映画「ルンタ」

池谷薫監督による映画作品「ルンタ」が東京都中野区東中野のポレポレ東中野にて、11月13日まで公開されている。

朝鮮戦争とほぼ同じ時期に始まる中国によるチベット侵攻以降、現在に至るまで続く占領下にあるチベットでは抵抗の歴史が続き、2000年代に入ってから市民や僧侶による焼身抗議がメディアで報じられることが多いが、そうした行為の背景にあるものを探っているのがこの作品。

インドのダラムサラで、チベットにおける苛烈な弾圧から逃れてきた人々を支援する活動をしている中原一博氏に密着する形でストーリーが進んでいく。

チベットにおける焼身抗議とは、中国による圧政に対して中国人を殺める暴力に訴えるものではなく、自らの身体を灯明として国や民族に捧げて覚醒を促す自己犠牲の行為であるとのこと。

かつて、イギリスが植民地支配していたインドにおいて、ガーンディーが率いた活動もまた、大変な自己犠牲を要する実に「過激な」行動であったが、チベットにおいても展開される非暴力不服従の活動もまた、なんと激しいものだろうか。

作品中でカメラが追っていく中原一博氏がチベットにおける人々の抵抗運動を伝えるブログ「チベットNOW@ルンタ」では、チベットの情勢、中国当局による様々な弾圧、焼身抗議を実行するに至った人々の背景、占領下チベットから逃れてきた人たちへのインタビュー記事などが刻々と綴られている。

同ブログでは僧侶が町中で「一人デモ」を実行して公安に取り押さえられる現場の動画なども取り上げられており、その後本人が受けたであろう苛酷な拷問、長期に渡る獄中生活などを思うと、非暴力不服従運動という活動は大変大きな自己犠牲を必要とするものであることがひしひしと伝わってくる。

私たちがごく当たり前のこととして享受しており、その大切ささえもすっかり忘れ去られているが如き自由と民主主義だが、これがいかに尊いものであるかを思い知らされるようだ。

チベットは決して中国の一部ではない。焼身抗議を実行する人々が、自らを灯明として差し出して覚醒を促している相手は、中国当局やチベットの同胞だけではなく、中国による占領の継続を黙認している国際社会に向けられたものであることについて、私たちは自覚しなくてはならない。

Namaste Bollywood #44

Namaste Bollywood #44

今年もIFFJ (Indian Film Festival Japan)の時期がやってきた。東京(10/9~23)と大阪(10/3〜22)にてそれぞれ開催され。上映スケジュールについては、こちらをご参照いただきたい。

Namaste Bollywoodの今号の巻頭特集は、このIFFJ。今年も選りすぐりの素晴らしい作品が目白押しだ。特集記事で紹介されている上映作品の紹介をじっくりと読みながら、どれを観に行くかとあれこれ検討してみよう。また、IFFJと時期が重なるが「マルガリータで乾杯を!(原題:MARGARITA WITH A STRAW)が、10月からシネスイッチ銀座を皮切りに、全国で順次ロードショーが予定されるにあたり、主演女優カルキ・コーチリンのインタビュー記事もあり、こちらも注目だ。

さて、この号に掲載されている、同誌主宰のすぎたカズト氏による「ボリウッドにおける性描写の変貌」という記事は、IFFJでの鑑賞予定を考える際に大変参考になることだろう。また、1990年代の「インド映画ブーム」でフィーチャーされた作品群、当時いくつも出版されたインド映画の案内書に記されている内容とは、ずいぶん印象が違うことに気付かれるに違いない。

1990年代以降のインドは激動の時代であり、経済面における社会主義的手法から大きく舵を切っての経済自由化、それにともなう外資の怒涛の勢いでの流入、国営放送による寡占状態であったテレビ放送については、ケーブルテレビ、衛星放送などが一気に普及することにより、外国からのニュースやエンターテインメント等々の番組がお茶の間に突然大量に雪崩れ込むとともに、当時はまだ目新しい存在であった民放各社も、そうしたトレンドをうまくつかまえて、これまでにはなかった新しい番組や映像を視聴者の元に届けるようになった。

そんな時代が唐突にやってくると、まず最初に感化されていくのは若者たちだ。とりわけ1992年、1993年あたり以降に青春期を過ごすこととなった世代と、それ以前の世代では、物事の価値観、道徳観、性に対する意識等が大きく異なってくるのは当然のことで、もちろんそうした時代の変化は映画作りにも如実に反映されることとなった。時代を代表する作品を眺めてみるだけでも、1980年代から1990年代初頭、1990年代半ばから終盤にかけて、そして2000年代に入ってから現在にかけてと、作品のテーマや映像の質感が大きく違ってくるのは、こうした時代の大きな変化を反映したものであるといえる。

さて、1990年代の日本で沸き起こった、先述の「ブーム」はかなりバイアスのかかったもので、同じような方向性の作品ばかりが日本に立て続けに上陸していたこと、製作された地域や言語域による違いを考慮することもなく、「インド映画」と荒っぽく括られていたことに加えて、当のインドで製作された映画に関する知識を踏まえない「面白おかしな」解説が、大手メディアで堂々と一人歩きしてしまうとう弊害も少なくなかった。

今となっては20年ほどが経過しているにもかかわらず、今なおそのときに刷り込まれてしまったイメージが後を引いていることから、ボリウッド映画をあまり観たことがない層においても、「B級以下」「なぜか音楽と踊りばかり」「単純なストーリー」というようなネガティヴな先入観を抱いている人が少なくないことは非常に残念だ。

だが、幸いなことに、今の20代の映画ファンの多くは、そうした過去のしがらみとはあまり縁がない。インドは若年人口が圧倒的に厚い国であることから、10代後半から30代前半にかけての年齢層が大きなマーケットとなることから、ちょうどこのあたりの年代の人たちは、IFFJで上映される近年のボリウッド映画界のヒット作(今回の上映作品は2013年から2015年にかけて公開されたもの)について、先入観なしに映画を楽しむことができる感性を持っているのではないかと私自身は期待している。

どこの国の映画も同様だが、作品が製作された国や地域の文化、固有の価値観、社会のありかたなどが色濃く反映されるものだ。これについては日本の映画ファンの多くがニュートラルな立場で鑑賞しているつもりのアメリカのハリウッド映画についても例外ではなく、銀幕の背景にあるそうした諸々の事柄を理解することなしに、ストーリーの中に巧みに張り巡らされている仕掛けや伏線を読み取ることは容易ではない。

まさにそのあたりを理解するために、Namaste Bollywood誌では、様々な著者による異なる角度からインドの文化面を含めた解説、インドの社会現象が作品に与えた影響や反対に作品が社会に及ぼした効果、ボリウッド映画界内部の動向などを伝えており、インドから遠く離れた日本のファンが、より楽しく、そして深く作品を楽しむことができるようにと情報発信をしてくれているのである。

蛇足ながら、私も「インド雑学研究家」として、小さな記事を書かせていただいており、今号においては、ある作品で幾度か出てきたムンバイーにある小ぶりながらも美しいモスクについて取り上げてみた。

Namaste Bollywood誌は、IFFJの会場でも販売されるが、それ以外の購入先については、以下、同誌ウェブサイトをご覧いただきたい。

Namaste Bollywood

※「上海経由デリー行き3」は後日掲載します。

上海経由デリー行き2

インドまでの行きや帰りにかなり待ち時間が空くことになったりもするのだが、その
時間にちょっと街に出て散策してみたり、買い物や食事を楽しんでみたりするといいだろ
う。渋滞等に影響されることのない地下鉄ネットワークが広がっており、表示も判りやすくしっかりしている。アライバルホールに面したところにある観光案内所でツーリストマップでももらっておけば、ガイドブックなど持っていなくても特に不便に感じることはないはずだ。

浦東空港までの地下鉄2号線の途中駅、南京東路駅から、租界時代に建てられた壮大な西洋式建築が建ち並ぶ外灘は近いので、時間さえ許せば途中で降りて見物してみるのもいいだろう。とても飛行機の乗り換えのために立ち寄っているとは思えない、ちょっと贅沢で充実した気分になるはずだ。

クラシックな雰囲気の外灘から黄浦江を挟んだ対岸のモダンな眺めが好対照で面白い。

南京東路駅(地下鉄2号線)を出たところ

外灘の風景

観光客用のバス

外灘の対岸にはこんな景色が。重厚な石造りの建物が並ぶ外灘とは好対照なモダンな眺め。

〈続く〉

一品8,000Rsの料理


ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。

ムシャッラフ元大統領の生家

デリーのダリヤガンジでよく書籍類を購入する。パーキスターンの元大統領パルヴェーズ・ムシャッラフ氏が生まれた地域であり、2005年に彼が大統領在職時に訪印した際に訪れている。

ダリヤガンジのGolcha Cinemaからデリーゲートに向かって少し歩いた先の右手にある左側の「MEHTA’S」というスナック屋のところで路地を少し入ったところにある。

Golcha Cinema

ここで画面左手にある小路へ

道なりに進んでいくとすぐに袋小路に突き当たる。

袋小路突き当りに向かって右側がその場所

現在は新しい建物に建て替わっており、細部の仕上げが進行していた。近年までは荒れ果てたオリジナルの家屋があったらしい。その様子はYoutubeに動画でアップされている。父親はAligarh Muslim University卒業で、当時としてはエリートの部類に入る人物であったが、住まいは簡素であったようだ。

Pak Prez Parvez Musharraf’s Chilhood Home – Nahar Wali Haveli (Youtube)

おそらくムシャッラフの幼少時代には、ここの路地で近隣の子供たちと遊んでいたのだろう。界隈はヒンドゥーの人たちやヒンドゥー寺院が多い。印パ分離時に大勢のムスリムたちがパーキスターンに移住するまでは、ずいぶん異なった雰囲気であったことだろう。