ドアのない村

前の記事で、外出時に鍵をかけないアーナンドさんの話を書いたが、マハーラーシュトラ州にはドアがない村があるらしい。
民家に扉がついていないのはシングナープル村。もし家に扉をとりつけようものなら、高さ1.5メートルの一枚岩から出来た石柱でもって村の平安を守っているシャニデーヴと言う神の怒りを買ってしまうと村人は信じている。
昔シャニデーヴ神が、村に住むある男の夢の中に出てきて「石柱をおまえにあげよう」と言った。以来、村人は、その石柱を祀っているそうだ。
その男はドア、鍵、錠のたぐいに反対していることで知られており神からさずかった石柱も寺の内側に安置するのではなく、開かれたところに置くべきだと主張した。
その時から、ドアや錠や鍵は村ではタブーになった。この村を訪れる者は車にもロックをかけないようにと頼まれる。神の逆鱗に触れるのを避けるためだ。毎年10万人以上の人がこの村にあるシャニデーヴ寺院に巡礼にやってくるが、不思議と盗みや泥棒の事件は報告されていないらしい。
同じようにドアがない村がオリッサ州ケーンドラパラ県にあるらしい。
スィアリア村の人は女神カラカイが毎日家にやってきて家を守ってくれていると信じているらしい。その安心感から、家に扉を取りつけないものらしい。この伝統は7世代にわたって受け継がれているそうだ。今、建築中の新しい家であってもやっぱり扉がないのだとか。そして、シングナープル村と同じく、扉を取りつけたら神の逆鱗に触れると村人は信じているらしい。地元の警察によると、空き巣盗難の事件は報告されていないらしい。
インドで盗難知らずの生活を送る大前提は隙を見せないことではなかったのか?隙を見せると盗難を『誘発』してしまう。物が無くなった時に人を疑ったり疑われたりするのもお互いに嫌なものだ。だからお手伝いさんや工事の人などが家に来る時など、あるいはホテルのルームクリーニングが来る時などは、見えるところに貴重品を置かずに鍵をかけて管理するのが良いとされている。
だが、このコンセプトとまるで逆の、扉や鍵がない村があるとは驚きだ。両方の村に共通するのは、神が関わっていること。やはり信仰の力は偉大だ。と同時に、神のひと言さえあれば、慣習を引っくり返すこともできるのだという可能性も感じた。
インドの神様は女児殺しやダウリー(結婚持参金)を憂い、それを引っくり返すような一言を言ってくれないものだろうか?

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2 Responses to ドアのない村

  1. 閑話休題 says:

    中国語で「都市」のことを「城市」とも言いますが、この「城」はいわゆる「城壁」のことを指します。中国人にとって「町」というものは「壁」で防御されてこそ始めて安心感を与えてくれる場所なのです。漢民族の家にはレンガ造りの壁が巡らされており、更には歴代王朝が国全体を「万里の長城」で囲もうとしていますので、要するに、国、町、自宅と「三重の壁」で守られていることになります。それにしても、「ドアがない」というのは、中国人でなくとも理解の外かも知れません。

  2. kahkashaan says:

    インドでは窓には窓ガラスだけではなく鉄格子がはまっていて厳重です。(サル除けなのかもしれません)その中、こんな村もあるのです。多様性のインドだなと実感させられます。

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