再生グレート・イースタン・ホテルは2008年末オープン!

昔日のグレート・イースタン・ホテル
今年の初めに取り上げてみたグレート・イースタン・ホテル。訪れたときには外壁が剥がれ落ちたひどい状態の中で改修工事が進行中だったが、来たる2008年末までにBharat Hotels Ltd.のホテルチェーンであるThe Grandの名のもとにリニューアル・オープンすることになっている。その名もThe Grand Great Easternだ。
1883年、この国で最も早い時期に全館電化されたホテルのひとつだ。エリザベス二世、ニキタ・フルシチョフ、ホーチミンも宿泊したという名門でもあり、旧藩王国の当主や家族たちによる利用も多かったという。しかしインド独立から20年を過ぎたあたりになると、おそらく当時の世情や新興のホテルなどの追い上げもあり深刻な経営危機に陥る。その結果1975年にはグレート・イースタン・ホテルは当時の州政府が経営を握り公営ホテルとして存続することとなる。伝統はあれどもすっかり格式を失い、カルカッタの一泊千数百ルピー程度の中級ホテルのひとつとして内外のガイドブックに掲載されるようになり果ててしまう。
今年9月に版が改まる前のLonely Planet Indiaでは、このホテルについてこう書いてあった。『This rambling Raj-style hotel was originally called the Auckland when it opened in 1840. It has oodles of charm, but you pay for the privilege. 』
近年、この記述を目にしてここに宿泊した人たちの大半は、昔はちょっとマシだったのだろうなとは思っても、よもや1960年代一杯までは国賓級の宿泊客が利用する高級ホテルであったなどとは想像さえしなかったことだろう。なお新版には『Total renovation should majestically revive the iconic 1840s Great Eastern Hotel by the time you read this』と書かれているが、実際にそうなるにはまだあと1年ほどかかるのである。
グレート・イースタン・ホテルの今回の転身は、西ベンガル州政府による州営企業の不採算部門の民営化の一環として、民間への売却がなされたもので、Bharat Hotels Ltd.に売却が決まったのは2005年11月のことであったらしい。
老朽化し、古色蒼然としたたたずまいの中にも、カルカッタの街の歴史のおよそ半分におよぶ長い年月を経てきた貫禄と重みを感じさせる建物であった。このたび大手資本のもとで、改修にたっぷりと手間をかけて伝統ある高級ホテルとして再生することになる。清潔かつ便利ながらも無国籍で個性に欠けるシティホテルを新築するだけでなく、こうしてリッチなヘリテージホテルへ転用する素材にも事欠かないのは、やはりインドらしいところだ。

名車の系譜 2

ミニ
ミニ
兄の子
ところで『ミニ』といえば、世界で最もポピュラーなイギリス車であることに誰も異論はないだろう。1959年から2000年にかけて、40年以上の長きに渡り数々のマイナーチェンジを繰り返しつつ、ヴァン、ピックアップ、モーク(あまり知られていないが軍用のジープのようなタイプ)そしてスポーツカーとしてのミニ・クーパーと様々なバリエーションの車種を世に送り出してきた。
ミニのジープ仕様は主に軍用
このミニに、どこかインドのアンバサダーの面影を感じる人も少なくないと思う。それもそのはず、モーリス社のオックスフォード・シリーズ?のインド版が現在のアンバサダーだが、先述のベイビー・ヒンドゥスターンの本家モーリス版であるマイナーをデザインした<アレクス・イグノスィス(Sir Alexander Arnold Constantine Issigonis)が、同じくモーリス社のミニ・マイナーとして開発したのがこのミニなのだ。そんなわけでアンバサダーことオックスフォード・シリーズ?から見れば、兄の子つまり甥にあたる。
ともに長く親しまれたイギリス発のクルマ
イギリスのモーリスとは、もともと自転車を製造していた創業者が1910年に設立した会社で、イギリスの自動車産業を代表する企業にまで成長した。1952年には長年ライバルであったオースティン・モーターと合併してBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となる。その後1967年からはBLMC(ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション)の傘下企業となる。そして1994年からはBMW社により買収されて以降、これまで保有してきたブランドをめぐる合従連衡の動きの中、これらの一部が独立したり切り売りされたりといった変遷があったが、もともとモーリスが開発した『ミニ』ブランドは、現在もBMWの手中にある。
オックスフォード・シリーズ?とミニ、どちらもイギリス発の最も長い期間親しまれたクルマとして人々の記憶に残ることだろう。
やはり血は争えない?
現在も生産が続くアンバサダーと、フルモデルチェンジする前のミニに共通する面影があるように、2001年に出たアンバサダーの新型モデルAVIGO(従来のモデルと並行して生産)とフルモデルチェンジ以降のミニのデザインの方向性もずいぶん近いように感じる。ああいうカタチのクルマをモダナイズすると似た感じになってしまうのかどうかわからないのだが、今や相互の行き来や縁もなくなってしまったとはいえ、やはり『近親者』であるがゆえのことかもしれない。
新型アンバサダー AVIGO
フルモデルチェンジ後のミニ
〈完〉

名車の系譜 1

Morris Oxford Series?

インドを代表するクルマ
各国のメーカーが参入してきてホットなクルマ市場となって久しいが、今でもこの国の道路でインドらしさを主張しているのが、現在もまだ多く走っているクラシカルな形をしたクルマたちの存在だろう。その中の代表格といえば言うまでもなくアンバサダーだ。パーキスターン、バングラーデーシュなど周辺各国では、それぞれ近接地域のインド国内とよく似た眺めが広がっているが、街中の看板の中に見られる文字が違ったり、企業名が馴染みのないものであったりといったことと同時に、このアンバサダーの姿が普遍的に見られるかどうかが、インドと『異国』の眺めの違いを特徴づけるひとつの要素となっていることは言ってもよいのではないだろうか。
記録的な長寿モデル
冒頭に登場した写真、チラリと眺めてインドのアンバサダーにしてはグリルの形状が違うな?と気づかれたことだろう。実はこれはイギリスのモーリス社が1956年から59年にかけて製造していたオックスフォード・シリーズⅢというモデル。このクルマの『インド版』がヒンドゥスターン・モータースにより現在も生産が続くアンバサダーである。本国でとうの昔に生産が中止となり、クラシックカーとして人気のクルマである。
しかし海の向こうのインドでは生産開始から現時点まで、なんと50年間も『現行モデル』として親しまれている非常に稀有な長寿モデルとなっている。
もちろんその間、幾度も細部の仕様の変更が重ねられており、心臓部にあたるエンジンは生産開始当初のものとは違うもの(日本のいすゞが設計)が搭載されており、本家のオリジナル『オックスフォード・シリーズⅢ』と比べて内装にプラスチック部品が多用されるようになっている。内装は日本の20年くらい前の大衆車や商用車のそれみたいな調子でいまひとつだ。この部分についてはやはりインドにおける『実用車』なので、あまりに多くを期待するわけにはいかないのだろう。加えて独自のいろんなバージョンのラインナップもあることから、50年前のものとまったく同一とは言い難いが、それでも一度もフルモデルチェンジを行うことなく製造されてきた単一モデルであることは間違いない。
モーリスがインドに送り出した三代目
アンバサダーの製造メーカーであるヒンドゥスターン・モータースは、インドがまだ英領であった第二次大戦中に設立された会社だ。当時のイギリス自動車産業を代表するモーリス社と深いつながりがあった。
モーリスが本国で1938年から48年にかけて製造していたモーリス・テン・シリーズMというモデルは、記念すべきインド初の国産車ランドマスターとして1942年に生産開始された。
Morris Ten Series M
このモデルを引き継いで出てきたのが1950年代初頭からモーリス・オックスフォード・マイナーのインド版ベイビー・ヒンドゥスターンだ。
Morris Oxford Minor
イギリス本国では1948年から54年にかけて造られていたモデルである。このモデルは今でもごくたまに現役で路上を走っていたり、展示されていたりするのを目にすることがある。これは1957年にインドで現地生産が始まったモーリス・オックスフォード・シリーズⅢに取って替わられることになる。まさにこのモデルこそが、今私たちが目にしている「アンバサダー」である。
Morris Oxford Series ?
Morris Oxford Series ?の運転席

『新車で購入できる』ヴィンテージカー
アンバサダーのオリジナルであるモーリスのオックスフォード・シリーズⅢ自体が人気のヴィンテージカーのひとつであることはもちろんのこと、こんな大昔のモデルを新品で買うことができるというメリットに魅かれる人は少なくないらしい。インド国外で、日本を含めた諸外国にも少なからずファンがいるようで、そうした人たちが愛車(つまりアンバサダー)について語るサイトも散見される。

現在製造されているクルマとはいえ、もともとの設計が古いこと、生産体制や品質管理の問題もあってか故障・トラブルが頻発してなかなか大変らしい。このクルマを扱い慣れた修理屋や部品類の豊富な供給があるインド国内ならともかく、外国に持ち出してこれを乗り回すとなると、相応の覚悟とメカニカルな知識等が要求されるようだ。
だが、今でも生産されているクルマであるため、手間暇さえかければあらゆる純正パーツを手に入れることができるという安心感はあるだろう。
〈続く〉

子どもたちの楽園 2

National Rail Museum
National Railway Museumは、古い車両を屋外展示するエリアとミニチュアや資料などをもとに歴史を解説する屋内展示のエリアから成る。
植民地時代の三等車両、巨大な蒸気機関車、家畜運搬車両、脱線車などを取り除くためのクレーン車両など、異なるゲージ幅のさまざまな車両が置かれている。
サルーン車両
山岳地のトイトレインで使われた小さな可愛らしい機関車に客車、旧藩王国内の路線で使用された王族用のサルーン車などもなかなか興味深い。これらの多くが当時のイングランドのグラスゴウをはじめとする英国および欧州の先進工業地域で製造されたものであることが、車両にはめ込まれたプレートの文字から見てとれる。
グラスゴウで製造されたことを示すプレート
ちょっと変わった風体の乗り物もある。20世紀初頭には、パンジャーブの一部地域で『モノレール』が走っていた時期があったらしい。もちろん高架を走る現代的なものではなく、地上に敷かれた一本のレールを頼りに走る蒸気機関車だ。車両が転倒しないように補助輪が付いているのが何ともユーモラスである。訪れたときに、ちょうどこの古い車両を走らせているのを目にすることができた。
20世紀初頭の『モノレール』
『モノレール機関車』はドイツのベルリンの会社が製造したものであった。
時代ものではないが、敷地内を一周するミニチュア・トレインも人気だ。ウチもそうだが、周囲でもまた子供たちは敷地内でいくら時間を過ごしても遊び足りず、「そろそろ帰るよ」という親に「まだ帰りたくないよう!」とせがんでいる姿を多く目にした。
ここはどうやら子供たちの楽園のようだ。
 

National Rail Museum

子どもたちの楽園 1

子ども、とりわけ男の子が大好きな乗り物の横綱格といえばスポーツカーと鉄道だろう。前者は父親が乗りまわしているのが普通のセダンだったりするとつまらないだろうし、そもそも家にクルマがなかったりすることも少なくないが、後者については誰もがよく利用することから機会は平等かもしれない。(もちろん鉄道が走っていない地域も少なくないが)
インドでいろいろな乗り物に利用しても、子供が一番喜ぶのはやはり鉄道である。親にしてみればトイレや洗面台がついているので、他の陸上交通機関に比べて長距離移動しても安心、少し上のクラスであれば座席まわりのスペースにゆとりがあり、あまり疲労を感じずに済むので楽だ。
はるかに短い時間で目的地に着くことができる飛行機も子供たちの人気者だが、なぜか彼らの興味は搭乗し離陸したところで終わってしまうのが常のようである。おそらく外の景色が変わらなくて飽きてしまう、狭いシートでじっと我慢していないといけないので退屈・・・といったところが理由か。
鉄道だって、しばらくずっと沿線風景が変わらない地域だってあるし、チェアー・カーだったら飛行機内に座っているのと環境はそう変わらない。でも駅に停車するたびにドヤドヤと人々の出入りがあったり、プラットフォームの景色を眺めたり、物売りがスナックなどを見せびらかしに来たりといったところが、ちょうど良い具合に「ブレーク」となるのだろう。
ウチの子供によると、インドの列車は「大きな生き物みたい」で面白いのだそうだ。言われてみれば、無機的でメカニカルな雰囲気より、むしろ体温や体臭といったものを感じさせるムードがあるような気がする。
長い連結車両をけん引するディーゼル機関車が、プラットフォームにゆっくりと入ってくるときの「ドッドッドッ」という地響きに似た音、派手に軋む車輪の悲鳴、車内の消毒液の匂いとともにどこからか漂ってくる食べ物の香り、大声で会話する人々、駅構内をやや遠慮気味に行きかう動物たち・・・。
加えて、機関車や車両のクラシカルなスタイルはもちろん、あの重厚長大さも魅力らしい。「だってす〜っごくデッカイもんね」と6歳になったばかりの息子が言う。小さな子供にとって「大きい」こと自体もまた憧れなのだ。
そんな息子がとても気に入っている「博物館」がデリーにある。普通の博物館ならば、幼い子供は皆そうであるように、すぐに「帰ろうよ〜」となってしまうのだが、ここだけは日中一杯過ごしてもまだ物足りないようだ。場所はチャナキャプリのブータン大使館横、National Rail Museumである。
〈続く〉