ムンバーデーヴィー寺院

ムンバーデーヴィー寺院

せっかくムンバイーに来たのならば、やはりこの街の名前の起源とされるムンバーデーヴィーの寺院を参拝しておくべきであろう。朝の時間帯に訪れてみた。

ムンバーデーヴィー信仰は15世紀あたりにまで遡ることができるようだが、このあたりの土着の女神であったものがヒンドゥー教に統合されたものである。七つの島から成っていたこのエリアで、漁業、製塩業などを生業としてきた元々の住民たちが信仰してきたものであることから、ムンバイーというメトロポリスにありながらも非常に土俗信仰色の強い寺院ということになる。

お寺から少し進むと、インド国内での金の取引の6割以上がここを経由するとされる、ジャヴェーリー・バーザール。昼間は非常に混雑しており、貴金属や装飾品の店がやたらと多いことを除けば、他の商業地とあまり変わらないように見えるかもしれない。

ジャヴェーリー・バーザールからクローフォード・マーケットに抜けるあたりには壮麗な建築のジャマー・マスジッドがそびえる。

ジャマーマスジッド

このあたりは朝始まる時間が遅いのが幸いして、それほど早起きしなくてもガラガラに空いている道路をテクテクと歩いていくことができる。早起きは三文の得とはいうが、人出の多い商業地を散歩するならば、やはりひどく混雑するよりも前の時間帯に限るのである。

ムンバイーのシーア派モスク Moghul Masjid

しばらく前まで、ムンバイーのタクシーの代名詞は、1960年代フィアットのインド現地生産モデル「パドミニー」であり、英領時代からの壮麗な建物の景色と相まって、この街らしいムードを醸し出していた。製造が中止となって久しい今では、すでにごく少数派になっており、ボディーを黄色と黒色に塗り分けられたスズキのマルティ、ヒョンデのサントロなどが走り回っている。

さて、タクシーでイラン風のシーア派モスクに行く。場所はムンバイーのビンディー・バーザールである。 この建物はMoghal Masjid、Masjid-e- Irani、IranianMosqueなどといろいろ呼ばれるようだ。1860年に建てられた青タイルが美しいこのマスジッドは、シーア派モスク。これを寄進した人物、モハンマド・フセイン・シラーズィーはその名の示すとおり、イランのシラーズ出身。ムンバイーのシーア派モスクは他にもあるが、イラン式の建築はここだけだ。

このあたりでは200年以上も前からイランからの移住者たちが定住しており、主にそうした同胞たちのために造られたモスクであるとされる。今でもビンディー・バーザールから少し東に進んだところにあるドングリー地区にはイラン系の人たちがかなり多く暮らしている。長らく存在してきたイラン系コミュニティの地縁・血縁などの繋がりにより渡ってきたケースが多いらしく、とりわけヤズド出身の家系が多いようだ。

さて、話はモスクに戻る。アンクシュ・バット監督のヤクザ映画「BHINDI BAZAR」をご覧になった方は、作品中で幾度か入口部分が出て来ていたのをご覧になっていることだろう。ペルシァ風のタイルで飾られた、非常に美しい門構えである。

ここを訪れる観光客は少ないようで、門番の初老の男性がチャーイを入れて持ってきてくれた。彼はUPのファイザーバード出身で、長い間ガルフで働いていたという。それで国に送金して、故郷に家族のために家を建てた。また三人の子どもたちはすべて大学にやっており、長男はMAまでやっているところだという。彼の人生はずっと外国に出稼ぎで、家族と暮らしたことはときどき帰郷するときくらいであったとのこと。今では外国での出稼ぎ生活から足を洗い、このモスクの門番をしているという彼は現在62歳とか。
「何か私自身に残ったものといえば特に思い当たらんが、故郷に家は建てたし、息子たちを大学までやったので満足しているよ。義務は果たしたかな、と。」

中を見学していると、造りは門だけではなくすべてがイラン式である。敷地に入ると門の内側にはイランの宗教指導者たち(ホメイニ師とハメネイ師)の写真が掲げられている。「セキュリティ上の理由によりカバン類持ち込み禁止」と書かれた札が立っているが、シーア派が異端であるとするワッハービーたちによる攻撃対象となり得るからだろうか。

冬のイランに来ているようなすがすがしい清浄な気分になるが、外はやっぱりゴチャゴチャのインド。現在、中央政府主導で「スワッチ・バーラト (Clean India)」のキャンペーンが展開中だが、もう少しキレイになるといいな、と思う。

本殿ではしばらく礼拝が続いていたため、しばらく外で待ち、終わってから中を見学させてもらう。キブラの方向を示す部分は青いタイル貼りで非常に美しい 内部で写真撮りやすいように電気をつけてくれたり、終わってから食事を勧めてくれたりしてくれたのは、ここのムアッズィーン。なぜか知らないが、さきほどここに礼拝に来た人たちはお堂の外で朝食を食べていた。毎日そうなのかどうかは知らない。

外国人旅行者が多く宿泊するフォート地区、コラバ地区からのアクセスも非常に良く、規模は小さいながらも実に見応えのあるモスクなので、ムンバイーを訪問される際にぜひ立ち寄られることをお勧めしたい。

Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

ムンバイーのMaghen David Synagogue訪問。1864年にバグダディー・ジューのムンバイーにおけるビジネスの基盤を整えた伝説の人物、David Sassonが建てさせたもの。このエリアは、かつてテキスタイル関係の産業で栄えたエリアで、労働人口を吸収するためのチャールと呼ばれる独特の集合住宅もまだ多く残っている。

この街で現存するシナゴーグはシナゴーグといえ9つほどあるようだが、最も知名度が高いのはムンバイー証券取引所近くのKnesset Eliyahoo Synagogue。これはDavid Sassoonの孫であるJacob Elias Sassoonが1885年に建てたもの。 Maghen David Synagogue、プネーにあり1867年に完成したOhel David Synagogueと併せて、Sir Jacob Sassoon Synagogues and Allied Trustsという基金が運営している。

ほとんど近くまで来たようなのだが、沿道で見かけた人に尋ねてもシナゴーグの場所はよくわからず、そうした中のひとりが、「ここからカーマーティープラーの方向で・・・」などと言うものだから、運転手は見当違いの赤線地帯の方向に走り出してしまう。それが違う方向であると判ったのは、スマホの地図に示されているシナゴーグの場所に近付くのではなく、逆に遠ざかってしまっているからだ。やはり街を散策する際にも、スマホは大変役立つものである。

「おそらくこのあたり」と思われる場所まで戻ってもらって下車。そこから歩くとほどなく見つかった。さて、シナゴーグの敷地の入口あたりでは、数十人の警官たちがたむろ、いや警備している。すぐ付近に地域の警察署があるという地の利はあるものの、やはり多数の警察官たちを乗せた警察のバスも横付けされて待機していることから、他エリアからも警察官たちが動員されていることが察せられる。このあたりの住民はほとんどムスリムばかりだ。大半はシナゴーグと平和に共存しているとはいえ、いつ何時過激派による攻撃の対象となるかわからないということもあり、相当厳重な警戒が敷かれている。敷地内に入ろうとすると、チョーキーダールに止められて訪問の目的を聞かれた。そこに警官も出てきたので、シナゴーグの見学に来たということを説明する。

地元との共存を象徴するものとして、Maghen David Synagogue敷地内にある高校の存在が挙げられるだろう。かつてはユダヤ人子弟のための学校であったようだが、インド独立後から現在にかけて、ユダヤ系の人口が激減しているため、現在ではユダヤ系の基金が運営する「普通の私立学校」となっており、ムスリムを含めた全てのコミュニティの子弟を受け入れている。

建物入口のカギを開ける世話人がまだ来ていないとのことで、近くの店でチャーイを飲んでから戻る。すると、シナゴーグには数人のユダヤ人が来ており、そのうちの1人としばらく話したのだが、もともとはムンバイー生まれで子供の頃に両親とともにイスラエルに移住したという67歳の男性。ユダヤ教徒であることを示す帽子「キッパー」を被っている。

この日は土曜日なのでユダヤ教の安息日のSabbath。 シナゴーグの世話人が堂内の照明を点けて、聖書を手にして祈りの時間が始まった。司祭はいないし、礼拝に必要な人数(というのがある)もいないため個々で祈りを捧げるのみである。

このSabbath(土曜日)には、写真撮影等は禁止になっているとのこと。ヒンドゥー教徒の世話人は、ヒソヒソ声で「今日、本当はダメだけれども、正午過ぎに来たら写真撮らせてあげる」と言う。その時間帯にはユダヤ教徒はいないのだとか。夕方になると祈りのためにやってくるので、その前までにしてくれと言う。この人にとってそもそもSabbathの日には撮影そのものを許可していないという前提ならば、それがそのまま彼の小遣い銭となるわけだ。内部の写真のためにわざわざ戻ってくる時間はないので、これについてはパスすることにした。

写真は100、ビデオは500と許可の料金を示す告知が壁に張り出してある。ところで、このようにカメラはいくら、ビデオはいくらと料金を定めているところは多いのだが、今やデジカメでもなかなかの画質の動画が撮影できるので、ビデオカメラという区分はもう意味がなくなっているのではないかと思う。

THE BOMBAY STORE

THE BOMBAY STORE

ムンバイーのHorniman Circle近くでコロニアルな建物を見物しながら歩いていたら、たまたまこの店の前を通りかかった。外から眺めてもなかなか洒落ていていい感じのみやげもの屋である。

広々とした店内の品揃えは大変良好。ラインナップは当然インド製品であり、かつ洒落ていて気の利いたものが大変多い。各種工芸品、彫像類、衣類、紅茶、香水、アクセサリー、家具、寝具類、キッチン用品、バス用品等々、実に多岐に渡る。

値段の割には品物の内容が芳しくなく、値段も割高な中央政府によるCCIC (Central Cottage Industries Corporation of India Ltd.)が運営しているエンポリアムが、「品物を選ぶセンスが良くなり、デザインも品質も優れて、洒落たものを置く」ようになったとしたら、こんな具合になるのだろうか。店内の雰囲気や店員たちの態度も極めてしっかりしており、同店のウェブサイトにある「1905年創立、ボンベイ証券取引所に上場した最初の小売業者」という伝統もダテではなさそうだ。

商都ムンバイーでは、インド関係のいろいろな品物について、それぞれの分野でいい物を置いている店は多いが、日本へのおみやげ購入のためにいろいろなアイテムを同時に見比べて一度に購入したいようなときには、このお店は重宝するだろう。THE BOMBAY STOREは定価販売でもあり、時間の節約にもなる。おススメのショップである。

SWACHCH BHARAT (Clean India)

モーディー首相率いる現在の政府が打ち出しているスワッチ・バーラト(Clean India)
キャンペーンにあやかって、各地でもスワッチ・ブジだのスワッチ・ラージコートだのという呼びかけがなされているようだ。

政党の活動家やらその手の人たちか、それとも地元の住民たちが自発的に行なっているのか知らないが、明らかに本来の掃除人ではない人たちが大勢で道路を清掃している姿もあったりするが、なかなかいいものだと思う。

これが一過性のものではなく、今後も続くといい。写真はムンバイの繁華街のコーラーバーにて、「スワッチ・コーラーバー」。せめてポイ捨てはやめて欲しいものだが、大都会の商業地では、土地に根っこを持たない人が多いので、ちょっとムズカシイかもしれない。

だが日常的にこうしたものを目にするだけで、人々の意識は変わってくることだろう。たとえ時間はかかるとしても。こうしたものが公衆衛生やトイレの普及(こちらについても今回の政府は力を入れている)等々、民生の向上に繋がってくれると大変嬉しく思う。

政府の掛け声でこうしたキャンペーンが展開されたのは、実はこれが初めてではない。だが今回はモーディー首相の人気ぶりと指導力に大いに期待したいものだ。