メアリー・コム

インドで強いスポーツといえば、クリケット、テニス、バドミントンなどが思い浮かぶことだろう。しかし女子ボクシングで世界最強レベルの選手がいることは日本ではあまり知られていない。

インドで女子ボクシングが盛んかといえば、そんなことはないのだが、マニプル州出身のメアリー・コムの存在があまりに突出している。

2012年のロンドン・オリンピックでは残念ながら銅メダルに終わったが、2002年から世界女子アマチュアボクシング選手権で5回優勝している。アジア域内では、アジア女子ボクシング選手権を含めた3つの大会で7回の優勝を経験している。

以下リンク先のビデオはロンドン・オリンピック開催前、金メダルの期待がかかっていたメアリー・コムを取り上げたものだが、インタビューのやりとりとともに、彼女の家庭での様子(既婚で2児の母でもある)、練習風景なども紹介されていて興味深い。

India – Five Times World Boxing Champion
‘Mary Kom’ WISH her for London Olympics, 2012
(Youtube)

Namaste Bollywood #34

Namaste Bollywood #34

Namaste Bollywood#34が発行された。今号ではボリウッド映画界とベンガルとの繋がりに焦点が当てられている。

近世以降、文学、絵画、演劇といった様々な方面の芸術が豊かに花開いてきたベンガル地方由来の小説を下敷きにしたボリウッド作品はいろいろある。そうした文化的な背景もあってのことかと思うが、ベンガル出身あるいはベンガル系の血筋の演技者も多い。ベンガル出身の芸術映画、左派映画の製作者も多いことは広く知られているが、たぶん製作者以外にも映画関係で撮影や舞台装置その他の技術系の仕事に携わる人の中にもベンガル系の人々が占める割合は少なくないことだろう。

さて、今号には日本のボリウッド映画ファンが、決して見逃すことのできない大変重要なニュースが掲載されている。10月6日(土)から12日(金)に渡って開催されるインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン。東京の会場はオーディトリウム渋谷で、大阪の会場はシネ・ヌーヴォである。この期間中に上映される映画は合計23本。どれも選りすぐりの素晴らしい作品だ。東京と大阪とで、それぞれの作品の上映日時が異なるのでご注意願いたい。

過去の『インド映画ブーム』により、ある程度以上の年齢の日本人観衆の間に定着してしまったインドの娯楽映画に対する「単純明快」「勧善懲悪」「唐突に挿入される歌と踊り」「ハッピーエンド」等々の紋切型かつどれもがB級、C級といった誤ったイメージを払拭(そうしたイメージを抱いて映画祭を観賞した人はこれまでと考えを180°転換させることだろう)して、個々の作品のクオリティの高さを正当に評価するきっかけになることを願っている。

日本でクリケットが静かなブームに

世界的にはサッカーに次ぐ膨大な競技人口を擁しながらも、なぜか日本ではとりわけマイナーなスポーツという地位に甘んじているクリケット。

日本国内での競技人口はわずか1,500人と言われるが、それでも最近ではゆっくりではありながらも、着実にその人気は広がりを見せているらしい。

首都圏や関西圏では、わずかながら少年のクラブチームがあるようだが、日本でクリケットを愛好する人々の大部分は大学に入ってから始めているといった現状らしい。おそらく現在までのところ、日本国内の中学、高校の部活動で「クリケット部」が存在しているのは、大阪の上宮学園だけということになるようだ。それがゆえに、U19、U15の日本代表として海外遠征を経験する生徒もいるとのこと。

こうした具合であるがゆえに、このスポーツで日本の第一人者として活躍したい人にとっては好都合であるとも言えるだろう。日本クリケット協会のウェブサイトには、同協会に加盟している大学のクリケット部を含めた全国のクラブチームの名前が記されているが、その数55とかなり少ない。そのうち30のクラブが関東に集中している。

これらの中には大学のクリケット部や大学のOBによるクラブ以外に、主に外国人メンバーで構成されるチーム、外国人学校のクラブもあったりと、なかなかバラエティに富んでいる。

だが外国人プレーヤーもかなり含まれているということも差し引くと、やはり大学のクリケット部に籍を置くということ自体で、日本代表に選出されることは決して夢物語ではないということは容易に想像できるわけで、先述の大阪の上宮学園中学・高校のクリケット部と同様に、頑張れば日の丸を背負って国際試合を闘う日本代表メンバーとなることを意識しながらプレーできるということはずいぶん張り合いがあるはずだ。

「世界的なスポーツでありながらも、何故か日本での競技人口は少ない」ということを大きなアドバンテージと捉えて、世界の舞台を目指してみるのもいいだろう。この競技を愛好する若者たちが大志を抱くことができる環境がそこにある。

紅茶スパイ

中国からインドに茶の木と栽培法を伝えた功績で知られる植物学者ロバート・フォーチュンの試行錯誤を軸に描かれた、紅茶をめぐるノンフィクション作品。

イギリス東インド会社の依頼により3度中国に渡った彼だが、その中で2度目の中国行き(1948年~1951年)での任務は、当時の中国において門外不出であった茶の秘密を得ること。茶の木と栽培技術を密かにインドに移すことであった。

折しも、ウォードの箱の発明により、植物の長期間に及ぶ輸送が可能となっていたという背景がある。観賞用としてシダやラン、工業用の作物としてのゴムの木等々の苗の大陸間での移送が可能となり、当時海外植民地を持っていた列強国にとって、新たな富の創造を可能とするものであった。

インドに持ち込まれた茶の木は、当初U.P.のサハラーンプルの植物園で栽培されていたが、当時スィッキム王国から割譲されたばかりであったダージリンが、茶の生育には天恵といえる好適地であったことにより、質・両ともに本場中国を凌ぐ茶の生産の一大拠点として発展していくことになる。

1957年に発生したインド大反乱により、イギリス東インド会社がインドで得ていた特権は剥奪され、本国の君主が英領インド帝国の皇帝となることにより、それまで250年間もの間に亜大陸の貿易港の商館での取り引きから、この地域のほぼ全土を掌握するに至っていたこの「会社」による支配は終焉することになったが、その「会社」がこの地に残した最後の大きな遺産のひとつが茶の生産であった。

インドでの茶の栽培の進展は、それまでの茶葉の貿易事情に大きな変革をもたらし、茶をたしなむ習慣の大衆化を推し進めることにもなった。イギリスにおける磁器産業の発展も、まさにこうした茶器需要あってのことでもある。

フォーチュンは、日本との縁も少なからずあり、東インド会社とは無関係な仕事で1860年から1862年まで中国と日本に滞在している。植物学者として、またプラント・ハンターとしても当時第一級の知識と腕前を持つ人物であったが、同時にビジネスマンとしての才覚も人並み外れたものがあったようで、この時期の極東滞在で大きな財産を築いたとされる。

この本のページをめくりながら、休日の午後のひとときを過ごしてみると、手にしたカップの紅茶の味わいがことさら愛おしいものとなることだろう。

書名 : 紅茶スパイ

著者 : サラ・ローズ

訳者 : 築地誠子

出版社 : 原書房

ISBN-10 : 4562047577

ISBN-13 : 978-4562047574

ご当地仕様のホテル

夕方のそぞろ歩き
Tシャツに描く絵描きさん。なかなか丁寧な仕事をしていらっしゃる。
「死んだ家畜があったらお電話を」とある。そういう仕事もあるようだ。
久しぶりにプシュカルを訪れてみた。ラージャスターン州の他地域同様、ここでもやはり古いハヴェーリー(屋敷)を改築したホテルが人気のようである。多くはカジュアルな宿泊施設で、手頃な料金でこの土地ならではの雰囲気を楽しむことができて楽しい。
宮殿から転用されたホテルは昔からあるが、ラージャスターン州でハヴェーリーを改装した宿泊施設が一般的になったのは、2000年代に入ってからである。それまでは、ほとんど顧みられることもなく荒れ放題であったり、テナントに部屋ごとに細分化して賃貸していたりといった具合で、往時の面影はほとんど残されていないことが多かった。
中世から近世にかけて、商売で成功した人たちが豪奢なハヴェーリーをラージャスターン各地に建築した時代があった。当時とは産業構造が異なり、多くは都市部に居を構えるようになっていたり、一族が肩を寄せ合って暮らすジョイント・ファミリーのような生活形態も過去のものとなっていたりするなど、ライフスタイルも変化している。大家族が暮らしていたハヴェーリーは、往々にして「賃貸物件」として部屋ごとに貸し出され、そこからの収入は大きな街に住むオーナーが受け取り、現地では縁もゆかりもない間借り人たちが住む「アパート」と化している。そこに暮らしているわけではないオーナーも、間借りしているに過ぎない借家人たちも、建物に対する愛着などないので、このコンディションに頓着するはずもない。ゆえにボロボロになってしまうのはやむを得ない。
こんな建物をよく見かけるが、往時はさぞ立派であったことだろう。
上の画像は、プシュカルの隣町アジメールのバーザールで撮影したものだが、ラージャスターン各地の商業地域でこのようなハヴェーリーは数多い。もしこれが宿泊施設に転用されたならば、かなり良い収入を見込めるだろう。
だが観光地やその周辺にあるハヴェーリーについては、その資産的価値が見直されているようだ。建物の規模からホテルに充分転用できる可能性があること、一族とはいえ複数の世帯が暮らすように造られていたこともプラスに作用する。商家のハヴェーリーは賑やかで交通の便も良い商業地域にあることが多く、ロケーションの面からも観光客にとって都合が良い。
ラージャスターンらしい意匠や装飾などが外国人客はもとより、インドの他地域から訪れる人々にとってもエキゾチックでアピールするものがある。これらについては、昨年の今ごろ「旧くて新しいホテル1234」でも取り上げてみた。
好立地にある物件ほど、従前より賃借人に部屋ごとに貸し出しているケースが多く、建物の規模が大きいほど、既存のテナントに立ち退いてもらってホテルに転用することが容易ではなかったりするものの、こうした宿泊施設は今後も増加していくものと思われる。
夕暮れ時の湖
ガートへの入口
さて、話はブラフマーの聖地とされるプシュカルに戻る。小さな湖周辺に町並みが広がり、幾つものガートが並ぶ。ガートにも幾つものスピーカーがあり、様々なことがアナウンスされている。「そこの人、サンダルを脱ぎなさい。外国人はちゃんと靴を脱いでいるのに、インド人のあなたは恥ずかしくないのか?」「汚い衣類をガートで洗濯するのはやめなさい」といった具合だ。ガートの様子を逐一監視できるように、監視カメラが設置されているようだ。
ガートに多数出ている看板で、外国人用に英語で書かれているものには、「写真撮影禁止」「禁煙」といった事柄が書かれているのに対して、ヒンディーでインド人用に書いてあるものには、「ここで洗濯するな」とか、「トラストへの寄付は所得税の控除の対象になります。領収書を受領してください」などと書かれている。これら二種類のものは、並んでいるだけに、書いてある内容の相違がさらに際立つ。
こうしたエリアに隣接するラクシュミー・マーケットの裏手に、Inn Seventh
Heaven
という宿がある。かなり建て増しがなされているようではあるものの、入り口の狭いドアをくぐった先にある広々とした中庭を中心に広がる洒落た光景には思わず息を呑む。料金帯の割にはプロフェッショナルなサービスが提供されており、マネジメントもしっかりしていることが窺える。今後長く繁盛するだろう。
Inn Seventh Heaven
最上階のレストランから階下を眺める
ロビー周辺
客室ごとに異なるテーマで装飾等がなされており、それぞれの部屋の前にもソファ、長椅子、ブランコ等々がしつらえてあるのだが、さりとて雑然とした感じにはならずに、上手に統一感を持たせたコーディネートがなされているあたりのセンスの良さからして、経営の主導は在外(インドの都会に暮らす人か、はてまた外国在住者か?)の人の手中にあるのかもしれない。
あまりの人気のため、オフシーズンでも予約は一杯になりがちなので、宿泊の予定が決まれば数日前には電話等で予約しておくべきだ。西洋人の家族連れの利用も多く、子供たちと一緒に快適そうに過ごしている姿が見られる。最上階にしつらえてあるレストランもなかなかいいムードで、気の利いたメニューを提供している。グラウンド・フロアーにあるキッチンから上階に料理を運ぶために、凝った造りの木製の小さなリフトが使用されているのも、見る人の目を楽しませてくれる。
実はすぐ隣にも似たような感じでハヴェーリーを改装してオープンしたホテルがあり、設備等悪くないのだが、同じような料金帯のInn Seventh Heavenかなり見劣りする。やはり内装のセンスの差であり、ランニング姿のオヤジが「いらっしゃい」と出てくるあたりやスタッフというよりも普通の「使用人」然とした従業員など、非プロフェッショナル的で典型的な家族経営のごく普通の宿であるだけに仕方がない。真横にあるホテルが満室でもこちらはガラガラに空いている。
空いているお隣の宿。正直なところ、ここもなかなかいいのだが、どうしてもInn Seventh Heavenと比較してしまう。
それでもプシュカルにはちょっといいホテルが増えた。かつては安旅行者向けの小さなゲストハウスばかりが点在していて、ややアップマーケットな宿泊施設といえば、ラージャスターン州政府観光公社RTDCのHotel Sarovarくらいしかなかったのだが、いまやLonely Planetのガイドブックにも掲載されなくなっているほど「無視された」存在となっている。
RTDCのホテル
ここに限ったことではないが、90年代以降、各地で様々なレベルの宿泊施設に民間資本が参入している。とりわけ宿泊施設については、地域の観光産業振興を牽引する役割は終えているといっていいだろう。事実、インド全土を見渡せば、かつては公営であったホテルが民間に売却された例は少なくない。とりわけ州都規模の街などは、民間大手ホテルグループにとって買収の手を挙げやすいようだ。
さて、今後どのような面白い宿泊施設が出てくることになるのか予想もつかないが、東西南北それぞれの地域で歴史的な資産には事欠かないインドだけに、今後もご当地色豊かなホテルが出現してくるのを待つことにしたい。
このあたりではホシガメか生息している。