道ばたの「祠」

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 OGATAさんが祠の話をしているが、なにを隠そうぼくも祠フェチである。南インドの農道の畑の外れ、ちょっとした木陰にささやかに祀られた祠が好きだ。
 町中にあるような格式高い寺院とは違う。素朴でけして偉そうじゃないのに、その土地を見守り、村人から慕われつづけてきた祠には、無言のうちに伝わる優しさと恐ろしさが眠っている。
 こういう祠の神様というと、形をもっているものはむしろ少数派で、ほとんどは石か泥の塊で作られたシンプルなもの。河原や山で誰かが見つけてきた形のいい石に、クムクム(色粉)をつけて、祈りと花を捧げる。神様は誰かが決めたものではなく、おのおのが暮らしの中で見つけるもの、という原始ヒンドゥー的な考え方が心地良い。
 日本の道端にも祠は多くあるが、なかでもぼくが気になっているのは「道祖神」だ。道祖神は道の神、境の神であり、そのほとんどが石などで作られていることから、石神(シャクジ)という古い呼び名もある。俗説ではあるが、石神(シャクジ)の語源は、インドのシャクティ(生・性・力)とも言われている。
 日本の石神様も、新しいものは具象的だが、古くなればなるほど形は曖昧になり、南インドのそれに似てくる。そういえば道祖神信仰の火付け役は国外から放浪してきた旅芸人という説もある。はるか昔、インドから流れてきた旅芸人が、日本にたどり着き、旅の道中、自分たちの故郷と同様の祠を各地に作って祀っていった…そんな想像を広げるのは楽しい。

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