パータン

手前がチャールナラヤン・テンプル跡地

2015年に発生した大地震のため、チャールナラヤン・テンプルは崩壊したとのこと。その他いくつかの文化財でも地震に被害の修復工事進行中だった。

パータンの王宮内を見学。ここも地震のダメージがあったので修復工事がなされている部分があるものの、今は見事な展示がなされた博物館になっている。

以前は特に中にこれといったものがなく、空き家になった王宮内を歩くだけで、手入れもよくなかったので、あまり印象はなかった。王家が暮らしていたころは、今のように床も壁もきれいにしてあったのだろう。こうした煉瓦造りで独自の雰囲気を持ったところには、やはりネパール独自の文化を感じさせるものであり、インドのそれとの大きな違いが感じられる。亜大陸北部で隣り合っている国ながらも、ずいぶん距離感が感じられるものである。

クンベーシュワル・テンプル

ゴールデン・テンプルへの参道
ゴールデン・テンプル

マハーボディー・テンプル
ウク・ベヘル

旧市街を散策してみると、実にいろいろ興味深いお寺がいくつもある。端正な境内と四重の塔を頂くクンベーシュワル・テンブル、とても狭い入口を進むとブロンズ版で装飾されて金色に輝くゴールデン・テンプル、ブッダガヤのそれを思わせるマハーボディー・テンプル、かなり狭い敷地ながらも奥行きを感じさせ造りの仏教寺院ウク・ベヘル等々。

クンベーシュワル・テンプルを除けば、狭小な境内に詰め込んだような造りになっているものが多いのは、やはり中世の都会というか、狭いところに集住するエリアに建立された都市的な寺院らしい信仰空間だ。

趣きのある街並み

2015年の震災後、つっかい棒で支えられるのは日常的な光景になったようだ。

中世の面影を残す街並みも素敵なパータンである。

ストゥーパの隣にあった建物の扉は仏教旗色に塗り分けてあった。

カラフルなストゥーパがあり、居心地が良かったのでここでひと休み。

ネワール式家屋のいいお宿

パータンでこういう宿を見かけた。

Newa Chen

従前からネワール家屋を安宿に転用したものはあり、田舎町でも利用する機会はあるが、多くは決して快適なものではなかった。ボロくなるに任せたままで、夕方に部屋に戻るのがちょっと憂鬱?な感じで、そういうのはかつてのストーンハウスロッジもそんな具合だった。

ここはかなり大きなお屋敷みたいなのを修復して宿泊施設にしてあり、ひとりで泊まるには、もっと安いところでいいのだが、友人や家族と一緒に、というケースには最適なんじゃないかと思う。オーナー家族も敷地内の別棟に暮らしている。

空港からの距離もカトマンズと変わらないし、旧市街もカトマンズよりもずいぶん静かだ。
他にもいくつかこういう宿泊施設を見かけたが、ここでは中を見せてもらった。8部屋しかないので、シーズンには電話やメール等で予約しておいたほうがいいだろう。

井戸端会議

バクタプルにて。これぞまさに文字通りの井戸端会議。
働き者の主婦たちの間で、地域の話題、ダンナのグチ、子供たちのことなど、いろんな家庭からのトピックが飛び交い、ときには誇張されたり、明るい笑い、やっかみ、憐憫などとともに、話題がどんどん拡散されては、忘れ去られていくのだろう。
地域の活力は、まずここからはじまる。

アウンサンスーチー氏 国家顧問就任1年

NLD政権発足から1年。
期待されたほどの成果が出ていないという批判はあるものの、政権担当した経験がない指導者、政党であること、けれども旧国軍系勢力と衝突することなく切り盛りしていること、外資の呼び込みやおカネの回り具合は良好に推移していることなど、総体的に見て素晴らしいことだ。

映画や物語の絵空事のストーリーではないし、ガーンディーに比肩するほどの偉人とはいえ、神様ではないのだから、民族問題、内戦、人権侵害等々の課題が山積する国のすべてをいっぺんに取り組むことが出来るわけではなく、解決出来るはずもない。「難局」というならば、現在のNLD政権が直面しているものよりも、軍政時代のほうがより大きな難局に対峙していたと言える。また2010年に「民政移管」と称して、軍幹部が軍籍を外れて発足した翼賛団体、USDP (連邦団結発展党)も「軍政の看板のかけかえに過ぎない」と批判されていたものの、良くも悪くも数々の難局を乗り越えてきた。

NLD政権発足は、軍を背景とする体制から完全に民政へ移管した快挙であったが、その後、旧体制に属していた層への粛清や報復といった手段により対立を生むことなく、着々と成すべき仕事を粛々と進めているように見える。やはりそこにはスーチー氏の冷静な判断と、彼女に対する周囲の厚い信頼あってのことなのだろう。

スーチー氏から袂を分かって新たな政治団体、政党を立ち上げようという動きもあることは、これまた好ましい動きだ。旧国軍勢力に対抗するため異なる思惑を抱えつつも横断的に団結していた中から自らのカラーを鮮明にする人たちが出て来たわけで、民主主義のシステムが国民の中のより広範な意見を吸い上げることが出来るようになることを期待したい。

NLDが政権党となるまでのスーチー氏の闘いの軌跡は偉業だが、大統領の上の存在、『国家顧問』に就任してからのそれも同様だ。

それにしてもすでに71歳となった彼女、後を継ぐことになりそうな人たちはみんな小粒で、あまりに偉大過ぎるカリスマが去った後の真空をどうやって埋めるのか?埋めることが出来るのかが気になる。
どんなに素晴らしいリーダーでも、老いという天命から逃れることは出来ない。

スーチー政権発足から1年、早くも難局にさしかかる政権運営 (WEDGE Infinity)

バクタプル

夜明けとともに、カトマンズ近隣にあるバクタプルへ。
確か、初めてカトマンズを訪れたときには、バクタプル行きの中国製トロリーバスが走っていた。その頃の中国でも同じようなものが活躍していたが、日本では『架線から電気を取って走る』バスなど見たこともなかったので仰天したことを覚えている。

当時、静かな田園風景の中を進んでいったように記憶しているが、今はまったくそんなことはなく、バス往来の激しい幹線道路を進んでいく。大袈裟に言えばバスは100メートルごとにお客を拾ったり、下ろしたりしながら進んで行くのだが、そうした乗客の出入り、沿道の人々の様子を眺めているのもなかなか楽しい。

カトマンズからバクタプル方面へのアラニコ・ハイウェイは、片側2車線の素晴らしい道路となっており、沢山のクルマが行き交っている。

アラニコ・ハイウェイ

バクタプルに到着して市街地に入ると、一見、昔と変わらないように見えるが、ところどころにつっかい棒で支えている建物があったり、無残にも壁が崩れ落ちたり、丸ごと崩壊していたりするものもある。























非常に建て込んだ市街地で、ぽっかり空いた空間にレンガが積んであるのは、倒壊した建物を再建するための作業に着手するところのようだ。壁が崩れ落ちたままになっているものが目に付くいっぽう、もうかなり再建完成近くなっている建物も見かける。崩壊著しいところでは、複数の建物がまとめて倒れたかのように思われるところもある。たまたまその部分の足元が脆弱だったのか、あるいは崩れた建物が倒れ掛かることにより、連鎖的に倒れたのかな?と想像したりもする。煉瓦造りの家屋が道沿いにぴったりと密着して建てられているため、そういうケースもあったのではないだろうか。



ダルバール・スクエアの歴史的建造物の中にも、大きな被害を受けたものは少なくなく、再建には、どのくらいの時間(と費用)がかかるのだろうか。このあたりについては、世界遺産指定されていることもあり、規模はともかく、内外から支援の手が差し伸べられることとは思うが、人々の住まいについては、崩壊した建造物の再建はオーナー自身がなんとか費用の手立てをしなくてはならないので大変だ。

同じく地震多発国に住む者として、大変心が痛む。

震災後もバクタプルの素焼き作りは盛ん