「THE LAST ANGLO-INDIANS」という本

アマゾンのKindle版で読んでみた。アングロ・インディアン全般について書かれたものではなく、著者の祖父母、母のインドでの生活の日々から、母親が南米出身の船乗りと結婚して1960年代に米国に移住するまで、19世紀終わりから21世紀に入るまでを淡々と綴った3代に渡る家族史。

インドでは中産階級に位置する家庭だが、一家やその一族は、電報局や鉄道勤務だったり、軍人だったりと、いかにもアングロ・インディアン的な勤め人世帯。

著者が語るに、アングロ・インディアンたちは、土地や家屋を所有せず、多くはアングロ・インディアンたちが多い地域で借家暮らしであったということだが、こうした層の人たちは、多くが転勤族であったことによるのではないかと想像する。アングロ・インディアンの商人層には、これとはまた異なるライフスタイルがあったことだろう。

勤務先での出世といっても、要のポジションに配置されているのは、本国からやってきた英国人。英国系とはいえども、インド生まれの人たちはローカルスタッフの扱いであったようだ。英国もインドも階級社会だが、アングロ・インディアンの中でも、生業や出自、業種や経済状況などにより、いろんなクラスがあったらしい。

1929年から1933年にかけての大恐慌の時代には、インドもひどいとばっちりを受けているが、現地在住のアングロ・インディアンも失業して、文字通り家族で路頭に迷う者も少なくなかったのだそうだ。英国系ということで支配層に比較的近いところにいたとはいえ、やはりそのあたりは、文字通りの勤め人なので、極端な不景気に見舞われると大変である。

家庭料理には、ふんだんにインドらしいメニュー(英国テイストを含んだ)が並び、そのレシピもいくつか紹介されていた。今度、料理してみようかと思う。

一般のインド人家庭よりは、恵まれた環境にあったようだが、それでも10代の反抗期には、グレてしまったり、勉強嫌いで学校からドロップアウトして、家族から離れてしまう者もあったりと、日本で暮らす私たちの家の中で起きることと、同じようなことが書かれている。

ただ、衛生状態や医療水準は今とは違うので、著者の母親は幼い頃、チフスで危うく命を落としかけたようだが、その時代には裕福だったアングロ・インディアンの家庭でも、生まれた子供たちがみんな元気に育つということはなかったらしい。

Kindle読み放題を利用したが、単体で購入しても570円。コスパの高い、英領末期前後のアングロ・インディアンに関する書籍である。

ゴアンな料理2

デザートのベビンカを食べ終えてから、付近の別の店に入り、ゴア料理アイテムのひとつ、サクティーを注文。こちらはチキンのものにした。やはりゴアにいるときには、個性的なゴア料理を楽しみたい。

その後、再び場所を移して、ポルトガル風家屋を転用したレストランで、ポーク・バルチャオ、カリフラワーの炒め物、ライスはウグラーというゴアの赤米を注文。粒が大ぶりで丸いもので、ケーララあたりでも近縁と思われる品種があるが、独特のコクがあって面白い。

食後にはカラメルプリン。使われている卵もカラメルソースも濃厚。香り高く、天にも昇るような陶酔感で本日の食事はシメとなる。

帰り道、ホテル近くに酒場があったので立ち寄ってみる。ビールのツマミにゴアンソーセージ。かなり酸味と塩味が強いゴアのソーセージのぶつ切りと野菜を一緒に炒めたものが出てくる。今度はビールによる軽い陶酔感で、心地よいゴアの夜は更けていく。

ゴアンな料理1

ゴア名物、豚の角切り肉をふんだんに使ったポーク・ソルポテルとポルトガル式パン。ポルトガル本国にこれがあるのかどうか知らないが、印葡ハイブリッドな料理ということになっている。

インドで豚を食べる地域はとても少ない(北東地域など)が、ゴアにおいては豚肉料理はバリエーションも豊富。

地域を支配するにあたり頂点を抑えても、人々の信仰や生活については基本的に関与しなかった英領地域と異なり、地域内でヒンドゥーの祭祀を禁じ、カトリックの教えとポルトガル式の価値観を浸透させたポルトガル。生活様式や食生活にも大きな影響を与えたがゆえに、『ゴアン』という独自のアイデンティティを形成することになったようだ。

ゴアのスイーツといえば、まずはベビンカ。ちょうど羊羹のような食感。ポルトガル時代にできた菓子と聞くが、ゴアを拠点にフィリピンや日本など、東方で広く布教活動に従事したイエズス会のフランシスコ・ザビエルもゴア帰還の際にはこの味を楽しんでいたのかもしれない。

ダージリン騒乱 観光客増を見込む近隣国

もうひと月以上も続いているダージリンでのバンド(ゼネスト)と政情不安の結果、当分の間はダージリンは行楽先から外れることとなる。それに従い、観光客たちがネパール、ブータンへ流れることが見込まれている。
高額なパッケージツアーに参加しないとブータンに入国できない私たちと違い、ビザ無しで個人で自由に旅行できるインド国民にとっては、近くて安い訪問先である。
インド人にとって、デリーやムンバイー発のグループツアーを利用しても、タイのバンコク、パタヤー、プーケットなどを訪問する月並みなツアーと、ブータンのティンプー、パロー、プナカーなどを訪れるパッケージがほぼ同じくらいの金額で出ているポピュラーな行楽地だ。
しかもブータン通貨のニュルタムはインドルピーと等価であり、ルピー現金がそのまま通用することもあり、英語もヒンディー語も広く通用するため、インド国内旅行の延長として捉えられている。
ことブータン訪問に限っては、インド旅券が欲しくてたまらない。

Bhutan and Nepal cash in on Darjeeling crisis, woo tourists (THE TIMES OF INDIA)

※「ゴアンな料理2」は後日掲載します。

The Open Library

ゴア州都パナジーの中心地にある広場。カトリックの聖堂、ポルトガル時代から引き継がれて使用されている官庁の建物などがあるエリアで、文字通り「街のヘソ」だが、ここの大きな公園には、「オープン・ライブラリー」と名付けられた書棚があった。

置かれているのは主に雑誌、そして軽い読み物くらいのものだが、付近の人々(主に年配層)が、ここから持ち出して園内のベンチで読んでいたりする。
他の街でこういうものを設置していたら、アッという間に蔵書がどこかに消えてしまいそうだが、やはりパナジーは文化的というか、ゆったりとした落ち着きが感じられる街である。

The Open Library