SCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)のトライバル博物館

 先日、コーラープトでジャガンナート寺院関係の団体が運営しているトライバル博物館について触れてみたが、オリッサ州の部族に関する博物館といえば、ブバネーシュワルにあるものが秀逸である。 

ここはSCSTRTI (Scheduled Casts and Scheduled Tribes Research and Training Institute)という、指定カーストと指定部族の人々に関する民族学的な見地による研究ならびに各コミュニティの社会的・経済的な発展等を図るといった活動をする機関によって運営されている。 

敷地内は研究施設、博物館、実物大の各部族の家屋の屋外展示などからなる。指定カースト・指定部族に関わるワークショップや会議なども活発に開催しているようだ。ブバネーシュワル郊外のCRPスクエアというエリアにある。 

入場料は無料、展示物は見応えがあり、しかも各コーナーで専属のスタッフたちが詳細な説明をしてくれるうえに、こちらから投げかける様々な質問にも丁寧に答えてくれる。だが休日であってもガラガラだ。訪問者は必ず入口で記帳することになっているが、一日に訪れる人数は一桁だったりする。テーマがテーマだけに、多くのインド人たちの興味の対象外であろうことは想像に難くない。 

館内には四つの大展示室があり、中庭には各部族の信仰の祭壇がしつらえてある。戦術にとおり、建物の裏手には主要なマイノリティの家屋が再現されている。館内は撮影禁止であるのが惜しい。 

詳細に説明してくれるスタッフたちは、この機関で調査・研究をしている若手のリサーチャーたちである。この中には自身が指定部族の出身という人も少なくないようだ。 

部族の人たちの地位向上とともに言語や文化の保存に力を入れているこの機関としては、彼らの経済水準の向上も目指しているものの、彼らが「オリッサ人化」「インド人化」されることなく、自身が誇りを持って民族の伝統や価値観を維持することを目指しているとのことである。 

そのために特に女性の地位向上のために伝統的な手工芸品を振興させているという。各民族の文様の意味等をまさにその人々に理解させ、同時にそれを商品化することにより、市街地でのマーケットにそれらの品物が並ぶようにして、現金収入を得る、ともに民族の伝統や価値に目覚めてもらうというようなプロジェクトも展開しているのだとか。 

留保制度により、政府職員となる人もあれば、大学等に進学したりする部族の人々も多くなってきているそうだ。さらには地域の政治に進出する人もかなり出ているようで、まだまだ厳しい環境にある人が大半であるものの、確実に変わりつつあるとのこと。

『私なんかもその一例ですよ。こういう機関で部族の人々についてリサーチする専門家になっているのですから』と、コーヤー族出身のスタッフの一人はにこやかに語る。 

オリッサ西部は丘陵地が多いが、地形は決して急峻なものではない。それらの地域の高度だってさほどではないのに、他の地域と較べて格段に多くのマイリノティコミュニティ、しかも独特な文化を持つ人たちが存在してきた。 

ひとつの理由はやはり人口密度が比較的希薄であったこと、そして経済的に後進地であったこともあり、地域に道路が引かれたのはだいぶ時代が下ってからのことらしい。それ以前は部族地域においては外部との行き来があまりなかったため、そうした民族や文化が維持されてきたとのことだ。 

2001年のセンサスに基づけば、総人口の22%、人数にして81,45 lakhsもの人々が部族。実に62ものトライバルが住んでおり、そのうち13の部族はPTGs (Primitive Tribal Groups)というカテゴリーのものである。 

だが部族の人々の大半は、ヒンドゥー文化と無縁の存在であったわけではなく、その外縁部に位置づけされる。しかしクリスチャンの宣教活動も盛んで改宗者も多いことから、そうした部分で衝突がしばしばあるとのがこの地域である。 

比較的近い時代まで、部族の人々の間で生贄に習慣があったとのこと。他の村から誘拐してきた人にその晩豪勢な料理を振舞い、酒を飲ませて女性も抱かせて一晩過ごさせ、翌朝所定の生贄を捧げる場所に連れて行き、斬首あるいは刃物で突き刺すなどにより殺害して神に捧げたという。 

今の私たちにとっては野蛮な習慣でしかないが、英領期に当時の政府がラージャスターン等でサティーの習慣を廃止させたりしたのと同様に、この地域でもこうした風習を廃止させるように動いたとのこと。それでもかなり時代が下るまで行われていたらしい。 

ほとんどの部族社会では飲酒が盛んで、男女一緒に酒飲む習慣のある部族もあるそうだ。米や穀類から造られることが多いが、中には花から作るものもあるとのことだ。醸造酒以外に蒸留酒も造っているとのこと。 

沢山のコミュニティがある中で、サンタル族は居住地域が最も多岐に渡り、人口規模が大きいだけではなく、豊かで開明的なコミュニティという印象を受ける。 展示品についてもかなり精緻に造られたものが多く目に付く。

漁労に関する展示もあった。日本のハヤ採りビンに相当する仕掛けの竹細工製品、酒や水を入れるひょうたん、畑仕事で頭に被る笠といった、日本のそれとそっくりなモノがいくつかあり、とても親しみを感じた。場所はまったく違うし、互いの接触もないのだが、人々は同じものを考案して使ってきたのだ。 

人々が金属の装身具を付けるのは、それにより身体の動きがスムースになると信じている場合、また銅や銀といったメタル類が体によい作用をもたらすと考えられている場合などがあるそうだ。彼らの装身具のデザインには、他のインドの人々の中にも相通じる柄なども多々あり、彼らが古い時代のインド文化に与えた影響、また反対にインド文化に影響されたことも少なくないことが感じられる。 

女性の装身具、髪をまとめる長い棒状のクシのようなもの等には、ずいぶん長くて尖っているものもある。ちょっと危険ではないかと思い質問してみると、それらは山の中での護身具も兼ねているそうだ。確かに山の中では自分の身は自分で守らなくてはならない。 

この博物館については当初あまり期待していなかったのだが、展示物の質の高さと学芸員の人たちの懇切丁寧な説明のおかげでとても興味深く見学することができた。半日くらいとってじっくり見学してもいいくらいだ。 

オリッサ州内の部族地域を見学するならば、事前にここに立ち寄っていろいろ予備知識を仕入れておくと良いだろう。とにかく情報が豊富である。この団体は部族に関する出版活動も行なっている。館内で販売されている書籍等については、こちらを参照願いたい。

部族の人々の木曜市 2

帰り道では、さきほどの日本人グループのクルマが道路脇に停めてある。乗客である年配の人たちが木立の中に集まっているのを見かけた。私も興味を覚えて運転手に停車してもらいそこに行ってみると、ちょうど彼らはクルマに戻るところであった。

横に太いストライプが入った民族衣装の女性たちがいる。彼らはガダバーという部族である。女性は20人くらいで、男性が5名。彼らはタブラーに近い形をした楽器を地面に置いている。

彼らの中の親分格らしき風采の男性に声をかけてみると、毎週木曜日にオンカデリーで市場のある日、村人たちがこうして集まって、通りかかる観光客たち相手に音楽を演奏して踊りを披露しているのだという。もちろん現金収入が目的で、一回100ルピーなのだとか。 『ネパールでもそうでしょう?各地でいろんな衣装や踊りあるでしょう。ここでは私たちガダバー族のものをみなさんに披露しているんですよ』と言うからには、彼は私をネパール人だと思っているらしい。

この人物は、彼らの中の取りまとめ役のような具合なのだろう。ある程度の教育があり、それがゆえに目先も利くため、村人たちを木曜日に集めてこういう風にして収入を得ることを画策したものと思われる。

ただし、彼らがこうしていることを知っているガイドは帰りにここに立ち寄り、観光客たちを喜ばせて、村人たちに現金収入をもたらすのだろうが、そうと知らなければ道路から少し先の木立でそんなことをしているとは気がつかないだろう。そのあたりはこれからやり方を学んでいくのだろう。

男性の話によれば、みんな普段は田畑で農作業をしているとのことだ。彼はけっこう正直な人で、尋ねてもいないのにこんなことを言って笑う。

『こうした格好をしているのは、観光に来たお客さんたち相手に稼ぐためです。普段はこういう服を着ていませんがね』

観光化されつつあるとはいえ、まだまだ素朴である。

ここに集まっていたガダバーの女性たちは端正な風貌の人が多く、その中にとんでもない美人も幾人か見かけた。撮影を断られたため写真はないのが残念である。コーラープトの町中で野菜売りたちの中にもガダバーの人の姿があるが、この部族には見目麗しい人が多い気がする。都会の人のそれとは違う、豹のようにしなやかで凛とした野性的な美しさと力強い輝きがある・・・としては言い過ぎだろうか。

いつごろからこうした部族民見学ツアーが静かに広がってきたのかは知らない。だが向こう5年、10年くらいでオリッサ観光のひとつの目玉となることは確実だろう。一部を除いて比較的観光資源が少ないと認識されがちなこの州だが、これだけ個性的な少数民族がかなり固まって住んでいること、定期的に開かれる市があるということは、なかなか魅力的なことである。オンカデリーの他にもチャティコーナー、クンドゥリーなどが知られている。

おそらく今後、ロンリープラネットを初めとする旅行ガイドブックでオリッサの部族が取り上げられることが増えてくるのではないかと思う。同様に隣接州チャッティースガル州東部も同様に部族が多い地域である。

ただしネックとなるのは、交通機関だろう。バス等の交通機関でアクセスできないため、クルマをチャーターするしかない。ある程度の人数がいればいいのだが、単独で行くとなるとかなり割高になる。開催日が異なる複数の定期市等を回るつもりならば、なおさらのことである。こうしたツアーを組む地元のオペレーターも少なくないが、メジャーな観光地を訪れるパッケージと違ってかなり高額なものとなる。

部族の村々を訪れたり、トライバル地域でキャンプしたりといった行程も組まれていることから、なかなか面白そうではあるが、かなり経済的に余裕のある層の人たちが対象といった感じだ。

もしかすると同時にインドの他の地方の部族たちのことについてもスポットライトが当たるようになるかもしれないが、このあたりのアーディワースィーたちは周囲の「インド社会」の影響が比較的少ないようで、その独自性また魅力なのかもしれない。

ただしオリッサとチャッティースガル両州の部族地域は、同時にマオイストの活動が盛んでもあることには留意が必要だろう。”Koraput” “Maoist”とふたつのキーワードでGoogle検索してみるだけで、マオイストによるずいぶん沢山の事件のニュースが引っかかってくる。

このあたりの村では稲藁を木で組んだ簡素な梁と柱の上に屋根のごとく積み上げる。そんな「東屋」の下で昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。ゆるやかな山あいの土地で緑と豊か水にも恵まれた大地。そうした環境であるがゆえに、様々な部族の人々が自給自足の環境下で独自の暮らしを営んでくることができたのだろう。

インドの中では後進地とされるオリッサ州の中でもとくに発展から取り残された地域とされる内陸部だが、そこで独自の生活様式を築いてきた部族たちの存在は、これとは裏腹にこの国の奥行きの深さと文化的な豊かさを感じさせるものがある。

<完>

部族の人々の木曜市 1

オンカデリーという集落で定期市が開かれる日である。

簡単な朝食を済ませて、昨日約束しておいたクルマに乗り込んで出発したのは午前8時。緑と水に恵まれた美しい丘陵地の中を通る州道をひた走る。途中の町で右折すると、そこから先はクルマ1台が通れるくらいの幅で路面もガタガタの田舎道となる。

このあたりからは丘陵地というよりも、山道といった感じになってくる。傾斜はさほどでもないが樹木が多い。そうした中にところどころ耕作された土地が見られる。この地域を含むオリッサ州の内陸部は、インド有数のトライバル・エリアとして知られている。

地形としては「ゆるい山間部」とでも形容しておこうか。他の地域とそれほど隔絶した世界というわけでもなさそうなのに、どうして様々な部族が多く残されているのだろうか。このエリアが発展から取り残された地域であることと、州自体の人口密度が高くないため、人口圧力もあまりないということがあるかもしれない。

ただしオリッサ州は地下資源が有望な地域でもあり、そうした資源開発と先住民の権利との間に生じる摩擦も絶えない。近年話題になっているものとしては、インド系英国資本(ムンバイーで創立され現在本社をロンドンに置いている)の ヴェーダンタ社によるオリッサ州のニヤームギリーでの操業は、元々ここに暮らしてきたドングリヤー・コンド族に対する『迫害』ということになり、深刻な人権侵害として複数の市民団体等から告発されている。

The Story of a Sacred Mountain (Tribal International)

Niyamgiri and Vedanta (Environmental Protection Group, Orissa)

運転手はオンカデリーに行くのは初めてのようで、このあたりからは途中で人に尋ねながら走っている。そうした相手の中には普通のオリッサ人もあれば、見るからに部族らしき人もある。オンカデリーに着いたのは午前11時くらいであった。コーラープトから3時間ほどかかった。

普段は静かなごく小さなマーケットであるが、毎週木曜日だけは近隣地域から部族の人たちが大勢集まって交易する場所として知られている。オリッサ西部の部族地域ではこうした場所がいくつもあり、場所により曜日は様々なのだが、こうした形で市場が開かれているらしい。

オンカデリーの集落の入口あたりでクルマから降りるが、通りにはずいぶん沢山の人々が集まっているのに驚かされる。その中には街中では見かけない格好をした部族の人々の姿がとても多い。ボーンダー、ガダバー、ディダイその他の部族たちである。

弓矢を持って歩くボーンダー族男性の姿が目立つ。この部族の女性たちはカラフルなビーズをあしらった頭飾りと特徴的な衣装を着ている。皆かなり小柄である。女性たちはマーケットで自家醸造の酒を売っている。大根から造ったものと米から造ったものがある。世の中に大根から出来た酒があるとは今日初めて知った。密造酒ということになるが、少数民族の生活習慣なので、定期市ではお目こぼしなのだろう。

ボーンダー族の男性たちにしてみれば、弓矢を身につけているということは、ちょうどスィク教徒にとってのキルパーンのように、男性としての象徴的な意味があるのだろうが、武器を手にしている男たちが酒を飲んで酔うという図には穏やかでないものがある。

ここに来てちょっと驚いたのは、外国人のツアー客らしき人たちの姿がかなりあることだ。最初に見かけたのは5名の西洋人グループ、そして7、8名の日本人グループがいた。オリッサの部族地域についてインターネットで検索してみると、地元オリッサや外国のツアー・オペレーターによる企画ものを紹介するサイトが引っかかったりするが、このようにして訪れる人々は決して少なくないようだ。

そのためだろう、普通に市場の眺めを撮影している分には問題ないが、特定の人物を近くで撮る(もちろん相手の同意が必要)場合、10ルピーを撮影対象の人物に渡すことが習慣になってしまっている。

都市部において、社会の周縁部から出てきた部族の人たちは、バーザールで売られているごくありきたりの衣類を着ているものだ。作るのに手間ヒマのかかる民族衣装よりも、バーザールで購入する大量生産された安価な衣類のほうが経済的に楽だろう。

また民族独自の衣装は、自らのアイデンティティを象徴するものではあるが、そうした『記号』的なものを見に付けることにより、インド人の大海の中では差別ないしは軽視される対象としての目印ともなり得る。

オンカデリーのような集落の外の山々はまるごと部族社会であり、彼らの普段の生活圏内であるためだろう。まだまだ伝統的ないでたちをしている人たちが多い男性たちの間では洋服を着ている人々がかなりあるが、女性は民族衣装を着ている割合がとても高い。部族の人たちにとっては、山あいの村から『町に出る』週に一度のハレの日であるため、こうして着飾りたいということもあるのだろう。

もちろんそういう格好で各部族の人々が集まってくるがゆえに、そうした定期市を見学するツアーが企画されていたりもするわけである。そうしたツアーでは部族の村などにも訪問するようだ。

さらに観光化が進めば、こうした場で民族衣装を纏う動機が『観光客に撮影させて報酬を得る』という具合になっていくことも考えられる。ちょうどタイ北部の山岳少数民族でそういうケースが多いように。少なくとも前述の『撮影=10ルピー』という慣習から、これを臨時収入の手段として認識していることは間違いないだろう。

あるいは各民族の日用品等が『伝統工芸品』として販売されるようになったり、特徴的な衣装(往々にしてオリジナルをかなりアレンジしたもの)が観光客目当てに製造・販売されるようになったりすることもあるかもしれない。

定期市が開かれるのは、オリッサ人が主体の集落の中にあるマーケットである。そのため建物の中や常設のマーケットのスペースで商うのは、主にオリッサ人たちである。それに対して路上や空きスペースなどで、部族ごとに集まって品物を広げているのは集落の周辺地域(・・・といっても山道を数時間もかけて徒歩でやってくる人々もある)からやってきたマイノリティの人々である。

部族の人々は、酒以外には主に村で収穫した野菜や果実といった農作物を販売している。定期市は、彼らが現金収入を上げる手段であり、同時に村では手に入れることのできない工業製品を購入する機会でもある。

ロンリープラネットのガイドブックには『Onkadelli should only be visited with a professional guide』などと書かれていたため、一体どんなところかと思っていたが、案外普通の田舎のマーケットである。

ただ普遍的なマーケットと視覚的に異なるのは、様々な格好をした部族の人々が大勢来ていることだ。加えて密造酒が堂々と販売され、主に部族の人々がこれをおおっぴらに酌み交わしていることだろうか。

ただしここに集まっている部族の人々の姿をいろいろ目にしても、彼らの具体的な文化背景等が皆目わからないのはもったいない。そういう意味でやはりこの地域に精通するガイドを雇って訪れたほうがいいだろう。

少数民族目当てで定期市を訪れる外国人客がチラホラいるため、オンカデリーのマーケットでもガイドを自称する者たちが存在する。だが彼らの知識は非常に限られたものであり、ひどくブロークンな英語(並びにその程度のヒンディー)しか使えない人たちなので、敢えて雇ってみるメリットはあまりないように思う。

ただしこの地域の住民である彼らは、少数民族の村に囲まれたこの小さな町で生まれ育っているため、幼い頃から公立学校でそうしたマイノリティの子供たちと学校で机を並べ、また現在も日常的にそうした人々と接しているという生活環境下にあるため、近隣の民族の専門的な知識はほとんどなくても、彼らの中に知己が多く生活習慣等日常的なトピックにはけっこう詳しかったりするのだが。

<続く>

コーラープト 3 社会活動に熱心なジャガンナート寺院

 町中にあるトライバル博物館を訪れた。この地域の様々な少数民族に関わる展示がなされている。各民族が民族衣装を着けている姿の写真、生活用具や家屋の一部の再現、生業についての紹介その他があり、なかなか参考になる。 

コーラープット地域における稲作の歴史は長く、太古の野生種で原種の稲やその近隣種などが、今でもこの地域で栽培されているとのことだ。そうした原種なのかどうか、それらと関わりのある種類の稲なのかどうかは知らないが、現在部族の人々が村で栽培している稲の種類の展示もある。米の種類があまりに沢山あることに驚かされる。 

この博物館は政府の施設ではなく、コーラープットのジャガンナート寺院が設立した団体による運営である。入場無料(代わりに若干の寄付を求められる)で写真撮影も自由。部族に関するワークショップやメーラーも時折開催されるようだ。 この寺院は近くに部族の子弟が学校に通うためのホステルも運営するなど、まるでキリスト教団体のように社会活動に力を入れている。

学校に通う部族出身の子弟のためのホステル

博物館のすぐ東側にそのジャガンナート寺院がある。建築自体はプリーにある同名の寺院を模して建てられたものである。プリーのそれよりもかなり規模は小さいが、ここは外国人でも入場することができる。

寺院への階段の参道の両脇には、寺院が運営する宿泊施設もある。これらはいわゆるホテルである。収益事業としてやっているのだろうか。参道に向かって右側はアティテイ・バワン、左側はアティティ・ニワスという名の宿だ。前者のほうが規模が大きく、食堂もあるが、後者は宿泊のみである。前者の食堂には菜食ターリーしかないが、これはジャガンナート寺院の本殿境内の脇でプラサードとして参拝客たちに出しているターリーと同じ内容だ。 

これらの宿はなかなか人気のようで、団体だか家族連れだかの客たちが次々に到着している。他にこのクラスの宿がないこと、私が利用した宿は昨年オープンであまり知られていないことなどから、現在競合しているのは近くで州観光公社が運営するヤートリー・ニワースくらいしかないということもあるだろう。 

コーラープトへは、オリッサ州都のブバネーシュワルはもとより、西ベンガル州都のコールカーターからも直通列車が運行している。この町自体にも部族の人々は多く出入りしており、周囲は基本的に部族エリアであることから、今後部族の人々のマーケット等を見学するといった形の観光が盛んになってくると、ここをその拠点として訪れる人々が増えると思われる。 

<完>

コーラープト 2 北インドと南インドの境目?

 町中では、マーケットその他の路上で野菜や生薬を売っている人々の中に部族の人々の姿がとても多い。周辺の村からバスや徒歩で町まで出てきてこうやって商売しているらしい。

 そうした人々の多くは自家製とおぼしき、通常よりも小ぶりな野菜類を扱っていることが多い。並べている量も総じて少ないことが多く、こんなので商売になるのだろうか?と気になってしまうような人も少なくなかった。自家消費から剰余が出た分を現金と交換するために行商しているというケースもあるのかもしれない。 

むしろの上で石の細かい破片のような鉱物を 広げている年配女性もいた。このあたりの部族の人々はたいていそうだが、自身の言葉以外にオリヤー語しか理解しないので仕方ない。

そうした中に男性も女性もいるのだが、特に女性のほうが目立つのは、特徴的な民族衣装を着ているからだろう。サーリーよりも丈の短い布を身体に纏っている。ペチコート類は下に着けておらず、太古の壁画に出てくる女性の姿のようでもある。

 この国では指定部族に対する留保制度があるため、おそらく政府関係の仕事に就く人は少なくないことと想像できる。また商業的に成功して、町で店を構えたり、家を建てている人もけっこうあるのかもしれない。もともとのスタート地点が低いことから、そうした形での社会進出は決して易しくはなかろう。それでも都市化して暮らしている人たちも少なからずあることだろう。 

 宿泊先のHotel Raj Residencyは、まだ新しいから快適というだけのことで、時間とともに『標準化』していくようなので特にコメントすべきものはないのだが、ここのグラウンド・フロアーのレストランはなかなか面白かった。

 何が楽しいかといえば、通常ドーサ類といえばヴェジタリアンだが、ここでは『ノンヴェジ・ドーサ』がいろいろあるのだ。

エッグ・ドーサ、チキンキーマ・ドーサ、マトン・ドーサetc.といった具合で、要はマサラー・ドーサーを注文すると中にマサラーで味付けしたポテトが入ってくるが、ノンヴェジではこれが卵であったり肉類であったりするわけだ。いろいろ試してみたが、どれもビールによく合う感じだ。 

他にも変り種で甘いドーサ類があり、コーヒー・ドーサにはネスカフェが入っているらしい。こちらは残念ながら試していないが、こうした『邪道』なB級グルメ的なアイテムがいくつもあり、食に対するこだわりも関心も特になく、日々クルマやバイクにガソリンを補給するような感覚で食事=作業をしている私でさえも、思わずニヤリとしてしまうような料理がいろいろあるのが良かった。 

それはさておき、オリッサ州南部で、アーンドラ・プラデーシュに近いためだろう、町中の食堂で用意している食事にはかなり南インド的なアイテムが多く見られるうえに、北インド料理にも南のテイストが加わっている。たとえばチキン・モグライを注文すると、ココナツで仕上げてあったりするなどといった具合だ。 

町中に貼られたポスター等の中で、アーンドラ・プラデーシュをはじめとする南インドを本拠地とする聖者たちの姿も数多く見受けられる。プッタパールティのサッティャ・サイババの関係施設もあった。

 

このあたりは、ちょうど北インドと南インドの境あたりという気がする。 

<続く>