カッチ地方西部4 〈ラクパト〉

港湾都市として栄えたラクパトを囲む城壁
ラクパトの入口のひとつ

コーテーシュワルから今度は北方向に向かう。このあたりまで来ると途中に集落は見かけない。しばらく走ると、40km位だろうか、やがて壮大な城壁のようなものが見えてきた。これがラクパトである。その威容に思わず息を飲む。長大な壁にしつらえられた門をくぐったところに小さなグルドワラーがあった。

ラクパトのグルドワラー。スィク教の開祖、グル・ナーナクが中東方面に赴く際に立ち寄り、このラクパトから船出をしたということに因んで建てられたもの。グルドワラーのランガルで温かい食事をいただく。どこから来た人でも、どんな信条の人でもウェルカムな姿勢がありがたい。

グルドワラーから少し西に向かうと小さな集落がある。今の時代にここで暮らしている人たちは、かつて繁栄したラクパトの時代から住んでいる子孫なのか、それとも衰退後に外から移住してきた人たちなのかはわからない。

グルドワラー
グルドワラー内部

ラクパトを囲む7kmに及ぶ要塞のような外壁と外に通じるこれまた巨大な門構えから、港湾都市として、この地域の交易の中心のひとつとして栄えた過去を思わせるに充分以上の貫禄がある。

スーフィーの聖者の墓
スーフィー聖者の祝福により様々な色に変わったとの伝承がある池

今では小さな村にわずかな住民たちが暮らしているだけだが、精緻な飾りが施されたモスクやスーフィーの聖人の墓やダルガーの存在から、ここに集積された富は相当なものであったはず。外壁に囲まれた内側だけではなく、外側にも人々の家や耕作地などが広がっていたことだろう。聖者の墓の前には小さな池があるが、その聖者の祝福により、池は様々な色に変わったという伝承があるとのこと。

こちらもイスラームの聖者を祀るダルガー

周期的にやってくるカッチ地方の巨大地震のひとつ、1819年に起きたそれは、ここを流れていたインダス河支流のコースを変えたことから、港湾都市としての機能を削いでしまうこととなり、急速に衰退へと向かう。えて当時、この地域の他の港町の台頭がそれに追い討ちをかけたという面もあるかと思う。

ラクパトの周囲を取り囲む城壁内部
Rann of KutchのKori Creekに面している。

城壁に上ると海水と淡水が混じる広大な湿原が見える。Rann of Kutchの中のKori Creekと呼ばれる部分である。はるか彼方は見えないが、パーキスターンなのである。印パ間の係争地帯でもあるKori Creekの無人地帯が緩衝地帯として機能しているのだろう。

ラクパトからは一路ブジへ。ラクパトへのパーミットはブジの町の警察署で取得したものの、行きも帰りもそれを提示するように求められることはなかった。しかしながらもし検問で引っかかったら困るので、やはり必ず取得すべきである。今回、私はクルマをチャーターしてナラヤン・サローワル、コーテーシュワル、ラクパトを訪れた。公共バスで行くと、本数と出発時間等の関係により、ナラヤン・サローワルとラクパトでそれぞれ一泊することになってしまう。

辺境にあたる地域とはいえ、今日通った道路は非常によかった。軍用の目的もあるのかもしれないし、ここが先進州であることの証かもしれない。

道路状況は良好

〈完〉

カッチ地方西部3 〈コーテーシュワル寺院〉

ナラヤン・サローワルから2キロほど西に進んだところにコーテーシュワル寺院がある。コーテーシュワルの地名は神話の時代にまで遡ることができるものの、この寺院はそのような長い歴史を持つものではない。

コーリー・クリークを臨む

コーリー・クリークに面した寺院のすぐ外には軍の詰所があり、遠くに軍用艦も停泊している様子が見える。彼方はパーキスターンのスィンド州だが、霞がかかっているためか何も見えない。

本来は、ここからひと続きの世界であったはずだが、分離独立後のインドからするとすでに海のあちら側は異郷なのである。歴史に「もし」はあり得ないにせよ、あえてもし分離がなかったとするならば、ここは辺境ではなく、カラーチーへと続くルート上にあり、人々の行き来が盛んであったはずとするならば、カッチ地方のありようは現在とはかなり異なるものとなっていたことだろう。

国境のあちら側、カッチ湿原の反対側にもこちらと同じような生活文化空間が広がっているはずなのだが、それを人為的に作られた国境とその分離以降の敵対関係により、これらが交わることなく、それぞれの「国」の一部として組み込まれるようになってしまっている。本来はここからひとつづきの大地のはずなのだが。そんなわけで、コーテーシュワル寺院はインド国内では最西端にあるシヴァ寺院ということになる。

階段を少し登った先にある境内に入る。寺の本堂入り口に鎮座して本尊を見上げる形のナンディの耳を両手で囲い、女子学生たちが何やらひそひそとお願いごとをしている様子はかわいいが、中年以降の男性たちも同じことをしているのはやや滑稽に感じられる。

〈続く〉

カッチ地方西部2 〈ナラヤンサローワル〉

グジャラート州カッチ地方のナラヤンサローワルは、チベットのカイラス山付近のマーナサローワル、ラージャスターンのプシュカルサローワル、カルナータカのパンパサローワル、同じグジャラート州のビンドゥサローワルとともに、インドの五大聖池のひとつとなっている。

アクセスすること自体が容易ではないカイラス山近くにある聖池は別格だが、ラージャスターンのプシュカルサローワルのようにあまりに有名で国内外から多数の訪問客が訪れる俗化したロケーションとは異なり、静謐な雰囲気を感じることができるはずだろう。満々たる水を湛えている時期であれば。

乾季に干上がった池の底、聖水を汲むためにしつらえてある井戸

この時期、つまり乾期のナラヤンサローワルは、すっかり水が干上がってしまい、ガートがただの階段となっている。もともとごく浅い池であるようで、ガートを下ってすぐのところが干からびた大地となっている。その乾いた「池」にあるごく浅い井戸から参拝客は水を汲んでは、ありがたい「聖水」を体にふりかけている。サローワルの手前には七つほどの寺院があり、どれもカッチ地方を支配した王族が建てたものだ。

境内では女性たちがバジャンを歌いながら踊っている。中年以上の人たちばかりだが、楽しそうでいい感じだ。グジャラートの人たち、女性は着道楽な人たちが多く、地場の染め物や飾りの入った伝統的な衣装をまとっている。
グジャラート州の寺院は概してカラフルで清潔にしている。日がな過ごしていても心地良さそうな空間だ。人々も概して穏やかながらもおしゃべりだ。とても居心地が良い。

カッチ地方西部1 〈出発〉

午前7時に宿の前にクルマが迎えに来る。日帰りでカッチ地方西部を訪問する。

ブジのスワーミー・ナラヤン寺院の前を通る。ずいぶん新しくてキレイでお金がかかっているお寺だが、デリーやアーメダーバードのアクシャルダム寺院で知られるBAPS
(Bochasanwasi Shri Akshar Purushottam Swaminarayan Sanstha)の寺院であった。今の時代にこうした「歴史的な規模」の巨大寺院を建立する潤沢な資金はどこから来るのか。信仰の力というよりも、その集金力に感心してしまう。

こうした宗教活動が盛んであるが、ここから最短で90kmほど離れた国境の向こう側ではヒンドゥーはごく少数派となり、その存在自体が陰に日向に圧迫されているわけなので、「政治」や「体制」といったものは本当に大切だと思う。

クルマで走っていて、7時はまだ辺りは暗く、薄いフリースの上にジャケットも羽織って出たがこれでちょうどよかった。さすがに早朝はかなり寒い。

荒野を走っていくと、デリーのクトウブミナールよりも更に大きな塔があった。これはテレビの放送電波の中継施設であるとのこと。最初に古いシヴア寺院に立ち寄る。規模の小さな石造り。

次に同じ道沿いで寄ったのはマーター・マンディル。こちらもかなり古いのだそうだが、2001年の大地震のダメージによりひどく損壊した後に建て直したものであるとのこと。


途中で2回ほど、休憩を取ってチャーイを飲み、クルマは一路西へと向かう。

これも中途で立ち寄った階段井戸
カッチ地方では風力発電が盛ん

〈続く〉

マンドヴィー4  〈ダウ船〉

ディリープ氏の屋敷を後にして、しばらく歩いたところにダルガーがあり、その横のところで若者たちがカッワーリーの演奏の練習をしていたが、これがなかなか上手くて聴き応えがあった。

そこから少し戻り、バススタンドのほうに歩く。やはりここも2001年1月の震災でひどくやられたのかもしれないが、あまり伝統的な古い建物は残っていない。その前に来たときにはこんな具合ではなかったように思う。

港湾として栄えた歴史を持つルクマワティ河の河口部分には、干潮時には広いスペースが陸地として現れる。ここではダウと呼ばれる木造船が昔ながらの工法で建造されており、海上貿易で栄えた港町の過去を彷彿させてくれる。本来は帆船だが、さすがに今の時代はエンジンを付けて航行するようになっている。

〈完〉