下ラダックへ 1

予約したクルマは、午前7時に宿の前で私を拾ってから出発ということになっている。運転手のナワンさんは、昨日夕方に旅行代理店で会って少し話をした。30代の彼は、毎年シーズンには妻子をザンスカールに残してレーに単身でやってきて、主にチャータージープの運転をしているという。

もっと若い頃には、軍の基地関係の運転手をしていたこともあるとのことだ。1999年のカールギル紛争のときには、まさにカールギル界隈で仕事をしていたとのことで、戦争の恐ろしさを身近に感じたという。

2泊3日で同行してあちこち連れて行ってもらう相手なので、その人柄は少々気になるところ。ちゃんとした感じで性格も良さそうな人物なのは幸いだ。もっともラダックでは感じの悪い人に出会った記憶はあまりないのだが。

昨日の印象では好感の持てる人物だが、宿の庭に出てしばらく待っているものの、7時半過ぎても来ない。約束と時間には律儀な印象のあるラダック人だが、ちょっと気になるので昨日聞いておいた携帯電話にかけてみるが繋がらない。

しばらくやきもきしていると、ナワンさんはやってきた。「すみません。配車の関係でちょっとトラブルがありまして・・・。」

寝坊しただけなのではないかと思うが、旅行代理店で約束した車種であるので、まあいいのだが・・・。

月面のような風景の中をひた走る。国境地帯なので、どこに行っても軍施設が沢山あり、軍用車両が走り回っている。幸いなのは、この地ではまさに国境守備のための軍であり、地元の人々と軍との関係は良好であることだ。

高地戦の部隊として地元ラダックでリクルートされた「Ladakh Scouts」を除けば、外来の部隊がこの地の守備に当たっているわけだが、同じJ&K州の西部にあたるカシミール地区と異なり、インド軍の銃口は国境の向こうの敵軍に向けられている。

カシミール地区においては、国境向こうのパーキスターン側への編入ないしはパーキスターンによるバックアップによるインドからの分離を支持する意見も多い。さらには、パーキスターンによる工作や諜報といった活動はもとより、インドに対する武装闘争に加わる人々も少なくないという背景もあることから、軍の銃の向けられている先は、国境の向こう側であるとともに地元住民でもある。軍による地元住民に対する重篤な人権侵害の事例も多く、人々の中で自分たちがインドによる占領下にあると感じる人が少なくないのは当然の帰結である。そこまで毛嫌いしておらず、治安対策に関する必要悪だと思う人たちにとっても、あまり好意的には捉えられていないだろう。

話は戻るが、これに比較すると、同じ州内の東部にあたるラダック地区では、国境の向こう側の中国に対する感情としては、チベット文化圏に対する侵略者、抑圧者のイメージでしかないがゆえに、たとえ文化的・人種的に異なるJ&K州からの分離要求はあっても、インドからの分離、あるいは中国への併合要求などあり得ない。そして、インド軍は、恐ろしい中国の侵略を防いでくれる守護者であり、軍に関連する産業は観光や農業を除けば数少ない就労機会、そして投資機会を与えてくれる存在でもある。

地元の人々の人口の大半がチベット仏教、そして残りがムスリムであるこの大地で、幹線道路沿いや軍施設周囲に点在するヒンドゥー寺院やスィク寺院は、軍関係者が参拝するものである。

〈続く〉

一夜明けて 2

クルマの手配の関係で、レーの中心部にある旅行代理店経営者のワンチュクさんとやりとりしていた際、息子さんが明日のパンゴンツォ行きの予約をしていた人に電話しているのが聞こえてきた。

「もしもし・・・。あなたが予約されていたシェアジープなのですが、がけ崩れにより、少なくとも二、三日は道路が不通になるようです。払い戻し、あるいは出発日時の再設定ということになりますが、オフィスまでお出でいただけませんか?」

出発前ならば、お客としても対応できる余地はいろいろあるのだが、帰り道にこうなってしまうと、道路が再開するまで待つしかない。どこかに観光に出てレーに帰着する翌日にデリー行きのフライト、そのまた翌日が帰国便というスケジュールを組んでいたら、即アウト!である。日本人の場合は、タイトなスケジュールを余儀なくされている人が多いので、こういうところがなかなかキビシイ。私が向かうのはパンゴンツォではないので他人事ながらも、そうした場合の対応をいろいろと考えてしまう。

クルマの手配をしているうちに正午を大きく回ってしまった。旅行者相手の食堂で昼食をした後、近くにあるカフェで大きなアンズのタルトを注文すると、もう腹一杯になってしまった。

昼食
昼食後のデザートはアンズの大きなタルト
上の画像のタルトの中身の材料 アンズ

その後、シャーンティ・ストゥーパに上る。道路から頂上まで、およそ15分程度だろうか。やはりここからの眺めは素晴らしく、レーとその周囲のインダス川沿いに開けた緑したたる大地とその周囲の不毛な山々を望むことができる。空は曇ってきた。北の方角から雷の音がして、ドラゴンでも出てきそうな気がする。

日本山妙法寺が建立したシャーンティ・ストゥーパ
色合いはともかく、カタチは和風
水が得られる部分の緑とそれ以外の部分の不毛さとのコントラスト
大きな町ながらも居心地の良いレーの町。やはりここが名実ともに乾燥した大地の中の「大きなオアシス」であるがゆえのことか。

昨年来たときは、その前の訪問から20年ほど経っていたこともあり、その変容ぶりには大変驚かされたが、今回は昨年と特に変わったようには感じられない。だが旅行業関係の人によると、昨年に比べて訪問客はかなり減っているそうだ。「春先には中国による侵犯があったし、6月にはウッタラーカンド、ヒマーチャル・プラデーシュで大雨による大災害があったりもしたので、ヒマラヤ地域は危険ということになっているのかもしれない」とのこと。

特にここでシーズンに働いている人たち、そうした人たちが従事する産業といえば、往々にして観光関係(農作業に従事する他地域からの出稼ぎ人も多いが)ということになるため、現地での情勢はもちろんのこと、近隣地域の動きや災害に関する風評によっても景気が大きく左右されてしまうことになる。

もちろんどんな産業にも固有のリスクや弱点等はあるものだが、観光業というのは、自助努力だけではどうにもならないファクターが大きいのは辛いところだ。

 

一夜明けて 1

宿の建物の手前は家庭菜園

宿泊先の宿では、お客が庭先に出てきて本でも読み始めたり、おしゃべりを始めたりすると、ジャールカンド州から出稼ぎにきている使用人たちが、すぐにチャーイとビスケットを出してくれる。宿の清掃は行き届いているし、サービスも良く、非常に好感度の高い宿泊施設だ。

昨夜、外で夕食を摂って戻ってきた際にしばらく話をしたアメリカ人、ラダックで活動するNGO関係者のスイス人と彼が今回率いているスタディーツアーの参加者として来ている数人の欧州人たちと朝食を共にする。他愛のない会話をいろいろな国々からやってきた人たちとすることができるのは旅行の楽しみのひとつでもある。

その後、歩いてメインバザール近くのカフェでチャーイを飲みながら、WIFIでネット接続してメールのチェックをする。最近、こういう環境はインドでも着実に増えていて、ラダック地方では少なくともレーにいる限りは、ウェブ接続にはあまり困らない。

レーの町は電気の24時間供給体制という「歴史的な変化」でどう変わるのか?

昨年からのことのようだが、給電が午後7時から午後11時までというあまりに貧弱な状況からは脱却しており、レーとその周囲では、電気は基本的に24時間供給されるようになっている。もちろん停電は頻繁にあるのだが、「自家発電のある施設以外では1日に4時間しか電気が来ない」のと、「停電は多いが、市内全域で1日中電気を使うことができる」というのでは、事情が180度転換したと言ってもいいだろう。これは「歴史的な変化」として、地元の人々の間で共有される記憶となるのではないかと思う。

そんな具合なので、これまではなかなか難しかった商売が可能になったり、販売できなかった品物が売れるようになったりするということもあるだろう。人々のライフスタイルにも少なからず影響を与えることだろう。

そんなことを考えていると、やはり停電になった。店内にかかっていた音楽は止まり、ネットにも繋がらなくなる。するとそれまで黙って手元のタブレットやPCに向かっていた人たちが、手近にいる人たちとの会話を始める。電気が来ない、というのはそんなヒューマンな側面もある。でもはるか彼方の人たちと通信したり、ここからは目に見えないほど離れている国で起きていることなどの情報を入手したりすることよりも、本来ならば声をかければ振り向くことのできる距離にいる人たちと大いに語り合うことのほうが自然なことであるに違いない。

店内にいた若い北東アジア系男性は日本人であったが、アメリカの大学にて勉強中で、途中で休学してデリーの大学で環境建築を学んでいるとのこと。グジャラートの農村やラダックの農村などをはじめとする、環境と調和した伝統的な建築を調べているのだそうだ。この人は日本語がよくできないのかどうか知らないが、なぜかこの人との会話はすべて英語となった。

「日本人とふたりきりで英語で話す」というちょっとレアな体験。日本人以外の人を交えて話をする場合、「みんなで会話するために」当然英語で喋ることになるが、自国の人とふたりきりという場面で、英語で話すというのはあまり記憶がない。外国育ちで、国籍は日本であっても日本語は不得手というケースもあるので、「日本語は出来ますか?」というのも失礼かと思い遠慮しておいたが、陽気でおしゃべりな好青年であった。

トレッキングや登山のツアー参加者を募る旅行代理店の店頭の掲示

シーズンのレーの町では、インドの様々な地域の人々の姿があり、また様々な国々の人々が行き交っている。この時期の主要な産業といえば、当然のごとく観光業ということになるため、商業地区に無数に散らばる旅行代理店の店頭には、シェアジープ、トレッキング、バイクのツーリングその他の参加者を募るポスティングがなされている。

ツーリング仕様のエンフィールドのレンタルバイクをよく見かける。

このところ人気が急伸しているように見受けられるのは、ストク・カングリー(6,153m)登頂のツアーだ。高度からして本格的な登山ということになるので、素人が気軽に参加して大丈夫なのか?とちょっと気になったりもするが、あちこちに参加者を募る貼り紙を見かける。

本日、私が探しているのは、ある方面に向かうシェアジープなのだが、特定の場所についてはいくらでもそうした貼り紙が見られるのだが、今回の私の目的地の場合はその限りではない。旅の道連れがいれば、二人で割り勘にするだけでかなり違うのだが、そうでないのはソロで旅行する自由度との引き換えでのコスト高と思って観念するしかない。

いくつものモスクがある旧市街地と隣接する商業地界隈

商業地域がムスリム居住地区に隣接しているためか、あるいはこの業種自体がそのコミュニティの得意分野であるということなのかはよく判らないが、旅行代理店関係者はムスリムがとても多い。

今回、クルマのアレンジを依頼することにしたのは、そうしたムスリム業者ではなく、ラダック人仏教徒のワンチュクさんの店。30年以上に渡って営んでいるというから、この業界では老舗ということになるだろう。家長である彼の指揮下で、彼自身の息子と娘が取り仕切っているため、誰かが不在でもオフィス内での連絡がちゃんと行き届いている印象を受ける。

古からの交易路にあたるラダック地域では往々にしてあることだが、家族内でも顔立ちがずいぶん違う。典型的なチベット系の風貌のワンチュク氏に対して、息子はちょっと浅黒くて顔だちは父親とはやや違った感じ。色白で美人の娘さんはアーリア系の特徴が容姿やスタイルに出ているようで、家族3人と会っただけで、彼の一族には様々な民族の血が混淆していることが窺えるようだ。

レーのメインバザール。ラダックの「丸の内」といったロケーションながらも、商う人々はとても感じがいい。

〈続く〉

屈強な大男にとってもやっぱり怖い!?

ラダックのレーでデンマークから来た旅行者と知り合った。大胆不敵な印象を与える面構え、そして背丈190cm以上あるガッチリとした巨漢で、「建物のような」印象を与える頑健な男性である。

ラダックに来る前には、自国から一緒に来たガールフレンドとカシミールでトレッキングをしていたそうだが、その彼女はホームシックになって急遽帰国することとなり、それで傷心状態にあるせいか知らないが、レーに入ってからは5日間ほど腹具合が悪くなって寝込んでいたのだという。見た目の豪快さとは裏腹に案外繊細な男らしい。その彼がこんな話をしていた。

「お腹の具合も良くなってきて、一昨日の夕方はレーの中心部に出て食事をしていたんだ。ここに来る前に出会ったことがある人たちと再会して、飲んで会話して楽しかった。でもその後、まだ午後9時半くらいだったと思うけど、町の中心から少し離れたところにある宿まで戻るのが大変だった。」

『どうしたの?』

「どうも犬がねぇ・・・。宿への路地に野犬の集団がいて、ちょっとビビリながら近づくと、やっぱり吠えてくる。石を投げるとちょっと後ろに下がったりはするけど、結局同じところに戻ってくるんだ。自分たちの数に自信を持ってか・・・。」

『そりゃあダメさ!犬は人の気持ちがよく判る。だから怖れていると敏感に感じ取るんだ。でも夜分に集団で囲まれたりすると恐ろしいね。僕も野犬は嫌いなので判るけど。それでどうしたの?』

「同じ方向に行く地元の人でも通りかかれば、くっついて行こうかと思ったけど、誰も来なかった。仕方なく町の中心まで戻って、手近なところにあったゲストハウスに泊まったよ。犬なんかのためにアホくさいかもしれないけどね。」

『ハハハ!可笑しいけど、賢明だったかもしれないよ。アンラッキーなことが続く中で、野犬にも咬まれてはたまったものじゃないね。』

「そう。無事に通り抜けられる気がしなかったからね。」

一見、「この世に怖いものはなし!」と宣言しているかのように見える立派な体格と風貌ながらも、やはり夜道で野犬の集団に出会うと怖いのか、と妙に納得。

野良犬たちさえいなければ夜道はどんなに歩きやすいことか・・・。

ポプラと水路の風景

ちょっと奮発してチキンのシズラー

レーの市街地をしばらく散歩してから、ポプラの木立の中に席を並べているレストランで昼食。背の高い木のさらに限りなく上に広がる高い空。ラダックらしい風景だ。

こんな空を見上げるだけでいい気分になってくる。

ポプラといえば、レーから郊外に出ると水路と並んで走る道の両側がポプラ並木になっているところが多い。村の中でも道、水路、ポプラ並木がセットになった景色をよく見かける。

サワサワと流れていく水に心洗われるような気分

仏教寺院の存在や家屋のたたずまいを除けば、中央アジアにも通じる雰囲気がある。古の時代には中央アジアとインドを結ぶ交易路にあったラダックだが、今もそうした地域と陸続きであることを思い起こさせてくれる。

どこの国にいるのか判らなくなるような景色