托鉢の街角

托鉢の僧侶たちの行列を待ち受ける人々

街の人々が総出でお坊さんたちを迎えている、という印象を受ける。

毎朝繰り返される仏門と在家のコミュニケーション。ゆっくりと歩む僧侶たちは、沿道のひとりひとりにお布施の機会を与える。

同時に、施すものを何ひとつ持たず、仏門にいる僧侶たちの姿を拝みにきた貧しい者には、托鉢中の僧侶たちから施しが与えられる。

誰でも、短期間であっても、僧籍に身を置くことが普通の南方上座部仏教であるからこその、人々の参画意識もあるかもしれない。

かつて自分がそうしていたことがあり、こうしている今も、身内の誰か、学生時代の仲間の誰かが袈裟をまとってお寺にいるとあれば、お寺を通じた「同窓」意識みたいなものがあるのかもしれないと想像したりする。僕らが持ち合わせていないもうひとつの人付き合いのチャンネルを持っているということになる。

話は全然違うが、かつてタイその他のこうした南方上座部仏教国で、王家の跡目争いに負けた人物、政争に破れて身の安全を確保できる居場所を失った人などが、最後の避難場所として、しばしば逃げ込む先は仏門であった。

生涯、還俗しない限り、元居た社会に影響力を及ぼすことはできないが、命を狙われることも(概ね)なかった。もはやその人物は、俗世にあらず、仏道に精進する僧侶であるからだ。

俗世間と同じ空間で、次元の異なるもうひとつの世界があるのは、悪くない。

この国に限ったことではないが、仏門の裾野の広さが、 社会で居場所を失った人、失業や貧困に苦しむ人を救う社会のセーフティネットとして機能している部分もあり、そうした仏門を支える社会の姿勢もある。

世の中って、うまく出来ているものだなぁと感心したりもする。

夕刻のルアンパバーン

ルアンパバーンの宿に着いたのは午後4時。
部屋に荷物を置いてから外を散策。民家が建ち並ぶ中を歩いていると、タイの田舎町に来たような気がするのだが、時折やってくるクルマは右側を走っていることに、ここはタイではないことを感じたりする。

また、メインストリートには、仏領時代の建築物がよく残っており、ちょっとアップマーケットなホテル、レストランやカフェとして利用されている。ほどなく日没の時間となり、あたりが暗くなってくると、これらがセンス良くライトアップされて、静かな街の様子と相まって、幻想的なムードとなる。

騒々しい音楽や往来もなく、ゆったりとした時の流れを楽しむことができるのもいい。

ペヘルガムへ2

川にかかる橋を越えて反対側に渡り、しばらく進むとペヘルガム(Pahalgam)に着く。

橋を渡った。ペヘルガムはもうすぐそこだ。

どうということのない山間の集落だったのだろうが、ずいぶんたくさんのホテルが立ち並んでいる。ここでは斜面を上っての景色が良いことで知られている。せっかく来たのでポニーライドをしてみることにしたが、コース別に設定されている料金はずいぶん高い。看板に料金が書かれており、フィックスレートでやっているのだが、ずいぶん儲けていることだろう。

ポニーライドの協定料金。かなり高い。

馬方の言う「月収4000Rsにしかならない」というのが本当であるとすると、他はオーナーが取ってしまうので、シーズンは限られているとはいえ、つまり4月から9月か10月くらいまでのようだが、かなり稼いでいることだろう。

かなり急な斜面を馬で登っていくのはかなり怖い。馬が脚を滑らせて斜面を転落とかいろいろ考えてしまうのだが、意外なことに人間と違って、斜面を登る馬の足元はかなりしっかりしていて、人間のように足元がズルッと滑ったりするようなことは、少なくとも本日私が乗った限りではなかった。

馬方が横について歩きながら、馬を好ましい方向に先導してやったり、遅くなると細い木の枝で鞭を入れたりなどしている。馬は従順にそれに従い、黙々と進んでいく。
そんな具合なので、歩いても同じくらいの速度で進むことができたはず。だが一度くらいはこんなのも悪くはない。少なくとも馬がいかに上手に斜面を歩くことができるのかということは判った。ラダックでトレッキングコースではこうした馬やロバが物資を運搬しているが、こうした動物がいかに頼もしい存在であるかということを感じる。

後ろから馬の頭を見ていると、ひっきりなしに耳を左右にいろいろな方向に向けていて、周囲に注意を払っていることがわかる。しかしそうして動く耳を見ているとなかなかかわいい。

スタートした地点に戻り、料金を払ってからクルマに乗り込み、スリナガル方面へ戻る。朝早かったこと、馬に乗ったことなどでしばらく居眠りしてしまった。

帰路では、アワンティプル(Avantipur)でヒンドゥー寺院の遺跡に行く。このアワンティ・スワーミー寺院跡は、9世紀の建立。

パーンプル手前までくると、サフランやドライフルーツを販売する店舗がいくつも並んでいる中のひとつに停車。そのとなりにはカフワー茶を出す店があり、サフランの香り、ナッツの風味、砂糖の甘味を感じる素敵なお茶であった。サモワールで淹れている。

ここではサフランは買わないが、干したアプリコット、を購入。これは土産にする。カシミールではみかけないラズベリーのドライフルーツなどもあったが、こうした地元らしくないものはアメリカからの輸入品であった。

〈完〉

国民会議派最後の切り札 プリヤンカー・ガーンディー

これまで選挙のキャンペーンなどで表舞台に立つくらいであったが、ようやく「専業」の政治家となるプリヤンカー・ガーンディー。退潮の悩む国民会議派にとって、最後の切り札が、ついに登場することとなった。

国民会議派のリーダーシップを母親ソニア・ガーンディーから引き継ぐには、いまひとつ指導力と魅力に欠けるラーフルは、彼女の兄。

プリヤンカーは、メディアへの対応も落ち着いて、年齢の割にはずいぶん貫禄がある。物腰、スピーチ、風貌どれを取っても、大物の片鱗を感じさせるとともに、祖母のインディラー・ガーンディー元首相のイメージとダブるものがある。古くからの国民会議派支持者たちの間でも、もうだいぶ前からプリヤンカーの政界進出は大いに期待されていた。

今後の彼女は、国民会議派の選挙の指揮を執ることになる。かつて「ネルー王朝」と揶揄された国民会議派を一手に取り仕切るようになるのは、ラーフルではなく、妹のプリヤンカーかもしれない。曽祖父ネルー、祖母インディラー、父親ラジーヴに続いて、彼女が将来インドの首相の座につく日が来るかもしれない。

BJP政権で一気に右傾化したインド中央政界だが、今後「インディラーの再来」プリヤンカーで、巻き返しなるか?まずは来年前半に予定されているU.P.州の州議会選挙に注力することになるが、地方政界で最も重要な州のひとつであるだけに、ここでつまづくと、国民会議派における彼女のキャリアが出だしで大きく傷がつくことになる。

彼女にとっては「家業」の国民会議派。政治手腕は未知数ながらも、プリヤンカー・ガーンディー自身に弱点があるとすれば、夫でビジネスマンのロバート・ワドラーの巨額の不正取引疑惑と個人的な不人気。知的で清廉なイメージのある彼女とは正反対の評判の配偶者をめぐる動向は、「政治家プリヤンカー」にとって大きなリスクとなる。

It’s official: Priyanka Gandhi a full-time politician now, to head Congress’s UP campaign (India Today)

The Only Gandhi Left: To play to win, Congress can make this audacious move with Priyanka Gandhi (THE TIMES OF INDIA)

ペヘルガムへ 2は後日掲載します。〉

ペヘルガムへ1

ぺヘルガム(Pahalgam)を日帰りで訪問することにした。とにかく時間がないので、タクシーをチャーターして向かうことにした。

国道脇で木材が大量に積まれている。このあたりはクリケットのバットの材料となる柳の木(日本のしだれ柳とはだいぶ違う感じ)の産地として知られており、国道沿いにはバット作成のために削り出した木材が山積みされている。クリケットの世界では、オーストラリアとともに世界をリードするインドを下支えしているのがカシミールのバット生産といえるのかもしれない。

これからクリケットのバットに加工されるヤナギ材

ちなみにこの柳は、ラダックでもよく利用され、家屋や寺院の梁などを組むのにも使われる。強靭で弾力にも富むためだろう。

そこを過ぎて少し進んだ先、パームプル(Pampore)近くでは、道路両側が広大なサフラン畑となる。ここは世界に冠たるサフランの大産地。ここはジェーラム河のほとりに広がる湿原でも有名だ。収穫期は秋で、花ひとつに花芯は三本ほどしかなく、ゆえに高価なものとなるようだ。

そこからしばらく進んだところにはビジベハーラー (Bijbehara)という町がある。ここはJ&K州の前州首相のムフティ・モハンマド・サイードの実家があり、娘で父親の死後に州首相の座に就いたメヘブーバー・ムフティの生まれた町でもある。

このあたりで国道から左に折れて進んでいく。やがて道の両側はリンゴ畑となる。そのあたりでチャーイの休憩。運転手が言うには、観光客を連れてきている運転手はチャーイも食事も無料で提供されるのだとか。観光地間を結ぶ道路沿いではそんな感じらしい。

チャーイの休憩

立ち寄った店の横を流れる川

さて、本日の運転手はアブドゥル・カーディルさん。若い運転手だと向こう見ずな運転で怖いので、「中高年ドライバーを」と頼んだらやってきたのがこの方。すでに昨日、タクシースタンドの事務所で顔合わせしている。

アブドゥル・カーディルさん

運転手のアブドゥル・カーディルさんは、このあたりでは最高齢クラスの職業運転手だそうで、御隠居さん的に達観した落ち着きと重厚感がある。

だがジェントルな見た目とは裏腹に、なかなかおしゃべりな年配男性であった。
明日はどこに行くのか?と、やたらとグルマルグに日帰りすることを勧めたり、明後日デリーに飛ぶのだと言えば、空港には何時に行くのか?とどんどん売り込んでくる。必要があれば電話するとかわすが、それでもしばらくはそんなやりとりが続いた。

「子供たち四人全員結婚して片付いた。一緒に暮らしとる息子からは、もういい加減に引退しては?言われるけどな、家でぶらぶらしてると、家内が煩くてねぇ・・・」なんて、どこかの国でも耳にするようなことを言う。

もうとうに70才を越えているかと思ったが62才とのこと。このあたりの人たちのトシはよくわからない。

さきほどのメヘブーバー・ムフティの生まれた町を出たあたりから、次第に山道に入ってくる。近年は、カシミールの道路もかなりよくなっている。

おととい向かったソーンマールグとはまた違った雰囲気はあるが、やはりカシミールの景色は美しい。まさに風光明眉とはこのことだ。あまり険しい山道ではないが、次第に高度を上げていくとともに、気温も下がっていくようだ。高度はソーンマールグとどのくらい異なるのかは知らないが、向こうではすぐそこに見えた雪が、ここでははるか彼方上のほうに見える。

〈続く〉