カサウリー ビールとIMFL(Indian Made Foreign Liquor)の故郷

カサウリーには海抜にして約1800mに過ぎないが、ここには現存する世界で最高地点にある有数の醸造/蒸留酒製造所がある。当時の主な洋酒市場となるイギリス人居住地や軍駐屯地等へのアクセスの良さに加えて、酒造りに欠かせない良質な水が採取できる好立地であったのだろう。
この酒造会社とはご存知Mohan Maekin Limitedである。ビールのGolden Eagle、ラムのOld Monkで広く知られるあの酒造会社だ。前身は1855年設立のDyer Breweries。もっとも法人組織化するだいぶ前から酒造行を営んでおり、創業は1820年代後半といわれる。この酒造所はアジアで最初のビールLion(現在も軍用として製造)を生んだことでも知られている。

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小さなヒルステーションでゆったり

カサウリーの教会
カサウリーはチャーンディーガルから65km、シムラーから77kmの地点にある。パンジャーブやハリヤナーからシムラーに向かう人が、こんな中途半端な場所でストップする理由もないかもしれないが、私は幼い子連れであるがゆえに長い山道がダメなので寄り道してみたのだが、これが意外に良かった。
チャーンディーガルからシムラーへと向かう国道22号線途中にある町ダラムプルから東へ折れて山肌に貼り付く細くところどころ荒れた道を進む。やがて雲行きが怪しくなってきた。霧 が出てきたと思えばそれは雨雲であり、ポツリポツリと降り出してきてすぐに激しい豪雨になってしまい、道はやがて川のようになってきた。
しばらく走ると、道沿いに家屋や商店などが点在するようになってきて町が近いことがわかる。ほどなくカサウリーに到着。
カサウリーのホテル
宿泊先はややくたびれた感じの重厚なコロニアル調の建物。ちゃんと手入れがなされれば相当いいホテルに変身できるのではないかと思う。レセプション脇のレストランを抜けたところにあるバーにはビリヤード台が置いてあり、さらに向こうには広々としたロビーがある。私たちが宿泊する部屋は道路を挟んだ別棟になるが、こちらも同様に古い建物だ。窓際にソファが置かれた寝室の横にはドレッシングルームも付いており、一応スイートルームということになっているらしい。
ホテルにチェックインしてからも激しい雨は続きしばらく外出できそうにないので部屋の外のテラスにテーブルを出して昼食。周囲には針葉樹が多く深く濃い緑が美しい。潤いを帯びた空気とともにまさに「オゾンで一杯」といった感じだ。大きく息を吸い込むとすると肺の奥まできれいになりそうな気がする。
バーとビリヤード台

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KAMRAAでCAMERA

カメラの語源はラテン語のCAMERA OBSCURAである。このCAMERAとは同じくインド・ ヨーロッパ語族に属するヒンディー語で言うところのKAMRAAと同じく部屋を意味しており、OBSCURAと合わせて「暗い部屋」ということになる。
初期のカメラは16世紀に発明された箱の形状をしたもので、ごく小さな穴を通して像を壁などに投影するだけであった。映像と感光剤を合わせて物質的に定着させるという写真機としての技術が実用化されたのは1840年代以降だ。日本語では銀板写真と呼ばれるダゲレオタイプ、最初のネガポジ方式であるカロタイプが登場した。
続いて金属板に代わりガラス板を使ったネガ版を作るコロジオン法が開発された。クリミア戦争やアメリカ南北戦争などで撮影する戦場カメラマンが登場したのはこの時期のことだ。インドでも1857年の大反乱直後、写真家フェリス・ベアトーが現地入りして、各地の戦跡や荒れ果てたデリーやラクナウの風景やなどを撮影している。たとえ作品の題材は生々しくとも、当時の写真から静謐な空気のみが漂ってくるように思われるのには訳がある。写真の感度が低く、少しでも動きのあるものを撮影することができず静止したものにレンズを向けるしかなかったのだ。
1860年代に来印して数々の作品を残したサミュエル・バーンズは、インドを題材にした最初のネイチャー写真家ということになるだろう。ヒマラヤの峰々に魅せられた彼は、雄大な山岳風景、ヒルステーション、スピティの寒村風景など多くの傑作が今に伝えられている。他にもムガル建築、港湾風景その他インド各地で撮影した秀作があるが、彼の真骨頂はやはり山の風景らしい。

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その名も「インド」

インド
日経ビジネス人文庫から書き下ろしとして出版された「インド」という本がある。「目覚めた経済大国」という月並みなサブタイトルが付いているものの、日本経済新聞のデリー駐在記者による現地報告というだけあり、とかく注目されがちなITのみならず、インドの様々な分野の産業にスポットライトを当てて、左派勢力の閣外協力によりかなり厳しいかじ取りを続ける連立政権の経済運営と今後の課題を幅広く探っている。
内容は一般向けの入門書だが、記述内容が知識のはぎ合わせになることなく、政治経済、産業各界が相互にどういう風に作用して今のインドのアウトラインが成り立っているのか理解しやすく上手にまとめてある。また社会の各要所を占めるキーパーソンについてのわかりやすい記述とともに、経済という視点から眺めたインドの現況を手っ取り早く理解するために実に便利な一冊であろう。この類の本はフレッシュさが命。比較的最近出版された本なので、大手企業参入が進む小売業界、ルピー高といった旬なトピックも盛り込まれているのもいい。

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末永く付き合いたくなるカメラの登場か?

CANON 40D
コンパクトデジカメ市場の飽和状態の次にやってきたのは、ユーザーの高級志向と趣味としての写真の世界の広がりであった。作品としての写真撮影を楽しむ人々がとても多くなった。フイルムや現像等のランニングコストがかからないため、いくらでも反復して練習を繰り返すことができるようになった。自分なりの工夫が画像にどのような効果を生んでいるかその場で確認できることのメリットもまた大きい。書籍やインターネットなどを通じた情報が格段に豊富になっており、独学でそれなりの知識と技術を習得できるようになった。また暗室のような本格的な設備を自宅に用意する必要がなくなり、普段使っているパソコンでいろいろ処理できるようになるなったことも合わせて、写真を趣味とすることに対するハードルがかつてないほど低くなっている。
こうした背景のもと、デジタル一眼レフの低価格化と機種の多様化が進んだ。そのためここ数年で店頭に並ぶモデルのバリエーションが非常に豊かになり、しかも手ごろな価格帯で店頭に並ぶようになった。そんな昨今、「おお!素晴らしいなあ!!」と心から拍手を送りたくなるような作品を目にする機会がとても多くなった。ここ数年間でアマチュア写真のレベルが格段に進歩していることは間違いないだろう。
銀塩写真の時代にはプロかよほどヘビーな写真マニアの人でもなければ一眼レフカメラを購入したら「一生モノ」とは言わないまでも、それこそ壊れるまで何年も大切に使っていたのではないだろうか。撮影すること自体にいろいろお金がかかったので、今みたいに膨大なコマ数を撮ることはなかっただろう。使用頻度が高くなければ新製品が出てもすぐに飛びつくことはなかったはず。そもそもデジタル以前のカメラの世界には10年くらいの長きに渡って販売されるロングセラー商品があった。その分いろんなレンズに投資する余裕があったのかもしれないが。本来「レンズ交換式カメラ」であるのだからそうあるべきだ。

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