Old & New

伝統的な水甕

バーザールの歩道に素焼きの甕がしつらえてあり、そこで働く人はもちろんのこと、道行く人々もそこから水を汲んでは飲んでいる。素焼きの表面に染み出た水分が蒸発する際の気化熱で冷却されるため、夏季で高温の屋外ではなおさらのことひんやりと感じられる。

こうした甕は日々水を交換したり、中をゴシゴシと洗浄したりなど、きちんと管理されているようだ。炎天下にあっては、まさに命の水。一服の涼感、そして脱水症予防。ちょっとした社会貢献でもあり、徳を積む行為でもある。

モダンな水甕

いっぽう、ちょっとモダンな「水甕」もある。テーランガーナー州で、街外れの一角に設置された冷水機。通行人はもちろんのこと、ここを通りかかるタクシーやオートの運転手なども冷水を汲んで飲んでいる。かなり知られたスポットのようで、反対車線を走っていたオートが、わざわざUターンして訪れたりなどもしている。

しばらく眺めていると、利用者のほとんどは運転手、行商人、ガードマンなど、暑い最中に額に汗して働く人々。冷水機の提供者は宝石店。お店の客層とは関係なさそうな相手に貢献していることに心意気を感じる。

街中あちこちから聞こえてくるコトバ

ハイデラーバード旧市街のムスリムたちはウルドゥーを母語にする人たちが多いと聞いていたが、街中を歩いていると想像していた以上にこの言葉による会話が聞こえてくるのにちょっと驚いた。歴史的経緯があるとはいえ、デカンのこの地に昔から根付いたウルドゥー語圏があるのは興味深い。

旧市街を出ても、商業地ではウルドゥーやヒンディーを耳にすることが多くて、これはいったいどこなのか?と思ったりもする。

私の勝手な推測だが、おそらくこんな具合なのではなのではなかろうか。

・大都会で、しかもウルドゥー/ヒンディー話者人口が多いというインフラがあるので、北インド各地から移住した商売人も多い。
・同様の理由からネパールやビハールからの出稼ぎ人も多く働いている。
・もちろん、出張や観光を含めた一時滞在者も大勢いる。
・よって誰だかよく知らない相手には、ヒンディーやウルドゥーのほうが通りが良く、日常的に使う頻度が高い。ちょうどムンバイーやカルカッタのような、他の大都市圏がそうであるように。

大都会というものは、ただ人口が多い、市街地が広いということに留まらず、文化的・言語的にも重層的かつ多元的なものである。

バドシャーヒー・アシュルカーナー


ハイデラーバード旧市街で、ビリヤーニーの名店とされるホテル・シャダーブのすぐ隣には、バドシャーヒー・アシュルカーナーがある。アシュルカーナーとは、文字通り「嘆きの館」の意味だが、第3代目のイマーム、フセインの殉教を記念したものであり、シーア派の大祭モハッラムの際には大変な混雑となるそうだ。
ゴールコンダーのクトゥブシャーヒー朝5代目の王、ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーが建てさせた(1594年)もので、ハイデラーバードの街を象徴する歴史的建造物であるチャールミナール(1591年)とほぼ同時期に建設されている。
ムスリム人口が4割に及ぶというハイデラーバードだが、シーア派人口もかなり多いようだ。





パイガー墓地(Paigah Tombs)

ハイデラーバードの旧市街からパイガー墓地に行くのはあまり簡単ではなかった。オートの運転手たちがそこを知らないからである。またマクバラー・シャムスルウムラー(Maqbara Shums Ul Umra)と言えば判ってもらえたのだろうか。
ともあれ、こんなときにスマホは役に立つ。グーグルマップで検出して出てきたロケーションに近く、誰でも判りそうな「サントーシュナガル警察署」まで行くことにした。

この街では、オートの運転手たちに対する道案内サービスのようなものがあるらしい。運転手が携帯で電話して誰かに行き方を質問、というようなことがしばしばある。運転手がムスリムで、運転中に携帯を手にして話しているのがウルドゥー語なので、その会話内容が判るわけなのだが。最初は誰か知人にでもかけているのかと思ったが、そうではないようなので尋ねてみると、もちろん知らない場所に行く場合に、先方が知る範囲での情報をもらえるともに、道路混雑具合の照会にも使えるということだ。なかなか面白いサービスである。

警察署前のヒンドゥー寺院

しばらく走って到着したサントーシュナガル警察署のゲート近くにいた人に、進むべき方角を確認。警察署付近には南インド様式のヒンドゥー寺院があるが、少し進むとムスリム地区となり、インド北方系と思われる色白で風格のある顔立ちの人々が多い。そうした中高年の人々が立ち話しているところでふたたび道を尋ねて、もう近くまで来ていることがわかった。私の目的地は、ジャマー・マスジッド・クルシード・ジャーの裏手にあるとのこと。

パイガー墓地はこのモスクの裏手

ここは、ニザームの家臣、パイガー一族の墓地。この一族はイスラーム教の二代目のカリフ、ウマル・イブン・アルハッターブの子孫であるとされる大変な名門。ニザームの忠実な家臣として仕えた家柄だが、独自の宮殿や数千人にも及ぶ私兵を持つなど、藩王国内の王国のような権勢を誇った一族であったとのこと。先祖がアラブのクライシュ族から出たとされるムスリムの家系はインドやパーキスターンで他にもあるが、その中でもまったく次元が異なることになる。1960年代に埋葬された人の墓もあり、同家の墓地として割と最近まで使われていたらしい。ムガルやラージャスターンの様式に地元デカンのスタイルを加えたものとされる精緻なデザインで、大変風格を感じさせる墓地である。












墓地内の礼拝施設

墓地内の礼拝施設の中

イスラームはインドに学ぶべき

ハイデラーバードでは広くウルドゥー語が使用されていることはよく知られているが、私はてっきりテルグ語社会の中で、インドのムスリムにとっての教養のひとつとしてウルドゥー語が広く理解されていることと思っていたが、実はネイティヴでウルドゥー語を話す人が非常に多いことは知らなかった。

ハイデラーバードのムスリム人口は4割前後と言われ、大都市としては突出したイスラーム教徒人口の割合の高さを示している。とりわけ旧市街を中心に代々ここで暮らしてきたムスリムたちが多いようだが、そうした人たちの中で見るからに北方系といった顔立ちや肌の色の人たちが大勢いることも特徴的だ。デカンのこの地に北インドを移植したかのような観さえあるとしても言い過ぎではないだろう。

ハイデラーバード市街地から出ると、「デカンにやってきたな」と感じるし、市内でも南インド風のゴプラム様式のヒンドゥー寺院からある一角から、ムスリム地区に入ると一気に北インドにワープしたかのような気分にさえなる。

ところで、最近の日本ではイスラーム関係のビジネスが盛り上がりを見せつつあり、ムスリム社会への関心も少しずつ高まりつつある。それは良いことだと思う半面、ムスリム自身によるタテマエの発言をそのまま伝える安易なものに終始していることが気にかかる。

イスラーム理解には、私たち非ムスリムからするとネガティヴに捉えてしまう部分も併せて知ることが不可欠である。世代を越えて皮膚感覚で蓄積してきたイスラームへの理解は深い。付け焼き刃の「イスラームとは」の類よりもはるかに実際的で、タメになるはずだ。

一時滞在のお客さんならば、帰国するまで我慢して、後はニコニコして送り出してしまえば済むのだが、自国で共存していくにはそれなりの覚悟と妥協が必要となる。。

Namaste Bollywood+ 43のレヴューを取り上げた際にも書いたが、イスラームが栄えてきた歴史の長さと、イスラーム教以外の様々な宗教との共存という点からも、イスラーム教やそれを信仰するムスリムの人たちを理解するために、インドという国は私たちにとって非常に優れた教師となることと信じている。