ETIM パーキスターンと中国

このところ中国ではイスラーム主義者によるものであるとされるテロが相次いでいる。中国の新疆ウイグル自治区の分離独立を訴える集団による犯行であるとされるが、中国に対するジハードを唱え、中国から民族自決を要求する運動から、中国をイスラーム教徒の敵であると主張するものに変質してきている。

この組織、ETIM(East Turkestan Islamic Movement)は現在パーキスターンのFATA (Federally Administered Tribal Areas ※連邦直轄部族地域)に活動拠点を置いており、中国の手が及ばないところで軍事訓練、武器や資金の供与などを受けているとされる。

この地域はインドが英領であった時代に遡る歴史的な経緯から、パーキスターン領内でありながらも、同国の立法権限が及ぶのは「国道上のみ」という形になっている。同国政府による行政ではなく、ここに暮らす部族による統治がなされる特殊なエリアである。中央政府の権限が及ばない「無法地帯」であることに加えて、部族民たちの尚武の気風もあり、同じイスラーム教徒の反政府組織やテロ組織等に対しては格好の潜伏場所を提供しているとも言える。

常々、「テロ組織を隠匿している」と名指しでインドから非難されてきたパーキスターンだが、これまで地域の最大の友邦として同国を厚遇してきた中国にとって、自国でテロを展開するETIMの活動がエスカレートしていくにつれて、この集団が潜伏しているパーキスターンに対して、強い態度に出る日も遠くはないものと思われる。パーキスターンの港湾や道路等々のインフラ整備に手を尽くすほかに、地域最大の友好国として厚遇を与えてきた中国も、そろそろ考えを改める必要性を検討しているかもしれない。

もちろん中国だけではなく、同地域に潜り込んでいるテロ組織に対する強い懸念を抱く国は少なくないため、パーキスターンに対する外圧は相当なものであるため、ときおりこの地域への軍事作戦がなされている。

ETIM operatives among 50 killed in Pakistan airstrikes (INTER AKSYON)

しかしながら、このような行動は根本的な解決からほど遠いことは誰の目にも明らかであり、パーキスターン政府にとっての「一応、出来ることはやっている」というアリバイ作りに過ぎない。各国が望みたいのは、このような無法地帯の存在を許す現在のシステムの変更であるが、パーキスターンにとってはそのような「暴挙」は自国北西部の安定と秩序を破壊するものであり、隣国アフガニスタンにもまたがって暮らす部族民たちとの信頼関係を根底から崩すことにより、内戦に突入する危険をも覚悟しなくてはならない一大事となる。

最も大きな問題は、当のパーキスターンが自国領内のFATA地域のこうした問題を解決する能力も意思も持たないことだ。FATAのありかたは、今まで以上に地域の安定と秩序に及ぼす影響は非常に大きなものとなる可能性があり、今後目を離すわけにはいかない。

標的にされる中国 「全イスラム教徒の敵」(asahi.com)

ジハード呼びかける動画、狙いはウイグル族 (THE WALL STREET JOURNAL)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 1 (CCTV)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 2 (CCTV)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 3 (CCTV)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 4(CCTV)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 5 (CCTV)

Online terrorism East Turkestan Islamic Movement terror audio and video part 6 (CCTV)

イラクのインド人

サッダーム・フセインがイラクの大統領であったころで、イラク軍がクウェートに侵攻した、いわゆる「湾岸危機」が発生する前、つまりずいぶん昔のことになるが、イラクを訪れたことがある。

ヨルダンのアンマンからイラクのバグダードまで直行するバスがあり、これを利用したのだが、友好関係にあった両国とはいえ、かたや預言者ムハンマドの血筋に当たるロイヤルファミリーのハーシム家を擁する前者と、自国の王家を倒して政権を奪取した汎アラブ主義を標榜するバアス党のイラクとでは、表向きの友好的な姿勢とは裏腹に、非常に根深い不信感が渦巻いていたであろうことは、ヨルダン側のチェックポストからイラク側のチェックポストまでの間に、約50kmに及ぶ異常なまでに広大な緩衝地帯があったことから容易に想像がつくようでもあった。

ヨルダンからイラクに入ると、それまであちこちに見られた温和そうな紳士といった風情の当時のフセイン国王の肖像画から野心的な風貌のサッダーム・フセイン大統領の肖像画に変わることで、「イラクに来た」という感じがしたものの、景色にはさほど大きな違いはないように見受けられた。それでも非産油国である前者と石油による莫大な収入がある後者とでは、道路の整備具合はもちろんのこと、市街地に入ると家屋の規模が大きく、商業地域ではビルの規模も大きく、電動のエスカレーター付きの歩道橋などもあったりすることに、国力の差を感じたりもした。

ヨルダンでも酒を飲むことができる場所は多かったが、イラクではその酒類が非常に安価で、首都バグダード市内にいくつもある繁華街では、当時バックパッカーであった私が懐の心配をすることなく、旅先で出会った他の旅行者たちと、そうした店で気持ち良く酔うことができた。

もともとイラクは宗教色が薄く、世俗的な国であった。社会主義的な政策を進めるイラクのバアス党を率いていたサッダーム・フセインも公式の場に出るときや街中に掲げられたポスターなどではたいていスーツ姿であったことは、アラビアの伝統的な衣装をまとった湾岸諸国の王族たちの姿とは対照的だった。バアス党の治世下にあっては、宗教や民族をベースにした分離主義的な活動は厳しく弾圧されるとともに、イスラーム原理主義者やそうした中に含まれる過激派にも活動の場はなかった。

そんな具合であったので、サッダーム・フセインがアラビアの民族衣装で現れたり、国旗にアラビア語で「アッラー・アクバル」という文字が入ったりしたのは、1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻したことに始まる湾岸危機をきっかけに始まった湾岸戦争以降のことだ。

それはともかく、現在のイラクのように市民生活に対して宗教が強い干渉力を持つ社会ではなかったため、洋装の女性が普通に行き来しており、社会進出も特に盛んであったようだ。また男性社会では飲酒もポピュラーであったようで、先述のとおり酒が安価にふんだんに供給されており、繁華街では酔っ払いたちが路上で寝込んでいたりするのは、夏の時期の週末の東京と同じであった。

当時、イラクに入国した外国人は指定された病院にて、一定期間のうちに血液検査を受けなければならないことになっていた。エイズの蔓延に警鐘が鳴らされ始めた時期であったため、インドでも半年以上の査証で入国する外国人たちについては、そのような措置があったことを記憶している。おそらく他にもそのような国は多くあったことだろう。

イラク政府による指定病院のひとつ、名前は忘れたがバグダード市内の大きくて近代的な医療施設を訪れて血液検査を受けたのだが、対応した看護婦も医師もインド人であった。彼らの話によると、技師として働いているインド人も相当数あるとのことだった。

その後、湾岸戦争開戦となるにあたり、イラク政府は在住外国人たちを重要施設に連行・監禁するなどして、「人間の盾」として扱うことになったのだが、その時期のインドのメディアはこうした形で出国・帰国できなくなったインド人たちのことを伝える記事を流していた。

湾岸戦争後、経済制裁下の停滞を経てイラク戦争により、サッダーム・フセイン政権の崩壊を経た後のイラクは各国による利権の分捕りあいと新たな経済秩序の形成の場になったわけだが、再び途上国からの出稼ぎの人たちに稼ぎの場を供給する場所にもなっている。治安機構の崩壊した戦後のイラクでインド人、ネパール人等のトラック運転手が街道上で誘拐されたり、殺害されたりというニュースをしばしば見るようになった。

それからもう何年も経過したが、現在も内戦に近い状態が続き、スンニー派の武装過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の実効支配地域の拡大が伝えられている中、インド人労働者たちに対する大規模な誘拐事件が発生して、世間の耳目を集めるようになっている。

政治的にも経済的にも、まぎれもない大国となっているインドだが、こうして外国での就労に活路を求めなくてはならない人々が多いことは今も変わらない。しかしながら、こうしたマンパワーの宝庫であるということも、インドの強みのひとつでもある。

One of the 40 Indians kidnapped in Iraq escapes, 16 others moved out (THE TIMES OF INDIA)

40 Indian Construction Workers Kidnapped in Iraq (abc NEWS)

 

Trains At A Glance

またインド国鉄の時刻表改定の時期である7月が近づいてきた。

現行の時刻表については同国鉄のウェブサイトからダウンロードできるようになっている。来月にこれが改まることになる。

もう何年も前に、これがウェブ上から引っ張ることができるようになったときには、便利になったものだと少々感激したものだが、ときにリンク切れがあったりすることもあるし、遅い回線環境にあるユーザーのことを考慮してか、テーブルナンバーごとにダウンロードするようになっているのはちょっと面倒でもある。一冊まるごと落とせるようにもなっていると便利なのだが。

ともあれ、現在はIRCTCや様々な旅行ブッキングサイトで乗車する日、利用クラス、乗車駅、降車駅を入れれば、その時点で予約可能な列車名や時刻などが即座に出てくるようになっているため、もはやこうした形での鉄道時刻表の必要性は失われつつあるのかもしれない。むしろ満席で予約できないものは省かれるため、こちらのほうが親切であるとも言えるだろう。

しかしながら時刻表を眺めながら旅行のプランをぼんやり考えたりする楽しみもあるわけで、毎年7月に入るとこの時刻表の全ページをダウンロードして、PCとスマホに保存しておくことにしている。

サイクルリクシャーあれこれ

Rickshawの発祥の地といえば横浜(東京の日本橋という説もある)で、日本発祥の乗り物はアジア各地に伝播して、それぞれの土地で発展していき現在に至っている。

リクシャー、つまり力車こと人力車を文字通り人がテクテク走って引いていたころのものは、日本から輸出した車両とそれを模倣したものが幅を利かせていたため、どこの国も白黒写真に残るそれらの姿は、これらの復刻版が行楽客向けに走る横浜、浅草、鎌倉などの観光地で見られるものとほとんど同じ形をしている。現在、唯一カルカッタの残るこうしたオリジナルの様式のリクシャーは、江戸東京博物館に展示されている人力車にほぼ忠実なコピーと言って差し支えないだろう。

この人力車の発展形がサイクルリクシャーであり、日本でもリンタクとして一時期走っていた。江戸東京博物館のウェブサイトによれば、信じられないことにこれが1988年まで東京で走っていたということだ。今はイベント等で営業している業者がいるのだが。また、Velo Taxiはサイクルリクシャーの最新型ということになる。

しかしながら、このサイクルリクシャーについては、動力の効率や操作性の観点からは、南アジアの引き手の後部に座席が備わっているものが一番良いのではないかと思うのだが、ベトナムやカンボジアのように乗客の座席が前に付いているもの、ミャンマーのようにサイドカーとなっているものなど、いろいろなバリエーションを生んだ。

インド
ベトナム
ミャンマー

座席が前だと眺めは良いし、乗り心地も優れているのだが、自動車やバイクその他の乗り物が忙しく行き来する現代においては、混雑している交差点などではちょっとスリリングである。右折しようとしているところで、腰かけている乗客のところに他の車両が突っ込むという事故を目にした際には「やはり」という気がした。サイドカーのタイプだと、運転手との会話が容易であるところが好ましくも思える。後部が座席となっているものの場合、往々にして乗客が座る部分はかなり高い位置となるので、見晴しは良かったりするし、多少の雨ならば蛇腹式の傘部分である程度防ぐことができる。もちろん運転手はずぶ濡れになるしかないのだが。

サイクルリクシャーの駆動部分の自動化を進めたものがオートリクシャーであり、このエンジンの環境負荷を取り除く目的で開発されたのが、サファー・テンポーであり、e-rickshawでもある。

これまでサイクルリクシャーが活躍してきた地域でも、都市の過密化と住民たちの自前の交通手段の普及による交通渋滞、市街地の拡大による生活権の拡大等により、利用者の減少、乗り入れ地域の制限などにより、先細りの稼業であることは間違いない。先進国におけるVelo Taxiにしてみても、これが実用的な交通手段として機能するかといえば、そうであるとは全く言えないだろう。いずれは各地で消えゆく運命にあるとはいえ、中進国や途上国においては小規模な町での需要はまだまだ高い。

先進国においても環境意識の高まりや都市部以外での若年層人口の流出などによる高齢者の日常の足としての可能性も否定できるものではなく、サイクルリクシャー営業を試みたら、一定の評価を得るのではないかと思ったりもする。

RICOH THETA

「全天球カメラ」 THETA

全天球カメラとの触れ込みで2013年11月に発売となったリコーのTHETA。周りの景色をワンシャッターですべて写し込むことができるという唯一無二のカメラなので、発売当時は大変話題になっていたようで、熱狂的な愛好者たちが存在するものの、あまり一般受けする製品ではなかったのか、今では量販店のTheta特設コーナーも閑古鳥が鳴く状態になっている。

それでも、このカメラに盛り込まれた斬新なアイデアとネットとの連携の良さなども評価された結果、今年5月に発表された「カメラグランプリ2014 カメラ記者クラブ賞」を受賞することになったのだろう。

『RICOH THETA』が「カメラグランプリ2014 カメラ記者クラブ賞」を受賞 (リコーイメージング株式会社)

カメラの周りのものすべてが写るため、旅行先の写真や家族との写真などで自分だけが写っていないということはこのカメラにおいてはあり得ないことになる。これで撮影した写真を閲覧する際には画像をグリグリとまた周囲全体が写ることにより、訪問時、撮影時に気が付かなかったことを発見することもあるかもしれない。画質はスマホのカメラと同等という貧弱さなので、とりわけ高感度での撮影についてはひどくノイズが出てしまうようだが、それでも建物や家屋等の内部の様子を記録するにはもってこいのツールということになる。

レンズを上に向けても下に向けても撮影データの天地や水平レベルはちゃんとしているのが不思議。感度・ホワイトバランスともにオートのみで、スマホのアプリを通じてシャッターを押す場合のみ、露出の+-の調節が可能。暗い場所では盛大にノイズが出てしまうが、ホワイトバランスが優秀なのは幸いだ。

超広角レンズのためボディからビヨンと張り出した形となるため、レンズの保護をしようがないのは少し気になる。砂や埃などが付いたままで布の専用ケースの中で振動しているとキズの原因となるので注意が必要。

多少大型化してもいいから、画質が平均的なコンパクトデジカメ並みにならないかなとか、動画も録れるようにならないかとか、撮影時に手指の写りこみを避けるため頻繁にミニ三脚を使うことになりそうなので三脚穴は金属製にして欲しいなどと、いろいろ考えてしまったりする。今後のモデルチェンジ、また他社から競合機種が出てくるようなことがあれば、ますます魅力的な製品として磨かれていくことだろう。

これまでのカメラとはまったくコンセプトが異なるため、既存のカメラと撮影のシチュエーションや目的が重なることはない。いつでもどこでもこれまでの愛用機プラスワンで持ち歩きたくなってしまう。インドの街並みや旅行先で訪れた歴史的建造物などを360℃撮影するというのはまったく新しい体験となるだろう。

リコーの製品紹介サイトにサンプル画像がある。愉快な360℃撮影画像をお楽しみいただきたい。

THETA (リコーイメージング株式会社)