デリーのアフガニスタン人地区

ラージパトナガルⅡに出かけてみた。フェイスブックにて、ある方がここにあるアフガンレストランのことなどについて書かれていたので、せっかくデリーに来たので立ち寄ってみることにした。

地下鉄のラージパトナガル駅で降りて、しばらく東に歩いたあたりで、アフガニスタンの人たちが歩いているのを見かけるようになってくる。アフガニスタンといっても様々な民族が住んでおり、見た目はインド人と同じような感じの人たちも少なくないのだが、タジク人やパシュトゥン人たちは、「やや日焼けした白人」といった風貌の人たちが多く、私が聞き取ることのできない美しい響きの言葉をしゃべっている。

しばらく進むと、ペルシャ文字の看板が目立つようになり、そのエリアには、アフガニスタン人が経営している店あり、アフガン人顧客が多いインド人の店あり。そんな中にあったアフガンケバーブハウスというレストランに入ってみることにした。

店内で働いているのはアフガニスタン人、出入りするお客も同国の人たちが多かった。店内に踏み入れたときにいたのは、すべて男性で、揃ってやたらと整ったイケメン揃いである。女性はさぞ美しかろうと思っていたら、ちょうどアフガン人カップルが入ってきて、ふたりともまさに眉目秀麗という感じ。一日中、ああいうキリリとした顔をしていてくたびれないのか?思うくらいだ。

店主はタジク人。スタッフはタジク以外にもいろいろな民族の人たちが働いているそうだ。
「カーブルのレストランで出しているようなものを用意していますよ」とのこと。注文したプラオもコフタも大変上品な味でおいしかった。メニューを眺めてみたところ、やはりペルシャ風のアイテムが多いようだ。インドのムスリム料理に取り入れられたアイテムの原型といった感じで興味深い。

どれも美味であった。

界隈には、アフガンによるアフガン式のナーンを焼いて売る店、アフガン食材屋、アフガンのスナック屋台、各国の通貨を扱う両替屋、航空券他を扱う旅行代理店が多く目に付く。Safi Airwaysというアフガニスタンの航空会社のオフィスまであり、それらはペルシャ文字の看板を掲げている。このあたりでアフガン客を相手にするインド人たちには、多少のダリー語(アフガニスタンで広く通用するペルシャ語)が出来る人も珍しくはないようだ。

脇道から、色白で大変見目麗しい三人連れの女性たち出てきた。洋装なのでどこの人たちかよくわからないが、サイクルリクシャーを呼び止めて、行き先と料金のことをやり取りしている声が、さきほどアフガンレストランで耳にしたような訛りのヒンディー。尋ねてみると、やはりアフガニスタン人たちであった。

デリーではアフガンから来た人たちが多い(一説には1万人程度はいるとか)のは知ってはいたものの、ここに集住していることやレストランなどもあることは把握していなかったのは不覚であった。かなりアップマーケットな地域なので、レストラン等で雇われている人はともかく、ここで商売を営んでいるアフガニスタン人は、暮らし向きの良い層が多いようだ。ラージパトナガルⅡのアフガンレストラン出入りする人々の多くはアフガン人。けっこう可処分所得の高い人層が少なくないように見受けられる。

界隈には立派な身なりのアフガン紳士の姿もあるし、金余りのボンボンみたいなのも少々。どんな仕事をして稼いでいるのかはよくわからないが、昔から母国での不都合が生じた富裕層や政治家などが、デリーに逃れてきていたことを思い出した。最たる大物関係では、社会主義政権最後の大統領、ムハンマド・ナジブッラーは、ターリバーンが首都カーブルを制圧してから逮捕、処刑されたが、それに先だって家族をデリーに送っている。主人が処刑されて歎き悲しむ遺族のことがインドの新聞に出ていたことを、ふと思い出した。

インド人の不動産屋から「あの、お住まいはもうお決まりでしょうか?」と声をかけられる。モンゴル系のハザラ族アフガン人かと思ったとのこと。この人は、アフガン人が大切な顧客なのでこまめにチェックしているらしい。

翌日にもう一度この地域を訪れてみて、他のレストランで食事をしてみた。メニュー下部に「マントゥー」とあるのは餃子。メンズ豆の煮物とヨーグルトがかけてある。上の写真左側。
このマントゥーという名前だが、漢字の饅頭(韓国でいうところのマンドゥー。漢字で饅頭と書くが、日本の餃子のこと)と符号しているみたいなのは、何かの偶然なのだろうか、あるいは歴史的な背景が含まれているのか?それはともかく、まんま蒸し餃子であった。

左側が「マントゥー」

このアフガニスタン人地区、なかなか面白そうなエリアだ。今後もまた折を見つけて訪れて観察してみようと思う。

映画「ルンタ」

池谷薫監督による映画作品「ルンタ」が東京都中野区東中野のポレポレ東中野にて、11月13日まで公開されている。

朝鮮戦争とほぼ同じ時期に始まる中国によるチベット侵攻以降、現在に至るまで続く占領下にあるチベットでは抵抗の歴史が続き、2000年代に入ってから市民や僧侶による焼身抗議がメディアで報じられることが多いが、そうした行為の背景にあるものを探っているのがこの作品。

インドのダラムサラで、チベットにおける苛烈な弾圧から逃れてきた人々を支援する活動をしている中原一博氏に密着する形でストーリーが進んでいく。

チベットにおける焼身抗議とは、中国による圧政に対して中国人を殺める暴力に訴えるものではなく、自らの身体を灯明として国や民族に捧げて覚醒を促す自己犠牲の行為であるとのこと。

かつて、イギリスが植民地支配していたインドにおいて、ガーンディーが率いた活動もまた、大変な自己犠牲を要する実に「過激な」行動であったが、チベットにおいても展開される非暴力不服従の活動もまた、なんと激しいものだろうか。

作品中でカメラが追っていく中原一博氏がチベットにおける人々の抵抗運動を伝えるブログ「チベットNOW@ルンタ」では、チベットの情勢、中国当局による様々な弾圧、焼身抗議を実行するに至った人々の背景、占領下チベットから逃れてきた人たちへのインタビュー記事などが刻々と綴られている。

同ブログでは僧侶が町中で「一人デモ」を実行して公安に取り押さえられる現場の動画なども取り上げられており、その後本人が受けたであろう苛酷な拷問、長期に渡る獄中生活などを思うと、非暴力不服従運動という活動は大変大きな自己犠牲を必要とするものであることがひしひしと伝わってくる。

私たちがごく当たり前のこととして享受しており、その大切ささえもすっかり忘れ去られているが如き自由と民主主義だが、これがいかに尊いものであるかを思い知らされるようだ。

チベットは決して中国の一部ではない。焼身抗議を実行する人々が、自らを灯明として差し出して覚醒を促している相手は、中国当局やチベットの同胞だけではなく、中国による占領の継続を黙認している国際社会に向けられたものであることについて、私たちは自覚しなくてはならない。

Namaste Bollywood #44

Namaste Bollywood #44

今年もIFFJ (Indian Film Festival Japan)の時期がやってきた。東京(10/9~23)と大阪(10/3〜22)にてそれぞれ開催され。上映スケジュールについては、こちらをご参照いただきたい。

Namaste Bollywoodの今号の巻頭特集は、このIFFJ。今年も選りすぐりの素晴らしい作品が目白押しだ。特集記事で紹介されている上映作品の紹介をじっくりと読みながら、どれを観に行くかとあれこれ検討してみよう。また、IFFJと時期が重なるが「マルガリータで乾杯を!(原題:MARGARITA WITH A STRAW)が、10月からシネスイッチ銀座を皮切りに、全国で順次ロードショーが予定されるにあたり、主演女優カルキ・コーチリンのインタビュー記事もあり、こちらも注目だ。

さて、この号に掲載されている、同誌主宰のすぎたカズト氏による「ボリウッドにおける性描写の変貌」という記事は、IFFJでの鑑賞予定を考える際に大変参考になることだろう。また、1990年代の「インド映画ブーム」でフィーチャーされた作品群、当時いくつも出版されたインド映画の案内書に記されている内容とは、ずいぶん印象が違うことに気付かれるに違いない。

1990年代以降のインドは激動の時代であり、経済面における社会主義的手法から大きく舵を切っての経済自由化、それにともなう外資の怒涛の勢いでの流入、国営放送による寡占状態であったテレビ放送については、ケーブルテレビ、衛星放送などが一気に普及することにより、外国からのニュースやエンターテインメント等々の番組がお茶の間に突然大量に雪崩れ込むとともに、当時はまだ目新しい存在であった民放各社も、そうしたトレンドをうまくつかまえて、これまでにはなかった新しい番組や映像を視聴者の元に届けるようになった。

そんな時代が唐突にやってくると、まず最初に感化されていくのは若者たちだ。とりわけ1992年、1993年あたり以降に青春期を過ごすこととなった世代と、それ以前の世代では、物事の価値観、道徳観、性に対する意識等が大きく異なってくるのは当然のことで、もちろんそうした時代の変化は映画作りにも如実に反映されることとなった。時代を代表する作品を眺めてみるだけでも、1980年代から1990年代初頭、1990年代半ばから終盤にかけて、そして2000年代に入ってから現在にかけてと、作品のテーマや映像の質感が大きく違ってくるのは、こうした時代の大きな変化を反映したものであるといえる。

さて、1990年代の日本で沸き起こった、先述の「ブーム」はかなりバイアスのかかったもので、同じような方向性の作品ばかりが日本に立て続けに上陸していたこと、製作された地域や言語域による違いを考慮することもなく、「インド映画」と荒っぽく括られていたことに加えて、当のインドで製作された映画に関する知識を踏まえない「面白おかしな」解説が、大手メディアで堂々と一人歩きしてしまうとう弊害も少なくなかった。

今となっては20年ほどが経過しているにもかかわらず、今なおそのときに刷り込まれてしまったイメージが後を引いていることから、ボリウッド映画をあまり観たことがない層においても、「B級以下」「なぜか音楽と踊りばかり」「単純なストーリー」というようなネガティヴな先入観を抱いている人が少なくないことは非常に残念だ。

だが、幸いなことに、今の20代の映画ファンの多くは、そうした過去のしがらみとはあまり縁がない。インドは若年人口が圧倒的に厚い国であることから、10代後半から30代前半にかけての年齢層が大きなマーケットとなることから、ちょうどこのあたりの年代の人たちは、IFFJで上映される近年のボリウッド映画界のヒット作(今回の上映作品は2013年から2015年にかけて公開されたもの)について、先入観なしに映画を楽しむことができる感性を持っているのではないかと私自身は期待している。

どこの国の映画も同様だが、作品が製作された国や地域の文化、固有の価値観、社会のありかたなどが色濃く反映されるものだ。これについては日本の映画ファンの多くがニュートラルな立場で鑑賞しているつもりのアメリカのハリウッド映画についても例外ではなく、銀幕の背景にあるそうした諸々の事柄を理解することなしに、ストーリーの中に巧みに張り巡らされている仕掛けや伏線を読み取ることは容易ではない。

まさにそのあたりを理解するために、Namaste Bollywood誌では、様々な著者による異なる角度からインドの文化面を含めた解説、インドの社会現象が作品に与えた影響や反対に作品が社会に及ぼした効果、ボリウッド映画界内部の動向などを伝えており、インドから遠く離れた日本のファンが、より楽しく、そして深く作品を楽しむことができるようにと情報発信をしてくれているのである。

蛇足ながら、私も「インド雑学研究家」として、小さな記事を書かせていただいており、今号においては、ある作品で幾度か出てきたムンバイーにある小ぶりながらも美しいモスクについて取り上げてみた。

Namaste Bollywood誌は、IFFJの会場でも販売されるが、それ以外の購入先については、以下、同誌ウェブサイトをご覧いただきたい。

Namaste Bollywood

※「上海経由デリー行き3」は後日掲載します。

上海経由デリー行き2

インドまでの行きや帰りにかなり待ち時間が空くことになったりもするのだが、その
時間にちょっと街に出て散策してみたり、買い物や食事を楽しんでみたりするといいだろ
う。渋滞等に影響されることのない地下鉄ネットワークが広がっており、表示も判りやすくしっかりしている。アライバルホールに面したところにある観光案内所でツーリストマップでももらっておけば、ガイドブックなど持っていなくても特に不便に感じることはないはずだ。

浦東空港までの地下鉄2号線の途中駅、南京東路駅から、租界時代に建てられた壮大な西洋式建築が建ち並ぶ外灘は近いので、時間さえ許せば途中で降りて見物してみるのもいいだろう。とても飛行機の乗り換えのために立ち寄っているとは思えない、ちょっと贅沢で充実した気分になるはずだ。

クラシックな雰囲気の外灘から黄浦江を挟んだ対岸のモダンな眺めが好対照で面白い。

南京東路駅(地下鉄2号線)を出たところ

外灘の風景

観光客用のバス

外灘の対岸にはこんな景色が。重厚な石造りの建物が並ぶ外灘とは好対照なモダンな眺め。

〈続く〉

一品8,000Rsの料理


ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。