街角の「祠」

 大木の下、バザールの横丁、河岸のガート、民家の軒先…インドでは、街角を見渡せばあちこちに祠がある。よく見れば、ヒンドゥーの神様以外にも、イスラム教、キリスト教、さまざまな宗教の神様が祀られているのが分かるだろう。こうした祠にはどんな由来があるのだろうか。地域の人々が、亡くなった人の慰霊や、何かを記念して建立することだってあるだろう。聖者が奇跡を起こしたとか、その土地の言い伝えにちなむものも少なくない。金持ちの気まぐれで寄進されたものだってあるかもしれない。
 祠は永遠にそこにあるわけではない。立派な寺院やモスクでさえ、廃墟や遺跡になり果てているものが沢山ある。長いスパンで見れば、祠だって、新しくつくられたり、廃れたりしているかもしれない。
 反対に小さな祠ながら由緒があり、ちっぽけなのに格式高い「名刹」なんてものもあるだろう。霊験あらたかと知られ、信仰と浄財を集めて発展した結果、大きな寺になったケースもある。
 インドに限らず欧米にもこうした祠のたぐいは珍しくない。日本にも昔から人々が出入りしていた土地にはお地蔵さんその他いろいろある。家庭の神棚や仏壇だって大きな意味では同類に含めることができるかもしれない。
 小さな祠を見ていると、日常生活の中、人々と神様との間に格式張らない身近な付き合いがあることがよくわかる。幼いころから見知った近所のオジサンみたいに親しい等身大の神様がいて、グチや悩みごとを聞いてもらえるなんていうのは、なかなか良い環境だと思う。
 新興住宅地や商業地では祠の存在を感じることは少ない分、人々と神様の関わりが薄くなっているようだ。都市化や近代化とともに信仰のありかたが変わりつつあることは間違いないだろう。

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