メーサイからタチレクへ

メーサイの宿泊先で朝食後にチェックアウトのため荷物をまとめていると、大きなトラックが大通りを駆け抜ける音がしたと思ったら、いつまで経っても騒々しい。トラックでなくて大雨だった。30分ほどで止んだが、周囲の山に低い雲がかかっており、しばらく天気は悪そうだ。

このあたりは丘陵地帯になっており、あまり見通しは良くない。そういう地域であるがゆえに少数民族も多くて独自性があるのだろう。

昔は小さなマーケットのようであったメーサイと、これまたこじんまりとしたタチレクの町の間を流れる細いルアック川(東へしばらく流れるとメコン河と合流)に架かる橋があるだけであったが、今では橋両側に両国の出入国事務所の大きな建物ができている。とりわけタイのものが大変立派だ。

向こうに見えるのはタイ側の出入国管理事務所

イミグレーションは、タイ・ミャンマー人用のカウンターとその他の国の人のカウンターとに分かれている。タイを出国して橋を渡っていると、その橋を渡るクルマが橋の真ん中あたりでタイ側の左側通行、ミャンマー側の右側通行からそれぞれ反対側の車線にスイッチしていくのが面白い。ちょうどそこの部分でタイとミャンマーの間の30分の時差が生じる。

橋の真ん中あたりで、掲げられている旗がタイ国旗からミャンマー国旗に変わる。
橋の上を移動する車両も左側通行(タイ)から右側通行(ミャンマー)にシフト
ミャンマー側のゲート

ミャンマー側に入ると、タイ側と同様に橋の両側にマーケットが広がっているのだが、タイ側よりも概ね建物の背は低く、粗末である。人に尋ねていないのでよくわからないが、こちらではけっこう停電があるのではないかと想像する。

ミヤンマー側のイミグレーションでパスポートを提示すると、ボーダーパスの紙が発行され、パスポートはミャンマーのイミグレーション預かりとなる。帰りに橋の反対側サイドの出国用イミグレーションのほうで返してくれるのだという。

それはいいとして、入国時に500タイバーツあるいは10ドルを徴収するというシステムは軍政時代から変わらない。こういうのはもうちょっとオープンにならないものなのだろうか。

イミグレーションを終えて出たところには、タチレイの町の観光を斡旋する客引きたちが声をかけてくる。

メーサイ2 サイババ寺院

タイ側の出入国管理事務所

メーサイは、国境での人の行き来と交易で栄える町なので、「町の中心」は、当然のことながらミャンマーへの入口のエリアとなる。画像中央に写っているタイ側の出入国管理事務所の手前には各種雑多な商店や事務所などが連なっているが、ここから離れるに従い、商店等が林立する密度は低くなってくる。ミャンマー側のタチレクでも事情は同じであることから、行政区分どころか所属する国さえも違うのだが、国境にまたがるひとつの町といえる面もある。

タイ側とミャンマー側を繋ぐ橋にかかる国旗は、真ん中でタイのものからミャンマーのものに変わっている。

町を歩いていると、「Aum Sai Ram」と書かれた看板がある路地に思わず吸い込まれてしまう。

Aum Sai Ram
SATYA SAI FOUNDATIONとある。

コンクリートのビル裏手に回っても、特に何も見当たらず、踵を返そうとすると、ビルの窓から声をかけてくる人があり、振り向いてみると、若いインド系の女性の姿があった。
「何かお探しですか?」
彼女の家族が、メーサイにあるサイババ寺院の世話人であった。ビルの並びにある鉄扉に閉ざされた敷地に大きな建物があり、そこにお寺が入っていた。
彼女はカギを開けて室内の電気を点けてくれた。
「ごゆっくりどうぞ。」
遠慮なく参拝させてもらうことにした。

サイババ寺院入口
本堂

帰りに再び彼女に声をかけてからお寺を後にしたが、その際に彼女の母親とも少し話をすることができた。風貌も名前も典型的なパンジャービーであった。時折、この地域に暮らすインド人たちが集まってバジャンを奉納したりしているとのこと。都合が合えば、ぜひ参加したいところだ。

ハルーン・マスジッド

バンコクにある最古のモスクのひとつとされるハルーン・マスジッド。
G.P.O界隈にある小ぶりな建物だ。1947年にモスクとしてタイ政府に登録されているが、イスラーム教の礼拝所としての歴史は、20世紀初頭まで遡るらしい。
アラブ系インドネシア人ムスリムによって建てられた経緯もあり、周囲にはマレー系住民の姿が多いとともに、イスラーム関係の施設や店がいくつもある。
初めての訪問だが、近くまで行ってから人に尋ねても知らなかったり、見当違いな方向を教えられたりする。しかしながらGoogleの地図サービスで検索してみると、現在地からのクルマや徒歩でのルートが瞬時に出てくる。便利な時代になったものである。

Sri Mariamman Temple

バンコクのシーロムにある有名な南インド系寺院。またの名をワット・ケーク(インド寺)。1860年代にタミル系の人たちによって建てられたもの。

ヒンドゥー教の裾野と仏教のそれは重なる部分があり、テラワダ仏教のタイだが、信仰の周縁部には、ヒンドゥーの神々の存在感もあることから、タイ人の参拝者でごった返している。
この界隈には神具屋が多い。

その中のひとつに入ってみると、インド人のお爺さんがおり、9年前からここで働いているという。立派な風采なので、てっきり店主かと思ったが、タイ人オーナーが経営する店で、彼は雇われているだけのようだ。名前からしてブラフマンなので、いかにも神具屋にはピッタリという感じだ。

UP州のゴーラクプルから来ているとのことで、バンコクでは近くにある北インド系寺院に起居しているそうだ。何代も続くインド系社会というインフラがあるので、こうした新規の移民が定着する隙間というか、懐の深さがあるのだろう。

どういうヴィザで来ていて、月にいくら位稼いでいるのか、ちょっと関心のあるところだが、まさか初対面の人にそんなことを尋ねるのは気が引ける。

インド人は、けっこうそんなことを外国人にズケズケと質問してくるのだが・・・。

インド系商業ビルの外で

バンコクのインド人街、パフラット地区にあるグルドワラ・スリ・グルー・スィン・サバーのインディア・エンポリアムという商業雑居ビルのすぐ外に、こんな立て札があった。
マナーの悪い新参者のインド人が多いのだろうか。
『ツバ、タン吐き禁止だぞ。捕まったら罰金500バーツ、いいかぁ?』というような、簡単な注意書きで間違いがあるくらいなので、これを書いたのはバンコク生まれのインド系の人かもしれない。
界隈には、複数世代に渡り長くタイに在住してきたインド系タイ人、近年インド本土からやってきた人、ネパール人、隣国ミャンマー在住のネパール系の人などが多く出入りしており、インド料理の店、ミターイーの店、神具屋にインド衣類の店なども集中している。このあたりのインド系の人たちの人口は、そこそこの規模がありそうだ。
ふだんは乗換えで立ち寄る程度のバンコクだが、いろいろ調べてみると興味深そうに思える。