Markha Valley Trek The Day 4

朝6時過ぎにマールカーのホームステイ先で起床。一昨日宿泊したスキウは高度が低かったのだが、マールカーは少し高いところなるようで、曇ったり、雨が降ったりすると急に寒くなった。

7時半にマールカーを出発する前にホームステイ先の家の隣にあるゴンパに参拝。ガイドのタシは100ルピーのお布施を置いていた。彼にとっては決して少なくない額だろう。信仰の厚さといったところか。昨日、ここの僧侶がホームステイ先に来ていたため、タシは携帯の充電を依頼していた。今朝方、お寺で充電してくれたその僧侶がタシの携帯を家まで持ってきてくれていたので、そのお礼もあってのことかもしれない。

晴れるとかなり暑い

本日、スタートした時には薄曇りで歩くにはちょうどよかったが、途中から晴れてきた。すると非常に暑くなってくる。このところ続いている雨のためとのことだが、川床が広くなっていて、明らかに水が引いたと思われる場所が沢山ある。まだ少し湿った部分もあり、そんなときにここに来ていたら、川が広くて深くて、しかも流れも速いことから、越えることができなかったのではないかと思う。マールカーの村でしばらく足止めになっていた人たちもあったのではないかと思う。

渡渉するが、昨日同様に膝上くらいまでの深さ。水が氷水のように冷たい。足がシビレてチリチリする。雪解け水や氷河が水源になっているためだ。まさにそれがゆえに、朝はまだこの水量であっても、気温が上がる午後には増水することになるので渡るのは困難となる。

マールカー川の右岸に開けた渓谷。ここを進むとザンスカールに迷い込んでしまうのだとか。

しばらく進んでいくと、上流に向かって右手にはガイドのタシが言うには、「間違えてここに入ってしまい、ザンスカール方面に向かってしまう人がいる」という箇所がある。トレッキングのコースがマールカー川沿いであるということを頭に入れていれば間違えることはないのであろうが、川の左岸にあるマールカーの村を出てから一旦渡渉してこちら側を歩くことになる。山々が重なる良い眺めの渓谷が開けていて、ついつい間違えて吸い込まれてしまったとしても不思議はない。
卒塔婆のような形でちょっと不吉な感じ




ここの後はしばらく川床の平たくなったところを進むが、山の上にそびえるゴンパがあり、道のところで大きなチョルテンが門構えのようになっているところまで来ると、少し起伏のある地形になってくる。

しばらく川床の端の部分を歩き続ける。左側は急な斜面である。このあたりで「女性による運営によるカフェ、徒歩1分」という看板があった。実際には歩いて15分くらいかかるハンカルの村の西外れにあり、ここで小休止。アメリカ人女性がボラティアで働いていた。村に着いてから1週間とのことだが、これからひと月半ボランティアをするのだという。

村に入ると耕作地があり、瑞々しい緑が目に優しい。


本日のホームステイ先は、村の東外れの丘の上。しばらく斜面を上ったところに小さなゴンパがあり、その少し先にある。

ラダック式家屋の居間はとても居心地の良い空間

しばらくするとフランス在住のキューバ人とイタリア人の夫婦がやってきた。キューバ人は国の体制を嫌い、欧州に渡ったとのことだ。しかし祖父と祖母は1930年代に生活苦により、スペインからキューバに移民したとのことである。ちょうど日本人が南米に渡ったのと重なるものがあるといえる。その後、学校の教員をしているというアメリカ人女性と女性ガイドがやってきた。マールカーの村をはじめとするトレッキングで立ち寄る村は、観光シーズンには国際色豊かなものとなる。
銀色のお椀状のものは太陽熱を利用した調理器具。これでやかんにお湯を沸かしたりできる。

マールカーのホームステイ先で今朝方用意してくれたランチを食べてから、外を散歩してみようと思いきや、雨が降り出したのでやめる。しばらくすると雨が上がり、雲が切れてきた。カンヤツェの高峰を仰ぎ見ることが出来た。
カンヤツェの峰(6,400m)

山の中の小さな村にある家で、輸送手段といえばやはり馬かロバということになるのだが、この家の居間には大きな画面のサムソンのテレビがある。前日のマールカーの家でもそうだったが、夕方特定の時間になると、家の人たちが居間に集まって、ラジオのラダック語のニュースを聞いている。J&K州の公用語であるウルドゥー語放送もあるとのことで、衛星経由なのだそうだ。

夕食後にしばらくおしゃべりした後、翌日も朝から山を歩くため午後9時くらいになると寝ることになる。外ではまた雨が降り出した。今回のラダックに来てから雨が降らない日はない。異常気象であると人々は言う。年間降水量が平均80ミリほどしかない地域とはまったく思えない状態だ。



キューバ人男性のレオは雨具を着て、ヘッドランプを装着して外に出ようとしていた。
「どこに行くんだい?」
「Toilet Expedition !!」
そう、屋外にあるトイレは真っ暗で、天井も落ちており、そのままで出るとずぶ濡れになってしまう。土を固めた床に開いている穴に落ちることがあったら、まさに「遭難」である。

レオ君、それではお気をつけて!幸運を祈る!!

〈続く〉

Markha Valley Trek The Day 3



ルート上にある茶屋

朝7時半にスキウの村を出発。マールカー村を目指して川沿いに歩いて行く。その日によって楽しむ景色が異なるのがいい。初日は斜面と耕作地、2日目は高い峠と長い下り坂、3日目の本日は、川の流れ沿いに進んでいく。
浅瀬を選んで渡渉するが、連日の雨で川が増水しているのが少々厄介

マールカー川に注ぐ支流とマールカー川で、本日は何回かの渡渉があった。マールカー川の水は濁った深い茶色。氷河や雪解け水が水源であるため、まるで氷水のように冷たい。少し浸っているだけでしびれてしまうほどだ。








途中、競争しているわけではないのだが、他のトレッカーたちに追い付いたり、追い越したり、追い越されたりもする。こうしたことを繰り返しつつ進んでいくにつれて、いつしか顔見知りとなり、次の休憩地や宿泊地で話をしたりするようになってくる。

テントやら自炊用具やらすべてを背負ってキャンプしながら回っている頑強なイングランド人男性(有り余るパワーがうらやましいほど)とその彼女、NGOのスタディーツァーで来ているフランスの大学生グループ、同じくフランスから来たシニア夫婦、キューバ人男性とイタリア人女性のカップル等々、人気のルートなのでいろんな人たちと知り合うことができるのもまた楽しい。

村ではペットボトルのコーラその他の清涼飲料水は高値で売られているが、ミネラルウォーターのボトルを見かけない。これは販売が禁止されているからとのこと。その代わりに村々でホームステイを受け入れている家には、UV殺菌機能付きの水のフィルター浄化装置が配布されているとのことである。だが、そのフィルターがどの程度信頼できるものなのかわからないし、山歩きのときに下痢にでもなったらたまらないので、やはり宿泊先で沸騰させたお湯を頼むほうが安心なのではないかと思う。


マールカー村に到着

瑞々しい畑の眺めが美しい

幾度か、マールカー川のこちらから向こうへ、あちらからこちらへと渡渉しつつ歩いて来たら、やがてマールカーの村にやってきた。マールカーの村は川の北岸にある。宿泊したのは村の東の外れに近い部分。少し先には川があり、そこから先にも数軒の家がある。
マールカーのゴンパ

ゴンパの裏手

宿泊先はマールカー・ゴンパの隣の家。ゴンパは改装中で、村人たちがボランティアで材木を切ったり、壁にペンキを塗ったりといった大工仕事をしていた。このゴンパは、マールカー川沿いではなかなか由緒あるものらしい。

風が強くなると、続いて雲が押し寄せてきて間もなく雨となる。まさに「風雲急を告げる」といった感じだ。山の天気は変わりやすい。

この晩の食事はスキウという料理。日本のすいとんのようで好きだが、ラダックの料理は総じて非常に薄味だ。

午後7時くらいに食事を出していただき、8時半には就寝した。

〈続く〉

Markha Valley Trek The Day 2




屋上に設置されている太陽電池。これが日没後の居間の照明を灯す電源となる。

ユルツェのホームステイ先で、朝の6時くらいに目が覚めた。昨夜寝たのはずいぶん早かったので、ゆうに9時間半は寝たことになる。実にすっきりとした爽快な気分だ。午前7時に宿泊者たち全員が居間に集合して朝食、そして7時半過ぎに出発。
ホームステイ先を出発

ガンダ・ラ・ベースキャンプまで1時間くらい、そしてガンダ・ラという峠までそこから1時間半程度の道のり。雪を被った峰を仰ぎながら、少々急な斜面で息を弾ませながら登っていく。
キャンプサイト

この地域の運搬手段は馬とロバ

川沿いに進んでいく

しばらく登ると、川の流れはこんなに細くなってきた。

ここから先の登りは少々きつい

こちらは水をがぶ飲みしながら肩で息をしているのだが、ガイドのタシ君は呼吸が荒くなることもないようで、涼しげな表情で歩いている。彼の出身のアリアン・バレーの地域はラダックの中でも標高は高くなく、彼自身はずいぶん長いことジャンムーの学校に通っているのだが、ラダック生まれだけあって呼吸器の造りが違うのだろうか?と思ってしまう。

地表から湧き出る清水

冷たい清水をふんだんに吸って育つ高山植物

あと少しでガンダ・ラに着く


ところどころで地表から澄んだ清水が湧き出ており、こうした細い流れの筋がユルツェの村の前を流れる川に注いでいる。
ガンダ・ラ

来た道を振り返ってみる。

ガンダ・ラという峠に来た。標高は4,980mとのことだが、周囲に残雪もなく殺風景なので、そんな高地にいる気はしない。
ガンダ・ラから下るときに出会った馬とロバのキャラバン

羊の放牧

ガンダ・ラからは長く緩い下りとなる。峠が分水嶺となるため、これまで来た道筋とは反対の方向に水が流れている。息を切らせて登っているときにはあまり気が付かなかったマーモットの姿を楽しむ気持ちの余裕が出てきた。ここから先、シンゴの村までは緩い下り坂が続いている。いくつものマーモットの巣があり、ガイドのタシが口笛を吹くと背を伸ばしてこちらを見ている。ところどころ集合しており、まるでみんなで会話をしているかのようで可愛い。
巣穴から出てきたマーモットたち



シンゴの村まであとわずか

シンゴから先は傾斜が急になる。いくつかの川を越える。越えるといってもここでは流れの中で石伝いに渡るだけである。あるいは川岸にふんだんにある大きな石を川の中に投げて踏み台にしたりする。ところどころで清水が湧いており、いかにも「川のはじまり」といった感じがする。
2010年にラダックを襲った洪水の際には、このあたりでトレッカーたちが流されたとのこと。

しばらく進むと谷が細く深くなっている。このあたりでは、ラダックを襲った2010年の洪水の際には土石流の被害があったとのことで、キャンプしていた人たちが流されたりもしたそうだ。確かに今でもその土石流の後らしきものが確認できる。そうした荒天の際には、逃げ場がないだけに危険である。
岩に含まれるミネラル分の違いからか、ずいぶん色合いの異なる山肌

美しい花が咲いている。


狭小な渓谷を過ぎると景色が急に開けた。スキウの村まであと少し。

深く狭い谷を通過して、少し開けた谷に出た。ここからの斜面は緩く、ダラダラと下っていくとスキウに到着する。午前7時40分に出発して、午後3時半に到着したので、8時間ほどかかったことになる。宿泊先はスキウの村の東の端。明日の行程が少し短くなるから、とのことである。
スキウの村に到着

翌日からはマールカー渓谷沿いを歩く

この日のホームステイ先の家の切り盛りするのはジグメットさんという男性。父母と兄弟合わせて5人、そして9歳と3歳半の子供とのこと。9歳の子はレーの学校に通っており、寮生活をしているとのことだ。夏休みは15日、冬休みは2か月半から3か月くらいとのことだが天候によるらしい。ラダックの冬は寒い、そして厳しい。こうした休みの時期にだけ学齢期の子供たちが帰宅するのだそうだ。
クルマが行き来できるチリンからここスキウの村までは近いため、まだいいかもしれないが、それでも小学校に入ったばかりの子供がひとりでレーに出たり、帰ってきたりというのはかなり大変だろう。村の子供たちと一緒に移動するにしても、さらに遠い村では途中で宿泊する必要があるし、大変厳しいものがある。もしかしたら携帯電話も持たせているのかもしれないが、山の中では通じないだろう。そんな環境のもとで、自立心が養われることは間違いないにしても、これまた厳しいものがある。

〈続く〉

Markha Valley Trek The Day 1

前日夕方にレーの旅行代理店で顔合わせをしていたガイドのタシ君と朝8時半にクルマでレーを出発。

彼はジャンムーの大学で修士号まで取得しており、まだ大学に籍があり勉強を続けながらJ&K州の政府の仕事を求職活動中。出身は「Aryan Valley」の俗称で知られる地域のガルクンという村に実家があるとのこと。複雑な山岳地には、しばしば周囲と隔絶した独特の伝統と性格を持つコミュニティが存在することがある。

モンゴロイド系の人々が暮らすラダック地域の中で、総じて小柄ながらも、アーリア系の特徴を持ち、元々は独自の信仰や習慣を持っていたが、時代が下ってからチベット仏教化した人々(主にインド側)、更にはムスリム化した人たち(主にパキスタン側)が暮らす地域である。このあたりへは、一昨年クルマで訪れたことがある。

タシ君もやはりアーリア系の風貌をしている。故郷がチベット仏教徒化した時代以降も、代々、コミュニティ内での結婚がなされているとのこと。そうした伝統があるがゆえに、アーリア系の外観が受け継がれていくこととなったのだろう。彼が在籍するジャンムーの大学には、このアリアンバレー出身の同郷会があるそうだ。ラダック人であるという大まかなアイデンティティのさらに深いところには、モンゴロイド系が主体のラダック人の中での明らかなマイノリティであるアーリア系コミュニティ(ドロクパと呼ばれる)への帰属意識があるようだ。

Facebook等のSNS普及により、彼らと同じルーツを持ち、ラダック語ではない彼ら自身の母語を話すパキスタン側の人たちとのネット上での交流も始まっているそうだ。印パ分離以前には普通に行き来があったものの、現在ではそれがままならなくなっている。
「それがネットの普及によってコンタクトが可能になったわけですから、世界が小さくなったことを感じます」とタシ君は言うが、村ではネット環境がないため、彼のようにインドの大きな街に出ている人たちの間でのみ可能という限定付きのものではあるが。

彼同様に、地域外の大学に在籍するラダック人学生で、夏休みの時期に帰郷してトレッキングガイドをしているという若者は多い。彼は毎年6月と7月にはラダックに戻り、こうしてガイドをしているとのこと。

ズィンチェンから出発!



クルマはズィンチェンに到着し、トレッキングがスタートする。連日の雨により、ルート沿いの川はかなり増水しているようで、音を立てて斜面を流れ落ちていく。

しばらく登っていくとやがてルムバクに到着。冬季にはスノーレパードを見ることができる名所となっている。ルート沿いにある茶屋でお茶を飲みながら小休止。背後には村の家屋が点在しており、ゴンパもある。このあたりまでは車道に近い村であるためか佇まいはレーの郊外の民家と大差ないように感じられる。

川の水は氷水のように冷たく、渡る際にしばらく足を浸していると痺れてくるようだ。

しばらく進んだところの開けた景色の中で昼食。女性の4人連れのトレッカーたちが通過していくのが見えた。凛々しい感じの女性が先頭を歩いており、欧州から来たトレッカーかと思ったが、実は3人連れのスペイン人女性たちの女性ガイドであった。ユルツェの宿泊先に彼らも宿泊していたので判ったのだが、彼女もまたガルクンの出身で、私のガイドのタシ君の縁戚であるそうだ。

女性の単独トレッカー、女性だけのグループ、もしくはカップルには女性ガイドを付けることができる。レーの町には女性客だけを対象とする女性スタッフによる旅行代理店もあり、なかなか好評のようだ。


本日の滞在先、ユルツェの村に到着したのは午後2時あたり。この「村」には一軒しかないので、ユルツェに滞在するということは、全員ここの家に泊まることになる。しばらく同宿の人たちと話をしたり、周辺の眺めを楽しんだりする。畑はよく手入れされており、麦以外にいろいろな野菜などが栽培されている。目の前の谷には川が流れているが、その対岸には雪が一部残っている。ちょうど斜面の窪地となっており、そこに残雪があるのだ。谷間を吹き降ろす風が冷たい。

峠から吹き降ろす風が冷たい


すこぶる快適なラダックの居間空間

ラダック式のキッチンは素敵だ

〈続く〉

Sia-La Guest House

Sia-La Guest House

「Assalaam Aleikum…」
またこの宿の門をくぐると、スタッフのスディール君が迎てくれて母屋に声をかけると、出てきてくれたおかみのザリーナーさんのはじけるような笑顔が眩しい。居間に通されて、ご主人のグラームさんを交えてしばし雑談。

ここ数年、夏にはラダックを訪問している。レーで常宿となっているのはSia-La Guest HouseというFort Roadから少し脇に入ったところにある宿泊施設。静かな立地ながらも、レーの町の中心部まで徒歩わずか5分程度。

西部のカールギルあたりを除けば、仏教徒が大半のラダックにあって、レーには歴史的経緯からムスリムの人たちも多い。ラダック王国時代にカシミール王国から輿入れした花嫁があった際に、王宮が町を見下ろす丘のふもとのエリアにムスリムの人々を住まわせたのが始まりと聞いている。現在もそのあたりはムスリム地区となっており、なんとなく中央アジア的な雰囲気が感じられるエリアとなっている。

さて、このゲストハウスは、そうした歴史背景を持つ敬虔なムスリム家族による経営。ここしばらくは毎年、夏季にラマザーンの時期がやってきているので、自らの生活のペース(日の出から日没までの断食)と滞在客の食事その他の用事等々)とうまく折り合いを付けながら、ホスピタリティに満ちた応対をしてくれている。

オーナー夫妻はとかく話好き。家族連れや友人同士のグループから一人旅のお客まで、いろいろまんべんなく声をかけて気を使ってくれる。楽しい会話とともに、彼らの暮らしぶりを垣間見ることができて興味深い。曽祖父がラダックで初めて英文で本を著した人物でもあるオーナー氏は、レーの町の歴史的な経緯等について、かなりの事情通でもある。

清潔で快適な部屋が用意されており、NGO関係者を含めた滞在客にはリピーターが多いようだ。宿泊料金についてはこちらをご参照願いたい。

宿の中庭は菜園になっており、畑と建物の間にはいくつかのテーブルとチェアがしつらえてあり、WIFIを利用することができる。座っているとスタッフたちがすぐにお茶を勧めてくれる。これは宿泊費に含まれている。自室以外に自由に使えるこうしたスペースがあることによって、他の宿泊客たちと知り合って、おしゃべりをしたり、あるいはトレッキングに同行したり、クルマをシェアして何泊かで出かけたりといった楽しみの幅が広がるものだ。こういうスペースの有無によって、宿の快適度が大きく左右される部分もある。

夏のシーズン中はかなり込み合うため、早めにメールや電話により予約しておいたほうがいいだろう。通常、メールによる問い合わせについては迅速に回答をもらうことができるのだが、ラダックにおいてはインターネットが数日間、いや数週間に渡ってダウンしてしまうという頼りないこともしばしば起きるため、「あれ?どうしたのかな?」と思ったら、インド国内においては電話、国外からの場合はスカイプ等で電話をかけてみたほうがいいかもしれない。

家族経営の宿について、アットホームな雰囲気で楽しい会話等が楽しめる反面、往々にしてルーズなマイナス面もあったりするものだが、このゲストハウスにおいてはそうした弱点は見当たらない。

ラダック人ムスリムのオーナー夫妻の元で働くジャールカンド州から来た出稼ぎスタッフたちが、かなり長い期間に渡って毎年夏にはここに来て働いている。そうした彼らとオーナー夫妻との間で築かれている信頼関係もまた大変好ましく感じられるところだ。

このゲストハウスの施設ではないのだが、隣にパドマゲストハウスという、ここよりも少々アップマーケットな宿がある。そこの屋上にあるレストランは、私の知る限りではレーにおいて最も見晴しの良い食事どころであり、ストックカングリー峰を含めたレーの南側に位置する山脈を眺めながら食事を楽しむことが出来る。とりわけ日没の眺めは最高だ。

先述のとおり、静かなロケーションながらも町中心にごく近いこと、清潔で居心地が良いこと、暖かくフレンドリーな家族経営であることに加えて、こうした周囲のロケーションも併せて、レーにおける私の常宿となっている。

普段は宿についてこだわりは何もないので、特に宿泊先について記すことはほとんどない私だが、ラダックの中心地レーの町において、ここはとてもお勧めの一軒である。

Sia-La Guest Houseホームページ