A Jaywalker’s Guide to Calcutta

A Jaywalker's Guide to Calcutta

地元等の出版社からコールカーター市内のガイドブックはいろいろ出ているが、2年ほど前にその中でも特に秀逸なものを見つけた。著者は生まれも育ちもコールカーターのジャーナリストだが、版元はムンバイーの会社である。

書名:A Jaywalker’s Guide to Calcutta

著者:Soumitra Das

出版社:Eminence Designs Pvt. Ltd.

建物とストリートに視点を据えて、個々の建築物や往来にまつわる人々の歴史に焦点を当てている。それらの中にはメトロポリタン・ビルディング、エスプラネード・マンション、ダルハウジー・スクエアといったメジャーなものも含まれているものの、数々の通りの由来、現在の姿からは想像もつかない過去、アングロ・インディアン地区と往時の彼らの屋敷、元欧州人クラブ、元不在地主やかつての富豪たちの忘却の彼方に押しやられた荒れ放題の豪邸、この街を舞台にしたマールワーリー商人たちの繁栄の面影、地元ベンガル人不在のオリッサ人労働者たちの居住地域その他、実に様々なものが沢山取り上げられている。

著者は、この本を手にした者を、旅行者たちにとって『月並みでないコールカーター』へと誘う。その内容たるや、とても数日で見て回ることのできるようなものではない。ここで取り上げられている建物や場所を訪れても、それを楽しんだり味わったりするためには、もちろんそれなりの予備知識が必要となってくる。

この本を通じて、コールカーターという街のとてつもない奥行きの深さを思わずにはいられず、このガイドブックの誌面の向こうには、様々なワクワク、ドキドキする新たな発見に満ちた街歩きが待ち構えているであろうことを感じる。

市内各所、路地裏まで精通した地元の知識層が書いた都市ガイドブックは、通常の観光案内とは、視点も取り上げる背景の厚みもまったく異なる。こうした内容である割には、カラーの写真や図版も多くて非常にわかりやすいのは、こうしたスタイルで、他の都市の紹介本も今後出てくるとうれしい。

サダル・ストリートの新しいホテル

昔から何も変わらないように見えるコールカーターの安宿街サダル・ストリートだが、近年はちょっと小綺麗な宿もポツポツと出てきている。だが残念なのは、新築時の心地よささが持続しないことだ。もちろんそれがゆえに安宿ということになるのだろう。

安宿街といっても、フェアローン・ホテルのようなユニークなヘリテージ・ホテル、あるいはリットン・ホテルの如き昔ながらの中級ホテルがあったりするのだが、そうした『ちゃんとしたホテル』が新規参入することはなかった。少なくとも一昨年、ムンバイーを本拠地とするBAWAグループによるBAWA WALSONが進出してくるまでは。

パークストリートのすぐ北側という好立地で、移動のチケットの手配その他の用事のため何かと便利で悪くないのだが、やはり安宿街の代名詞『サダル・ストリート』という名前が好ましくなかったのだろう。

それでも近年は、隣国バーングラーデーシュからやってくる人たちが大勢いることに加えて、インドの北東州からの訪問客の姿も目立つようになってきて、さらには1人あるいは友人と少人数でフラリとこの街を訪れるインドの他の地域の若年層の人々の利用も増えているなど、この通りに宿泊する人々の中で西欧人を中心とした先進国からの旅行者が占める割合はかなり低下しているようだ。

バーングラーデーシュからの旅行者、インド各地からの訪問客はどちらも経済力はピンキリのようだが、かなりゆとりのありそうな人でも、あまり場所には頓着しないのは、やはり自分たちの『地元』ではないからだろう。

BAWA WALSONは、それなりに繁盛しているようだ。同ホテルは『通常料金』として6,000Rsだの7,000Rsだのといった金額を掲げているものの、時期にもよるが電話あるいはネットで問い合わせると、実際は2,200~2,800Rs程度で宿泊させている。他の大都市に較べて、コールカーターのホテル代はかなり低目であるということもあるが、このクラスのホテルがこうした料金で利用できるのはかなりバーゲンであるといえる。 このあたりの話については、昨年の今ごろ書いたサダル・ストリート変遷をご参照願いたい。

新規参入したBAWA WALSONの正面には、昨年10月に開業したGolden Apple Boutique Hotelがある。BAWA WALSONよりも少し安い1,995Rsという金額で、室内もなかなかスタイリッシュでカッコいいホテルだ。

なかなかいい感じのベッド
ソファのあたりが気に入った。どっかり座ってくつろぐのも良し、日記などしたためてみるにも良し。向かって右側はバスルーム。
廊下は狭いものの、なかなかキレイに仕上げてある。

しかし、どこかからコピーしてきたようなトレードマークといい、パチンコ屋の入口みたいなエントランスといい、開業してから日が浅いにもかかわらず、いかにも仕事をするのが、嫌で嫌でたまりませんといった風情の従業員たちといい、どうも品がないなあと思いきや、ホテルのカードをもらうと、6年ほど前に鮮度が命!1 エコノミーなホテルは新しいほうがいいと題して取り上げてみたAshreen Guest Houseの系列であった。

どこかで目にしたようなリンゴのトレードマーク。エントランスはパチンコ屋風である。

名前は忘れたが、ムスリムのオーナーがAshreen Guest Houseを筆頭に、Hotel Aafreen、Afridi International Guest Houseという計3つの安宿を運営している。エコノミーな割にはキレイにしているとのことで、安旅行者の間で評判はまずまずらしい。

今回は、やや上のクラスを狙って奮発してみたようだが、器は悪くないものの、ちょっと背伸びしすぎている気がする。数年すると順調にボロ宿化してきて、オープン当時に利用した人が再訪するとガッカリすることと予想している。

サービスのつもりかもしれないが、宿泊しているフロアーでは天井に付いているスピーカーから大音響で音楽が流れていてうるさい。部屋にタオルを持ってきてくれるようにと、内線で繰り返し頼んでも永遠に運ばれてこない。安宿から格上げしたところなので仕方ないようだ。デスクの上にあるルームサービスのメニューを手にすると、Blue Sky Cafeと書かれていた。外国人バックパッカーがよく出入りしている安食堂から部屋まで宅配というシステムであるところもそれらしい。

ともあれ、安宿街のサダル・ストリートにも、アップグレード化という新たな傾向が出現していることは冒頭で述べたとおりである。

コールカーターの老舗洋菓子店

NAHOUM & SONS

創業1902年から数えて今年で110年目となるナフーム(Nahoum & Sons) は、1911年にデリーに遷都されるまで、英国によるインド統治の中心地であったコールカーターでも、現存する最古の洋菓子屋であるとされる。

店の名前が示すとおりユダヤ系の商店で、経営者は三代目のディヴィッド・ナフーム氏。ずいぶん前には彼が店に出ているところを見かけた記憶があるのだが、今や90代という高齢のため、滅多に店に顔を出すことはないらしい。

昨年の今ごろ、『コールカーターのダヴィデの星1234』で取り上げてみたとおり、今や見る影もないものの、コールカーターはユダヤ系コミュニティが繁栄した場所でもある。

この街きっての老舗洋菓子屋といっても、決して敷居の高いものではなく、ここを訪れる旅行者誰もが一度は足を踏み入れる(そして煩い客引きにつきまとわれる)ニューマーケット内の雑然とした一角にある。

Nahoum & Sons Private Limited

F-20, New Market

Kolkata – 700087

店内の様子

市内の他の場所からニューマーケットに移転してきたのは1916年だというから、このロケーションですでに96年が経過していることになる。室内の様子もショーウィンドウも時代がかっていて、なかなかいい感じだ。創業時から少し遡った19世紀のコールカーター在住欧州人向け商店の中はこんな感じであったのではないだろうか。

朝は10時開店だが、店の一部は朝7時くらいから開けており、そこでは香ばしい匂いが立ち上る焼きたての食パンを販売している。ベーカリーとしてもかなり評判がいいらしい。

メインの洋菓子類については、ケーキ、ドライケーキ、ペストリー、クッキー、メレンゲの類で、他の洋菓子屋に陳列されているものと大差ないのだが、いろいろ買い込んで試してみると、見た目は似ていても、味わいは標準的なレベルを大きく凌駕している。さすがは110年もの歳月を経た老舗だけのことはあり、どれも美味であった。

時代がかった棚もいい感じ。

果たしてナフームに陳列されている菓子類で、創業当時から同じレシピで作っているものがあるのかどうかは不明。冷蔵庫のなかった時代のことだが、今のナフームのショーウィンドウにも冷蔵装置は付いていないので、たぶん同じようなものを作っていたのではないかと思う。

静かに目を閉じて食してみれば、あなたも20世紀初頭の味わいが体験できるに違いない。

見た目は他店のものと同様でも、さすがは老舗の味わい。

再び中華朝市へ2

旧中華街にある観音寺

この地域にある観音廟に行く。寺の世話人はネパール人にも見えるが中国系。おそらくインド人との混血らしきと思われる浅黒い肌の50代後半くらいの男性だ。早朝から参拝客はポツポツと出入りしている。

旧中華街は元々ムスリム地区と隣り合っていたのだが、インドにあっては華人とムスリムは共働関係にあるようだ。19世紀後半あたりから流入してきた華人たちが従事した主要な産業、皮なめし業、皮革加工に関する製靴業等の仕事、家畜の屠殺から畜産物加工、そして『Non-Veg』レストラン等々でしばしば同業者であったり、取引相手であったり。華人たちが経済力をつけてからは、ムスリム労働者たちに就労機会を与えてくれる雇用主でもあったことから、互いに持ちつ持たれつの関係が続いていたようだ。

コールカーターのもうひとつのチャイナタウン、東郊外のテーングラー地区でも同様だ。華人経営の大小様々な皮なめし工場があるが、労働者たちはインド人のムスリムたち。中華レストランも大きなものから小さなものまでいろいろあるが、経営者家族以外の従業員たちはやはりムスリム。豚肉無しの中華料理で、中国本土での漢族系ムスリムたちの『清真料理』のイメージと重なるような感じがする。

ムスリム地区の中で忽然と現れる華人の同郷会館

華人人口が非常に少なくなっている現在は、このあたりも丸ごとムスリム地区となっている。しばらく旧中華街エリアのムスリム地区を散歩する。道端の小さな店で、羊や牛を解体していたり、屋根の付いた小さなマーケットがあったりする。そんな中に突然、華人たちの同郷会館や中国寺院等が散見される。

屋根付きのマーケットで鶏卵を商う男性

ここから少し北に向かうとナコーダー・マスジッドに出る。1926年に落成したこのマスジッドは、密度の高い商業地域に立地している割には1万人収容という規模の大きさを誇る。敷地ギリギリ一杯まで使ったこの建物は、キブラーの方角との折り合いをつけるため、通りから見ると、かなり捻じれたような形になっており、自分の視覚がおかしくなったような気がしてしまうくらいだ。あるいは『だまし絵』を眺めているような感じともいえるだろうか。

ナコーダー・マスジッド

マスジッド入口向かって左側に、割ときれいな感じの床屋があったので入ってカットしてもらっているとき、店の入口にいた人が『空の具合がずいぶん妙だぜ』と店主に言う。『どんな具合だい?』と外に出てみると、まるで夜のように暗くなっていて気味が悪い。

散髪を終えて外に出たところで非常に激しい雨となった。とても歩いているわけにはいかないので、庇のあるところで雨宿りだ。道路端は見る見るうちに冠水していく。

<完>

再び中華朝市へ1

コールカーター訪問の際、毎回一度は中華朝市に出かけることにしている。ごくささやかなモーニング・マーケットではあるものの、コールカーターで長年続いてきた(インド独立に続いて中印紛争以降は人口を激減させてきたが・・・)中華コミュニティの一面を垣間見る機会であるとともに、インド人たちにとっては異国情緒を味わうスポットとしてテレビ等で紹介されたこともあるため、カメラを手にしたカップルや親子連れ等も少なからず見かける。

昨年秋に版が改まったロンリープラネットのインドのガイドブックのコールカーターのチャプターでも、『Old China Town』(旧中華街)として、このエリアのことを取り上げるようになったことから、同様に紹介されている郊外のテーングラー地区とともに、訪問する外国人客も今後増えていくのではないかと思う。旧中華街のSun Yat Sen St.つまり『孫文路』にある、知人の華人女性Cさんの中華食材屋に立ち寄った際、彼女自身のことも少し書かれているページを見せてみた。まったく知らなかったようでちょっと驚いていた。コミュニティ内外の様々な人たちが出入りするお店の主で、気さくで知己の幅が広く華人コミュニティに関する情報通であることに加えて、いつも店にいるのでコンタクトしやすいことから、従前からメディア等の取材を受けることが多かったようだ。

そのCさんと世間話している間にも、時折地元コールカーター在住のインド人たちの中で、ちょっとグルメな人たちがソースだの、乾麺だのといったアイテムを求めて店にやってくる。『煮豚をうまく作りたいと思いましてな・・・』と、調味料や香辛料を購入するとともに、レシピの教えを乞う初老の紳士の姿もあり、さすがはコスモポリタンなコールカーター、食生活も多様なインド人たちがいるものだと少々感心。

数少ない華人の売り子

この中華朝市、華人たちが大勢早起きして屋台でいろんな食べ物を売っているものと期待して出かけるとアテが外れることだろう。肉まんを蒸して売っていたり、油条を揚げて販売したりしているのは、たいていインド人たち。中にはわずかに華人もあるといった具合だからだ。お客の側についても、華人の姿がチラホラ見られる程度。彼らの多くは、中印紛争以降大量に国外、とりわけカナダへ移住してしまったため、人口が激減したことに加えて、コールカーターに残った人たちの多くは高齢化しているので、あまりこういう仕事をしなくなったということが背景にある。

そんなわけで、朝市の売り子たちの多くは、この地域で華人の屋台料理を覚えたインド人たちなのだが、それでも『華人直伝のやりかた』はしっかり身に付けているようだし、肉まんやシュウマイ等は、この地域で華人が製造したものを購入して蒸して販売しているため、味は本格的だ。

華人の親子連れの姿があった。

中華屋台料理の店と反対側には、野菜や魚類などを売る普通の露天商たちが店を広げている。大きなタライの中には生きたフナや鯉の類の魚たち。中には緋色の鯉の姿もある。元々錦鯉は、突然変異した緋鯉を改良していってできたものなので、普通の鯉の中にある一定の割合でこうした変種が出現するのだろう。

緋鯉がいた。

<続く>