テレビで体験 ダージリンのトイトレイン

toy train.jpg
 6月16日(木)午後8時から放送のNHKの番組「探検ロマン世界遺産」で、インドのダージリン・ヒマラヤ鉄道が特集される。
 1879年から建設がはじまり1881年に開通したダージリン・ヒマラヤ鉄道。海抜100メートルのスィリグリから2200メートルのダージリンまで全長86キロのルートを走る。開業当時から客車を引っ張ってきたのはマンチェスターのアトラス・ワークス社製の蒸気機関車。オーストリアのサマリング・アルパイン鉄道に次いで、世界で二番目に古い狭軌の山岳鉄道といわれる。
 1999年に世界遺産に指定されてからも赤字続きだ。存続のためにフランス資本へ協力打診の話があった。老朽化した蒸気機関車に代わるディーゼル機関車の投入を検討すればユネスコによる世界遺産の取り消しの警告を受けた。このときはマハーラーシュトラ州のネーラルとマーテーラーンの間を走るもうひとつのトイトレインで使用中の蒸気機関車を慌てて移送するなどいろいろ大変だったようだ。その後、一部ディーゼルのエンジンが導入されているので、この問題については一応の決着はついたらしい。 
 世界遺産とはいえ自然や遺跡などと違い、歴史的背景への価値が認められたものの基本的には鉄道という運輸事業。今後どれほど長きにわたって存続するのかわからない。皮肉ではあるが、やがて消えてなくなるかもしれないがゆえに「遺産」としての魅力がさらに増すともいえるだろう。

槍玉にあがるカリスマ

L.K. Advani.jpg
 BJP党首のL.K. アードヴァーニー氏は、1927年(1929年とも言われる)に現在パキスタンとなっているスィンド州のカラーチーで生まれた。1947年の印・パ分離前にはカラーチーでRSS(Rashtriya Swayamsewak Sangh) のオーガナイザーとして活躍していた。
 現在のBJPの前身にあたるジャナ・サングが結成されたときからの幹部でもあり、筋金入りの右翼政治家だ。サフラン勢力の重鎮であるとともに、1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件等々、様々な大衆政治活動をリードしてきた彼は、常にタカ派の硬骨漢として知られている。
 そんな彼のさきの外遊先での発言が大きな波紋を呼んでいる。訪問先のパキスタンで、同国で建国の父として尊敬を集めながらも、インドでは母国を分離の悲劇へと導いた張本人と認識されているモハンマド・アリー・ジンナーについて、「世俗主義者」「歴史を造った人」などと持ち上げた。極右ヒンドゥー勢力のリーダーの訪パは「成功であった」とされたのもつかのま、帰国した彼を待ち受けていたのはヒンドゥー至上主義団体RSSを中心とした、いわゆるサング・パリワール(以下パリワール)内から噴出する非難の集中砲火であった。
 近年では同じパリワール内にあっても、RSS、VHP(Vishwa Hindu Parishad)といったイデオロギーをリードする団体と、政権党となってから穏健化した(かのように見えた)B JPとの間ではアヨーディヤー問題その他をめぐるスタンスの違いから不協和音が伝えられており、野党に転落してからは党首のアードヴァーニーと元首相のヴァジペイーに対し公然と引退を求める声さえ上がっていた。
 そこにきてこの発言。パリワール内のBJP以外の団体からは「パキスタンが世俗国家だったら、なぜ彼はスィンドからこちらに移住したのだ」「パキスタン人アードヴァーニー」等々の発言が繰り返されているのに対し、あるムスリム団体は彼を擁護する姿勢を表明し、左翼陣営は「彼の発言はまあいいんじゃないか。ただジンナーがわが国を分離させたことについては触れるべきであった」と一定の理解を示す動きがあり、あたかもアードヴァーニー氏ひいてはBJPが一夜にして右翼陣営から鞍替えしたかのような錯覚をおぼえるほどだ。
 今回の一連の動きをうけて、辞任を表明しているアードヴァーニー氏だが、筋金入りの闘士にして老獪な政治家である彼の真意はいったい何であったのか。訪問先でのリップ・サービス、強硬派のイメージを払拭、新たな支持基盤の掘り起こし等々、それなりの計算があったのだろう。
 だが今回の騒ぎによる右翼陣営の混乱、氏の後継問題など何ら利するところはなく、彼の長い政治生活の中で最大の失言にして深刻な誤算であったようにしか思えない。今年11月に78歳(あるいは76歳)になる彼にそう長い時間は残されていない。
 どうも不可解な出来事ではあるが、アードヴァーニー氏もやはり人間。右翼陣営のカリスマ的な指導者も「老いた」ということなのだろうか。
 史実をめぐる歴史認識というものは、国境をまたげば百八十度違うということは珍しくないが、パキスタンとの外交関係そのものだけではなく、インド国内的にも「パキスタン」というカードはいかにデリケートで厄介なものであることがよくわかる。
 ともあれ今回の騒動がどう進展するのか、目が離せないところである。
L K Advani resigns as BJP President (OUTLOOK)
Advani refuses to reconsider resignation (Deccan Herald)

ちびくろさんぼ

 Chibikurosambo.jpg
 幼いころよく読んだ「ちびくろさんぼ」は複数の出版社から出ていたのだが、1980年代末から「人種差別を助長する」との理由で廃刊となっていた。私はこの本のどこが差別的なのか特に深く考えもしなかったが、この本の復刻版(原作の内容が一部割愛されているが・・・)が出ていることに最近気がついた。
 ご存知のとおり著者は1863年にスコットランドのエジンバラに生まれたヘレン・バンナーマン。牧師の父が世界に広がる英領地域を中心とした宣教活動にかかわっていた関係で海外生活が長かった彼女は、1889年にIMS(Indian Medical Service)に奉職する在印英軍付の医者と結婚し、以後30年間にわたってインドで暮らすこととなった。
 バンナーマン夫妻が駐在していたのはマドラス。現地の気温はもちろん当時の生活環境では子育てには問題が多かったらしく、彼らは子供たちを家政婦とともに過ごしやすいヒルステーションのコダイカナルに住まわせており、ヘレンは暇を見つけては彼らに会うため片道二日の鉄道旅行を繰り返していたという。そうした長い道中、子供たちに読み聞かせるために車内で筆を取って書き溜めたストーリーやイラストの一部が、1898年に「The Story of Little Black Sambo」と題して出版されることになった。
 ロンドンで好評を得た後、この本はアメリカでも出回ることになった。しかし版権の管理がきちんとなされていなかったため、著者の描いたものと違う絵に差し替えられて販売されることにつながった。そうした中でいつのまにか主人公の男の子やその家族たちがインド人から黒人に入れ替わってしまったらしい。
 著者自身は初版が出てから一世紀以上にわたって世界中で愛読されようとも、作品について「差別的だ」との批判がなされようとも想像さえしなかったことだろう。
 その「問題」についてはどう決着がついたのか知らないのだが、長く暑苦しい鉄道の旅の最中、離れて暮らすわが子たちのために心をこめて作り上げた原作。登場人物たちがインド人であろうと黒人であろうと、楽しいストーリーを紡ぎ上げた母親の気持ちに一点の穢れもやましい心もあったはずがない。
 この国で半生を送ったバンナーマン夫人、この「ちびくろさんぼ」以外にも子供たちのために数々の面白い話を創り上げたことだろうが、それらは家族の記憶の中に大切に保存されたのだろう。
 政府関係の仕事に従事する夫と専業主婦の妻という当時の在印イギリス人の典型ともいえる夫妻の日々の暮らしはどんなものであったのか、こちらも非常に興味のあるところである。ページをめくりながらしばし19世紀後半の南インドに思いを馳せてみた。
HELEN  BANNERMAN 1862-1946  .jpg

世界一の大仏プロジェクト

buddha.jpg
 カルナータカ州都バンガロールからマイソール方面へ50キロほど進んだラーマナガラムで計画されている「世界最大の仏像」の製作計画に対する環境保護団体等の反発が世間の耳目を集めるようになっている。
 インディア・トゥデイ6月6日号に写真入りで記事が掲載されているのを見た。どこか記憶の片隅にある風景だと思えば、昔の記録的大ヒット映画SHOLAYの舞台であった。取り巻き連中と馬に乗って地域を荒らしまわる大盗賊ガッバル・スィンと若き日のアミターブ・バッチャンとダルメンドラが扮する主役が対峙するインド版西部劇みたいな舞台にまさにぴったり、巨岩ゴロゴロの大地にサボテンならぬ潅木がチョボチョボ生えている広大な景色だ。
 予定されている大仏とは、そのロケーションといい規模といい2001年3月に当時のタリバーン政権により爆破されたアフガニスタンのバーミヤンの石仏を彷彿させるものらしい。こちらは大きなものが高さ55メートルだが、ラーマナガラムで予定されているものは何と217メートルという途方もなく大きなものだ。
 サンガミトラ・ファウンデーションによる「プロジェクト・ブッダ」と呼ばれるこの事業にかかる費用は3億ルピー、500名の彫刻師と2000名におよぶ土木作業員が動員されるという。中央政府の環境・森林省およびカルナータカ州政府の認可を得ているということだが、今後しばらく紆余曲折が続くことになるのだろうか。
 断崖に石仏を彫り出すだけではなく、広報、教育、啓蒙、医療、福祉、観光、商業活動といった様々な活動の拠点となる施設の建設が予定されているという。荒地を耕す以外にこれといって何もない土地に新しい事業が誘致されるということは、地元の活性化や雇用機会の拡大等々、非常に好ましく思えるのだが。表面上は事業主体である同ファウンデーション対複数の環境団体の対立という形をとっているものの、背景には大きな政治勢力の駆け引きがあるのだろう。
 ともあれ大きなものを見物するのは大好きだ。建造にかかる費用以上に価値のあるものになるはずもないが、完成した暁には高さ200メートル超の大仏を眺めにぜひ出かけてみようと思う。さぞ迫力のある眺めに違いない。
Greens see red over Buddha statue project (The Hindu)

追放される喫煙シーン

indian cigarette.jpg
 近年、インドでタバコを吸う人がずいぶん減っているように思う。鉄道その他公共の場所での禁煙化がとみに進んでいるこの国、日本に比較して喫煙率はかなり低いようだが、それでもインドで喫煙が原因とされる病気で亡くなる人の数は年間80万人から100万人と言われる。
 そんなインドの保健省から、今年の8月から(あるメディアには7月とも)映画やテレビで喫煙シーンを流すことが禁止されるとの発表があり、波紋を呼んでいる。
 現在のところ未確認とのことだが、ひょっとするとインドは映像から喫煙シーンを排除する世界最初の国となる可能性もあるらしい。
 今後、スクリーンに登場する悪役たちをどう演出していくのかちょっと気になるところだ。安易に紫煙で斜に構えた役柄や退廃した雰囲気を出すのではなく、それなりの工夫が求められるようになる。禁止以前の古い映画については喫煙シーンが映る際に「タバコは健康を害する」と警告を字幕で流すのだという。
 表現の自由にかかわることとはいえ、映画の大衆性と影響力を考えればそういう判断もまあ是とも非とも言えない気がする。喫煙行為への風当たりがとみに強くなっている昨今である。
 だが下記のリンク先(BBC South Asia)記事中の「今度は暴力を助長するから銃器を見せることを禁止するんじゃないか?」俳優アヌパム・ケールのコメントにあるように、政府によるさらなる干渉を危惧する声もあるのはもっともなことだろう。
 個人的にはタバコよりもある意味同調できる部分がある。近年のボリウッド映画の中で、かなり行き過ぎた暴力シーンが少なくないように感じる。ある程度自粛ないしは規制がなされてもいいのではないかと思うのは私だけではないだろう。
 
फ़िल्मी पर्दे पर धूम्रपान पर रोक (BBC Hindi)
Anger at Indian film smoking ban (BBC South Asia)
Smoking scenes banned on screen as India steps up anti-tobacco war (YAHOO ! NEWS)