衆も音楽に親しむようになったのだと言う。
他の説もある。カルナータカ北部は1956年ごろまでボンベイの管轄に入っていたため現マハーラーシュトラ州の文化の影響を受けていた。マハーラーシュトラから有名な音楽家が来てはダールワードの教師訓練校で教えていた。このためこの地域において北インド古典音楽が有名になったのだそうだ。
当時、地方ではわりと盛んであった劇団が、地元の才能ある若者を起用し北インド古典のてほどきをしたのだという説もある。
恐らく、上記の説の要素が少しずつ作用してこの地域で突然変異的に北インド古典音楽が盛り上がってしまったのかもしれない。
ガダグには、ヴィレーシュワル・プニヤーシュラムがある。これは100年前に目が不自由な伝説の音楽家パンチャクシャリー・ガワーイーと、同じく目が不自由な彼の生徒が建てた古典音楽の学校で、今もこの地域において北インド古典音楽を振興し続けている。(グワーリヤル・ガラーナー)
ウッタル・プラデーシュのキラーナー村出身のウスタード・カリーム・ハーン(キラーナー・ガラーナー)は、マイスールの宮殿に招待されるようにもなった。マイスールに行く途中、ダールワードのクンダゴールにある兄弟の家に泊まった。そこで彼は20世紀が輩出した有名な音楽家サワーイ・ガンダルヴァに音楽を教えたそうだ。
サワーイ・ガンダルヴァは、師匠の教えを維持しつつダールワード出身のガングーバーイ・ハーンガル、ガダグ出身のビーム・セーン・ジョーシー、フィローズ・ダストゥール、バスワラージ・ラージグルなどに手ほどきをした。
今日ダールワードの北インド古典音楽は廃れる一方、代わってカルナータカの中心地はバンガロールになってきているそうだ。全盛期の次の世代たちが保護に努めている。
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ところでガングーバーイ・ハーンガルとビーム・セーン・ジョーシーは今も存命中。ガングーバーイはただいま96歳である。ダールワード県のフッバッリにある病院で暮らしているそうだ。ビームセーン・ジョーシーはその8歳下だ。
ふたりは8歳違いだが、ちょうど同じ時期にクンダゴールでサワーイ・ガンダルヴァに師事していたそうだ。
当時、ガングーバーイは早起きをして朝、3〜4時間練習し、家事をした。夜はほとんど歌の練習についやしたそうだ。
ビーム・セーン・ジョーシーはそれ以上に練習をしまくっていた。乾いた土地のクンダゴールにおいて、師のために遠くにある井戸から果てしない数の水がめに水を汲んで来るのは彼の仕事だった。炎天下の中、水がめを肩に担ぎながら彼はいつも歌の練習をしていたらしい。ガングーバーイは、彼がラーガ『ムルターニー』や『シャンカラ』の練習をしているのを耳にしたそうだ。
レッスンが終わるとガングーバーイはフッバッリにある自宅に電車で戻った。当時、彼女はうら若き女性だったし、夜道が暗かったのでビーム・セーン・ジョーシーが彼女を駅まで見送りに行ったそうだ。
師の家を出るや否や、ビーム・セーン・ジョーシーは
「アッカー(お姉さん)、今日は何を教わったの?」
と言うのでガングーバーイは全て細かく教えなければならなかった。すると必ず
「1回、歌ってみて」
と言われたそうだ。このようにして駅に着き、列車が動き出すまでふたりは習ったことを教え合ったそうだ。
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やはり偉人は下積みもたくさんしているのだ。週に1回レッスンに行き、たまに練習するぐらいでは達喉は手に入らなさそうだ。私が達喉を手にするのは当分先になりそうである。

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