スィーパウの町1

味わいのある建物がある。
なかなか落ち着いた感じの町並み

スィーパウはミャンマーのシャン州の町だが、周囲に様々な少数民族の集落が多いことから、それらを訪れる目的でやってくる外国人は少なくない。

洋シャン折衷といった感じの建物も見かける。
これまたひとつの洋シャン折衷スタイル

この町自体、ピンウールウィンやカローのような、英領時代を思わせるヒルステーションのような高貴な雰囲気はないのだが、シャン州らしい木造で味わいのある建物を多く目にすることができる。

シャン州らしい造りの家屋

マンダレーからラーショーに向かう鉄道路線の中間点であること、この地域は軍の要衝のひとつであることなどもあって、植民地時代に住み着いたインド系・ネパール系の人々の姿もよくある。

だがここで一番大きなプレゼンスを感じるのは、やはり隣国中国だろう。中国系の人々の姿も少なくないのだが、中国人が多いというわけではなく、数世代に渡ってミャンマーに暮らしている華人たちはよく見かける。それ以上に、中国製品の浸透ぶりには目を見張るものがある。

マーケットで売られている衣類や日用品といったものばかりだけではない。街道を行き交うトレーラーやトラックといった物資輸送の車両の多くは、もはや日本の中古車ではなく、左ハンドルの真新しい中国製車両だ。人々が乗り回すバイクも、価格が高い日本メーカーのものではなく、安価な中国製二輪車だ。

町でみかけるバイクのほとんどがこの類のモデル
これもまた中国製

だがもちろん一般的な乗用車やバスは日本製の年季が入った中古車がほとんどだ。中・長距離バスとして使用されている日本の観光バスや長距離バスとして使用されてきた比較的新しい車両はもちろんのこと、古いバスの場合は「カーゴバス」と呼ばれる、前半分が乗客の座席で後ろ半分が荷物用となっているものを目にすることが多い。

カーゴバス 前半分客席で後半分が荷物積載スペース

パンカム村への一泊二日のミニトレッキングから戻ったばかり。空腹を満たすために出かけたのは華人が経営する食堂。中華系移民の子孫だが、慎ましい田舎町でこれほどの規模の飲食施設を経営できる才覚とは大したものだと思う。上階は結婚式その他のセレモニーに利用するホールとなっている。

田舎町には似つかぬ規模の華人食堂。ただし価格は庶民的。

<続く>

クリケット版『巨人の星』が誕生するまで

昨年12月からインドの娯楽チャンネルColorsで放映されている「クリケット版巨人の星」である『SURAJ THE RISING STAR』(全26話)は、今月で完結する予定だが、すでに再放送が決まっているようだし、続編の作成も検討されているなど、なかなか好評らしい。

インド国外からでも、日曜日の午前10時から10時半(インド時間)でColorsのチャンネルを視聴できる環境を用意できれば観ることができたかもしれないが、果たしてiPadやアンドロイドのアプリでこのチャンネルを閲覧できるアプリがあるのかどうかよく知らない。

ただしYoutubeあたりで番組名を入れて検索すれば、放送日時もクリップの長さもまちまちな一連の動画にアクセスすることはできるので、まあどんな感じのアニメなのかは知り得ることができるだろう。

さて、本日取り上げてみることにした本は、このアニメ番組の仕掛人であり、チーフプロデューサーでもある日本人著者の手による一冊。この作品の着想からそれをカタチにしていき、ついに世に出すまでのプロセスを熱く語っている。

書名 : 飛雄馬、インドの星になれ! インド版アニメ『巨人の星』誕生秘話

著者 : 古賀義章

出版社 : 講談社

ISBN-10: 4062181738

ISBN-13: 978-4062181730

通常の単行本以外にKindle版も用意されている。

2010年4月の着想から2年8か月かけて放送までこぎ着けたとのことだが、その道のりは決して平坦なものではなく、まさに山あり谷ありであったことが読み取れる。

これを実現させた著者の古賀氏は、『巨人の星』の主人公の星飛雄馬と同じか、それ以上の熱血漢であるようだ。スポ根アニメへの関心の有無にかかわらず、ぜひご一読をお勧めいたしたい。

隣国とどんどん繋がっていくミャンマー

タイ航空の子会社、ノック・エアーが今年9月からミャンマーへの乗り入れを計画している。

LCCではずいぶん前からエア・アジア、バンコク・エアウェイズがバンコクからヤンゴン便を運航させている。さらに前者は昨年10月からバンコクからマンダレーへのフライトを開始しており、後者も今年9月からこのルートに参入する。

そうした中で、ノック・エアーは、タイの地方とミャンマーの地方を結ぶ、よりニッチな市場に手を伸ばそうとしている。今年9月から、タイのメーソトからミャンマーのマウラミャイン間を結ぶようになる。

またヤンゴンへは、メーソトからのものと、現在はバンコクの第二空港となっているドンムアンからの乗り入れを年内に計画しているというのも興味深い。チェンマイからマンダレー、バガン行きの案というのも同様に面白い。

今後、ミャンマーは隣国タイとの繋がりを更に深めていくことになるようだ。国境地域は多くが政治的に不安定であるため、なかなか陸路で周辺国と自由に出入りできるようになるまではまだ時間がかかることだろうが、この先5年、10年のスパンで眺めれば、現状とは大きく異なる未来が目の前に開けてくるように思われる。

格安航空ノック、9月にミャンマー路線開設 (バンコク週報)

パンカム村への道4

朝5時過ぎに起床。その1時間ほど前に竹で編んだ壁から光が漏れているので、もう外は明るくなっているのかと思い、トーチを出して時計を見てみると、まだ4時前であった。

Kさんは午前3時半くらいにトイレに起きたそうだが、そのときには村の眺めが見えるくらい、月が煌々と照っていたのだそうだ。私が見た壁から漏れる光も月のものであったらしい。

午前5時過ぎのパンカム村に朝日が昇る。
パラウン族の仏教寺院

朝5時半に隣の仏教寺院に行くと、朝の勤行はすでに終わりの頃合いであった。この時間帯の気温は20度と涼しい。やはり高度が少しあるからだろう。海抜1,000mもないとは思うが。

朝食。一番手前はバニヤンの葉のスープ煮。こんなの初めて!

朝食は、卵焼き、ナスの煮物、昨日と同じ米とバナナの花のおこげ、そして特記すべきはバニヤンの葉のスープだ。バニヤンといっても大きくなるバニヤンとは少し種類が異なるものだそうだ。このあたりでは野菜、野草以外にも食用となる木の葉も多いようだ。食物繊維の摂取にはいいだろう。

泊めていただいた民家二階の寝室
村を出発

朝8時に村を出発。あとはほとんど下るだけである。昨日とは違うルートで、より緩やかな感じだ。このルートは雨季には使わないのだという。ところどころで川になってしまうからだそうだ。でもこのトレッキングを雨季に行なうのはかなり大変だろう。足元はぐじゃぐじゃになるし、ヒルも出るしで、苦痛を伴うこと必至だ。

東南アジアの川らしくないほど澄んでいる。

幾つかの川を渡る。簡素な橋もあれば、切り倒した木の幹を向こう岸に渡しただけのものもある。後者は浅瀬になっているから可能。イチジクの木もあり、実が落ちていたが、ここでは食用にはしないとのこと。割ってみても、においをかいでみても、間違いなくイチジクであった。日本のそれよりも固めで、外観はより赤いが。バニヤンの葉のような、まさか食用にするなどとは想像もつかないものが食卓で供されたかと思えば、我々にとっては当たり前の「果物」が食用にされないとは興味深い。

画像奥のほうでは、村の子供たちが水に飛び込んで遊んでいた。

川の水際の豊かな風景を楽しむ。子供たちが川にザブンと飛び込んで遊んでいる。増水期にはそうもいかないだろうが、この時期ならば小さい子供たちだけで戯れていても大丈夫だろう。日本の江戸時代の村の様子もこんな具合であったのではないだろうか。

このところ経済面で大いに注目されているミャンマー。最大の商都ヤンゴンはこれから大きな変化の波に揉まれていくことになるわけだが、こうした山間の村々もまた同様に、スタート地点があまりに低かっただけに、今後の変化の度合いは非常に大きなものとなることだろう。

だが気になるのは、多様な生活文化を持つ少数民族の人々が、これまで長く伝統的なライフスタイルを大切に世代を継いで継承してきたわけだが、その変化の大波の中でそうしたものが時代遅れで未開なものであるとして切り捨てられてしまうのではないかと、気になっている。

村のコミュニティの中の人々で、経済的にベターな暮らしを得ることができるようになった人々が出てくると、彼ら自身もまたそのような価値判断を持って、自らの民族の文化を軽んじるような方向に行くようなことがないことを願いたい。

スィーパウの町からパンカム村へは、日帰りも可能だ。朝5時過ぎか6時くらい出発して、少し早いペースで飛ばせば昼前には着くだろう。登りの傾斜もゆるやかなので途中キツイ場所もない。村でしばらく休憩してから午後1時くらいに出て、少々早足で下れば、スィーパウの町に日没までには到着できるだろう。

だがこのルートの醍醐味は、やはり村に宿泊することにある。そう遠からず、もっと奥の村へのルートも旅行者たちの間で知られるようになり、ミャンマーのこのあたりといえば、少数民族の村々を訪れるトレッキングが楽しいということが、内外に広く知られるようになるのも時間の問題ではないかと思う。

<完>