J-one (2012.1 第2号)

J-one (2012.1 第2号)

『これからの生き方と未来を探る支援型新雑誌』をうたうJ-one(ジーワン)第2号である。先日取り上げたNamaste Bollywood #31と同じくスタジオ・サードアイが発行している。

巻頭の特集は、『音楽から世界へ祈りを』と題して、チェルノブイリ原発事故での被曝体験を持つウクライナの歌姫、そして福島と日本にエールを送るため、私費で来日したエジプトのウード奏者。

ラダックで活動するNPO法人ジュレー・ラダックによる持続可能な生活支援とスタディ・ツアーに関する紹介に続いて、和光大学の村山先生と当ウェブサイトindo.toウェブマスターの矢萩多聞氏による寄稿、加えて自然エネルギー(太陽光)の活用例等々、内容の詳細について触れるわけにはいかないが、読み応えのある記事が並んでいる。

『いろいろ読んでわかったこと』と題する記事には、昨年3月11日に発生した震災直後の原発事故による放射能の影響について、問題発生直後から問題をできるだけ小さく見せようという政府の動きに対して、まさに呼応するかのようにこれまた控えめな報道を続けてきた日本の大手メディアが伝えてこなかった事柄を取り上げている。ここでは、参考となる書籍についても挙げられており、放射能に対する認識を深める良い機会となるはずだ。

誌面の後半部分では、『福島と生きる』というタイトルにて、福島県で暮らす大学講師、ミュージシャン、画家、自衛隊員といった様々な人々の声が伝えられている。

首都圏に暮らしている人たちの中で、昨年3月に起きた福島第一原発事故の後、都会で自分たちが使う電気の供給に関わるリスクを遠く離れた県、市町村、ひいてはその土地に暮らす人々に負わせていたということに改めて気が付いた人は少なくないようだ。

同様に、事故後から生鮮食品の産地表示が厳格に行われるようになっているが、ここでも同様に福島県やその周辺地は、首都圏に供給されている野菜、果物類、精肉、海産物といった生鮮食品の需要をまかなう役割を担ってきたことを改めて実感したことと思う。こうした地方が、市場としての首都圏を必要としているのと同じく、首都圏もまたこうした物資の供給がなされることによって成り立っているひと続きの社会であることは言うまでもない。

3.11以降、これからの私たちの生き方や世の中のありかたについて大きな問いが投げかけられているわけだが、さりとて単純に時計の針を巻き戻して昔の生活に戻るというわけにもいかない。不便だというだけではなく、多くの場合仕事だって成り立たなくなるだろう。

このあたりについては、結局のところ私たちのひとりひとりが問題意識を抱いていくことが必要だ。一朝一夕で物事が大きく変わるものではないが、世の中の人々が意識を共有することによって、きっと変化が生まれてくることと信じたい。私たちにとってより良い明日のために。その変化を模索しているのが、このJ-one誌であると私は思う。

A Jaywalker’s Guide to Calcutta

A Jaywalker's Guide to Calcutta

地元等の出版社からコールカーター市内のガイドブックはいろいろ出ているが、2年ほど前にその中でも特に秀逸なものを見つけた。著者は生まれも育ちもコールカーターのジャーナリストだが、版元はムンバイーの会社である。

書名:A Jaywalker’s Guide to Calcutta

著者:Soumitra Das

出版社:Eminence Designs Pvt. Ltd.

建物とストリートに視点を据えて、個々の建築物や往来にまつわる人々の歴史に焦点を当てている。それらの中にはメトロポリタン・ビルディング、エスプラネード・マンション、ダルハウジー・スクエアといったメジャーなものも含まれているものの、数々の通りの由来、現在の姿からは想像もつかない過去、アングロ・インディアン地区と往時の彼らの屋敷、元欧州人クラブ、元不在地主やかつての富豪たちの忘却の彼方に押しやられた荒れ放題の豪邸、この街を舞台にしたマールワーリー商人たちの繁栄の面影、地元ベンガル人不在のオリッサ人労働者たちの居住地域その他、実に様々なものが沢山取り上げられている。

著者は、この本を手にした者を、旅行者たちにとって『月並みでないコールカーター』へと誘う。その内容たるや、とても数日で見て回ることのできるようなものではない。ここで取り上げられている建物や場所を訪れても、それを楽しんだり味わったりするためには、もちろんそれなりの予備知識が必要となってくる。

この本を通じて、コールカーターという街のとてつもない奥行きの深さを思わずにはいられず、このガイドブックの誌面の向こうには、様々なワクワク、ドキドキする新たな発見に満ちた街歩きが待ち構えているであろうことを感じる。

市内各所、路地裏まで精通した地元の知識層が書いた都市ガイドブックは、通常の観光案内とは、視点も取り上げる背景の厚みもまったく異なる。こうした内容である割には、カラーの写真や図版も多くて非常にわかりやすいのは、こうしたスタイルで、他の都市の紹介本も今後出てくるとうれしい。

Namaste Bollywood #31

Namaste Bollywood #31

今年最初の号となるNamaste Bollywood#31は、日本がインド、パーキスターン、スリランカの三国と国交を樹立して60周年ということにちなんで、巻頭特集は『日梵六十年の軌跡』だ。

戦後の日本での最初の公開となった1950年代の『AAN』から始まり、60年代、70年代、80年代・・・と、ボリウッド映画で日本にちなんだ作品、日本で公開されて評判となった作品等が取り上げられている。

ボリウッド作品ではなく、隣国ネパールの映画が字幕付きにて、東京都内で公開されるとのありがたい情報も。ただし、これは1月28日の16時と19時からのみという極めて限定的な上映。記事のネタバレになってしまうが、時間が迫っていること、日本においては非常にレアな機会でもあることからこの場でぜひご紹介させていただきたい。下記リンク先には、上映スケジュールとともに予約方法も記されている。

ネパールの映画「道端の花」(アップリンク・ファクトリー)

イベント関係では、福岡アジア美術館にて開催されている(会期:1月21日~3月11日)『魅せらせて、インド。―日本のアーティスト/コレクターの眼』という企画展のことも取り上げられている。個人的には、この記事の中にグレゴリ青山氏のマンガが挿入されていたのが嬉しかった。昨年末の号で休刊となった雑誌『旅行人』に書いていらしたころからのファンなのである。

さて、2012年にはどんなボリウッド映画が上陸してくるのか、どの作品が高い評価を得るのだろうか。日本全国各地で『Don 2』のようなヒット作が劇場公開されて、それなりの評判と興行成績を収めることができるような環境になってくれるとありがたいのだが。

まさにそのためにも、日本国内で日本語とグラビアを用いて、ボリウッド映画の魅力と最新のトピック等を伝えるNamaste Bollywood誌が担う伝道師としての役割は大きい。

同じく今年1月に、Namaste Bollywood誌と同じくスタジオ・サードアイによる「これからの生き方と未来を探る支援型新雑誌」J-one 2が発行されている。こちらについては、後日ご紹介することにする。

 

コールカーターの老舗洋菓子店

NAHOUM & SONS

創業1902年から数えて今年で110年目となるナフーム(Nahoum & Sons) は、1911年にデリーに遷都されるまで、英国によるインド統治の中心地であったコールカーターでも、現存する最古の洋菓子屋であるとされる。

店の名前が示すとおりユダヤ系の商店で、経営者は三代目のディヴィッド・ナフーム氏。ずいぶん前には彼が店に出ているところを見かけた記憶があるのだが、今や90代という高齢のため、滅多に店に顔を出すことはないらしい。

昨年の今ごろ、『コールカーターのダヴィデの星1234』で取り上げてみたとおり、今や見る影もないものの、コールカーターはユダヤ系コミュニティが繁栄した場所でもある。

この街きっての老舗洋菓子屋といっても、決して敷居の高いものではなく、ここを訪れる旅行者誰もが一度は足を踏み入れる(そして煩い客引きにつきまとわれる)ニューマーケット内の雑然とした一角にある。

Nahoum & Sons Private Limited

F-20, New Market

Kolkata – 700087

店内の様子

市内の他の場所からニューマーケットに移転してきたのは1916年だというから、このロケーションですでに96年が経過していることになる。室内の様子もショーウィンドウも時代がかっていて、なかなかいい感じだ。創業時から少し遡った19世紀のコールカーター在住欧州人向け商店の中はこんな感じであったのではないだろうか。

朝は10時開店だが、店の一部は朝7時くらいから開けており、そこでは香ばしい匂いが立ち上る焼きたての食パンを販売している。ベーカリーとしてもかなり評判がいいらしい。

メインの洋菓子類については、ケーキ、ドライケーキ、ペストリー、クッキー、メレンゲの類で、他の洋菓子屋に陳列されているものと大差ないのだが、いろいろ買い込んで試してみると、見た目は似ていても、味わいは標準的なレベルを大きく凌駕している。さすがは110年もの歳月を経た老舗だけのことはあり、どれも美味であった。

時代がかった棚もいい感じ。

果たしてナフームに陳列されている菓子類で、創業当時から同じレシピで作っているものがあるのかどうかは不明。冷蔵庫のなかった時代のことだが、今のナフームのショーウィンドウにも冷蔵装置は付いていないので、たぶん同じようなものを作っていたのではないかと思う。

静かに目を閉じて食してみれば、あなたも20世紀初頭の味わいが体験できるに違いない。

見た目は他店のものと同様でも、さすがは老舗の味わい。

再び中華朝市へ2

旧中華街にある観音寺

この地域にある観音廟に行く。寺の世話人はネパール人にも見えるが中国系。おそらくインド人との混血らしきと思われる浅黒い肌の50代後半くらいの男性だ。早朝から参拝客はポツポツと出入りしている。

旧中華街は元々ムスリム地区と隣り合っていたのだが、インドにあっては華人とムスリムは共働関係にあるようだ。19世紀後半あたりから流入してきた華人たちが従事した主要な産業、皮なめし業、皮革加工に関する製靴業等の仕事、家畜の屠殺から畜産物加工、そして『Non-Veg』レストラン等々でしばしば同業者であったり、取引相手であったり。華人たちが経済力をつけてからは、ムスリム労働者たちに就労機会を与えてくれる雇用主でもあったことから、互いに持ちつ持たれつの関係が続いていたようだ。

コールカーターのもうひとつのチャイナタウン、東郊外のテーングラー地区でも同様だ。華人経営の大小様々な皮なめし工場があるが、労働者たちはインド人のムスリムたち。中華レストランも大きなものから小さなものまでいろいろあるが、経営者家族以外の従業員たちはやはりムスリム。豚肉無しの中華料理で、中国本土での漢族系ムスリムたちの『清真料理』のイメージと重なるような感じがする。

ムスリム地区の中で忽然と現れる華人の同郷会館

華人人口が非常に少なくなっている現在は、このあたりも丸ごとムスリム地区となっている。しばらく旧中華街エリアのムスリム地区を散歩する。道端の小さな店で、羊や牛を解体していたり、屋根の付いた小さなマーケットがあったりする。そんな中に突然、華人たちの同郷会館や中国寺院等が散見される。

屋根付きのマーケットで鶏卵を商う男性

ここから少し北に向かうとナコーダー・マスジッドに出る。1926年に落成したこのマスジッドは、密度の高い商業地域に立地している割には1万人収容という規模の大きさを誇る。敷地ギリギリ一杯まで使ったこの建物は、キブラーの方角との折り合いをつけるため、通りから見ると、かなり捻じれたような形になっており、自分の視覚がおかしくなったような気がしてしまうくらいだ。あるいは『だまし絵』を眺めているような感じともいえるだろうか。

ナコーダー・マスジッド

マスジッド入口向かって左側に、割ときれいな感じの床屋があったので入ってカットしてもらっているとき、店の入口にいた人が『空の具合がずいぶん妙だぜ』と店主に言う。『どんな具合だい?』と外に出てみると、まるで夜のように暗くなっていて気味が悪い。

散髪を終えて外に出たところで非常に激しい雨となった。とても歩いているわけにはいかないので、庇のあるところで雨宿りだ。道路端は見る見るうちに冠水していく。

<完>