ジャイサルメールの宿 2

ジャイサルメールに到着前から宿泊先を決めてあったので、駅には出迎えに来てくれていた。Hotel Tokyo Palaceという昨年11月に開業したホテルだ。経営者は日本在住のインド人の方で、現場で指揮を取っているのはその弟さんである。

着いてみると、想像していたよりもずいぶん立派な建物であった。黄砂岩が多く取れるこの地域、城砦はもちろんのこと、市内の建物もこれをふんだんに用いたものが多く、風景に統一感があるのだが、このホテルもまた同様にこの石材を建物の内外にあしらっている。

Hotel Tokyo Palace

壁には手の込んだ彫刻も施されており味わいがある。客室の出窓部分には休憩用のマットと枕もしつらえてあり、小柄な人ならばそこで寝ることもできるくらいだ。室内のスペースが充分取ってあり、ゆったりと快適。中も外も城砦のイメージとマッチしており、ジャイサルメールらしいムードを醸し出している。

バスルームの内装も頑張っている。水周り関係、例えば水道栓等はずいぶんグレードの高いものを使っている。部屋の内装だけではなくロビーといった共用部分についても先述の黄砂岩と彫刻が施されており、現在ではプールも完成しているなど、客室の料金帯を越えた投資がなされていることがうかがえる。他の多くのホテルでもそうであるように、広々とした屋上では大きな日除けの下で食事ができるようになっているが、ここから見上げる城砦の眺めも素晴らしい。

ロビー周囲ではWIFIを利用できる。ソファその他腰掛けるスペースがいくつかあるため、自然と宿泊客たちが集まっておしゃべりが始まる良い環境だ。細かい事ではあるが、チェックアウト時間が午前11時という常識的な時間帯であることもありがたい。ジャイサルメールの他のホテルでは、何故か午前9時というずいぶん早い時刻に設定されているところが多いのだ。周囲は小さな家屋が建ち並ぶ住宅地。エリアはヘリテージなロケーションではないものの、ここから城砦の入口へは充分徒歩圏内である。

オーナーの方は日本在住のインド人。そして日本人女性の方がウェブサイト構築、宿泊問い合わせメールへの応対等を手伝っているなど、この街の他のホテルが持ち合わせない感覚が窺える。エコノミーな料金帯を越えたスタイリッシュさとご当地感覚をうまく掛け合わせて、居心地の良い空間を創り出しており、今後ジャイサルメールで、日本人を含めた外国人たちの間でとりわけ人気の宿となることと予想している。

秋から初春にかけてのシーズンに、夕方遅く予約無しでここを訪れて満室で断られたとしても、隣に同じようなクラスでこれまた新しいホテルがある。あるいは、すぐ近くに規模の小さな宿が開業準備中であったため、そのあたりで何とかなるだろう。ジャイサルメールの城砦からこれまで特に何もなかったと思われるこの一角は、新たな旅行者ゾーンになるのかもしれない。近隣の他の新しいホテルとも上手に共存共栄していくことを願いたい。

切に願いたいのは、それまでは他の同クラスの宿泊施設と比較して優れていた点が、年月の経過とともに色褪せていき、結局は他の多くの同業者と変わらなくなってしまう『標準化現象』が発生しないことである。この『標準化現象』のリンク先を参照願いたいが、料金帯に応じた宿泊客のモラルの問題もあるため、経営側にとっては要注意だ。

Good Valueで人気な宿であり続けることには、日々相当の努力と自己管理が必要だが、当然の習慣となっていれば、それに対する見返りも大きいことは言うまでもない。そうした宿泊施設では、他のホテルが閑散としているオフシーズンでもコンスタントに宿泊客たちが滞在している。今後ますますの発展を期待したい。

<完>

ジャイサルメールの宿 1

午前8時過ぎに列車はポカランの駅で停車。軍の大きな駐屯地があるので、外の道路では軍関係車両の行き来が多い。近郊では1974年と1998年に核実験が行われたことでも広く知られている。平坦な荒野が広がる土地だが、線路はここからスイッチバックしてジャイサルメールへと向かう。

これまで最後尾であった車両に牽引する機関車が連結されることになるため、他の列車の通過待ちがあるわけではないのに停車時間は長い。おかげで貨物車を除けば、旅客列車は日に数えるほどしかない駅ながらも、ごく限られた時間ながらもこうした急行列車が停車する時間帯ではプラットフォームの売店では乗客たちが殺到し、店の人は大わらわである。

ポカランを発ってから2時間半ほどで、終着駅のジャイサルメールに到着。出口のところでは市内各地のホテルからの出迎えやその他客引きたちが大勢待ち構えている。ジャイサルメールで宿泊施設を運営するのは決して楽なことではないだろう。観光客の占める割合が非常に多いため季節性が高い。加えて閑散期でインド有数の高温地帯となる暑季には訪問する人は極端に減る。夏の西ラージャスターンはどこも非常に暑いが、近郊の砂漠を除けば他のメジャーなスポットから距離があるというロケーションにも、容易ならざるものがある。そのためシーズンに集中して稼いでおく必要がある。

その観光客にしてみたところで、多くは無数の一見の客たちである。他の産業に乏しいため観光への依存度が極端に高く、ライバルたちが多数乱立して競争の激しい中、四方に手を尽くして集客を図るしかない。そんなわけで鉄道駅やバススタンドに到着するお客たちを文字通り『一本釣り』せざるを得ない。ある意味狩猟採集生活に似ているかもしれない。事前に電話で予約してきたお客については鉄道駅ないしはバススタンドまで出向いてピックアップするのが当然のノルマになっている。その分、ジャイサルメールの多くのホテルでは、朝のチェックアウト時間はたいてい朝9時とずいぶん早い時間帯に設定されており、宿泊客にとって早朝に街を出発するのでない場合ちょっと辛いものがある。

幸いにして人気のあるガイドブックに掲載されていたり、大都市の旅行代理店との提携関係があったりするようなところならば、かなりまとまった利用客が見込むことができるため、あちこち徘徊することなく、デンと構えてお客の到着を待つ『農耕生活』的なスタイルに移行できるのだが。

それとてお客たちからのクレームが掲載ガイドブックの発行元や取扱い旅行代理店に相次ぐようになれば、掲載や斡旋が取り消されてしまうことにもなるので、宿泊客たちには良い印象を与え続けられるよう、接客はもちろんのこと客室や施設のメンテナンスやアップグレードにも心がけなくてはならない。ごく当たり前のことではあるのだが、これがなかなか難しいようだ。『新築のときには良かったけれども、数年したらボロボロ』『流行りだしたら横柄かつぞんざいになった』等々により、メジャープレーヤーの立場から転落していく例は数限りない。

全国でチェーン展開していてノウハウの蓄積もあり、マネジメントもしっかりしている中級以上のホテルグループならともかく、個人営業の宿泊施設の場合はオーナーや現場の人たちに自己管理力とスタッフに対する規律と動機付けがなければ、宿泊施設としての質の向上はもちろん、開業当時のコンディションの維持さえ決して容易なことではない。もちろんインドに限ったことではないが、往々にして『オープンしたてがベスト』ということになってしまう傾向があることは否定できない。

<続く>

旧くて新しいホテル4

また、近年になって新築された『宮殿風』ホテルも各地でしばしば見られるようになっている。これらを『ヘリテージホテル』と呼べるものかということもあるかもしれないが、ずいぶん前に『築浅の宮殿風ホテルもいいかも?』として、マッディヤ・プラデーシュ州のオールチャーにあるAmar Mahalというホテルについて触れてみたことがある。

インドの人々の間で90年代に起きた旅行ブーム以前は、農地と荒蕪地の間に崩れかけた遺蹟が点在している状態だったオールチャーだが、今では地域のメジャーな観光地のひとつになっている。これについて『再訪1寒村からリゾートへ』で述べたことがある。この記事中にある「ペルシャ庭園風の見事な中庭を備えた同クラスのホテルも2003年6月に開業」とは、先述のAmar Mahalのことだ。観光資源の存在と同様に、こうした宿泊施設の存在も観光による地域振興に寄与するところは大きいだろう。

Shahpura House

ラージャスターンのジャイプルの閑静な住宅地、バニー・パーク地区では近年観光客向けの宿泊施設が増えている。特に1952年築の建物をホテルに改築したShahpura Houseは評判が高いようだが、個人的には以下のふたつのホテルがとても印象深かった。

Umaid MahalUmaid Bhawanである。どちらも近年になって建てられた新しい施設だが、上手にヘリテージ風に仕上げてある。どちらも同じ退役軍人が所有している。

Umaid Palaceのエントランス

華麗な外観が目を引くとともに、ひとたび足を踏み入れれば、ラージャスターンならではの絢爛な装飾とクラシックな装いがマッチした空間にすっかり参ってしまう。料金は1800~3000 Rs超といった程度の中級レベルで、このクラスの料金帯の部屋ないしは施設自体が『宿泊する人を魅了する』ということは、他ではまずあり得ないことだ。

Umaid Bhawanの道路に面したゲート
Umaid Bhawanのスイートルーム(ソファ背後のカーテンの奥は寝室)

こうした味わいのある『ご当地ホテル』が増えてきている中で、当たり外れもあるだろう。また他のインドの宿泊施設同様、ノウハウの欠如か意識の問題なのかはさておき、経年劣化が著しいところも今後出てくることと思う。それでも泊まって楽しいヘリテージホテルが増えていくことは、宿の選択の幅が広がるという観点からも喜ばしい。

<完>

旧くて新しいホテル3

メヘラーンガルを仰ぐ絶好のロケーション

このほど、そうしたハヴェーリーから転用されたホテルに宿泊する機会を得た。場所はジョードプルである。Krishna Prakash Heritage Haveliというそのホテルは、マールワール藩王国時代の1902年に警察幹部が自宅として建築した屋敷。後にその身内で藩王国の内務大臣の職を務め、インド独立後は国会議員を務めた人物の居宅でもあった。

この大きな建物の中には身内の複数の世帯の人々が暮らしていたに違いない。中庭を核にして周囲にいくつかの部屋が並ぶ形になっているセクションが複数あり、それなりのプライバシーは保たれていたものと考えられる。

今のオーナーはこの屋敷をホテルに転用して現在に至っている。部屋はいくつものタイプがあり、その手前に小さな中庭があるものもある。ひとつひとつ違うので最初に見せてもらうといいかもしない。暑い時期には敷地内にある小さなプールで涼む宿泊客も多い。

メヘラーンガルの城壁を間近に仰ぎ見るロケーション。夕方から午後9時くらいにかけて美しくライトアップされた雄大な城砦を眺めながらの夕食は実にロマンチックだ。

最初からホテルとして建てられた施設の場合、部屋間のグレードの差はあれ、ある程度標準化されているのに比べて、ハヴェーリーの個人の屋敷であったがゆえに、部屋のサイズや居心地は様々だ。館の主やその直近の家族が寝起きしたところもあれば、どちらかといえば隅に置かれていた身内もいたかもしれない。もちろん使用人部屋だっていくつかあったはずなので、部屋に荷物を置く前にいくつか部屋を見せてもらったほうがいいだろう。

同じ旧市街で付近にはHeritage Kuchman HaveliやPal Haveli等、古いハヴェーリーを転用したヘリテージホテルがいくつかある。ちょっと覗いてみると、きっと宿泊してみたくなることだろう。

<続く>

旧くて新しいホテル2

そうした中、古いハヴェーリー、地域の伝統的な屋敷がホテルに転用される例が相次いでいるようだ。今からだいぶ前にシェーカーワティー地方を訪れたことがある。この記事を書いたのは2005年であったが、初めて訪問したのはそこからさらに4年前なので、今から10年くらい前のことになる。

かつてその地方が陸上交易で栄えた時代に富を築き上げた商人たちによって建てられたハヴェーリー(屋敷)が沢山残っていることで知られている。家の内外を問わず、壁のあらゆるところがカラフルな絵や模様で飾られているため、『オープンエア・ギャラリー』として知られている。

訪問時、地元の土豪の洋風の館の他に、ごく新しい宿泊施設で内部をハヴェーリー風に仕上げたものを見かけた。旧商家のハヴェーリーについては、博物館となっているものをひとつ見学したが、あとは今でも間借人たちが屋敷内を細分化して賃借しており、ほとんどは内部を見学できるような状態ではなかった。

そうした現在でも人々が暮らしている住居については、『ハヴェーリーに興味がある』と話した相手がたまたまそうした家屋の賃借人だったため好意で連れて行ってくれたり、あるいは道端で少し話をした子供に『君の家はどこ?』と尋ねると連れて行ってくれて、大人の家族たちの困惑したような表情を横目に、内部をチラリと見せてもらったくらいである。

どちらにしても、現在間借している人たちは、たいていの場合、これらを建てた人たちの子孫でもなければ身内でもない。陸上交易の時代が終わってからは商家の人々は都会に出てしまっており、血縁でもなんでもない人々が賃借しているのが普通だ。

それだけに建物の内外は荒れるに任せているといった具合で、もう少し文化的、歴史的な価値が見直されることがあってもいいのではないかと思っていた。それらを少しでも広く知ってもらうために、こうしたハヴェーリーのうちのいくつかが宿泊施設として転用されれば、その用を足すかもしれないし、シェーカーワティー地方の魅力の内外に広める役目も期待できるのではないかと思った。当時、この地方のマンダーワーという町のあるハヴェーリーでは大掛かりな改修作業が進行中だった。

『これからホテルになるのだ』という話を聞いて、これからはシェーカーワティーの宿泊先の目玉はこういうタイプの施設になると確信したものだ。

ロンリープラネットのガイドブックを開いてみると、シェーカーワティーの記事にはいくつものハヴェーリーを転用した宿泊施設の紹介がある。2000年及び2001年に私が訪れた際、ここ多いカラフルなハヴェーリーをホテルに転用したらどんなに良いことかと思ったものだが、今ではそれが実現されている。 ヘリテージホテルの新しい流れである。

ラージャスターンの北東端に位置し、デリーやハリヤーナー州から週末を利用して訪問する家族連れ、友人連れなどが多い。距離的に近いのに、ずいぶん地域色の濃い地域である。こうした建物が比較的エコノミーな料金で利用できることも、かなり喜ばれているのではなかろうか。

もちろん、見事なハヴェーリーが残っているのはシェーカーワティーに限らない。他のところにもそれぞれの地域のテイストの興味深い屋敷が沢山残っている。だがそれらの多くは今も個人の邸宅であるがゆえに、通常私たちがそれらの中を見物する機会はあまりないのである。

<続く>