末永く付き合いたくなるカメラの登場か?

CANON 40D
コンパクトデジカメ市場の飽和状態の次にやってきたのは、ユーザーの高級志向と趣味としての写真の世界の広がりであった。作品としての写真撮影を楽しむ人々がとても多くなった。フイルムや現像等のランニングコストがかからないため、いくらでも反復して練習を繰り返すことができるようになった。自分なりの工夫が画像にどのような効果を生んでいるかその場で確認できることのメリットもまた大きい。書籍やインターネットなどを通じた情報が格段に豊富になっており、独学でそれなりの知識と技術を習得できるようになった。また暗室のような本格的な設備を自宅に用意する必要がなくなり、普段使っているパソコンでいろいろ処理できるようになるなったことも合わせて、写真を趣味とすることに対するハードルがかつてないほど低くなっている。
こうした背景のもと、デジタル一眼レフの低価格化と機種の多様化が進んだ。そのためここ数年で店頭に並ぶモデルのバリエーションが非常に豊かになり、しかも手ごろな価格帯で店頭に並ぶようになった。そんな昨今、「おお!素晴らしいなあ!!」と心から拍手を送りたくなるような作品を目にする機会がとても多くなった。ここ数年間でアマチュア写真のレベルが格段に進歩していることは間違いないだろう。
銀塩写真の時代にはプロかよほどヘビーな写真マニアの人でもなければ一眼レフカメラを購入したら「一生モノ」とは言わないまでも、それこそ壊れるまで何年も大切に使っていたのではないだろうか。撮影すること自体にいろいろお金がかかったので、今みたいに膨大なコマ数を撮ることはなかっただろう。使用頻度が高くなければ新製品が出てもすぐに飛びつくことはなかったはず。そもそもデジタル以前のカメラの世界には10年くらいの長きに渡って販売されるロングセラー商品があった。その分いろんなレンズに投資する余裕があったのかもしれないが。本来「レンズ交換式カメラ」であるのだからそうあるべきだ。

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近日登場 リコーGX100解説本

以前、リコーのデジタルカメラGX100のことを取り上げてみたが、その後とても気に入ったので結局購入した。ユーザーがいろいろ設定を変えて工夫して楽しみながら撮影することを前提に設計(何も考えずにシャッターボタン押すだけでもそれなりに写るのはもちろんだが)してあり趣味性の高いカメラであること、広角側が24mmから始まり撮影の自由度が高いこと、ストラップを外せばむき出しのままズボンのポケットに無造作に放り込んでおいても邪魔にならない(ヘタすると液晶が壊れるかもしれないが・・・)手軽さもあり、日常持ち歩くにも旅カメラとしても秀逸なモデルである。この機種に搭載されているタテ・ヨコ同比率1:1のフォーマットで撮影してみるのも普段と違った雰囲気でなかなか面白い。
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21世紀のタグたち

まだ鉄道や現在のように整備された国道網もない時代、中世のインドで陸路旅する人々を震え上がらせた盗賊たちがいた。ダークーとタグである。前者はどこからともなく現れて強盗を働く武装集団で今もしばしば地方で列車やバスなどを襲撃する事件が新聞等に報じられているが、後者は当時のインド独特のものだろう。獲物となる旅の一座にしばらく同行して相手が信用しきったあたりで場所とタイミングを見計らい一気に全員を殺めて金品を奪う。多くの場合、大掛かりな武器はあまり持たずハンカチ一枚で相手の首を絞め上げて葬り去るというのが典型的な手口であったようで実に大胆不敵なものである。
まがりなりにも警察機構が国の隅々にまで行き渡っており、交通機関も整備されて切符を買って列車なりバスなりに乗り込めばどこでも好きなところに安全に移動することができる現代と違い、どこにどのような危険が潜んでいるかわからず自分たちの力だけが頼りの時代だ。ゆえにより多くの人数で移動したほうが安心感は大きかったであろうことは言うまでもない。まさに「旅は道連れ」である。自分たちと同じ方向に行くという相手がそれなりの身なりできちんとした印象の人であれば、喜んで迎え入れられたことは想像に難くない。裕福で地位もある人も多数被害に遭っているようなので、盗賊とはいえ気品、教養、風格などを持ち合わせた騙しのエキスパートたちであったのだろう。植民地時代のイギリス当局も彼らへの対応には手を焼いていたようだが、1830年代には彼らの活動をほぼ根絶することに成功する。
ちょっと古い記事になるが、インディア・トゥデイの7月25日号に「現在のタグ」と題した記事が掲載されていた。「鉄道内で知り合った相手に飲食物を勧められ、それを口にしたら意識が無くなり金品すべてを盗られていた」というものだ。昔からインド各地はもちろん他国でもしばしば耳にする古典的な手口であるが、パンジャーブのアンバーラーから西ベンガルのマールダーまで、つまり北インドを横断する鉄道ルート上において、近年この種の事件が急増しているのだという。
記事中には複数の実例が挙げられているが、そこには日本人とされる被害者ことも書かれていた。「ゴーギーマー(小嶋?)」という名前のその人はバナーラス近くのムガルサライから乗車し、ダージリンへ向かうルートへの入口となるニュージャルパイグリーが目的地であったが、彼が気がついたときは下車する予定であったその町の病院のベッドの上であったという。
睡眠薬類の錠剤を水に溶いたもの、あるいは最初から液状になっている薬物を注射器でパック入り清涼飲料水なり、包装されたビスケットなりに注入したものを犯行に使う。とこういう事件を起こす輩は、単身あるいは二、三人連れの男性かと思えば、そうとも限らないらしい。家族連れを装った仕込みかもしれないが幼い子を連れた夫婦であったり、一人で乗車している女性であったりこともあるようだ。もっとも実行犯はかならずしも薬物入りの飲み物や菓子類などを被害者に食べさせる者ばかりではなく、一味の者たちが複数、素知らぬ顔をして近くに座っているのかもしれない。
ビハールの鉄道警察関係者によれば、こうした薬物を使った昏睡強盗の手口を伝授するところが同州内にいくつかあるとのことだ。犯人たちは個々に単独で行動しているものとは限らず、かなり組織的なものが背後にあるのかもしれない。
現代の鉄道車内に跋扈する彼らが中世のタグたちと違い、被害者たちの命までは奪うことを意図していないとはいえ、出先で身ぐるみ剥がされたりしたらそれこそ大変なことになる。またこの類の事件で昏睡状態からそのまま死亡してしまったり、後遺症が残ったりというケースはときに耳にするところだ。
今のところこうした「現代のタグ」たちが暗躍するといえば、前述の北インドの鉄道路線上を走る列車の中でも、特に庶民たちが利用する下のクラスの車両が主たるものだとされるが、今後いろいろ広がりが出てくるかもしれない。多くの場合、土地に縁もゆかりもなく、地元の事情にも疎い外国人旅行者ばかりを立て続けに狙うようなケースも充分想像できるだろう。
停車駅から列車がガタン動き出すあたり、車内を人々がワサワサ行き交う時間帯には荷物の置き引きなどが多いが、これとあわせて「現代のタグ」にも充分注意したいものである。

犬は苦手

インドの街中でリスが駆け回っていたり、カラフルな鳥類が飛び交っていたりと暑い最中でも心和むものがある。でも往来に牛が寝そべっていたりすると確かに邪魔になるし、田舎では狡猾なサルたちがあなたの持ち物を狙っているかもしれない。
しかし常々疎ましくに思うのは犬たちの存在である。人の住むところどこにいっても彼らの姿がある。昼間はグタ〜ッと伸びているのに、やや日が傾いてくると元気に活動を始める。すっかり暗くなると徒党を組んで街中をめぐり、夜遅くなって人の姿がほとんどなくなると、街はもう野犬たちの独壇場だ。
帰り道、細い路地を突っ切っていけばすぐ近くであっても「よくあそこで犬たちが待ちか構えているからなぁ・・・」と思い起こす。たとえ見知らぬ他人であっても同じ方向に行く人があれば、コバンザメよろしくくっついていくところだが、通りかかかる人影もない。遠回りして大きな通りから行くことにしたほうがいいと感じつつも、エエイッと路地裏に踏み込み突き当りの角を曲がったところで野犬たちに捕まる。「バウバウバウッ」と吠えつくものあり、「ガルルル・・・」と低い声で唸りながら近づいて来るものもあり。ああ怖ろしや。
人がふたり行き交うのがやっとといった道幅。怒り狂う犬どもの横にスルリと抜けられそうなスペースもなく、「やっぱり戻って大回りして帰るか」と思った矢先、私がついさっき来た方向から別の犬がヒタヒタと近づいてくる。ひょっとしてこれは罠なのか?と冷汗タラリ。
まったく犬たちはどうして人を放っておいてくれないのか。暑い昼間ヘバッているときはともかく、特に知らない土地でこちらがヨソ者と見るとすぐ警戒モードに入って立ち上がる。敵対心むき出しの怒りに燃えた眼差しでこちらを睨む。ときに二匹、三匹と複数で攻撃を試みたりもするのが更に憎たらしい。
こちらは彼らに危害を加えるつもりはないし、そもそも犬たちに何の興味もないのだから、ともに無関心と無干渉でもって平穏無事なお付き合いを願えないものだろうか。
私たち人間の親戚筋(?)にあたるサルたちは、こちらに対して何か「縄張り」めいた意識や「上下関係」(どちらが上だと思っているかよく知らないが)のようなものを感じているのではないかと思う。でも私たち人間とはまったく違う種に属する動物たち、牛、水牛、ヤギ、羊、馬、猫、ところによりラクダやクジャク・・・街中でいろんな動物を目にするが、こちらが特に何かしでかさなければ彼らから攻撃してくることはまずない。そこにくると問題児はやはり野犬たちだ。
野放しの犬たちが各地で自由に徘徊するインドにあっても、「これは何とかしなくてはならない」という動きが存在することは嫌犬家にとっては少々心強いものがある。
先日のヒンドゥスターン・タイムスにはこんな記事が掲載されていた。
「デリー市議会で発言 野犬を韓国へ」
この記事は翌日韓国の中央日報にも転載され、同紙日本語版ウェブサイトでも読むことができる。要は犬料理「補身湯にどうですか?」といったことらしい。
まさか本気で犬を輸出しようと意図しての発言ではないだろうし、私たちが消費する豚肉、牛肉でもいろいろあるように、「どんな犬でもいい」というわけではないだろう。そもそも犬については韓国でもいろいろな議論があることは日本でも広く報じられているところ。インドからそんなハタ迷惑な話があったところで「悪い冗談だな〜」くらいにしか受け取らないことと思う。
外国に送ってしまうかどうかはともかく、街中から野犬たちを丸ごと排除してしまおうという動きが大きな流れになっていくと、大の犬嫌いの私にとってはうれしいし、同じように感じている人も決して少なくないのではないだろうか。
MCD brainwave: send stray dogs to Korea (Hindustan Times)
ニューデリー市会議員「インドの野良犬を輸出しよう」(中央日報)

Namaste Bollywood #07

Namaste Bollywood #07
ついに第7号を発刊したNamaste Bollywood、創刊号にさかのぼって国会図書館に収蔵されることになったとのことだ。今回の誌面もまたスターたちの横顔、話題の新作、関係者等の執筆記事などに加えて、小さな囲み記事にも興味を引かれるものが多い。たとえばマレーシアに招待されてサッカーの試合を行った「ボリウッド・セリブリティ・イレブン」のことや福岡国際映画祭2007で上映されたインド映画作品のことなど、ボリウッドファンならばぜひ押さえておきたい旬な情報を満載。
おっと、忘れてはならないのが巻末に連載されているBollywood Filmy Pedigree。今回取り上げられているのはデーオール家。家長はもちろん「Sholay」のダルメーンドラだが、その長男のサニー・デーオールといえば、ずいぶん長いこと若者役ばかり演じている年齢不詳俳優のひとりだ。現在いったいいくつなのだろう?と常々疑問に感じていたが、なんと今年10月にはなんと51歳になるのだとか。すると「母」ヘーマー・マーリニーとはずいぶん歳が近すぎるのではないかと誰もが思うだろう。
ごく自然に考えればサニーにとって彼女は継母という関係かと想像できるが実はそうではない。父が1980年に彼女が結婚してからも先妻とは関係を解消していないため「併母」なのだそうだ。でもいったいどうやって重婚できたのか?その答えを知るためにぜひ今号を手にしていただきたい。ボリウッドのスターたちの私生活はときにスクリーンで演じる内容よりも更にドラマチックであったりする。
Namaste Bollywood