Maggieの危機

かつて米国系の清涼飲料水メーカーが、製品から許容度を越える農薬成分が検出されたということで、激しい批判にさらされたことがあったが、今年の5月以降、スイス系企業ネスレ社のMaggiシリーズのインスタント麺に鉛成分が含まれることが判明したとのことで、各地で次々に販売が禁止されるなど、大きな波紋を呼んでいる。

Maggie noodles undergoes tests across India: Nestle investigates excess MSG in its batch of noodles; Can cause chest pains (BENCHMARK REPORTER)

Maggi sales plummet across India (THE TIMES OF INDIA)

Nestle’s Maggi Noodles Banned In India’s State Of Delhi Over Allegations Of High Lead Content (INTERNATIONAL BUSINESS TIMES)

India withdraws Maggi noodles from shops in mounting food-safety scare (theguardian)

鉛の含有に関する許容値が0.01ppmであるところ、17ppmという高い数値であったことに加えて、成分表に記されていないMSGつまりグルタミン酸ナトリウムが多く含まれていることが明るみに出たことが今回の騒動の発端だ。

Maggiブランドのインスタントヌードルは、1982年から現在に至るまで、実に33年間に渡ってインドで親しまれてきた。インド中、どこに行っても雑貨屋や食料品店で見かけるが、手軽に作ることができることから、育ち盛りの子供の好物であったり、一人暮らしの若者たちの定番アイテムであったりもする。また、冬季には外界との陸路ルートが閉鎖となるラダック地方などでは、そうした時期の食堂でもありつくことのできる外食アイテムであるなど、非常に存在感の高いインスタント食品だ。

最近、このMaggiのインスタントヌードルのCMに何本も出演していたマードゥリー・ディクシト、以前出演したことがあるアミターブ・バッチャンやプリーティ・ズィンターといった銀幕のスターたちも、ちょっと困ったことになっているようだ。

Madhuri Dixit gets FDA notice for endorsing Maggi noodles (The Indian EXPRESS)

Court orders FIR against Amitabh, Madhuri, Preity over Maggi row (THE HINDU)

食品類の安全性は、どこの国にあっても非常に大切なものであるが、果たしてネスレがこのような状態であったとしても、他のメーカーの様々な食品、食材、調味料などはどうなのだろうか?という思いもする。加工食品だけではなく、米や野菜のような第一次産品にも不安な要素を抱えている国だ。

私たちの日本で「食の安全」と言えば、その食料のかなりの部分を輸入に依存しており、とりわけその中で中国産のものが多いことから、常々やり玉に上げられることが多いが、比較的政府の管理が行き届きやすい中国と比較して、インドがその方面で安全性が高い国であるということは決してない。

今回、たまたま外資系の大会社の全インドでポピュラーな製品が取り上げられることになったが、この騒動がどのようにして収束を見るのか、かなり関心を引かれるところである。

ロヒンギャー難民

最近もまたミャンマーからのロヒンギャー難民たちに関する記事がメディアに頻繁に取り上げられるようになっている。

【ルポ ミャンマー逃れる少数民族】 漂流ロヒンギャ、苦難の道 迫害逃れ、過酷な船旅 (47 NEWS)

昨年、ロヒンギャー問題で知られるヤカイン州のスィットウェを訪れたことがあるが、かつて英領時代には、この街の中心部でおそらくマジョリティを占めて、商業や交易の中心を担ったと思われるベンガル系ムスリムの人たちのタウンシップがある。そこには同じくベンガル系のヒンドゥーの人々も居住していた。

スィットウェへ3 (indo.to)

滞在中にヒンドゥーの人たちの家で結婚式があるとのことで、「ぜひお出でください」と呼ばれていたのだが、その街区はバリケードで封鎖されていて、訪問することはできなかった。
その数日前に、たまたま警官たちのローテーションの隙間であったのか、たまたま入ることが出来て、幾つかの寺院その他を訪れるとともに、訪問先の方々からいろいろお話をうかがうことができたのだが。

実のところ、その結婚式には日程が合わず出席はできないものの、同じ方々からもう少し話を聞いてみたいという思いがあり、足を向けてみたのであるが、バリケードの手前で、「ここから先はロヒンギャー地域だぞ。誰に何の用事だ?」と警官たちに詰問されることとなった。

うっかり先方の住所や名前を口にしては、訪れることになっていた人たちに迷惑が及んではいけないと思い、「いや、向こう側に出る近道かな?と思って・・・」などと言いながら踵を返した次第。通りの反対側から進入を試みてみたが、同じ結果となった。゛

ロヒンギャーとは、一般的に先祖がベンガル地方から移住したムスリムで、現在のミャンマーでは国籍を認められず「不法移民」と定義されている人たちということになっているようだが、ベンガルを出自とするヒンドゥーもまた同様の扱いを受けているように見受けられた。

そのロヒンギャーの人たちだが、母語であるベンガル語の方言以外にも、インド系ムスリムの教養のひとつとして、ウルドゥー語を理解すること、またヒンドゥーの人たちも父祖の地である広義のヒンドゥスターンの言葉としてヒンディーを理解することはこのときの訪問で判った。もちろん個人により理解の度合いに大きな差があり、まったくそれらを理解しない人たちもいるのだが。とりわけ若い世代にその傾向が強いようだ。

アメリカをはじめとする先進主要国から経済制裁を受けていた軍政時代には、ミャンマー国内の人権事情について、各国政府から様々な批判がなされていたが、民政移管に伴い制裁が解除されてからは、そうしたものがトーンダウンするどころか、まさに「見て見ぬふり」という具合になっているように見受けられる。ここ数年間に渡り大盛況のミャンマーブームだが、同国政府の不興を買って、自国企業の投資その他の経済活動に支障が出ることに対する懸念があるがゆえのことと思われる。

ナガランド州 女性初の女性オートリクシャー運転手

先日のパーキスターンのラーホールでの女性による女性のためのオートリクシャーに続き、こちらはインドのナガランド州最大の街、ディマープルにおけるトピック。

First Woman Auto Driver in Nagaland (Northeast Today)

社会の様々な分野でよく働くナガ族女性だが、オートリクシャーの運転手となる事例は初であるとのことだ。ラーホールでのそれと異なり、女性客専用というわけではなく、性別に関係なく利用される普通のオートリクシャーだ。

ナガランド州最大の街が州都コヒマではなく、ディマープルであるのは、山岳地、丘陵地から成る同州で、集落や町は往々にして山や丘の頂上部分を中心に広がる形であるのに対して、ディマープルはこの州でアッサム州境と接するごくわずかな平地部分に位置しており、鉄道や幹線道路が乗り入れる交通の要衝であり、ナガランド州経済の中心地であるからだ。

そんな環境であること、平地からやってきた「インド人たち」が多いことから、州都コヒマから70km強の距離でしかないにもかかわらず、ここまで降りてくると「インドにやってきた」という印象を受けるほどだ。

ディマープル市内のオートリクシャーを運転しているのは、大抵は平地のインドから来た人たちということもあり、ナガ族女性運転手によるサービスは、市内を往来する同性のお客からは「機会があれば利用してみたい」と好評を持って迎えられることだろう。ただし、目下、女性運転手はこのToliho Chishiさんのみであるため、なかなか巡り会う機会はないのだが。

パーキスターン 女性による女性のためのオートリクシャー

パーキスターンのラーホール初の女性による女性のためのオートリクシャーのサービスが開始された。同地で環境NPOを運営する女性が始めた事業で、現在操業している車両はまだ1台のみ。

Lahore gets first women-only auto-rickshaw to beat ‘male pests’ (DAWN)

女性のエンパワーメントを目指すという目的もあるとのことで、これからの発展を期待したい。しかしながら、同国の中ではリベラルな都会ラーホールとはいえ、女性がこの分野に進出するのはインドよりもハードルが高いといえるだろう。

もちろん女性運転手によるサービスであるがゆえに、女性利用客からの需要は高いことと思われるが、こうしたサービスを始めることよりも、むしろ今後継続していくこと、そしてこの事業を拡大していることについて、さらに大きな困難が待ち受けているのかもしれない。この「Pink Rickshaw」の今後の展開について、続報をウォッチングしていきたいと思う。

ラーホール初のこの事例は、パーキスターン初というわけではないようだ。DAWNにこういう記事もある。

Wajiha, the rickshaw driver (DAWN)

上記リンク中にあるように、ラーホールのPink Rickshawのような前向きなものではなく、身体が不自由になった父に代わって、わずか11歳の娘が運転するという悲しい話である。せめて何か危険な目に遭わないようにと祈るしかないのがもどかしい。

W杯アジア二次予選 アフガニスタン代表

サッカーのワールドカップのアジア二次予選の組み合わせが決定した。

日本、シリアなどと同組…サッカーW杯2次予選 (YOMIURI ONLINE)

非常に有利なグループ(日本・シリア・アフガニスタン・カンボジア・シンガポール)に入ったとメディアで取り上げられているが、そのとおりだろう。また、個人的には組み合わせはともかく、アフガニスタンと一緒のグループに入ったことについて興味深く感じている。

2011年にアジアカップ一次リーグでシリアと対戦して、2-1と日本が苦戦した相手シリアはともかく、まったくノーマークのアフガニスタンに注目したい。FIFAランキングのシリア126位と同じく、アフガニスタンの135位はどちらも苦しい国情のためもあり、国際試合の機会が希薄であることからくるもので、実力を反映したものとは言えない。

南アジアで開催された国際大会やアフガニスタン国内リーグなどをネット中継で観戦したことがあるが、南アジアサッカー連盟加盟の8か国(アフガニスタン、インド、スリランカ、ネパール、パーキスターン、バーングラーデーシュ、ブータン、モルジヴ)の中で、アフガニスタンは一線を画す存在だ。

南アジア選手権においては、2011年大会に大躍進を見せて準優勝、続く2013年大会では見事優勝している。この大会の決勝戦で対戦したのは、2011年大会と同じくインド代表であったが、2-0でこれを下した。ちなみにこのときのインド代表には、日本で生まれ育った日系インド人(父親がインド人、母親は日本人)のMFプレーヤー、和泉新(いずみあらた)選手が出場していた。アルビレックス新潟のサテライト(シンガポールのSリーグ加盟)でプレーしていた選手だが、日本のアマチュアチームを経て、インドのIリーグの名門イーストベンガルに加入後、同じくIリーグのマヒンドラ・ユナイテッドFC、そして現在はプネーFCでプレーしている。

さて、長年国内リーグを安定的に運営してきたインドをはじめとする国々が出場する大会で、これまでサッカーのインフラもなく、復興に向けてゆっくりと歩みを重ねつつある国の代表が制するというのは尋常ではないが、実はそれには訳がある。

アフガニスタン国内を横断するトップリーグ「ローシャン・アフガン・プレミアリーグ」は2012年に始まったばかり。それでいながら、報酬を得てプレーする「プロ」選手も少なくない。現状はよく判らないが、少なくとも発足当時、選手たちは年契約ではなく、試合ごとに「日払い」で報酬を受け取るというのが普通であったようだ。もちろん勝敗や個々の活躍ぶりによって受け取る額は変動したのだろう。

しかしながら、国内リーグの惨状とは裏腹に、海外のクラブにて活躍中で、母国の代表に招集される選手たちの存在と彼らのポテンシャルの傑出した高さがあるのがアフガニスタン代表の特異なところだ。代表選手たちの半数ほどは欧州を中心とする様々な国々のクラブでプレーしており、国外生まれの者も少なくない。

よって、スタメンで出てくる主力は海外仕込みの選手たちとなるであろうことから、日本が相手にする相手の大半は、本格的なサッカー環境とはほど遠いところで育った「アフガンの地場産の選手たち」ではなく、外国の2部や3部のクラブに所属とはいえ、紛れもない「本場仕込みのプレーヤーたち」であることを念頭に置く必要があり、他の南アジアサッカー連盟に加盟している国々の代表とは格が違うのは当然ということになる。

地域では突出しているとはいえ、日本代表が圧倒されるケースは想像しにくいが、「意外にいいサッカーをする!」と評価される可能性があるアフガニスタン代表だ。国内が安定して成長が見込めるようになると、今後さらに急伸していく可能性もある。

アジア二次予選では、ホーム&アウェイ方式で二試合ずつ、合計8試合行われることになるが、情勢が緊迫しているシリアもさることながら、果たして首都カーブル(「カブール」という表記がメディア等で見られるが、ペルシャ文字で「کابل」と綴るので、「カーブル」が適切)で今年9月8日に予定されているゲームが実現できるのか、第三国での開催となるのかについても注目したい。

安全確保が最優先であるのは当然だが、関係者たちの努力により、カーブルでのアフガニスタン代表のホームゲームが開催されるとなれば、アフガニスタンサッカー界にとって歴史的な快挙となるだけではなく、アフガニスタンのサッカーファン、とりわけ元気な子どもたちへの大きな贈り物にもなる。また、長く続いた内戦でズタズタになった国で、異なる民族の人々が声をひとつにして「私たちの代表」を応援できるということは素晴らしいことだ。

スポーツが平和のためにできることはいろいろある。勝ち負けだけではない「絆」や「共感」を持つことができることもまた、スポーツの国際大会の大きな意義のひとつだろう。アフガニスタンのサッカーファンにとっては、今や世界的な強豪国の一角となった日本を迎え撃つ「ワールドカップ予選試合」をホームで実現することは、日本がこの二次予選、そして最終予選を制して6度目の本大会に出場する以上に大きな意味のあることだ。勝敗はともかく、これを実現するということは、人々の心に届く、真に勇気ある国際平和貢献となることは言うまでもない。

はなはだ残念なことであるが、シリアにしても、アフガニスタンにしても、こうした大きなイベントは反政府勢力にとって格好のターゲットとなり得ることは間違いない。スポーツに政治を持ち込むことなく、誰もが心ひとつにして自国代表を力いっぱい声援できる環境を造ることは、思想や主義主張を越えて、FIFAや日本とアフガニスタンサッカー協会関係者たちはもちろんのこと、アフガニスタンの行政、治安当局や反政府勢力等々にかかわるすべて大人たちひとりひとりに課せられた責任でもあるとともに、私たち日本人もまた実現に向けて世論を後押ししていくべきだろう。

アフガニスタンで、後世に語り継がれる「伝説の試合」が現実のものとなることを期待したい。