Premier Padminiのある風景

ムンバイーのタクシーといえば、黒と黄色に塗り分けられたプリミアー自動車生産したプリミアー・パドミニーである。イタリアのフィアット社のFiat 1100をインドで現地生産したモデルだ。本国では1962年から1966年まで生産されていた。
昔々に設計されたクルマらしく、クロームメッキの大きなフロントグリルが雄々しくてマッチョな面構えだ。前後ともにツンと鋭角的に切り立ったフォルム、後部サイドフェンダーの張り出には、今の時代のクルマにはない強烈な個性が感じられる。イタリアのデザインらしいアクセントの効いた、都会の景色がよく似合うクルマだ。
黄色い天井以外は深みのあるブラックでまとめられた精悍な車影は、ゴシック、ヴィクトリアン、アールデコ、果てまたインド・サラセンといった様々な様式の重厚な建築物が林立するムンバイーの街角によく似合う。
クラシカルな建物の都会風景にマッチするクルマである
インドにおいてこのクルマの生産は1964年に開始されている。今から半世紀近く前に設計されたクルマではあるが、愛好家が丹念に磨き上げて週末に郊外に遠出してツーリングを楽しむといった具合に丁重に扱われるのではなく、現役のヘヴィー・デューティーな営業車としてバリバリ活躍しているのがカッコいい。
もっともムンバイーのタクシー界を支配してきたパドミニーは、やがて道路から姿を消す運命にある。というのは、すでにこのクルマの生産は、2000年を持って終了しているためだ。フィアット1100D=プリミアー・パドミニーという単一車種で、イタリアでの発売時から数えて38年間もの長き渡り生産されてきた世にも稀な長寿モデルであった。
ムンバイーに限ったことではないが、電子化される前のいかつい金属製のアナログ式料金メーターもまた見事にクラシックである。こうしたメーターが導入されたのがいつの時代であったのかはよく知らないのだが、おそらくその当時の金額をゆったりと刻んでいく。
メーターに示される数字をもとに、現在適用されている料金を導き出す換算表を運転手たちは持っている。そこに示されているとおり、このタイプのメーターが使われ始めたころ、ルピーの価値は今の14倍前後あったということなのだろう。
タクシー料金換算表
今のところはムンバイーの道路を走るタクシーの大勢を占めているのは黄・黒に塗られたパドミニーで、まだまだ意気盛んな印象を受けるものの、スズキのヴァンのタクシー、青色のAC付きのものなど、複数のタイプが走るようになっている。
年月の経過とともに、このパドミニーの占める割合は漸減していき、10年、15年もすれば、『こんなクルマ、あったよねぇ!』と古い写真で、昔の街角の中にあったタクシーの姿として未来の人々が思い出すようになるのだろうか。
2001年以降、生産されていないクルマであるがゆえ、目下ムンバイー市内でごく当たり前にどこにでも見られる『パドミニーのある風景』だが、現在走行している車両たちの寿命が尽きるまでの眺めなのである。

NIAの海外旅行保険

日本発の海外旅行保険を扱う保険会社は、AIU、三井住友海上、ジェイアイ傷害火災、損保ジャパン等々いろいろある。
同様に日本で営業するインド系の保険会社でも扱っていることはかねてより耳にしており、だいぶ前に『ニッポンで稼ぐインド国営会社』で取り上げたことがあるが、先日初めて同社の海外旅行保険のパンフレットを手にして眺める機会があった。ちなみに、これはウェブサイトからも閲覧することができる。
海外旅行総合保険 (ニューインディア保険会社)
インド最大の保険会社であり、ムンバイーに本社を置く国営のNIA (The New India Assurance Company Limited)の日本支社、ニューインディア保険会社の商品だ。
私自身、ニューインディア保険会社はまったく利用したことがない。身の回りでこの会社の保険商品を利用したという人もいないため、その評判を耳にしたことはないが、どんな具合なのだろうか?

IRCTC

以前、線路は続くよ、どこまでも?で取り上げてみたとおり、インド国鉄の子会社IRCTC (Indian Railway Catering and Tourism Corporation)のウェブサイトにログインして、eチケットを購入できるようになって久しい。
ネット予約が始まったころは、インド国外発行のカードでは支払いができなかったり、ウェブ上で予約しても、チケットは指定の場所に配達してもらう、といった具合だったりして使い勝手はよくなかったが、今ではずいぶん便利になったものである。
そのままプリントアウトして列車に乗り込めばいい、という点からは、ネット予約後に『みどりの窓口』で支払いをして、正規の乗車券等を受け取らなくてはならない日本のJRよりも簡単であるといえる。もちろん改札が自動化していないがゆえに、普通紙に印刷したものがチケットとして通用するわけではあるが。
ただ、簡単になったとはいえ、ちょっとコツが必要なこともあるのはインドらしいところか。サーバー容量の関係か、果てまた通信に何か障害があるのかわからないが、予約作業中にエラーが頻発することがある。時間帯を変えるとまったく問題がなかったりするのだが。
日時・列車等を選択
乗車日時、列車名、座席・寝台のタイプを確定し、乗客の氏名や年齢等を入力し、『Payment』ボタンを押して、支払いに進んだ際に、この画面を目にしてちょっと面食らう人もあるかと思う。
Payment Gateway、ずいぶん沢山・・・
要は、クレジットカード、銀行のカードその他といった、使用するカードの種類により、支払いのチャンネルを選びなさい、ということである。クレジットカード用にいくつかの銀行系のPG (Payment Gateway) が用意されているが、いずれも利用できる・・・というわけではない。少なくともインド国外発行のクレジットカードの場合は。
以前は『CITI PG』が問題なく使えていたのだが、今はこれを選択すると何回繰り返しても、カードの残高が不足だの番号が間違っているだのといった身に憶えのないメッセージが出てきて立ち往生してしまう。そんなわけで、目下、利用できるのは『AXIS PG』である。
もっと支払いがうまくできなくて困っていても、そのまま放置されるわけではないのはありがたい。この手のエラーが生じると、自動的にIRCTCからのメッセージが配信され、トラブル解決のためのコールセンターの電話番号と問い合わせのメールアドレスが記されている。電話はなかなか通じないものの、メールで質問すると、比較的早く返事を寄越してくれる。
予約のキャンセルも同様にスムース。IRCTCのウェブサイトにログオンして手続きをすると、即座にリファンドについての連絡が届き、キャンセル料と手数料を差し引いた金額が返金される。
何かと便利になっているが、ひとつ制約があるとすれば、ネット予約に割り当てられている座席・寝台数だろう。全体の何割ほどがウェブ予約用に充てられているのかよくわからないが、窓口ではまだ購入できたりしても、IRCTCのサイトでは、路線によってはかなり早い時期からキャンセル待ちあるいは予約不可の表示が出るようだ。
そんなわけで、旅程が決まったら、予約はなるべくお早目に。

NyayaBhoomiのオートリクシャー

以前、オートリクシャー・スター・クラブ? デリーの路上の星たちならびにオートリクシャー・スター・クラブ? 頑張る路上の星たちで『オートリクシャー・スター・クラブ』を取り上げてみた。
Autorickshaw Star Clubとは、NyayaBhoomiというNGOによるオートリクシャーのサービスの改善を目指す試みで、乗客の利益、運転手の待遇改善と生活向上、業界の社会的なステイタス向上などを目指しての社会的運動といえる。
具体的には、適正運賃、つまり乗客に吹っかけるのでもなく、オートリクシャー営業のコストに見合わない安すぎる料金でもなく、走行距離に従って双方にとって合理的な金額を適用、運転手の身元や走行地点が逐一明らかになるとともに、乗客側についても車載カメラでモニターすることにより、両者ともに安心して走行できること、適正な営業とサービスの向上により、業界そのものの認知度を高めて、社会的な立場や発言力を高めることなどを企図している。
通常は経済力の向上とともに交通機関も近代化し、オート三輪タクシーは消え行く運命にあるのが世の常ではある。だがインドにおいてはまだその兆候もないが、変わりゆく世の中で、来年開催を控えているコモンウェルス大会に合わせてということではないが、首都のタクシーやオートリクシャー、とりわけ主要駅や繁華街近辺などで客待ちしている運転手たちの態度や仕事ぶりについては、なんとかして向上すべきだと思う。
以下、NyayaBhoomiのウェブサイトにも掲載されている彼らの取り組みを紹介するビデオである。

以下、ビデオの内容の要約である。
鉄道でチェンナイから上京してきた男性ムットウーが、駅舎を出てからオートリクシャーをつかまえようとする。コテコテのタミル訛りのヒンディーで運転手に話しかけると、ずいぶん高いことを言われて往生する場面から始まる。運転手とトラブルになった後、声をかけてきたオートリクシャー・スター・クラブの運転手からデリーのオートリクシャー業界の抱える基本的な問題点を彼に説明する。
時はかわって2010年。デリー市内在住の姉のところに滞在中の男性は、用事先までのバスについて尋ねると『オートリクシャーで行けばいいのに・・・』と言われる。デリーのオートは嫌なのだと答えると『今はずいぶん事情が変わった』と告げられる。ムットゥーは再びオートリクシャーに乗ってみることにする。
電話連絡してから、ほどなくやってきたオートリクシャーを運転するのは、かつてデリーの駅前で吹っかけてきた相手。しかし今ではすっかりマジメなドライバーになっている。オートリクシャーにはGPSシステムによる自動運賃計算、走行位置や車載カメラによる乗客の様子などは逐一警察にモニターされており、料金は適正、女性一人での利用も安心。料金は、現金以外にクレジットカード、デリー・トラベル・スマートカード等でも支払うことができる。
かつては休日なしでコキ使われていた運転手も、今では定期的に休日が与えられ、家族との時間を大切にできるようになった。運転手自身の生命保険、その家族の健康保険等の福利厚生も導入された。運賃は、かつての2割増になっているが、それでも乗客たちはとても満足。車両に貼りだされた広告収入もあり、運転手は収入増で生活も安定・・・といった近未来のオートリクシャーの描写。

なかなか面白い内容だったので、せひ皆さんにもご覧いただきたいのだが、ビデオで使用されているヒンディー語がわからない人には理解できないと思うので、NyayaBhoomiに英語版のビデオは作成していないのか夜半に質問をメールで送信してみると、なんと早朝には回答が届いていた。
残念なことにビデオはヒンディー語によるもののみで、英語版は特に製作していないとのこと。ただし非ヒンディー語話者に対するアピールの必要性は認識しているとのことで、英文字幕入りのものを作ることを予定しているとのことである。
NyayaBhoomiの担当者から届いたメールには、2ヵ月以内に『Radio Auto』のサービスを開始するとも書かれていた。おそらく上記のビデオにあるような近未来的なシステムを装備したオートが登場するのではないだろうか。
こうした試みがスムースに浸透していくのかといえば、そうではないだろう。例え利用者たちは歓迎しても、大多数を占める従来のオートリクシャー運転手や組合等にとって、自分たちの商慣習を否定する彼らの存在は疎ましいだろう。
デリーのオートリクシャー業界の新参者であるオートリクシャー・スタークラブの運転者たちは、路上で様々な嫌がらせを受けるかもしれないし、これを運営する団体NyayaBhoomi自体も、すでに同業者や関係者たちから妨害を受けているのかもしれない。
変な言い方かもしれないが、現状のレベルが低いがゆえに、ちょっと努力すればその『伸びシロ』はとても大きなものであるはず。前途に待ち構えているであろう、いくつもの困難を乗り越えて、着実に歩みを前へ前へと進めて欲しいものである。
同様に、彼らの取り組みが首都デリーのみならず、将来的には広く全国に波及していくことを願いたい。

線路は続くよ、どこまでも 3

ソフト面では、利便性が飛躍的な向上を見せたものの、ハード面で特筆すべきは、各地のメーターゲージ路線をブロードゲージ化する作業が着々と進んだことだろう。
これにより、鉄道ネットワークの効率化が図られた。旅客として利用する際、目的地沿線の軌道幅が異なることによる乗り換えが不要となり、主要駅を起点として直通列車が走る範囲がとても広くなっている。おそらく貨物輸送の面でも相当な有利になったに違いない。
各地の鉄道の事業主体が単一ではなかったこと、鉄道ネットワークに対する考え方が現在と異なる部分があったことや予算の関係などもあり、植民地時代に軌道幅が異なる路線が混在し、それが長く引き継がれてきたことについては、その対応に苦慮しつつも、全路線ブロードゲージ化という方向で完成しつつあるのがインドだ。
それに較べて、隣国バーングラーデーシュ国鉄は異なる手法で解決への道を探っているかのようである。今年1月に『お隣の国へ?』で書いたとおり、デュアルゲージという手法により、ブロードゲージの軌道の間にもう一本のレールを敷設し、ゲージ幅の狭い列車も走行できるようにしてあるのだ。異なるゲージ幅に対応する、なかなか面白いアプローチである。
これが『デュアルゲージ』
バーングラーデーシュ国鉄本社が置かれているのは狭軌ネットワークのターミナスであるチッタゴンであることと合わせて、今後はインドとは反対に狭軌のほうに集約していくと考えるのが自然だ。
近年になってから、首都ダーカーにブロードゲージ路線が導入されているが、これは現在コールカーターからの国際旅客列車マイティリー・エクスプレスに加えて物資輸送の貨物列車が運行していることから、隣国インドの鉄道とのリンクを考慮してのことであり、同国内既存の狭軌路線を広軌化する意思はないのだろう。
インドの場合と異なり、ネットワークがあくまでインドと一体であった時代に築かれたものであるがゆえ、今の同国国土を効率よくカバーしているとはとてもいえないため、インドの国鉄と違い、国民の期待値は相対的に低いものとなる。ゆえにどちらかに統一するのではなく、あるものを可能な限り使い回すという発想こそが賢明であるのかもしれない。
いっぽう、列車の運行体制やアメニティといった部分では、それほどの進化を遂げているとは思えない。車中泊を伴い長時間走行するもの、比較的短い距離を日中走行するものなど、列車のタイプにより、1A (First class AC)、2A (AC-Two tier), FC (First Class), 3A (AC three tier), CC (AC chair car), EC (Executive class chair car), SL (Sleeper class), 2S (Seater class), G (General)と、いろいろな客車タイプがある。
クラスが上がるにつれて、料金も格段に違ってくることから、同乗する他の客を選別する機能があるといえるのは、インドという国における社会的な要請といえるだろう。
人々の可処分所得が上昇したこともあり、エアコンクラスの需要増に応える形で、空調付きの車両が増えることとなったが、クラスは上がっても1人あたりのスペースが広くなること、電気系統を含めた車内内装の質が向上することを除けば、基本構造自体は旧態依然のものであることから、やはり時代がかった印象は否めない。
他の列車よりも走行の優先度を高めて停車駅を少なくすることにより、目的地までかかる時間を短くしたラージダーニー、シャターブディー、サンパルク・クランティ、加えて最近導入されたドゥロントといった特別急行があるものの、これらの列車が連結する車両構造自体が取り立てて先進的というわけではない。
またダイヤの過密化と駅の増加により、こうした特別急行以外の急行列車は、たとえば1980年代と比べて、より時間がかかるものとなっている路線も少なくないらしい。
相変わらず大規模な事故がしばしば起きることも問題だ。今から10年も前のことになるコンピュータの『2000年問題』が取り沙汰されていた時期、確かに鉄道のチケッティングの面では一部懸念されるものがあったようだ。
しかし列車の運行についてはまったく問題ないという発表がインド国鉄からなされていたことを記憶している。その理由といえば、大部分がアナログ式に管理されているため、電子的な誤作動による事故はまずあり得ないという、あまりパッとしない理由であった。
その後、運行の手法について、どの程度の進展があったのか残念ながらよく知らないのだが、今年10月にもマトゥラーでの急行列車同士の衝突事故があったように、同じ路線にふたつの列車が走行してクラッシュという惨事、あるいは植民地時代に建設された橋梁が壊れて車両が落下といった事故が散発し、そのたびに多数の犠牲者が出る。メディア等でその原因等について盛んな糾弾がなされるものの、少し経つと同じような事故が繰り返される。
そんなことからも、列車の運行管理の部分においては、大した進展がないのではないかと疑いたくなる。これからは、鉄道輸送の根幹となる部分で、『乗客の安全』を至上命題に、骨太の進化を期待したいと思う。
蛇足ながら、乗客の立場からするとハード面でいつかは改善して欲しい部分として、乗降の際の巨大な段差もあるだろう。19世紀の鉄道を思わせるようで『趣がある』と言えなくもないが、観光列車ではなく、人々の日常の足である。停車駅で人々のスムースな出入りを阻害する要因だ。頑健な大人ならばまったく問題なくても、お年寄りや子供たちにとってはちょっとしたハードルである。身体に障害を持つ人にとっては言わずもがな。
19世紀・・・といえば、鉄道駅の中でも由緒ある建物の場合、電化される前には待合室等の天井にパンカー(ファン)を吊るした金具が残っていたりする。今は電動の扇風機が頭上でカタカタ回っているが、電化される前の往時は、吊るしたパンカーを人がハタハタと動かしていたのである。
やたらと進んでいる面とまったくそうでない面が混在するインド国鉄ではあるが、そういう凸凹が多いがゆえに、ふとしたところに長く重厚な歴史の面影を垣間見ることができる。ここに独自の味わいがあるのだ。
ひとたび車両に乗り込めば、場所によっては非常に時間がかかるとはいえ、広い亜大陸どこにでも連れて行ってくれる(もちろん鉄路が敷かれている地域に限られるが)最も便利な交通機関だ。
インドの鉄道のことをしばしば書いているが、私自身は『鉄ちゃん』ではないし、およそ鉄道や列車というものに一切の関心を持たない。しかし、情緒あふれるインド国鉄に関しては、いつも大きな魅力を感じてやまない『イン鉄ファン』なのである。